凶報(4)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第十章 凶報(4)

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 親しい人と死に別れるのは、これが初めてではない。
 最初は、母。
 理不尽な暴力に晒され、破壊された命。
 流れ出す赤い血を止めることも、消え失せる温もりを取り戻すこともできず、ただ見ていることしかできなかった。
 悔しかった。自分の無力を責め、そして、力を求めた。
 二度目は、父。
 病魔に苛まれ、緩やかに失われた命。
 床に伏した数年で様変わりした、やせ衰えた身体。
 全く変化がなかった、強い意志が込められた灰色の瞳。
 相反するものを宿した父の姿が、死という恐怖にのみ込まれず毅然と立ち向かう事を、ゆくべき道を指し示してくれた。
 三度目は…。
 ラムザはその両目を開く。
 彼の目に写ったのは、真新しい墓石と手向けられた大量の花束。白、ピンク、黄、橙、薄紫、水色と色とりどりの花の洪水は、死者を慰めるというよりは、墓石の存在を覆い隠すかのように思えた。
 不意に春とは思えないほど冷たい風が吹き込み、花達を揺らす。風の勢いにまけて花びらが何枚も地面に落下し、墓石に刻まれた名前を覗かせる。マーサという文字を確認し、ラムザは微かに吐息した。
 そう、別に初めてじゃない。過去二回は経験している。
 かといって、決して慣れるものではない。
 それとも、これまでと違い死に目にあえなかったせいだろうか。
 墓石という冷厳な証拠を突き付けられても、彼女の死を認容できない。
 心のどこかにぽっかりと大きな穴が空いている。
 何をすればその隙間を埋められるのか、わからない。思いつかない。
 なす術もなく、彼は墓石の前に立ちつくしていた。
 そうして、どのくらいの時間が経ったのだろう。
「こんなところにいたのか」
 ひとつの声が静寂を突き破る。
 振り返ったラムザは軽く驚いた。白壁にもたれるように立っていたのは、ここ数日、話すことはおろか目を合わせることすら避けていた人物であり、かつ、この場にはいないはずの人物でもあったからだ。
「アルガス、どうしてここへ?」
「ダイスダーグ卿に呼ばれた」
「兄さんに? なぜだ?」
「なぜだと思う?」
 こちらの反応を試すような口調。小馬鹿にするような態度。相手の全てが癪に障る。だが、不満を訴えるのもおっくうで面倒だった。ラムザは視線を前に戻す。
 アルガスはこちらの態度を気にもしないのだろう。ゆっくりとこちらに近づいてきて、左肩に手をのせる。
「それにしても、なぜ使用人ごときの死で黄昏れているんだ? 他にすべきことがあるだろうに」
 使用人ごときの死。
 平民を家畜と言い放った、あのときと全く同じ響き。
 今度は無視できるわけがなかった。
 馴れ馴れしくのせられた手を払いのけ、相手の顔を睨む。
「なんだと…」
「そんな怖い顔するなよ。所詮、使用人なんて換えの利く駒だ。それ以上でもそれ以下でもない。死んだ使用人の女しかり、身代わりに誘拐されたディリータの妹しかり、だ」
 ラムザが眉をつり上げた瞬間、背後でがたっと物音がする。
 身体ごと振り返れば、勝手口にディリータが立っていた。
 彼は彫像のように硬直しており、表情さえも強ばっている。右手に握っていた数本の切り花が抜け落ちる。白い花びらがはらはらと地面に散ったとき、彼の表情が一変した。
 激情の籠もった目で、アルガスを睨み付ける。その目つきはラムザにとって初めて見るもので、視線だけで相手を焼き殺せるほど鋭く激しいものだった。
 彼は何かを言おうとして口を開くが、言葉が発せられることはなく、ぎゅっと下唇を噛みしめる。
 ラムザはとっさに彼の名前を呼ぼうしたが、口から漏れるのは掠れた声のみだった。
 それらの音が空気に溶け込まないうちに、彼は顔を背け身を翻す。
