錯綜(3)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第七章 錯綜(3)

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 ザランダ市街に無事潜入することができた偵察隊の一行は、まず、酒場に向かった。ここに至るまでに狩っていたモンスターの牙や皮を換金するためである。イリアが習得していた話術『商談』のおかげで満足のいく現金を入手すると、一行は、二手に分かれることにした。
 アデル・イゴール・ムスタディオの三名は、情報収集を兼ねて物資の調達に。
 マリア・イリアの両名は、王女親衛隊の面々から頼まれたものを購入するために、女性専用の服飾店へ。
 午後三時に、バリアス広場に集合。
 あらかじめ集合時間を決めて、二つのグループは街中に散っていった。
 そして、二時間後。
「イリア、何か気になることがあるの?」
 バリアス広場の一角にあるオープンカフェで、マリアとイリアは遅めの昼食を取っていた。広場にある時計台の針は、午後二時半を指している。早めに買い出しを終えた二人は、集合時間までの半時間を、このカフェで過ごすことにしていた。
「どうして?」
 小首を傾げるイリアに、マリアは小さく笑って彼女の皿を指さした。
「だって、さっきからあまり食が進んでないから」
 テーブルを挟んで対面する二人の面前には、ほぼ時を同じくして届けられた料理が置かれている。マリアが注文した『ふわふわ卵のオムレツ』はすでに半分以上が彼女の胃袋に収まっているが、イリアが注文した『高原野菜たっぷりサンド』はほとんど手つかずの状態で放置されていた。
「それに、ムスタディオの変装のときは割と元気だったのに、いざザランダに向かおうとなったら極端に無口になったわ。買い出しの時も、何度話しかけても上の空って感じだったし」
「………」
「アデル達がここに来るまでまだ時間はあるから、話してみない? もちろん、秘密はきちんと守るわ」
 イリアはサンドイッチを見据えたまま、凝然として動かない。
 マリアは、食事を再開しながら待つことにした。フォークとナイフを駆使して残りのオムレツを切り分け、一切れずつ咀嚼して、ふわふわとろとろに焼き上がった卵の食感とうまみを堪能する。
「…ねえ、マリア」
 イリアの重い口が開かれたのは、マリアが最後の一切れにフォークを刺したときだった。
「ラムザのこと、どう思う?」
「そうね…」
 一呼吸置いて、マリアは素直な感情を口に出した。
「そっけないあの態度、何とかならないものかしらね」
 ドーターで予期せぬ再会をしてから今日で九日になるが、ラムザは、アカデミーの同期生達と積極的な関わりを持とうとはせず、必要最低限のことしか話さない。同性の気安さでアデルはよく彼に話しかけているが、一年前と違って話が弾まないようだ。「あいつと二人だけだと一分もしないうちに会話が終わってしまう」と愚痴めいたことを、一度だけ言っていた。
「知らぬ仲でもないのだから、もうちょっと私達を頼ってくれても良いのに」
「うん、それもそうなんだけど…」
 躊躇うように、イリアが口ごもる。
 数秒の間。
 無理に催促せず、自発的に話してくれるのをじっと待つ。その結果、
「さっきの戦いのとき、ちょっとこわかった」
 蚊が鳴くような声で発せられた言葉に、マリアは目を伏せた。

『傭兵ならば命あっての物種だと思うが、どうだろうか?』
 酷薄な響きを帯びた声音。冴えた眼光。そして、魔道士ならざるマリアでさえはっきりと感じた、濃密な魔力の波動。
 初めて見るラムザの表情だった。

「そうね。正直言えば、私もあのとき肝が冷えたわ」
「マリアも?」
「ええ。でも、あの男を追い返すという点では有効な手だてだったんじゃないかしら。私達のような若輩者の言うことを素直に聞くようなタイプには到底思えなかったし」
「うん、そうだね」
 イリアは小さく頷いた。
 マリアが指摘することはおそらく正しいだろう。
『逃げてくれたか、よかった…』
 逃げる男を見て安堵したような表情は、イリアが知っているラムザだった。
 雷撃魔法の発動音で異常を察した洞察力。城壁で襲われているムスタディオを見るなり「助けないと」と真っ先に駆け出した気高き精神も、知っているものだった。
 しかし、知らない一面もあることを知った。
 既知と未知の落差。
 そのギャップが、なぜかイリアを不安にさせるのだ。
「一年間傭兵として各地を転々としていたって言ってたけど、具体的にはどこで何をしていたんだろうって、戦いのあとから気になって…」
「それは私も気になるけど。だって、あのダークナイトと共に行動していたなんて聞かされたから。でも、現状では素直に話してくれそうにもないけど」
 ベオルブという本来の姓を必死に王女達から隠そうとする、彼の態度では。
 マリアが言外に滲ませた言葉を察し、イリアは手許に視線を落とす。長い沈黙を経て、イリアが再び顔を上げた。
「今は無理でもラムザならいつか話してくれるよね? そう信じて待っても、いいよね?」
 吹っ切れるような微笑に、まっすぐに向けられた青紫の瞳に、マリアは力強く頷いた。
「あたりまえよ」
 続けて彼女は言った。
「だって、私達は『仲間』なんだから」


