真実(4)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第十三章 真実(4)

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 人間というのは、考えすぎると思考が飽和して、何をしたらいいのかわからなくなるんだな。
 ムスタディオは今まさにその事を実感していた。
『これでおわりです』
 ラムザが傭兵に転向した事情は、ムスタディオの想像をはるかに越えていた。かといって、疑うことはできない。出来の悪い物語だと茶化すこともできない。進むにつれて苦しげになっていく彼の表情を見ていれば、イヤでも事実を語っているのだと理解できた。
 知りたかったことを知ることができた。
 では、知った後、自分はどんな態度をとればいいのか?
 何事もなかったように、いつもと同じように接すればいいのか? 
 いや、それは違うような気がする。胸の中がもやもやするから。
 かといって、大変だったなと同情する内容でもない。少なくとも自分がラムザの立場だったら、そんな安直にすませてほしくない。
 だからこそ、
(わかんねぇよ)
 昔話を聞き終え、昨夜の野営地に戻り、手当と食事すませて夜の見張りについても、ムスタディオは困惑していた。
 手慰みに、たき火に薪として用意した枯れ枝を一本投げ入れる。
 空気の流れが変わり、炎が大きく揺らいだ。しかし、枯れ枝の表皮に火が燃え広がると、徐々に炎の大きさは戻っていく。
 変化する様子を見届けたムスタディオは、次の薪を用意するために腰を浮かせたが、すぐに座り直した。
(ハイペースにくべると、朝まで保たないか。ご飯作るのにも必要だし)
 無意識に右手を上げ、うなじに触れて己の髪型を感触で確かめる。後頭部で一つにきつく結んでいるおかげか、崩れた感じはない。昼間の戦闘のせいで汗くさい気もするが、野営中に洗髪はできない。湿らせた布で体を拭いて下着を替えただけで、満足するしかない。
(まあ、数日くらい風呂に入れなくても平気だけどさ)
 こぼれそうになるため息を、ムスタディオは意識的に押しとどめた。
(銃の手入れはやっちゃったし。見張りの暇つぶしって、ほかに何があったっけ?)
 不意に、天恵のように閃く。
(そうだ、見張りの相方と話せばいいんだよ!)
 思いつくままに人の気配がする左側を見やり、青灰の瞳と目が合う。
「なに?」
 その持ち主に声をかけられ、ムスタディオは硬直した。
(しまった、相方はラムザだった!)
 ダークナイトと死闘をしたんだから、見張りなんかしなくてもいい。指揮官なのだから、体調を万全にするためにゆっくり休め。アデル達のそんな忠告を『戦ったのはみんなも一緒。特別扱いすることはない』と謝絶し、せめてこの頑固者が休息する時間をまとめてとれるように最初の見張り番を割り当て、その相方を決めるためくじ引きをして、一本しかない当たりを引いたのがこのオレでした!
「ムスタディオ、さっきから落ち着きがないけど…ってごめん、僕のせいだよね」
 ラムザは自分の顔をじっと見たかと思うと、勝手に結論を出してうつむいてしまう。申し訳なさそうなその仕草に、ムスタディオは困った。何かいわなければいけないと焦るのだが、内心の感情を的確に表現できる言葉が思いつけない。
 そうやって、己の思考に没頭していたからだろう。
「ムスタディオは優しいね」
「へっ?」
 左側から発せられた穏やかな声が、よく聞き取れなかった。
 発生源を見やれば、ラムザはいつの間にか顔を上げ、身体をこちらに向けていた。
「僕の話を茶化さず聞いてくれて、真剣に受け止めてくれている。理解できないと棚ざらしにせず、他人事だからって突き放さない。僕の出自を知っても、おもねることもない。とても嬉しい」
 まっすぐ向けられた青灰の目がきれいにたわみ、口元が柔らかい弧を描く。
「正直、怖かったんだ。真実を話せばみんな僕を見放すんじゃないかって」
「そんなことねぇ!」
「うん、きみも、アグリアスさんも、僕を信じてくれた。そう思ったら、どうしてかはわからないけど、ほっとしたんだ。ほんとに」
 表情を変えぬまま、ラムザが言う。
 不意に、ムスタディオは思った。
(こいつのこんな穏やかな顔、はじめて見たな…)
 静かにたたずんでいるのにどこか張りつめた緊張感が、戦場のきな臭さが漂うような雰囲気が、今のラムザからは感じられない。ほっとけばどこか見知らぬ場所で落とし穴にはまってそうな危うさも、ない。
(なんか、いいなぁ)
 あたたかい感情がじんわりと胸に広がり、それまで鎮座していた重苦しい困惑を溶かし流していく。
 ムスタディオは腰を浮かせ、立ち上がった。開いていた空間を歩むことで縮め、拳一つ分の透き間だけを空けてラムザの隣に座る。地面の冷たさを無視して左側を眺めやれば、隣の彼は目をぱちくりさせていた。
「おまえの親父さんって、どんな人だったんだ?」
 ラムザは小首を傾げている。
「おまえはオレの親父には会っているのに、オレがおまえの親父さんについて知らないのは不公平じゃないか。そりゃ、"天騎士"で"英雄"なのは噂で聞いているけどよ…」
(おまえが見知っている、父親としてのバルバネス・ベオルブについて知りたいんだ)
 言い聞かせるように伝えると、ラムザは「父さん…」と呟いて手元に視線を落とす。そして、ぽつりぽつりと話し出した。
 幼い頃は、いつもどこでも会える存在ではなかったこと。母親と妹と一緒に別の屋敷で暮らしていたときも、母親の死を契機にベオルブの家に引き取られても、一ヶ月に一度でも会えればいい方だったこと。ただ、誕生日や季節の変わり目には、心のこもった手紙を送ってくれたこと。
 変わったのは五年前。団長職を長兄に継がせてからは屋敷にいることが増え、気軽に話せるようになったこと。ある日、勉強がいやで父の部屋に逃げ込んだら、父は苦笑いをしながらも迎え入れてくれて、ラムザの気が済むまでいさせてくれたこと。もちろん、さぼった代償として家庭教師から課された課題は自力でこなすように嗜まれたが…。
 ラムザが語る思い出話にムスタディオは耳を傾け、共感できるところは心からうなずき、礼代わりに彼自身の思い出を披露する。
 若者同士の穏やかな会話は、交代の時間までとぎれることなく続いた。


