凶報(3)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第十章 凶報(3)

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 返事を待たずにイゴールは背を向けて、歩き出す。
 彼の真剣な表情が、アデルに反論を封じさせ、マリアに感情の軟化を促す。そして、徐々に遠ざかっていく背中が、イリアに一歩を踏み出させた。彼女は駆け寄って数歩の距離まで追いつくと、そのまま追従する。他の二人は無言で見送っていた。
 話があるといっておきながら、イゴールはなかなか話を切り出そうとしない。後ろを振り返ることもなく、廊下を歩き続ける。イリアもまた無理に聞き出そうとせず、黙ってあとをついていった。
 二人の背景が、絨毯を敷き詰めた廊下から正面玄関にある大階段、そして、数名の騎士が待機するロビーへと変わる。だが、イゴールはなおも口を閉ざし、黄昏色に染まる外――イグーロス城内中庭へとイリアを誘う。
 彼の頑な態度が変わったのは、中庭を流れる小川に架けられた石造りの橋にさしかかったときだった。イゴールはようやく足を止め、イリアもまた歩みを止める。
 彼はゆっくりと振り返り、イリアに向き合った。
 岸辺に焚かれた篝火が彼の顔に明暗を付け、真剣な表情をさらに際だたせる。暗さで色を落とした緑色の瞳をまっすぐイリアに向けて、彼は口を開いた。
「お前はここに残れ」
 その声は普段よりも落としているが、川のせせらぎだけが流れる中庭で聞き取るには十分な音量だった。イリアの耳にもきちんと届いている。だが、彼女はその意味を理解しかねた。
「え?」
「お前はここに残れ」
 彼は表情を変えることなく、同じ言葉を繰り返す。
 真摯な瞳が、冗談ではなく本気であることを、そして、自分だけが城内に取り残されるということをイリアに示唆していた。
「どうして!?」
「また、地獄絵図を見る覚悟はあるのか?」
 地獄絵図という物騒な表現にイリアは怯む。
「将軍の言葉を思い出せ。彼は『作戦は総攻撃に移行する。主力は温存しなければならなくなった』と言った。だが、誘拐された彼女を助ける気があるなら、まず、作戦そのものを中断して、その身柄確保に努めるべきだ。ところがそうしようとはしない。なぜか、わかるか?」
 わからないイリアは、無言で首を横に振った。
「骸旅団殲滅作戦は全てにおいて優先させるべきだと、上層部…ラーグ公と軍師は考えているからだ。となれば、彼女は切り捨てられる。骸旅団が彼女の身柄を盾に撤兵を要求した時点で。勝利と不屈の精神という名目のために」
「でも、ティータちゃんは―」
「ディリータの妹だ。ベオルブ家縁の者でもない、ただ、その庇護下に置かれている平民の娘。政治上守るべき理由もない。為政者にとって、これほど切り捨てやすい存在はいない」
 感情を一切廃した平坦な声で、イゴールは冷徹な指摘をする。
 イリアは反論することもできず、鋭い視線から逃れるために顔を逸らす。
 その態度に、イゴールは一瞬口ごもった。残酷な事実を告げ彼女を追いつめている事に自己嫌悪し、そして、彼女を傷つける言葉を言わなければならない事に心が怖じける。だが、この言葉を言わないと彼女は納得してくれない。覚悟を決めた。
「そういう事態になったとき、ただ嘆き泣いていたのでは、足手まといになるだけだ…」
 イリアは顔をゆがめ、俯いてしまった。
 イゴールもまた、彼女から視線を逸らす。
 冷たい夜風が二人の間を通り過ぎ、篝火の炎を揺らし、水面を撫でる。
 風にそよぐ梢の音に紛れて、小さな呟きがイゴールの耳に入ってくる。
 発生源の方へ視線を戻し、イゴールは驚愕した。
