第十三章 真実(3)
アグリアスがラムザの語る昔話に聞き入っていた頃。
ライオネル城の一室にひとり監禁されているオヴェリアは、予期せぬ来客を迎えていた。
「食事に手を付けていないのか。食べないともたないぜ」
ディリータ・ハイラルである。
「………」
オヴェリアは床に座ったまま、榛の双眸を睨みつけた。
互いの視線が交差する。
すると、何を思ったのか、ディリータは肩をすくめた。
「おまえが死んで悲しむヤツなんてひとりもいないぞ。それどころか、喜ぶヤツが大半だ。どうせ、死ねやしないんだ。無理せず食べろ」
あきれるような声音なのに、その表情は優しげで。
オヴェリアは目をそらした。
(この男はいったい何を考えているの?)
オーボンヌで自分を拉致したのは、ゴルターナ公を貶めようとするラーグ公の謀略を阻止するため。ならば、ゴルターナ公に自分を引き渡すのかと思えば、彼はそうしなかった。ゼイレキレの滝に駆けつけてくれたアグリアス達と一緒に行くことを、この男は容認した。
何の目的があって男がそうしたのか、オヴェリアにはいくら考えても分からない。分かっているのは――
「…やはり、あなたも枢機卿と結託していたのね」
枢機卿によって監禁されている自分に、面会が許された。その現実から導かれる事実だった。
「私をどうしようというの? ラーグ公に引き渡さないのなら、どうするつもりなの?」
「本来、おまえがいるべき場所におまえを連れていく…、それだけだ」
チョコボ車の中でも聞いた、具体性に欠ける言葉。
この男も、曖昧な説明で言い逃れようとするのか。こちらの意思を無視するのか。用があるのは、“王女”という地位だけなのか。
オヴェリアはうつむいた。膝の上に置いていた両手が、スカートの布をきつく握りしめる。
「あなたも私を利用しようというのね。でも、私はあなたの言うとおりにはならない」
「おまえに選択肢はない。生き延びるためにはそれしかないぞ」
ディリータの強い口調に、オヴェリアは顔を上げた。まっすぐに面前の騎士を見つめる。
「それはどういう意味?」
「それは…」
ディリータが口を開きかけた瞬間、扉が廊下側から乱暴に開かれた。ノックもしない無礼な振る舞いをしたのは、ドラクロワ枢機卿。オヴェリアが知らない壮年の騎士を一人伴っている。
「この娘がオヴェリアか…」
騎士はその深緑の瞳で無遠慮にオヴェリアを凝視し、
「王女様、ご機嫌はいかがですかな?」
枢機卿が白々しい態度でお辞儀をした。
「もう少しおとなしくしていただけるならば、この部屋でなくともよいのですがね」
「フン、王女の身代わりの娘には十分すぎるぐらいだ」
騎士が吐き捨てるように言う。
オヴェリアはその紺碧色の目を見開いた。いま、この男は、なんと言った?
「ホホホホ…。ヴォルマルフ殿、この娘はまだ知らないのです」
「そうか…。哀れな娘よ」
枢機卿は騎士をたしなめるように笑い、ヴォルマルフと呼ばれた騎士はわずかに目を細める。ディリータは振り返り、騎士を凝視した。
「それは、どういうことなの…?」
「いいか、よく聞け。おまえはオヴェリアではない」
ヴォルマルフが冷然と告げる。
「え…?」
「本物の王女はとうの昔に死んでいる。おまえはその身代わりなのだ」
「そんな! ウソよッ!!」
「嘘ではない。おまえはオヴェリアではないのだ。ルーヴェリア王妃をよく思わぬ元老院のじじいどもがおまえを作り出した…。いつの日か、王位を継がせるために身代わりを用意したのだ。邪魔な王妃を追い出すためにな。
やつらのやり口は実に周到だったよ。上の二人の王子を病死に見せかけて暗殺し、おまえを王家に入れた。病弱なオムドリアに新たな王子ができるとは思えなかったのでな、自動的に王位はおまえのものだ。
ところがオリナス王子が誕生した。…いや、未だに王子がオムドリアの子であるかどうかなどわからん。ラーグ公が実妹を王の母にするために外から“種”を用意したのかもしれん…。いずれにしても、元老院のじじいどもの計画は台無しになったのだ」
「ウソよッ! 絶対にウソだわ! 私には信じられない!」
オヴェリアはかぶりを振った。嘘に決まっている。男の話には証拠がない。いかにもそれらしく語っているだけだ。
だが、一方で、オヴェリアは気づいてしまった。男の話を嘘だと証明することもできないことに。オヴェリアの記憶に、実父にして先代国王でもあるデムナンダ四世とのふれ合いはない。その面影や匂いさえ覚えていない。肖像画で顔を知っているだけ。周囲の人間がそう教えたから、“王女”として遇するから、自分は王族だと認識していただけだったとしたら……。
鼓動がどんどん早くなる。息苦しさが腹から胸へとこみ上げ、頭の後ろがじぃんと痺れてきた。
ディリータは、王女と呼ばれる娘の顔がみるみる青ざめていくのを見た。自身の存在意義を全否定され、心の底から怯えているのだ。
「どう思おうとおまえの勝手だ。我々にとってもおまえが王女であるかどうかなどどうでもいいこと。我々は『王女』という強力なカードを手に入れた。それで十分だ」
ヴォルマルフが、表情を変えることなく淡々と告げる。
「…あなたたちは私をどうするつもり? いったい何をさせたいの?」
オヴェリアの目が、救いを求めるようにヴォルマルフを見つめた。
「何もしなくていい。今のまま『王女』でいてくれればよい」
「私はアトカーシャ家の血を引く者! 誰にも命令されたりはしないッ!」
ヴォルマルフを見返す紺碧の目に、嫌悪はあっても威容はなかった。絹のドレスに包まれた華奢な身体が、ブルブルと震えている。
「では、どうする? ラーグ公に捕らえられれば即、処刑だろう? 我々は手助けをしたいだけだ。おまえが王位につくためのな…」
「…あなたはいったい何者なの?」
怯えているのに、オヴェリアは気丈に振る舞おうとする。
その姿が、ディリータの脳裏で妹の面影と重なった。
「我々はラーグ公の味方でもなければゴルターナ公の陣営の者でもない。ただの“協力者”だ」
「ヴォルマルフ殿、王女様にはもう少し頭を冷やしてもらいましょう。現実をきちんと認識すれば我々の“協力”を拒むこともありますまい…」
枢機卿が話を切り上げさせ、
「うむ、そうだな…」
ヴォルマルフが重々しく頷く。
ふたりは王女に挨拶することなく、きびすを返した。ドラクロワ枢機卿が先に出て行く。ヴォルマルフもその後に続こうとしたが、扉をくぐる直前、彼は振り返った。
「行くぞ、ディリータ!」
背後から発せられた命令に、ディリータは従った。王女の視線を背中に感じつつも振り返ることなく、無言で部屋を出る。
見張り役が錠を下ろす作業を眺めながら、ディリータはぼんやり思った。
あいつも“利用される者”だったのか、と。