「俺はやっぱり許せねぇよ」
 アデルがぶっきらぼうに言ったのは、最初の見張り番であったラムザとムスタディオの両名が仮の寝床に戻って数十分後だった。
 イゴールは相手の表情を伺う。
 たき火の照り返しによって陰影がより濃くなったアデルの横顔は、普段の闊達さは潜んでいた。
「何をだ?」
「決まっているだろう、軍師だよ。ラムザは自分がティータちゃんを殺したと思っているけどよ、命令を出したのは軍師で、実際に手を下したのはアルガスだ。あいつじゃない」
「それはその通りだが…、ラムザにしてみれば、親友の妹を見殺しにすることで得られる戦略的価値を考えてしまった、己の思考を許せなかったのだろう」
「おまえのいうこともわかるけどよ…でもよ、ラムザは考えただけだ。実行していない。第一、ありとあらゆる事態を想定して最善を導くよう努めるのが指揮官じゃないか。最低最悪の事態を考えたからって、それが罪になるとは俺には思えない。だから…」
「考えたこと自体が罪だ、そうラムザに思わせる軍師のやり方が許せない。そう言いたいのか?」
 イゴールがそう指摘をすると、アデルは胸の前で腕を組んだ。
 殴りかかろうとする拳を抑えるかのような彼の仕草に、イゴールは推理が正しかったことを知る。
「おまえの気持ちはよくわかるが、ラムザには言うなよ。軍師は…」
「わかってる。俺にとって軍師は赤の他人で、気にくわない相手だ。でも、ラムザにとっては実の兄で、一緒に暮らしていた家族だ。俺だって、家族の悪口を言われたら平静ではいられない。相手の言い分に一理あってもな。だから言わねぇよ。でも、イゴールはハナっから軍師を嫌っていたようだったから、俺の考えを話しても大丈夫と思ったんだ」
 イゴールは否定も肯定もしなかった。乾いた清潔な布を荷袋から取り出し、弓を拭っていく。アデルは何か反応してほしかったのだろう、こちらの横顔を見つめている。しかし、イゴールは彼の視線をわざと無視し、弓の手入れを黙々と続けた。
 数十秒の沈黙。
 不意に、アデルが立ち上がった。両手を頭上であわせて伸びをし、両腕をゆっくりと降ろす。続けて、肩を左右交互にあげていく。三回繰り返したところで、アデルはスクワットをし始めた。規則正しく増えていくカウントを聞き流しながら、イゴールは考える。
(俺は、どうするべきだろうか)
 処刑場での出来事は、アデルにとって軍師への敵対心を強めた。実直な彼らしい感想だ。共感すべきところもある。だが、それ以上に強い感慨を、イゴールを抱いた。
(俺はラムザほど強くない)
 もっとも知られたくない事柄を敵に暴露されても、ラムザは否定しなかった。動揺はしていたようだが、事実だと認めた。言い訳をしなかった。周囲の人間に八つ当たりもしなかった。かたや、自分はどうだ?
 なさけない。
 いたたまれない。
 ふがいない。
 胸の内にわき上がってきた数々の感情をねじ伏せ、自身が本当に望むことを探して思考をこらす。
 結論が出たのは、見張りの時間がおわる直前だった。