 逃げるように室内へと駆け込み、遠ざかっていくその背中。
 我に返ったラムザは、彼の後を追った。彼の足は速く、なかなか距離は縮まらない。両足を必死に動かし続けた結果、ようやく彼の右肩を掴めたのは本邸の東西一カ所ずつある通用門の一つ、東門を出た直後だった。
「待てよ、ディリータ。どこへ行こうって言うんだ」
「そんなの決まってる。ティータを助けに行く!」
 右肩を掴んでいた手は、乱暴に払いのけられた。ディリータは正門へと駆け出そうとする。ラムザは左手を伸ばして彼の左肩を掴んだ。
「落ち着けよ。どこにいるかもわからないのに、あてもなく捜しても意味がないよ!」
 ようやくディリータの足が止まる。ラムザが微かに安堵した瞬間、ディリータの両手が胸部に伸び、気がつけば胸ぐらを掴まれていた。
「意味がないだと!? たった一人の妹なんだぞ!!」
 ラムザは目を見張った。
 苛立ちと不安をない交ぜにしたディリータの怒号に。
 激しく燃えさかる炎にも似た榛色の瞳に。
 普段の理知的な彼からは想像もつかない、憤怒の形相に。
 膨れあがる彼の激情を表すかのように、締め付ける力はどんどん強くなる。息苦しさから閉じてしまった瞼の裏が徐々に赤くなるのを感じながらも、ラムザは言葉を紡ぐ。
「に、兄さんも…言っていたじゃないか……。ティータを…絶対…見殺しには…しないって…と…に…かく…今……動いても……く、苦しいよ…」
 瞼の裏が真っ赤になった瞬間、喉を圧迫していたものが外される。ラムザはずるずると地面に座り込み、新鮮な空気を貪った。
「すまない、ラムザ。大丈夫か?」
 顔を上げれば、申し訳なさそうに俯くディリータがいる。不器用な謝罪の仕方にラムザは安堵し、笑みを作る。できれば何でもない風に立ち上がりたかったのだが、身体が許してくれなかった。
「あ、ああ…。ゴホッ、ゴホッ…」
 咳が止まる頃を見計らったように、両開きの扉が内部から開閉される。姿を現したのは、ディリータを追いつめた人物、アルガスだった。
「オレは“絶対”なんて言葉を“絶対”に信じないけどな」
「兄さんが嘘をついているとでも?」
 アルガスは首を縦に振る。
「ああ、オレだったら、平民の娘を助けるなんてことはしないな」
「なんだと!」
 アルガスは、怒りの感情を隠さず凄味のある声を出すディリータと、不信感を露わにして地面に片膝をついているラムザとを見比べる。そして、ディリータに視線を戻し、酷薄な笑みを浮かべた。
「まだわからないのか? おまえたち平民のために兵など動かさんと言っているんだよ!」
「き、貴様ッ!」
 先に感情を爆発させたのはディリータだった。
 渾身の力を込めた彼の右拳が、アルガスの左頬に命中する。ばっきーんという殴打の音が鳴り響く中、アルガスは数メートル後方に吹き飛び、背中から門扉にぶつかっていった。
 憤怒で顔をゆがめたディリータは、一歩、二歩とひっくり返っているアルガスに近づいていく。相手を殺しかねない激情だ。三歩目で、ラムザは背後から彼を羽交い締めにした。
「よせッ! ディリータ!」
「離せッ! 畜生、離せッ!!」
 暴れるディリータの身体をラムザは渾身の力で押しとどめる。
 アルガスは真っ赤に腫れた左頬をさすりながらゆっくりと立ち上がり、唇の端から細く流れる血を拭った。
「フン、やっぱり平民は所詮、平民だ。貴族になれやしない。ディリータ、おまえはここにいちゃいけないヤツなんだよ。わかるか、この野郎ッ!」
「言わせておけばッ!」
 勢いを増したディリータの抵抗を、ラムザは渾身の力で抑えつける。
「やめろ、ディリータ! アルガスもいい加減にしろッ!」
 ディリータの背中越しに見えるアルガスは、心持ち両腕を広げた。
「ラムザ、目を覚ませ。そいつはオレたちとは違う」
 びくっとディリータの身体が硬直した。その振動がラムザの両腕にも伝わる。
「わかるだろ、ラムザ。オレたち貴族とコイツは一緒に暮らしてはいけないんだ」
「ばかな! ディリータは親友だ。兄弟みたいにして暮らしてきたんだ!」
