錯綜(4)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第七章 錯綜(4)

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 翌日。
 日の出と同時に、王女一行は一夜を過ごした小屋を後にした。ザランダで入手した地図を指標に街道を避け、なだらかな丘陵地帯を南下する。
 歩き始めて数時間後、成人男性の三倍の高さはあると思われる巨岩が鎮座する小高い丘に到達した。一千年以上も遠い昔、聖アジョラの第一使徒であるバリアスが帝国の手により処刑された地といわれている、バリアスの丘である。当時を想像させるような史跡は何一つ存在せず、大きな岩の周囲に草木がまばらに生えただけの場所だが、それでもオヴェリアは熱心に辺りを見渡している。
(歴史的価値のある土地をご自身の目でみて、感動されているのだろう)
 アグリアスはそう推察し、ここで小休止を取ることにした。
 チョコボから降りようとするオヴェリアにアグリアスが手を貸せば、王女は地に足を着けるなり巨岩に歩み寄った。首を精一杯伸ばして巨岩の頂上を凝視し、数秒の間を経て首の位置を元に戻して感歎の息を漏らす。細く長い指が、岩肌をそっとなでた。
「…我ら罪深きイヴァリースの子らが神々の御力により救われんことを」
 頭を垂れて祈りを捧げる王女を、アグリアスを始めとする親衛隊の全員が見守っている。
 王女を包み込む厳粛な雰囲気が、少し離れた場所で休憩するラムザ達にも波及しかけたときだった。
「だれか来る」
 遠くを眺めていたイゴールが、長弓を手にして立ち上がったのは。
 緊迫の一瞬が、戦う術を心得た者達の中枢神経をけたたましく駆け抜ける。
「どこだ?」
 ラムザの質問に、イゴールは丘陵が続く北の一角を指さした。
「あの辺り、六人の小集団だ」
 目を凝らせば、まっすぐにこちらに向かって丘陵を登ってくる人影が幾つも確認できる。
「街道から外れているから行商人とは考えにくいし、この時勢に聖地巡礼なんてこともないだろう」
 イゴールの言葉にラムザはいったんは頷くも、ゆるゆるとかぶりを振った。
「だけど、こちらから仕掛けるわけにはいかないな。勘違いだったら取り返しのつかないことになる」
 アグリアスもその考えを是とした。
「そうだな。油断はせずに相手の出方を待とう」
 のんびりと休憩しているように――しかし、内実は一挙一動をも見逃さないよう注意を払って、人影が近づいてくるのをじっと待つ。
 互いに顔かたちが判別できる距離に至ると、小集団の先頭にいた男が声を張り上げた。
「おまえたちが何者だか知らねぇが、そこにいる小僧を置いてゆけ!」
 男の指は、まっすぐにムスタディオを指している。
 指さされた人物の傍らにいたアデルは、ぽんとその肩を叩いた。
「一日と空けずに追っ手が来るとは。モテモテだな、ムスタディオ」
「ヤローにモテても全然嬉しくない。どうせならかわいい女の子がいい」
「ごもっともで」
 にやりと笑みを交わして、アデルはすっと身構え、ムスタディオはホルスターから銃を手に取る。
 抵抗する気概を示したことに、追っ手達の顔に一瞬怯えの色がはしった。
「オレたちだって争いたくはねぇんだ! おとなしくムスタディオを引き渡せば手荒なマネはしないぞ! どうだ?」
「そちらこそおとなしく引き上げたらどうだ!」
 間髪入れずに申し出を一蹴したのは、アグリアスである。彼女は目配せで王女を戦場から遠ざけるよう部下達に指示し、そして、追っ手達を見据えて言った。
「ルードヴィッヒ殿に伝えるがいいッ! 争いに乗じて人身をたぶらかす輩は必ず討ち果たしてみせるとな!」
「ならば仕方ねぇ。力ずくで奪うまでよ。いくぞッ!!」
 鬨の声が辺りにこだまし、戦いの火ぶたが切って落とされる。
 しかし、戦闘はごく短時間で終わった。
 アグリアスの聖剣技とイゴール・ムスタディオ両名の遠隔攻撃が見事な連携となり、追っ手達に反撃の糸口を全く与えなかったからだ。
「くそっ、覚えてろよ!!」
 定番的な捨て台詞を残して、追っ手達は逃げ去っていく。
 視界から完全にその姿が消えるのを見届けると、ラムザは二つの疑問を抱いた。
「なぜ、奴らはきみを追う? 理由を話してくれないか?」
 そのうちの一つをムスタディオに問えば、
「すまない、今はまだ話すことができないんだ」
 と、申し訳なさそうに彼は言う。
 予想していた返事なのでラムザはそれ以上追及せず、もう一つを胸中で呟いた。
 ウォージリスの一貿易商でさえムスタディオを見つけられたんだから、王女を探し出すことなんてダイスダーグ兄さんには容易いはず。それなのに、どうして北天騎士団の追っ手が来ないんだ?