「イリア」
 左肩を軽くゆすられ、はっと目が覚める。
「ごめん、寝坊した?!」
 勢いよく上体を起こして声がする方を見ると、青っぽい薄闇の中にマリアらしき人影があった。
「だいじょうぶよ。時間どおり。ただ、頼みたいことがあるの」
「なに?」
「お手洗いに行きたいの。見張り役として一緒にきてくれない?」
 イリア自身も用を足したかったので、うなずいた。上掛け代わりの外套を軽くたたみ、右側を見やる。そこにはアグリアスが寝ていたはずだが、空になってた。彼女の背負い袋だけが残っている。
「アグリアスさんはいいって言っていたわ。先に朝食用の水をくんでおくって」
「そうなんだ。じゃ、いこう」
 手櫛で髪をととのえてから、イリアは膝立ちになった。そのままの姿勢で天幕の入り口まで移動し、戸布を払いのける。夜明け前の涼やかな微風が頬を撫でる。幸いなことに、雨のにおいはしない。立ち上がって頭上を見上げるも、木立の隙間から見える空は青黒い闇に包まれており、雲らしき影は見あたらなかった。
「このままずっと降らないといいんだけど」
 イリアが思わず呟くと、傍らのマリアが首を縦に振った。
「そうね。でも、雨期だから、日中に天気が変わるかも。雨中の移動も覚悟した方がいいわね」
「だね…だったら、今朝は身体が温まるお茶にしようかな。ジンジャーティーなんてどう?」
「私はいいと思うけど、アデルは『苦いからイヤだ』と言うかもね」
「むぅ、だったら大サービスでハチミツを入れるよ。大事の前の贅沢ってことで」
「あら、それはいいわね。レモンがあれば最高なんだけど」
「レモンはないけど、レモンバームの乾燥葉ならあるよ。入れてみる?」
「いえ、それは遠慮するわ。かなり独創的なハーブティーになりそうだから」
 首を横に振って、マリアが歩き出す。かなり早足だ。イリアはあわてて彼女の後を追った。
「風味付けとしてならいけるとおもうんだけど。乾燥葉を細かく刻んで浮かべて…」
「あのね、イリア。レモンバームの香りは確かにレモンっぽいけど、レモンそのものじゃないわ。ジンジャーの苦み、ハチミツの甘み、そしてレモンのさわやかな酸味の三者がそろってこそ、至極のジンジャーティーになると私は思うんだけど」
「わたしもそう思うけど、生のレモンなんて街に行かないと手に入らないよ」
「そうね。現状では不可能ね。あきらめるわ」
「至極は無理でも、ハチミツ多めのジンジャーティーにするから」
「ありがとう、イリア。楽しみにしてるわ」
 会話の最中もマリアの足は止まらない。彼女は灯りも用意していないのに、よどみない足取りで、臨時の廁(かわや)へと進んでいく。
(薄暗いのに、足下よく見えているなぁ。下生えに引っかからないのかな)
 イリアが密かに関心していると、前方、木立の隙間に小さな炎が見えた。ろうそくの灯りだ。
「マリア、誰かいるみたいだよ」
 お手洗いは使用中だから、ここで待とう。イリアがそう告げる前に、灯りの方がこちらに近づいてきた。ろうそくを一本灯した燭台を持つ人影が、薄闇のなか浮かび上がってくる。容貌を見て取った瞬間、
「ッ!」
 イリアはその場に硬直した。鼓動が早くなる。
「お望みどおり連れてきたわよ、イゴール」
 一方、マリアは艶やかに笑った。
「人払いは任せて」
「…すまない、感謝する」
 右手をひらひらと降って、マリアは天幕の方へと足早に去っていった。イリアに引き留める暇さえ与えずに。
「………」
「………」
 重々しい沈黙が、両者の間を押し包む。
 イゴールは、燭台を持っていない左手を握ったり開いたりしている。頭上に強い視線を感じてイリアがのろのろと顔を上げるも、彼は口を開いても一言も発せずままに唇を閉じてしまう。
 対面した直後に跳ね上がっていた心拍数が、緩やかに戻っていくのをイリアは自覚した。強ばっていた両足に力が戻ってくる。
「わたし、もどるね」
 告げるやいなや、イリアはイゴールに背を向けた。右のつま先に力を籠めた瞬間、
「まってくれ!」
 イゴールが大声で叫んだ。
「ウォージリスではひどいことしてすまなかった!」
 大声に、右足から力が抜ける。よろけそうになった右足を何とか支え、イリアは振り返る。すると、イゴールは上半身を垂直に倒して、頭を深々と下げていた。
「それと…こんなことを言えた義理はないと自覚しているんだが…、ディリータが言っていたことは他のみんなには黙っていてほしい」
 イリアの視線よりも低い位置にある茶色の頭が、わずかに揺れている。
「…言わないよ。殺されたくないもの」
「は?」
 イゴールの口から間の抜けた音が漏れた。垂直に倒れていた上半身が四五度まで起こされ、探るような彼の表情が見て取れる。約十秒後…、
「あの誓いは忘れてくれ、いや、破棄する!」
 再びイゴールの上半身が垂直に倒された。
「おまえが言いたいなら言ってもらっても…いや、ちがうな。俺は言ってほしくないと思っている。だが、俺におまえを止める権利はない。おまえが誰かにしゃべっても、俺がおまえをどうこうすることはない。それだけは確かだ。ただ…」
 イゴールの上半身が緩やかに起こされ、三〇度の位置で止まる。
「おまえなら気づいていると思うが…、ディリータが言っていたのは俺の実家に関することだ。俺は…士官学校に来た時点で家から解放されたと思っていた。卒業と同時に家に帰らずトンズラするつもりだった。実際はおまえたちと中退することになったが、むしろ好都合だった。もう、あのヒトの世話にならずにすむと思うと清々した」
 彼の緑の瞳は、イリアを見ていない。手元の燭台に固定されてた。
 視線をイリアに向けぬまま、彼は続けて言う。
「だが、実際は逃げていただけだ。ラムザと同じように、直視するのが怖かったんだ。いや、今でも怖い。認めたラムザと違い、俺はまだ認めたくないんだ。認めた瞬間、今までの自分が覆されそうで、恐ろしいんだ。
 すまない。さっきから言っていることが支離滅裂だな。要は、お願いだ。手前勝手な申し出だと承知しているが、ウォージリスで見聞きしたことは、誰にも言わないでほしい。おまえの胸の内にとどめておいてくれ」
 そこまで言って、イゴールは再び腰を四五度まで曲げた。
 懇願の姿勢に、イリアは戸惑った。