 太い梁が横たわった、板張りの天井。
 見慣れぬものにオヴェリアは一気に覚醒し、半身を起こした。急激な動きに合わせて、ぱさりと大きな布が腰に滑り落ちる。なんだろうと思って広げてみれば、アグリアスの外套であった。
(あ、そっか)
 アリシアとラヴィアンが作ってくれた昼食を軽くとった後、「暫しご休憩ください」と彼女たちに勧められて小屋に入ったらアグリアスが武具の手入れをしていた。その作業を眺めながら二人でとりとめのない話をしていたのだが、どうやらいつの間にか眠ってしまったようだ。話の内容を途中までしか思い出せない。
 毛布代わりにかけてくれた外套を丁寧にたたみ、荷袋がまとめてある隅に置く。ゆっくりと立ち上がり、髪や衣服に寝癖がついていないことを確かめると、オヴェリアは新鮮な空気を求めて小屋の扉を押し開いた。
「お目覚めですか」
 戸口で佇立していたアグリアスが、流れるような仕草で片膝をつく。
 いつでもどこでも忠実な騎士にオヴェリアは立つように告げ、辺りを見渡す。
 小屋に入る前と、辺りの光景は若干変わっていた。太陽はかなり西の方角に傾いており、地面に落ちる木立の影は細く長くなっている。アリシアとラヴィアン、それにラムザの姿さえもみえない。
「私はどのくらい眠っていましたか?」
「二時間ほどでしょうか」
「そんなにも…」
「ここ数日野営が続いておりましたから、疲れがたまっておられたのでしょう。無理もありません」
 アグリアスの申し訳なさそうな声音に、オヴェリアの胸がズキンと痛む。表に出さぬよう表情と声音を整え、彼女は話題を変えた。
「他の方々はどうなさいましたか?」
「アリシアとラヴィアンは付近の偵察に向かわせました。ラムザ殿は裏手の水辺でチョコボの世話をしております。ザランダへ行った者たちも、そろそろこちらに戻ってくると思われます」
「そう…ですか」
「オヴェリア様。前もって一応の確認はしておりますが、北天騎士団の斥候がこの付近に潜んでいる可能性もやはり否定できません。ラヴィアンとアリシアが戻るまで、どうか御身をお隠しください」
 小屋へ戻るよう願い出るアグリアスに、オヴェリアはかぶり振った。
「ごめんなさい、アグリアス。少しこの辺りを歩いてみたいのですが、いけませんか?」
「承知しました。私もお供いたします」
 オヴェリアは目で礼を告げ、ローブの裾をそっと摘んで歩き出した。数歩の距離を保って、アグリアスがそのあとに続く。
 乾いた土にも係わらず逞しく根付いた野草達。純朴な野の花。青々とした葉を茂らせる樹木。遥か遠くまで連なる山々。色の薄まった空に浮かぶ大きな雲。その隙間から幾条も地上へ降り注ぐ光。
 豊かな自然は、そぞろに歩く王女の目を楽しませるものをふんだんに提供している。
 しかし、それらを眺めてもオヴェリアの心は弾まない。綺麗だという認識はあっても、喜びという感情が湧き上がってこないのだ。
 足を止めることなく、そして、声をかけることもなく黙然と歩き続ける王女に、アグリアスは異変を感じた。そっと傍らに歩み寄ってみれば、紺碧色の瞳は不安げにゆらゆらと揺れている。それがあまりにも悲しくて、気付けば「オヴェリア様」と呼びかけていた。
「ごらんになれますか? あの山の向こうがライオネル城です」
 アグリアスは南に連なる山地を指さす。すると、オヴェリアは小さなため息を零した。
「ここからは、まだ遠いのね」
 オヴェリアの目には、山地の稜線は霞んで見える。ここから麓までどのくらいの距離があって、たどり着くまでに何日かかるのか、オヴェリアには見当もつかない。どうすれば全員が安全に山を越えられるのかも、わからない。そして、
「ドラクロワ枢機卿は本当に私たちを助けてくれるのかしら…?」
 ライオネルにたどり着いたとしても、枢機卿が自分たちを保護してくれるかもわからないのだ。
「枢機卿殿は王家に対する忠誠心がとても高いお方と聞いております。それに、今のところラーグ公とゴルターナ公の政争に対し中立の立場をとっておいでとか。オヴェリア様をどちらかに引き渡すような不義はなさらないでしょう」
「そうだとよいのだけれど…」
 オヴェリアはアグリアスの傍らを離れ、身近の樹木に歩み寄った。手慰めに若葉を一枚引っ張ってみれば、いとも容易くちぎれてしまった。
「それに枢機卿殿はグレバドス教会の信望も厚く、枢機卿殿の願いなら教会側もオヴェリア様を受け入れてくれましょう」
 オヴェリアは手のひらにある葉を指先でつまみ、くるりと回してみた。表の葉は鮮やかな黄緑色で、瑞々しい。でも、裏は色が薄くて、筋が幾重にも通っているせいか野暮ったい感じがする。
 たった一つの葉にさえ、表と裏では印象は異なる。自然が生み出した物にさえ、二面性は厳然として存在するのだ。いわんや、人においては。