 ラムザは相手の口の端が乾かぬうちに反論する。
 アルガスは表情を改めた。冷笑から憐憫へ。
 なぜ彼に哀れまれるのか、ラムザにはわからない。理解不能だ。だが、無視する事はできなかった。確信めいたものを宿す冷たい水色の瞳が、ラムザの目に焼き付く。
「だからこそ、目を覚ませ。友だちごっこはもうおしまいだ。きみは名高きベオルブ家の御曹司だ。貴族の中の貴族だ。コイツと一緒にいちゃいけない。少なくとも、きみの兄キたちはそう思っているはずだぜ!」
 一瞬、ラムザの身体から力が抜ける。
 その隙をついてディリータは拘束を抜け出した。
 謂われのない罵詈雑言を浴びせる相手に、心の底から反論する。
「おまえみたいな貴族ばかりじゃない! オレはラムザを信じる!」
 ディリータは地面にしりもちをついたラムザを一瞥する。そして正門へと駆け出した。
 垣間見た彼の表情から、ラムザは己のやるべき事を見いだす。彼はゆっくりと立ち上がり、アルガスに向き直った。
「僕の前から消えろ! 二度と現れるなッ!!」
「つれない言葉だな。仲間じゃないか」
 アルガスは肩をすくめる。ラムザは右手をきつく握りしめた。
「もう一発殴られたいのか? 二度とは言わない。さっさと行けッ!!」
 アルガスは鼻で笑い、ラムザの横を通り過ぎていく。数歩後ろに下がった時点で、彼は足を止めた。
「やつらの本拠地はジークデン砦だ。きみの兄キに聞いたよ」
 アルガスは鼻にかけて、ラムザの欲しかった情報を提供する。
「もっとも、正面からは近づけないぜ。幾重もの警戒線が引かれているとさ。裏から攻めるしかないな。ま、せいぜい、頑張ってくれよ。甘ったれた御曹司さん」
「失せろッ!」
 やれやれと大げさに両手を挙げて、アルガスは立ち去っていく。
 ラムザは踵を返し本邸内にとって返した。

***

「定められた人以外通すわけにはいかない」
「あのさ、俺達は本邸にいるラムザとディリータに用があるんだ。ザルバッグ将軍閣下直筆の辞令書もある。通してくれないかな?」
「ならば、その辞令書の中身、改めさせてもらう」
「だから、何度も言っているように、これは全員揃って開けるよう命令されているんだよ。俺達だけで勝手に開封できないんだよ」
「ならば、通すことはできない」
 アデルは盛大なため息をついた。
 融通の利かない門兵との押し問答。かれこれ二十分は似たような会話を繰り返している。彼は重い足取りで、数メートル先にある木の根もとで休憩している三人のところへ戻った。
「俺もう疲れた。代わってくれ」
「お疲れ様。次は誰が行く?」
 マリアはイリアとイゴールを見比べる。
「この調子だと、軍師の許可がない限りとおしてくれなさそうだね」
「そうだな。面倒だ、いっそ力ずくで通るか」
 イゴールは物騒な事を呟く。正門を守る門兵達が色めきだった。
「聞こえているじゃないか!」
「イゴール、落ち着いて」
「そうよ。さすがにベオルブ邸で暴れるのはまずいわよ!」
 六つの手がどうどうとイゴールをなだめる。
「じゃあ、どうする。軍師の許可を求めてこいといっても、彼らは動こうとしない」
「それだよなぁ、いちど城に戻って将軍の許可をもらうか?」
「二度手間だ。だが、それ以外策はなさそうだな」
「仕方ないわね」
 ため息をついてマリアが腰を上げた時だった。内部から開門を要求する声がする。聞き覚えのある声に、全員が立ち上がり正門前に駆け寄った。
 城壁の上にいる兵士二人が仕掛けを押す。成人男性の二倍の高さはある門扉がゆっくりと開かれた。完全に開かれた扉の向こうにいたのは、彼ら彼女らの予想通りの人物、ディリータだった。
「ディリータ、丁度良かったわ!」
 だが、ディリータはマリアの呼びかけに気づかず、駆け足で横を素通りする。アデルは彼の左肩を掴んだ。急激に背後から制止をかけられ、ディリータの足が空を切る。勢いは止まらず、彼は背中から地面に倒れ込んだ。とっさに背中を丸めることによって後頭部を庇ったのは、受け身として及第点と言うべきか。
