思惑(4)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第十一章 思惑(4)

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

 男によって案内されたのは、港に併設された倉庫街だった。もっとも奥まった場所にイゴールが予想した人物、ディリータが待ちかまえていた。
「お連れしました」
「ご苦労」
 男は彼自身より一回り若いディリータを敬い、ディリータ自身も当然のものとして受け止めている。それどころか……
「おまえは先に戻っていろ」
 ディリータは明らかに上に立つ者として、命令していた。
「ですがっ!」
「同じことを二度も言わせるな」
「…承知しました」
 男が不満の色を顔から消し去り、ディリータに一礼した。すれ違い様にイゴールへ鋭い一瞥を残し、立ち去っていく。
 男の姿と気配が完全に消えると、ディリータに変化が訪れた。
「久しぶりだな。イゴール」
 懐かしげに目を細め、口元を綻ばせる。喜びの表情だ。だが―――、
「三時間前に会ったばかりだが」
 この場で彼が笑みを浮かべる意図が分からず、イゴールは逆に警戒した。
「つれないな。およそ一年ぶりの再会だというのに」
「その言葉は三時間前に聞きたかった」
 我ながら素っ気ない態度だ。イゴールはそう思うのに、ディリータの表情に変化はない。笑みのまま、じっとこちらを見つめている。なぜか、妙に腹立たしかった。
「おまえはいったい何を考えている?」
「さっきラムザに話したとおりだが?」
「違う。俺が言いたいのは、なぜラムザを試すようなことをするのかだ!」
「試す?」
 ディリータの目に困惑の色がよぎった。
「そうだ。唐突に現れて、彼の気持ちを斟酌せず一方的に意見を押しつけ、ジークデン砦のことをほのめかして彼の反論を封じた。あんな風に頭越しに言われてラムザが納得するはずがないのは、おまえが一番よく知っているはず。それなのに、なぜあんなことを言った。なぜ、わざわざラムザの反応をうかがおうとするッ!」
 イゴールは憤る感情のまま一息で言い切る。直後―――、
「…―くっ」
 ディリータの表情が変わった。
「あーはっはっはっはっ!」
 堪えきれないといわんばかりに声を上げ、腹を抱えて笑う。
 イゴールの眉間に縦皺が刻まれた。
「なにがおかしい」
「なるほど、そういう見方もあるのか、と思ってね。さすがだ、イゴール。ますます欲しくなった」
 笑いの衝動を抑えながら発せられたためか、最後の言葉は呟きほど低い声だった。だが、イゴールの優れた聴覚は正しく聞き止めていた。意味が分からず当惑し―――、
「イゴール、俺と一緒に来ないか?」
 イゴールは絶句した。
「俺はティータを見殺しにした奴らに復讐するため、力を蓄えてきた。準備は着々と進み、手駒となる人材もそろいつつある。だが、参謀役がいなくてな。その役目をおまえに任せたい」
「なぜ俺なんだ」
「俺と同じだからだ」
「同じ?」
「そうだ。他人の名を与えられ、代用品として扱われてきたおまえには、利用する奴らに復讐する権利がある」
 イゴールの顔が瞬時に青ざめた。
「なぜ…知って…」
 血の気のない唇がわななき、動揺の一端を口走る。
「王国歴四四〇年白羊の月一日、生誕一年を祝してアジョラ神の祝福を与えたもう。そは“黄金の髪”と“翠玉の瞳”を備えた男児。まこと黄金の水蛇を継ぐにふさわしき者なり」
 ディリータは記憶している文面を語り、イゴールの頭髪を見やる。
 黄金とは決して形容できない、茶色の髪を。
「そう…か」
 呟きとともに、イゴールが双眼を閉じる。開かれた次の瞬間―――、
「おまえの背後にいるのはグレバドス教会か」
 峻厳な光が緑の双眸に宿った。
 ディリータは真っ向からそれを受け止める。
 にらみ合うふたりの間を、沈黙がしばし流れた。
「答えを聞こうか」
 視線を逸らさぬまま、ディリータが口を開く。
 イゴールは間髪入れず、答えた。
「断る」
「そうか、残念だ」
 榛の瞳が悲しげに伏せられ、外套に包まれた両肩が心持ち下がる。 
 旧友のそうした態度は、イゴールに感情の軟化を促した。
「変わったな、ディリータ」
 激情が過ぎ去り、悲しみが胸を満たす。
「昔のおまえはもっと相手のことを思いやれていたはずだ。一人でも王女を助けると言った、ラムザのように」
「変わるさ。ティータを見殺しにした奴らに復讐できるなら、俺は何にだって変わってみせる」
 切り捨てるようにディリータは言い、前へ歩き出した。すぐ脇を素通りしようとする彼に、イゴールは声を掛ける。
「ディリータ」
 返事はないが、黄金の具足に包まれた足は止まった。
 背中を見つめつつ、イゴールは続けた。
「おまえが復讐する相手には、ラムザやアデル達も含まれているのか?」
「あいつら次第だ」
 前を見据えたまま、ディリータが言う。
 そのまま彼は歩いていたが、なぜか五歩目で足を止めた。
 倉庫と倉庫の間にある細い路地を十秒ほど見つめ、肩越しにイゴールをみやる。
「もし気が変わったら、ミュロンドかゼルテニアを訪ねてくれ。どちらかに俺はいるだろうから」
 イゴールは応とも否とも答えず、沈黙を選ぶ。
 ディリータもまた何も言わなかった。無言のまま、振り返らず、立ち去っていく。
 完全に彼の姿が視界から消え失せてから、イゴールは息を吐いた。意識的に、深呼吸を何度も繰り返す。
(ムスタディオから頼まれたことをしなければ…)
 頭をすべきことに切り替え、表情を整えると歩き出した。ふと気になって、去り際ディリータが凝視していた路地を眺める。
「…っ!」
 目に映ったものにイゴールは愕然とした。


