思惑(2)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第十一章 思惑(2)

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

 ゴーグを発って三日後、定期船は貿易都市ウォージリスに到着した。順風に恵まれたおかげで、想定の最短時間で入港できたことは喜ばしい事柄だ。特に―――
「やっと降りれた…」
 船酔いにさんざん苦しめられた者にとっては。
「うぅ、まだ揺れている気がする」 
 ムスタディオとイゴールの二人に肩を借りて桟橋を降り、数歩歩いただけでアデルはその場にうずくまってしまった。青ざめた顔で、口元を手で抑えている。
「大丈夫か?」
 ムスタディオが慣れない手つきで背中をさすり、
「吐いてしまった方がすっきりするぞ」
 イゴールが海がある方角を指さす。
 少し間をおいて、アデルは呻くようにつぶやいた。
「すこし…休めば…おちつく…。それに、胃に…吐くものが…ない…」
「エスナかけてみようか」
 先に降りてチョコボの引き取りをしていたうちの一人、イリアが駆け寄って声をかける。
「下船した今なら効果あるかも。体力回復に、リジェネも併用するのといいかもしれない」
 そう言うなり、イリアは呪文の詠唱に入る。
 イゴールは少女の細い肩に手を置き、頭を振った。
「イリア、これからなにがあるか分からないんだ。魔法力は温存しておいた方がいい」
「むっ、確かにそうかも。じゃあ、薬かな。船でいろいろ調合してみたけど、どれがいいかな。空腹時に飲めて…吐き気を抑えるものだと…」
 肩に掛けていた鞄の中を探るイリアを横目に、家畜室からチョコボの引き取りを終えたマリアは、仲間たちの会話に加わろうとせずに一人離れた場所に佇む人物に歩み寄った。
「どこか手頃な場所でアデルを休ませた方がよくないかしら?」
 手を伸ばせば届く距離だから聞こえないはずはないのに、ラムザからの返事はない。青灰の瞳は、油断なく辺りを伺っている。
 マリアは傍らの人物の横に立ち、彼が見つめる光景を眺めた。
 船から荷物を下ろす作業をしている、船員たち。
 大量の木箱を荷車に積む作業をしている、屈強な大人たち。
 下船した客から手間賃をいただこうと、荷物持ちなどの雑務を申し出る子供たち。
 時折聞こえる海鳥の鳴き声が、潮の香りが、人々の活気に彩りを添えている。
 ―――どこから見ても、平穏な港の情景だ。
「幸いなことに、ウォージリスにライオネル軍はいないようだから」
 再び声をかけると、ラムザはようやくマリアの方をみた。
「そうだな、よさそうな宿があったらそこで――っ!」
 不意にラムザが息を呑み、正面―――港の出口がある方に向き直る。
 釣られるようにマリアも視線を滑らせ、目に映ったものに驚愕した。
 街へと通じる道から、一人の若者が、こちらに歩み寄ってくる。
 生成色の外套に身を包んでいるが、顔をフードで隠さず外気にさらしたまま。栗色の頭髪をすべて後ろに流した髪型。幼さが消えた頬の輪郭。理知的な雰囲気はそのままに、精悍さが増した相貌。
 外套の隙間から顔をのぞかせる、黄金色の鎧に鮮やかな赤のサーコート。鎧と同系色の具足。腰に帯びた長剣。
 堂々たる足取りで近づき、ラムザから五歩ほどの距離を置いて足を止めた。
 確認をとるべく、マリアはそっとラムザの顔を盗み見る。
 秀麗な横顔は、哀れなほどにこわばっていた。
「ディリータ」
「懐かしい顔ぶれがそろっているな」
 おののくように発せられた呼びかけにディリータは応じず、マリアを見つめ、続けてアデルを、イリアを、イゴールを眺めやる。
 懐かしいという言葉にそぐわない、熱のこもらぬ声音。ただ確認するだけの、冷めた視線。
 旧友の冷淡な態度に真っ先に反応したのは、アデルだった。
「てめぇ他に言うことがあるだろうが! 俺たちがどれだけ心配したと思って――っ!」