「何するんだよ!」
「それはこっちの台詞だ! 無視するな!!」
 ディリータは目を数度瞬く。
 天地が逆転した世界で、正面には怒鳴り散らすアデルの顔があり、彼の後ろには、不機嫌そうなマリアと心配げに表情を曇らせるイリア、そして、苛立っているイゴールの姿があった。
「みんな、何でここに?」
「ようやく気づいてくれたわね」
「背中、だいじょうぶ?」
 ディリータは身を起こす。いかなる時でも受け身をとれるようジャック教官に訓練されたお陰か、苦痛はない。彼は立ち上がって背中についた土を両手で払いのけた。
「ああ、大丈夫」
「ずいぶん急いでいたようだが、何があった?」
 イゴールの静かな質問に、先程アルガスから浴びせられた暴言の数々が脳裏に蘇る。ディリータは身を翻した。
「ティータを助けに行く!」
 駆け出そうとする彼の左肩をアデルは再度掴む。さすがに今度はひっくり返ることなくディリータの足は止まった。
「少しはこっちの話を聞けよ。俺達も行くんだから」
 アデルはディリータの目前に辞令書を突き付ける。紺碧の封蝋が目に飛び込んできた。
「ディリータ、少し冷静になったら? 貴方、丸腰でどうするつもり?」
「荷物も持たずに、ティータちゃんがどこにいるかわからないのに、どうするの?」
 マリアとイリアが順に手痛い指摘をする。
 ディリータは己の格好を顧みて、いかに自分が冷静さを欠いていたか痛感した。意気消沈している彼に、イゴールは真新しい背負い袋を手渡す。
「荷物の方は俺達で勝手に用意した」
「兵舎に残してあった着替え等を入れてある。それでよかっただろう?」
 留め金を開けば、イゴールとアデルの言うとおり、下着やシャツなどの着替えのみならず、水筒や油紙に包んだ火打ち石、魔法薬など長旅には必要なアイテム全てが収納されていた。
「ああ、十分だ。ありがとう」
 ずっしりと重いそれをディリータは背負う。
「剣は自分でとってきてね。わたしたち中に入れないの」
「その必要もないようよ」
 マリアが意味ありげに微笑み、正門へと視線を巡らす。まだ開いたままの門扉の向こうに息を弾ませたラムザの姿があった。旅装を整えており、両腕にディリータの剣を抱えている。
「ディリータ、待ってくれ…あれ、何でみんながここに?」
「二人揃って第一声がそれかよ」
 アデルは苦笑しながら、ラムザに辞令書を差し出す。彼は腕に抱えていた幅広の剣を持ち主に手渡してから、受け取った。
 白い封筒の表に書かれた宛名は士官アカデミー第五七期生・第三班宛。裏面を見れば、獅子をかたどった封蝋と雄大な筆跡で差出人の名前が書かれてあった。
「辞令書? ザルバッグ兄さんから?」
「ああ、全員そろってから開封するよう、厳命されたんだ」
「僕が開けてもいいのか?」
「班長はあなたでしょ」
 ラムザがイゴールに視線を向ければ、彼は目で開封するよう促す。
 ラムザは封筒の端を引きちぎり、中に畳んで仕舞われていた二枚の紙を広げた。
 一枚目はガリランドからジークデン砦へと至る道中にある捜索ポイント。
 もう一枚は白の便せんだった。署名と同じ筆跡で書かれた言葉はたった一言。
『頼む』
 ラムザとディリータはじっとその文面を眺めていた。
「兄さんらしい」
「そうだな」
 ラムザは二枚の紙を丁寧にしまい直し、封筒を胸ポケットに入れる。
 目を閉じて、マーサが願っているであろう事を、そして、自分の願いでもあることを頭に刻み込む。
 深呼吸をして目を見開けば、皆が自分を見つめていた。各人が同じ願いをもっていることを嬉しく感じ、彼ら彼女らがいれば叶わない事はないと思った。
「行こう、ティータを助けに」
 ラムザの言葉に全員が頷く。
 背後で本邸への扉が閉められるのを耳に捉えながら、六名は一つの目的のために一歩を踏み出した。

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