「イリア」
 恐ろしく冷たい声で呼びかけられる。
 イリアは答えることができなかった。
 知らなかったからだ。
 怒り。苛立ち。憎しみ。悲しみ。様々な負の感情が入り交じった表情。
 射抜くような鋭さを秘めた眼差し。激情が込められた緑の双眼。
 見知らぬイゴールの姿に、体温が一瞬で消え失せた。
「こんなところで何をしている」
「……わ…たしっ」

 ムスタディオからの伝言を伝えるために、イゴールの後を追った。なかなか見つからず諦めかけたとき、狭い路地を歩く彼の背中を見つけた。声を掛けるも、距離がありすぎたのか彼は気づかない。振り返ることなく、遠ざかっていく。
 イリアはあとを追った。
 イゴールの足は想像以上に早かった。こちらは走っているのに、彼との距離がなかなか縮まらない。どこを通っているのかもわからずひたすら走り続け、息切れのあまりに狭い路地の半ばで足を止めたときだった。笑い声が路地の先から聞こえたのだ。
(この声、ディリータ?)
 そっと顔だけを覗かせれば、イゴールがディリータと向かい合って立っていた。ディリータは腹を抱えて笑っている。対するイゴールは…位置の関係上後ろ姿しかみえないけど、機嫌がとても悪そうだった。まとっている空気がピリピリしている。
 イリアはあわてて首を引っ込めた。
(ど、どうしよう。なんか声かけづらい。話が終わるまで待った方がいいのかな。でも、どうしてイゴールだけがディリータに会っているの?)
『何がおかしい』
『なるほど…』
 息を潜めて、二人の会話に耳を澄ます。そして、聞いてしまったのだ。
 ディリータがイゴールを勧誘した。
 黄金の水蛇。それは、記憶違いでなければイゴールの実家―――フォルマート子爵家の家紋。黄金の髪っていうけど、イゴールに兄弟はいないはず。
 口元に手を当てて呆然とする自分を見つめた、冷ややかな榛の瞳。ディリータが憎悪する対象に、自分も含まれている―――。