 自分をまっすぐ見上げる彼女の両頬に流れる透明な液体に。
 闇夜に輝く星のように強い光を放つその両目に。
「わたしは、悲しくて泣いてるんじゃないのよ。悔しくて泣いているのよ! イゴールはこれっぽっちもわたしの事を認めていない!!」
 彼女は目尻からあふれ出る涙を拭おうともしなかった。
 想定外の反応に、糾弾する言葉に、イゴールは声を失う。
「確かにあの事件はショックだった。重傷者を平然と殺し、遺体を薪だというアルガスが怖かった。止められなかった自分の無力さが腹立たしかった。恐怖と悔しさで涙が止まらなかった。遺体を埋葬するときも、無惨に殺された彼らのことを思うと、申し訳なさと虚無感で一杯だった。でも、ここ数日考えに考え、こうも思ったの。あんな残酷な場面を二度と見ないですむよう今度は努力をしよう。自分にできることの最善をしようって。そう決心したのに、どうして、わたしの気持ちを無視して、一方的に残るように言うのよ! こんなに腹立たしく、むかつくことはないッ!! 戦力外だから残れと将軍から命令を受けたのなら、仕方ない。不満だけど残るわ。でも、将軍は『第三班のメンバー』といった。つまり、わたしにも参加資格はあるって事よ。誘拐されて不安に思っているティータちゃんを助ける力がわたしにもあると評価されたのよ! わたしはメンバーのお荷物じゃないし、守ってもらうべき存在でもない。魔法しか使えないけど、戦うべき時には戦うことを知っている戦士よ!!」
 イゴールは顔を伏せた。しゃっくりをあげる彼女の声が、辺りに哀しく響く。
「すまない、俺が悪かった…」
「わたしだって…きっと…皆の…力に…。一人で…待ちぼうけは…イヤ…」
 興奮しているイリアに小声の謝罪は届かない。
 とぎれとぎれの涙声が夜風に乗って流れていく。
 イゴールは腰回りのポーチをまさぐり、手触りの良い布を探し当てるとイリアに差し出した。
「すまない、俺が悪かった」
 泣きじゃくるイリアの顔を直視し、謝罪する。
 彼女はイゴールの表情が真摯なものである事を確認すると、彼の手にある手布らしきものをとった。あまり丁寧に畳まれたとは言えない布をぎこちなく広げる。完全に広げられた状態を見て、イゴールはバツの悪い思いにとらわれた。それは、長弓の整備に使っている布で、泥や埃による汚れが大きな黒い斑点となって付着していた。
 とても、顔を拭けるものではない。
「あ、す、すまない。ハンカチはどこだっ」
 イゴールは狼狽して、ズボンの両ポケットやポーチをまさぐる。中身をひっくり返しかねない大げさな動作に、イリアは小さく笑い声をあげた。
「…いいわよ、自分の使うから。これ、ありがとう」
 イリアは丁寧にたたみ直し、手布を返す。イゴールはきまりの悪い思いをしつつも受け取った。彼女はローブのポケットからハンカチを取り出し、顔を丁寧に拭う。
 作業を終えたイリアは、目元が赤かったが他の部分は常と変わらぬものに戻っていた。
 柔らかい微笑みを浮かべた表情。
 優しく穏やかでありながら、一定の意志を感じさせる青紫の瞳。
 イゴールは安堵しつつも、やはり、不安を抱く。
 再びその瞳が嘆きの色に染まり、胸を引き裂くような慟哭を聞かされるかもしれない可能性に。
「本当にいいのか? 流れる深紅の血に嘆き、失われる命をその目に焼き付けることになっても」
 イリアは首を横に振る。
「そうなるとは、まだ決まってない。そうならないように、わたしは行くの。今度は後悔したくないから」
「わかった。一緒に行こう」
 イリアはこっくりと頷いた。
 そして、イゴールもまた決意する。
 自分と願いを同じくする者達が傷つき、悲嘆の涙を流すことがないよう、戦うことを。