『ここでのことは誰にも言うな』
 間近に迫る、獰猛な緑の双眸。
『お前を殺す』
 耳元でささやかれた脅迫は、ただ怖かった。身体の芯から凍えるほどに。
 なのに…一週間ほど経ったとはいえ、同じ人物が懇願している。殺すとまで言った相手に向かって。
 言ってもかまわない。好きにしてもいい。でも、できれば話さないでほしい。
 不器用で、卑怯な方法だ。
 こちらの意思を尊重するそぶりを出しているだけなのだから。
 実際に誰かにしゃべったら、イゴールは落胆するだろう。悲しむだろう。話したイリアを責めることもせず、苦しむのだろう。

 あと数センチで内臓にまで達していた刀傷。
 チャクラと回復魔法、薬品まで使って何とか止まった出血。 
『こいつ、おまえが死んだと勘違いしてアホやって、わき腹にこんな大ケガしたんだぜ』
 あきれるような、からかうような、アデルの声。
 無言で背けられたイゴールの青白い横顔。宙を見つめる、緑の双眸。

 目の前の人が…痛いのはイヤだな。
 苦しむのは…見たくないな。
 イリアはそう思った。だから…

「わかった。誰にもいわない」
 するりとその言葉が口から出た。
 四五度に曲げられていたイゴールの腰がしゃんと伸び、茶色の頭が本来あるべき高さに戻る。瞬きを繰り返していた緑の目がまっすぐにイリアを見つめた。
「すまない。…ありがとう」
 イゴールから発せられた声は、かすかに震えていた。