 怒りのままに立ち上がるも、船酔いで三日も満足な食事がとれなかった体は彼の意に従わなかった。踏み出した足は無様にふらつき、目の前が不意に真っ暗となる。
 ぐらりと、アデルの逞しい身体が揺れた。
 イゴールはとっさに両手を差しだし、石畳に倒れ込む寸前で彼の身体を抱き抱えることに成功した。
 ぐったりと動かないアデルに、イリアがエスナを唱え始める。
 今度は止めずに見守っていると、誰かに上着の裾を引っ張られる。ムスタディオだった。ディリータの顔を指さし、小声で言った。
「あれ、誰?」
「ディリータ・ハイラル。ラムザの幼なじみだ」
「えっ…じゃ、じゃあ、あいつがお姫さまをさらった誘拐犯?!」
 ムスタディオがディリータを凝視する。
 視線に気づいたのか、彼もまたこちらを見つめていた。
 榛の瞳と視線を交えるうちに、イゴールはあることに気づいた。
 ディリータが注視しているのは、不躾に見つめている傍らの機工士ではない。失神したアデルと彼を看護するイリアでもない。イゴール自身に対してだ。
 心理を探るように。力量を推し量るように。
 じっと視線を当てたまま、動こうとしない。
(なぜだ?)
 イゴールが眉間にしわを寄せかけたとき―――、
「ディリータ、どうしてここに?」
 ラムザが質問を発した。
 ディリータの視線が面前の幼なじみに向けられる。
「俺たちの情報網を甘くみないでもらいたいな」
「俺たち?」
「…悪いことはいわない。イグーロスへ戻るんだ。これ以上、首を突っ込まない方が身のためだぞ。王女のことにも、聖石のことにも」
 ディリータの口から滑らかに発せられた、"俺たち"という複数形。
 聖石の存在まで知られている事実。
 心の片隅で鳴り始めた警鐘が、ラムザに落ち着きを取り戻させた。
「ディリータ、いったいきみは何を知っているんだ?」
「おまえは王女を救えると考えているようだが、それは目先の問題を解決するにすぎない。真の意味で彼女を救うことができるのは、この俺だけだ」
 ラムザは眉根を寄せた。
「何を言っているんだ? 僕にはさっぱりわからない」
 正直に内心を吐露すると、ディリータの表情がかすかに動いた。
「時として、最良の方法が最善の結果を生むとは限らない。たとえ、おまえがどんなに頑張ったとしても、おまえには救うことができない。それを覚えておくんだ」
 他者の反論を許さない、冷厳たる言葉だった。
 まっすぐにこちらを見つめてくる榛の瞳に、同じ色の瞳を有していた別人が、助けようと思っても助けられなかった、ラムザにとっては罪に等しい少女の微笑が脳裏に浮かぶ。
(ティータ!)
 苦悶の表情で俯いてしまった幼なじみを、何か言いたげにしているかつての仲間たちをディリータは無視し、踵を返した。
 一歩、二歩と遠ざかっていく靴音に我に返ったラムザは、気づけば声をかけていた。
「待ってくれ、ディリータ」
 ディリータの足が止まる。
 背中を向けたまま沈黙を保つ彼に、ラムザはオーボンヌ修道院で再会して以来抱いていた疑問を口に出した。
「きみはいったい何をしようとしているんだ。いったい何を?」
 ディリータはゆっくりと視線を斜め上空に滑らせた。
 彼が見つめる先には、市壁の向こうにそびえ立つ教会の尖塔がある。円錐の屋根には、白い鳩が幾羽も止まっていた。
「ラーグ公もゴルターナ公もおまえの兄キたちも、皆…ひとつの大きな流れの中にいることに気付いていない。そう、気付いていないんだ」
 不意に、屋根にいた鳩が一斉に飛び立つ。
 ディリータは群だって空を舞う鳥達を眺めつつ、言った。
「俺はその流れに逆らおうとしているだけ。それだけさ…」
 正午を告げる鐘が、高らかに響きわたる。
「生きていたら、また会おう」
 再会を期する言葉を残して、ディリータは去っていく。
 告げるべき言葉を持たないラムザは、市街へと消えるその背中を黙って見送るしかなかった。

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

↑ PAGE TOP