思惑(1)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第十一章 思惑(1)

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 西風が大きく帆を膨らませ、船を東へ押し運ぶ。
 強い向かい風が顔を打つのを感じながら、ムスタディオは船尾で一人たたずんでいた。
「まさか、こんなことになるとはなぁ…」
 そうつぶやく彼の手のひらには、聖石タウロスが握られている。指の隙間から漏れる黄金の輝きを眺めていると、様々な出来事が脳裏に浮かんでは消えていく。
 聖石をはじめて発見した日のことを。
 死んだと思っていた機械達が、石を近づけるだけで唸り出す。
 その事実をみたときの驚きを。
 旧世界の遺産が復活できる。その鍵が己の手にある。
 その興奮を。その喜びを。
 そして―――
『いいか、ムスタディオ。 これを持って逃げるんだ!』
『逃げろって言ったっていったいどこに…!?』
『その聖石には国一つを滅ぼすほどの強大な力が秘められているという。そんなモノをやつらに、ルードヴィッヒに渡すことはできん。どこか安全なところに隠すんだ。そして、ドラクロワ枢機卿に助けを求めろ。枢機卿ならきっと助けてくれるッ!』
『親父ッ! いいから、一緒に逃げるんだッ!』
『この足では逃げることができんッ! さぁ、行くんだッ!!』
『親父だけ残して逃げるなんてできるわけないだろッ!!』
『手間をかけさせたな…。さあ、聖石を渡すんだ!』
『行けッ! ムスタディオ!早く行くんだッ!!』
 ―――ただ一人の肉親を見捨てて、逃げ出すしかなかった己のふがいなさを。
(親父、大丈夫かな…)
「ムスタディオ」
 己の名を呼ぶ声に、とっさに聖石を後ろに隠して振り返る。
 客席へと通じる階段の袂にラムザが立っていた。
 板張りの階段を登り、こちらに歩み寄ってくる。
「あまり一人にならない方がいい。どこにルードヴィッヒの手の者がいるか分からないから」
 横に並ぶなり、ラムザは油断なくあたりをうかがう。
 心配してわざわざ探してくれたのだということは、ムスタディオにも分かった。
「すまねぇ。でも、ちょっと風に当たりたかったんだよ」
 視線をラムザから正面へと戻す。
 目に映るのは、薄雲がかかる灰色の空を背景に、紺碧の海が船の軌跡で白く波立つ様のみだ。
「酔ったのかい?」
「いや、ちょっと気持ち悪い気はするけどアデルほどじゃないぜ」
「じゃあ、ベスロディオさんのことが心配なのかい?」
 図星をかかれ、どきっとした。 
「なんで、そう思うんだ?」
 なんでもない風を装って問い返すと、ラムザはムスタディオが見つめていた空の一点を指さした。
「君がみているのはゴーグがある方角だ」
「まいったなぁ…」
 ゴーグを立つ前、ムスタディオは父親に、安全と思われる場所――亡き母親の実家に身を隠すように説得したのだが、ベスロディオは首を縦に振らなかった。
『儂はこの家でお前の帰りを待つ。それくらいはできんと、ミーシャに顔向けができん』
 母親の名で決然と宣言されては、ムスタディオとしては父親の意思を尊重することしかできなかったのである。
「親父、大丈夫かな?」
「手に入れた聖石が本物と誤解しているうちは、大丈夫さ。ルードヴィッヒは実物を見たことがないみたいだしね」
 ラムザが言うことに一理はある。そして、彼が、道理を説いて安心させようとしているのは分かる。
 分かってはいるが、ムスタディオには一つ不安があった。
「偽物だってバレたら?」
 ラムザは答えなかった。厳しい目で空の一点を凝視している。
『この聖石を手に入れるために、オヴェリア様やアグリアスさん達を人質にするかもしれない』
 夕べ、ラムザが口に出した懸念が脳裏によぎる。
 何かがこすれる音に視線を巡らせば、彼の両手は堅い拳が握りしめられていた。小刻みに、震えている。
 表情をそっと盗み見れば、青灰の瞳は、ただ前を見据えていた。
 憎む相手がいるかのように。あらがうように。挑むように。
 迷いなどみじんも感じられない、強い目だ。
(こいつ、なんなんだろうな)
 ムスタディオは不思議に思った。
『助けに行かないと!』
 枢機卿とバート商会が結託しているという事実を目にしても、こいつは真っ先にそう叫んだ。
 地元の人間じゃないからバート商会の恐ろしさの実感していないかもしれない。だけど、枢機卿はライオネル領領主であり、かつ、教会の要職にある人物だ。平民である自分たちにしてみれば、まさに、雲上の人だ。
 ふつう、そんな人間に喧嘩を売ろうとは思わない。
 人間、もっと自分を大事にするものだ。
 なのに、こいつにはそれがない。我が身を捨ててまで他者を救おうとする。たとえ、一人でもあっても。
 そんなマネ、普通の人間にはできない。
 少なくとも、オレにはできない。
(どこか歪なものを感じるのは、オレだけか?)
 傍らの若者に、不安なところがないと言うわけではない。
 だが、一方で、ムスタディオは分かっていた。