「お疲れさま」
 駆け足で野営地まで戻ったマリアを出迎えたのは、労る表情を浮かべたアグリアスだった。
「ありがとうございます」
 イリアとイゴールを二人っきりにする時間と場所を作るために協力してくれた聖騎士に礼を言う。
「あの二人…仲直りできるといいな」
「原因を作ったイゴールが『謝りたい』って言ったのだから、大丈夫と思いますよ。それくらいの甲斐性はあると思いますから」
「…そうだな」
「その…マリア」
「はい?」
 ぎこちなさが残る声音で名を呼ばれ、マリアは小首を傾げた。
「その…昨日は勢いで君たちのリーダーを呼び捨てにしてしまって…気に障っていないだろうか」
 アグリアスから指摘され、マリアはようやく気づいた。
 出会ったときから堅い態度を崩さなかった聖騎士が、初めて自分の名前を呼び捨てにし、言葉遣いも仲間内の柔らかいものになっていたことに。
「怒っていませんよ。むしろ嬉しいです。同じ立場になれた実感がわいて。聖騎士様にこんなことを言うの失礼かもしれませんが」
「いや…こんな事態に巻き込んだのは私だし…」
 呟くように言われたアグリアスの言葉に、マリアはかっとなった。
「アグリアスさん、私は、私達は、あなたに巻き込まれて処刑場で戦ったわけではありません。訳の分からない理由で殺されている人を見過ごせなかっただけです。そこは見誤らないでください」
 きっぱりと心の内を告げる。
 アグリアスは蒼い目を大きく見張り、そして、視線を伏せた。
「ラムザも同じことを言っていたな…。私はどうやらそなたたちを見くびっていたようだ。すまなかった」
「そうですよ、これから、たった七人で、ライオネル城に突撃する仲間なんですから、いらぬ心配なんかしないでください」
 素直な謝罪にマリアは溜飲を下げる。だが…
「ならば、マリアも私に向かって敬語は使う必要はないぞ。名前だって呼び捨てでかまわない」
 アグリアスからそう告げられ、マリアは困惑した。
 自分より、四つ年上の女性。
 先天的な才能を持った者にしか許されない、聖剣技を拾得した騎士。
 高い空を思わせる澄み切った蒼い瞳。凛とした雰囲気。整った容貌。
 他人に優しく、己に厳しい人柄。
 ありとあらゆる意味で、呼び捨てにするのは恐れ多い。
「アグリアスさんはアグリアスさん…かな。呼び捨てにするのはちょっと…」
「そんなものか?」
「そうです」
「丁寧語もいらないが…」
「そこはおいおいということで…」
 話を無理矢理切り上げ、朝食づくりを始める。
 メニューは何がいいだろうか。
 イリアがジンジャーティーを用意すると言っていた。となれば、飲み物は彼女に任せて、私が用意すべきは主食だ。スライスしたパンに炙った肉と野菜を挟もうかなぁ…。ひとまずお湯を沸かして…
「っ!」
 そこまで考えていたとき、傍らのアグリアスが息をのんだ。
 彼女の視線の先には、ラムザ。男性用天幕の戸布を払いのけ、こちらに歩み寄ってくる。マリアは立ち上がった。
「おはよう」
「おはよう」
 彼の簡潔な挨拶に、マリアも同じ言葉で応える。
「早いのね。まだ朝ご飯できてないよ」
「なんだか目が冴えちゃったんだ。寝直す時間もないし、顔を洗ってきたら手伝うよ」
 ラムザの足が、飲み水として利用している川辺へと向かう。
 その瞬間、アグリアスが勢いよく立ち上がった。ブンっと空気を裂くような音を立てて。
「ラムザッ!」
 意を決した風で、彼の名を呼ぶ。昨日と同じように呼び捨てだ。
「はい」
 しかし、相手には彼女の決意が伝わっていないようだ。
 表情を変えることなく、平然たる様子でアグリアスの言葉を待っている。
 数秒の沈黙。
 その間、マリアは無言でアグリアスにエールを送り続けた。
「…体調はどうだ?」
「問題ありません」
「そ、そうか」
「アグリアスさん」
「な、なんだ?」
「今日は強行軍となります。食事をとったらすぐ出発するのでそのつもりで」
「…わかった」
 伝達事項を伝えると、ラムザは立ち去っていった。
 野営地の周囲を囲む下生えに彼の背中が隠れると、アグリアスの両肩が若干下がった。
(不器用なのは、イゴールやラムザだけではなかったのね)
 マリアは細く長くため息をついた。

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