***

「あいつら、何話しているのかな?」
「さあ? でも、いつになく真剣な表情してたから、邪魔するわけにはいかないわね」
「そうだな」
 そう呟いてアデルは押し黙る。マリアもまた口を閉ざし、前方に視線を向ける。
 日暮れを過ぎたとはいえ、本部施設内は明るい。随所に設置された燭台の上には数多くの蝋燭が火を灯し、日暮れ前同等の明るさを提供しているからだ。また、人通りも絶えることはない。重要な作戦実行中ゆえか、ロビーという場所のせいか、常に騎士や兵士達が出入りしていた。
 廊下で二人の帰りを待っていると、通行の邪魔になる。
 その事実に気がついたアデルとマリアは、長時間居ても迷惑にならない場所を探して移動し、本部施設ロビーに落ち着いた。外へと通じる扉が見える壁に背中を預け、待機し始めてかれこれ数分。二人の間にいくつかの会話が取り交わされるも、いずれも長続きはせず、両者とも静寂と沈思にその身を浸していた。
「あのときは、すまなかったな」
 不意に低い呟きがマリアの耳に届く。顔を巡らせば、アデルは深刻な表情で右肩を見つめていた。
「肩、大丈夫か?」
「ええ、もう痛みはないから、通常通り戦えるわよ」
 マリアは相手を安心させるように笑う。
 意識を取り戻したときは引きつるような痛みがあったが、それさえも、ラムザとイリアの回復魔法によって解消されている。事実、傷口は完全に塞がり、うっすらと跡が見える程度になっていた。
 口に出した言葉に、表情に、偽りはない。
 だが、アデルの心には届かなかったようだ。
「俺が変に余裕を出していなければ、怪我することなかったのにな…」
 マリアは嘆息する。
「あのね。一人で勝手に暗くなってるんじゃないの。あのとき、貴方は前線で敵を蹴散らすことが仕事だった。貴方の背後を守るのが私の役目だった。当然のことをしただけよ」
「だけど、相手をきっかり殺していれば、あんな事態にはならなかったはずだ」
「ずいぶん怖い発想するようになったわね。敵となった人間は全員殺さないと安心できないの? 剣を向けてきた相手は全員殺さないとダメなの?」
「………」
 アデルは肯定も否定もしない。深刻な表情のまま、じっと床の一点を見つめている。
「独りで戦うのなら、そういうやり方の方が身の安全を確保できるわね。でも、貴方はそうじゃないでしょ? 貴方の後ろには私たちが居て、私たちの前には貴方がいる。前方は貴方が、後方は私たちが守る。それによって、互いの死角を補い合い、戦ってきた。背後を守ってくれる相手が居るからこそ、一人じゃないからこそ、どんな修羅場でも己を見失わずに戦える。敵となった相手も同じ人であり、もしかしたら、手を取り合えた人かもしれない。分かり合える余地があるかもしれない。そう思える優しさを失わずに戦える。あのときの貴方はそう思ってた。だから、敢えて止めはささなかった」
 アデルはマリアの顔をじっと見つめる。
 驚愕と迷いに揺れる彼の瞳を見つめ返し、マリアは微笑する。
「そうじゃないの?」
 長い長い沈黙の末、アデルは頭を振った。
「いや、たぶん違う。ただ殺人という行為が怖かっただけだ」
「そんなの、みんな怖いに決まってるじゃない。私だって怖いわよ。」
「へ?」
 アデルの口から、疑いの声が漏れる。
 これまでの戦いを想起すると、彼女に自分のようなためらいは感じられなかった。
 常に的確な援護をし、戦況を優位に保ってくれていた。
 血に塗れることをおそれず戦っているように見えた。
 その彼女が、怖いと言った…?
「貴方、私をどういう人間だと思っているのよ。血も涙も通ってない非情な奴とか思っているんじゃないでしょうね?」
「いや、違う! お前からは、そんなにためらいを感じなかったから。イゴールと同じように」
「躊躇はしないわ、確かに。剣を交えたからには、相手が退くまで戦うしかない。でも、やっぱり、敵となった人も同じ人間であり命の価値は同じよ。平民だろうが、貴族だろうが、優劣はつけられない。それを一方的に奪う権限は私たちにはない。大それた事をしているようで、正直怖いわよ。でも、仕方ないじゃない。私は死にたくないし、仲間を、大切な人を殺されたくないから」


 ―――あぁ、そう言うことか。
 アデルはようやく納得する。
『人を射殺す行為が変わるわけなじゃい、だから他のことは考えない』
 初陣直後に聞いたイゴールの言葉。
 聞いた当初は、人の命を殺めることに慣れろと言われているようで嫌だった。
 でも、戦いの中で気がついた。
 あいつが弓を引くときは、仲間を狙う敵を射抜くときだけだということに。
 周りの仲間達もそうだった。
 仲間を、そして、守りたいもののために、武器を振い魔法を唱えていた。
 自分もそのつもりで戦ってきた。だけど、苦しさと辛さは増すばかり。
 それはそうだ。
 敵と呼称される人も、同じ人間。
 アルガスが言うように「家畜」なんかじゃない。等価値なもの同士。
 自分の手でそれを破壊する事を、辛くて苦しいと思うことは、当然なんだ。
 そして、苦しんでいるのは自分だけではない。
 あの言葉は、奪い取った命に対する罪悪感を薄くするためのものだった――。