 オヴェリアは葉を落とした。
「王女になど、生まれてこなければよかった」
 微かに震えた王女の声に、
「オヴェリア様…」
 アグリアスはいたわしげにその華奢な背中をみつめ、
「!」
 偵察に向かった一行が戻ってきたことを告げに来たラムザは、咄嗟に木の幹に身を隠した。
 二対の瞳が見守る中、オヴェリアは静かに双眼を閉じる。
 過去に思いを馳せれば、蘇るのは修道院での暮らしだ。
「私は修道院の壁しか知らない。塀で囲まれた空しか外を知らない。アグリアスは知らないと思うけど、私は、オーボンヌ修道院へ行く前は他の修道院にいたの。亡き国王の養女に迎えられたと聞いたときも、その後も、ずっと修道院で暮らしていたのよ」
 決められたスケジュールに従って静かに行動することが最良とされている、穏やかで変化のない生活。空を行き交う鳥のように自由に羽ばたくことなど許されない、鳥かごに似た世界。
「ううん、それがイヤだって言っているんじゃないわ。ただ…」
 立派な王女になるために必要なことだと教わったから、皆がそうするよう求めているから、全て受け入れてきた。だが、現実は…。
「ただ、私が王女であるばかりに、私のために傷つき死んでゆく人たちがいる。それがとてもつらいの」
「オヴェリア様がご自分を責めることはございません。オヴェリア様のせいではなく、オヴェリア様を利用しようとしている奴らが悪いのです」
 アグリアスの言葉は、怒りに満ちている。その対象が、打算や思惑によってオヴェリアを利用しようとする者達に向けられていることは明白だった。
 ただ純然な好意でもって、自分のことを本気で心配してくれる人が存在する。
 その事実がオヴェリアの不安を和らげ、そして、一人の人物を思い浮かばせた。
「オーボンヌ修道院で知り合ったコがいるの。彼女も生まれてからずっと修道院で暮らしているって言ってたわ。同じような境遇だねって二人でよく笑ってたの。ふふふ、おかしいでしょ」
「ベオルブ家の令嬢、アルマ様ですね」
 アグリアスが口に出した名前に、ラムザは目を見張った。幹から身体を離して前を見遣れば、王女が枝から葉を一枚引きちぎっていた。
「私のたったひとりの友だち…。ドラクロワ枢機卿は私を利用したりしないかしら?」
「………」
 オヴェリアの疑問に答える者はおらず、沈黙が大きくその翼を広げる。
 居たたまれなくて、立ち去るべくラムザが踵を返しかけたときだった。
「ラムザ! どこだ!?」
 なんの前触れもなく響いた大声が、沈黙の翼を勢いよく払いのけたのは。
 こちらに駆け寄ってきたムスタディオが、半身を幹に隠すように立っているラムザを見つけて、怪訝そうに首を傾げる。
「こんなところで何やってんだ?」
 ラムザはしぃと人差し指を唇にあてたが、その仕草は、場を誤魔化すどころか却って墓穴を掘った。
 最初のムスタディオの大声でラムザの存在に気付いたアグリアスに、盗み聞きの事実さえも教えてしまったからだ。
「いつから」
 鋭い蒼の眼光で見据えられ、全身から冷や汗が噴き出るのをラムザは自覚する。
 露骨に目をおよがせる若者へアグリアスは「正直者だな」と内心で呟き、ムスタディオに視線を向けた。
「どうだったか?」
「大丈夫。今のところ北天騎士団がザランダに来た様子はない」
「そうか。だが、万一のこともあるから今夜はここで」
 ぶぅと奇妙な音が、アグリアスの言葉を中途で掻き消す。
 視線を巡らせば、オヴェリアが葉を口にあてて息を吹きかけていた。すっとラムザが前に進み出て、オヴェリアの傍に歩み寄る。
「草笛ですか?」
 質問というより確認に近い彼の声音を奇妙に感じつつも、オヴェリアは素直に認めた。
「ええ。以前、友だちが教えてくれたんだけどなかなか上手くいかないわ」
 ラムザは同じ枝から別の葉を抜き取り、右の手袋を外した。爪の先で葉の中央に小さな切れ込みを入れ、唇にあてる。細く長く息を吹きかければ、高く澄んだ音が辺りに響いた。
 ラムザの一連の動作は熟練の職人のように滑らかで、素人にありがちな淀みや迷いが全くない。その事実にオヴェリアが目を見張っていると、彼は微かに笑った。何かを懐かしむような、優しい微笑だった。
「こうするんですよ」
「こう?」
 見よう見まねで、オヴェリアは葉を口にあて息を吹きかける。お手本より低く短い音が耳朶に滑り込んできた。
「あ、鳴ったわ」
 オヴェリアは喜びで顔を綻ばせ、再び草笛を鳴らす。
 合わせるように、ラムザも草笛を吹く。
 素朴な二種類の音色が混じり合い、短い旋律となって辺りを静かに流れた。

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