「聞いていたんだな」
 イゴールが事実を指摘する。
「ごめんなさい!」
 認めるなり、イリアはきびすを返す。
 だが、駆け出そうとした瞬間、右腕をとられた。容赦ない強い力で引っ張られ、背中を壁に押しつけられる。衝撃で息が詰まった。
「だ…にも……な」
 イゴールが何かを言っている。でも、くぐもった声で、うまく聞き取れない。
「え?」
 聞き返すと、片手で顎を捕まれ、無理矢理上向きにされた。
 視界いっぱいにイゴールの顔が広がる。
「ここでのことは誰にも言うな。絶対に」
 激情で滾る緑の双眸が、間近に迫る。
 イリアは麻痺しつつある声帯を総動員した。
「わかったわ。約束する」
「約束ではダメだ、誓えッ!」
 掴まれた手首に指が食い込み、骨がみしりと軋む。激痛に顔をゆがめつつも、イリアは言葉を紡いだ。
「…誓う」
 手首を握る力が弱められた。
 顎を持ち上げていた彼の左手が移動し、親指の腹で唇の形を確かめるように撫でられる。
「その誓い、忘れるな。もし破ったら…」
 指が唇から離れ、手のひらが顎から頸部を伝い、喉を覆い隠す。
「お前を殺す」
 微かにのどを絞められ、すぐ耳元でひゅと音が鳴った。
 自分自身が発した音だとイリアが自覚したときには、イゴールは手を離していた。両足から力が消え失せ、ずるずると壁づたいに座り込む。
 低くなった視界の端で、イゴールの靴が踵を見せ、小さくなっていくのがみえる。
 遠ざかるのを、イリアは黙って見送った。そして、長い間立てなかった。


「ディリータ様」
 ウォージリス市街を出るなり、呼び止められる。
 振り返れば、先に戻るよう指示した部下が、城門の影に佇んでいた。
「俺の背後に立つな。そう言ってあるはずだが?」
「もうしわけありません」
 男が軽く一礼する。
 どこか納得してない表情に、ディリータは眉を寄せた。
「言いたいことがあるなら言え。腹のさぐり合いは好きじゃない」
「では、申し上げます。なぜ、あのような“どこの生まれかもわからない者”を仲間に引き入れようとなさったのですか?」
「おまえの理屈だと、平民の俺も“どこの生まれかもわからない者”になるが?」
 皮肉を込めて言うと、部下は「滅相もない」と頭を垂れる。
 生粋の貴族が平民の自分に従うのは、こちらの力を認めているからだ。
『ディリータ・ハイラルと呼ばれる人間』 
 不意に、かつてイゴールが言った言葉がよみがえる。
 本来、人間に貴賤などない。身分階級制度は、人間が作った統治機構にすぎない。
 あいつはそれを俺に教えてくれた。だからだ―――。
「使えると思った人間だから、声を掛けた。ただ、それだけだ」
 心の内面にふれない、表面上の事柄のみをディリータは口に出す。
「………」
 沈黙を保つ男の顔から、不満の色が消えた。
 ディリータは話題を変える。
「わざわざ出迎えた理由は何だ?」
「伝書が届きました。あなた宛です」
 部下が懐から一枚の紙片を取り出す。
 ディリータは差し出されたそれを受け取り、広げ、黙読する。読み終えるなり、舌打ちした。
「人使いが荒いな」
「団長はなんと?」
「『白薔薇を確保する。即刻こちらに合流せよ』ったく、ここからあんたらがいる場所まで何日かかると思っているんだが」
「団長もライオネルに向かうのでは?」
「まあ、そうだろうがな…」
 ディリータは曖昧に答え、紙片を鎧下の内ポケットにしまった。
「早駆けに耐えうるチョコボはあるか?」
「拠点に戻れば、数羽います」
 ディリータはうなずき、部下の顔を見据えた。
「ウォージリスにいる奴らは、現状のまま監視しておけ。決して悟られるなよ」
「あの者が仲間に伝えたらどうしますか?」
「心配無用だ。あいつは言えない。絶対にな」
 ディリータは確信を持って、部下の懸念を否定する。
(アキレス腱に知られてしまった以上、内心穏やかじゃないはずだからな)
 青ざめた顔でうずくまっていた黒髪の少女を思いだし、ディリータはほくそ笑んだ。

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

↑ PAGE TOP