 こいつのおかげで、オレはザランダで死なずにすんだ。
 親父を、バート商会の監禁から解放することができた。
 本物の聖石を、奪われずにすんだ。
 すべて、自分一人では絶対に不可能だった。
 助けを必要としていた人間にしてみれば感謝に堪えないことを、傍らの彼は、見返りも求めずに行ってくれていたのだ。
 それが、どんなに貴重な存在であったことか。
 だからこそ、

「ラムザ、一つ頼みがある」
 ムスタディオは右手に握っていた聖石を、ラムザに差し出した。
「これは、おまえが持っていてくれ」
 ムスタディオは相手の腕をとり、手のひらに乗せる。
 が、ラムザは握ろうとはせず、ゆるゆると頭を振った。
「いいのかい? わざわざ偽物を用意していたのだから、君が保管したかったんだろう?」
 心のもっとも醜い場所を指摘されるも、相手に悪意がないと分かっているだだけに、ムスタディオとしては苦笑するしかない。
「ああ、そうだ。これがあれば、復元作業は飛躍的に加速するだろう。そうなれば、古代の遺産が解明できるかもしれない。古代文明がなぜ滅んだのかもわかるかもしれない。これがあれば、機工士最大の目標をかなえられるんだぞと思う自分が、確かにいる」
「………」
「だからこそ、オレが持ってちゃいけないんだ。いつその誘惑に負けるか、わからないから。人の命に勝るものはないのに、な」
「本当に、いいのか?」
「オレはおまえに持っていてほしい」
(お姫様たちをも助けようと真っ先に言ったお前だからこそ)
 若干低い位置にある青灰の瞳をみつめて、言う。
 真偽を探るように見つめ返されたが、数秒後、彼の方から視線をはずされた。
「わかった。預かるよ」
 ラムザの右手がしっかりと聖石を握り、ズボンのポケットに押し込まれる。
 その様を見届けるなり、ムスタディオは安堵のため息をもらした。
「あー、肩の荷が下りた。これで一安心っと」
 右肩をぐるりと回しながら、ラムザから離れる。
 階段にさしかかったところで、ムスタディオは振り返った。
「オレは船室に戻るけど、お前はどうする?」
「後から行くよ。アデルの具合、見ておいてくれ」
「りょーかい」
 ひらひらと手を振って、ムスタディオは階段を下り船室への扉をくぐっていった。
 一人残されたラムザは、そっとポケットの中身を出してみる。
 曇り空ゆえ日の光はかすかなのに、淡くきらめく黄金色のクリスタル。
 内部にある金牛宮の刻印のあたりには、炎のような揺らめきが見て取れた。
 誘うように、魅了するように。
「―――っ!」
 ラムザは聖石に縛り付けられていた視線を、無理矢理に逸らした。反対のズボンのポケットからハンカチを取り出し、聖石を覆い隠す。すべてが布にくるまれたのを、光が漏れていないことを確認してから、ラムザは手にしていたそれをポケットに入れ直した。

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