「それでいいんだよな? 俺」
 こぼれ落ちる呟きをマリアは拾い上げる。
「いいと思うわよ。貴方一人で重荷を背負う必要はない。共に分かち合うのが仲間ってものでしょう?」
「そうだな、ありがとう」
 久方ぶりに見た、すっきりとした彼の笑顔に、マリアは満面の笑みで応える。
「どういたしまして」

***

 夜風に吹かれて寒気を感じたイゴールとイリアは、本部施設内に戻った。待たせていたアデルとマリアを探しに行こうとするが、その必要はなかった。正面扉の向かい壁に二人の姿を見つけられたからだ。横一列に並び、顔を合わせて話をしている。二人とも穏やかな表情をしており、時折、笑みがこぼれていた。
「なんか、いい雰囲気だね」
「そうだな。元気になったようでよかった」
「そうね。あの二人が暗いと調子狂うしね」
 イゴールは無言でイリアに同意し、壁際にいる二人に近づく。足音ですぐに気がついたのか、同時に顔をこちらに向け、手を振ってきた。
「遅かったな。何話し込んでたんだ?」
 アデルの質問に対し、イゴールとイリアは沈黙を保つ。


 イゴールが想定した事態については他のメンバーには内緒にしよう。
 二人で相談し、そう決めた。
 アデルとマリアに言えば、自動的にラムザとディリータの耳にも入る。
 彼の推理は状況証拠に基づくものでしかない。確固たる証拠はない。
 身近な人が誘拐される事態に混乱しているであろう彼らに、これ以上の精神的負担を負わせたくなかったからだ。
 それに、彼ら自身もまた信じたかった。
 卑劣な策が用いられる前に、彼女を救助できることを。


「二人して黙秘かよ」
 聞き出すのを諦めるようにアデルは嘆息する。イゴールとイリアの顔をじっと見比べていたマリアはあることに気づき、はっと息を呑む。
「イリア、目赤いわよ。イゴール、貴方なにしたの?」
「いや、その…俺は…」
 マリアにじろりと睨み付けられ、彼は焦った。イリアを泣かせたのは事実だ。だが、事情を言うわけにはいかない。良い言い訳をしなければならないのだが、焦れば焦るほど言葉が出てこない。
 窮地を救ったのは、イリアだった。
「あのね、ちょっと、相談にのってもらったの。全部話したらすっきりしたのか、なんか泣けて来ちゃって…」
「そう、ならいいのよ」
 どうやらマリアは納得してくれたようだ。怒りの矛先を収める。
 イゴールは具体的内容を言わなくても相手を納得させる方法もあるのかと、目を瞬いた。
「戻ってきたってことは、結論でたんだろう? 任務どうするんだ?」
 アデルの質問に対し、イゴールとイリアは間髪入れずに答えた。
「俺は行く」
「行くわ」
「そうか」
 アデルはうれしそうだ。マリアもにこにこ笑っている。
「おまえ達はどうする…って、聞くまでもない、か?」
 イゴールの問いに、マリアはさも当然というように頷く。
「当然でしょ。さっさと辞令書受け取って、明日の準備をするわよ!」
「だな。あの二人のことだ、骸旅団の本拠地がわかれば、ろくな準備もせずに飛び出すに決まっている。俺達がしっかり手綱を締めてやらないと、ティータちゃんを助ける前に二人とも死んでしまうぜ」
「言い過ぎじゃない? いくらなんでも」
「なんだったら賭けるか?イリア。俺は予想が当たっている方に銅貨二枚賭けるぞ」
 イリアはアデルの申し出を丁重に断った。不謹慎すぎるし、なにより、その予想も十分あり得る事態だったからだ。
 久方ぶりにふざけるアデルを見て、イゴールはまた一つ安堵する。
 そして、彼は仲間達に申し出た。
「じゃ、副官の部屋に行くか」
「おう!」
「ええ」
「うん」
 ―――そうして、彼ら彼女らは歩き出した。

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