 同じ頃。
 ダイスダーグはイグーロス城にある己の執務室に、ガフガリオンを招いていた。
「貴公には一個小隊を新たに与える。その兵力でもって、早急にオヴェリアを捕らえるのだ。むろん、オヴェリアと行動を共にするアグリアスらも同様だ。捕らえてその場で処分せよ!」
「ラムザもか?」
 ガフガリオンが口にした名前に、ダイスダーグの眉が心もち上がる。
 彼は無言で席を立ち、壁際に設置している食器棚に歩み寄った。赤ワインの瓶を手に取り、二つ置いてあるグラスの一つの上に傾けた。
「我が理想を理解するどころか邪魔するとは、愚かなヤツだ。現実世界の厳しさを知るには丁度よい機会と考え、放っておいたがそこまで愚鈍だとは思わなかったぞ」
「正義感の強さは親父譲りってことか?」
 ダイスダーグはグラスを片手に振り返り、ふてぶてしい態度で毒舌を吐く初老の剣士を視界に収めた。
「父上も甘やかしすぎたのだ。おとなしく従えばよし。抵抗するなら、そのときは仕方ない」
 ダイスダーグが目の位置にまでワイングラスを掲げ、グラスの縁に口を付ける。
 仕方ないと言いつつ微塵も残念そうには見えない軍師の表情に、ガフガリオンは小さく舌を打った。
「実の兄とは思えン台詞だな。胸くそが悪くなるぜ」
「これは意外。胸くそが悪い展開こそが貴公の望みだと思っていたが」
 刹那、ガフガリオンの黒い瞳に剣呑な光が閃く。
 だが、相対する軍師の冷めた視線を受けて、彼はすぐさまその光を消し去った。
「しかし、ライオネルの枢機卿が邪魔したらどうする? 教会がバックについたらラーグ公といえどもうかつには手出しできンぞ」
 ダイスダーグはグラスを棚に戻し、あるかないかの笑みを口元に刻んだ。
「それについてはすでに手を打ってある。心配するな」
 手のひらの上で踊る者達を睥睨するかのような冷たい笑みは、無条件で見る者を畏怖させる。凄惨な戦場を笑い飛ばしてきた剛胆な男でさえ、例外ではなかった。
「すべて準備が整っているってワケか。つくづく恐ろしい人だな、アンタは」
「そう思うなら、少しは言葉を慎むんだな、ガフガリオン。貴公の首など簡単に切り離すことができるのだぞ」
 冷酷な輝きを秘めた灰褐色の瞳でひと撫でにされ、ガフガリオンはやれやれと肩をすくめる。
「おいおい、よしてくれよ。オレはアンタの忠実なる僕だぜ。かの聖騎士殿のように頭が固いわけでもない。それを忘れないでくれよ」
「ならば、これ以上のヘマを踏まぬようにするのだな」
「それなンだが、オヴェリアの誘拐をどこのどいつに命じたンだ? オヴェリアを追いかけるときドーターで何者かに襲われたンだぜ。ありゃ、どういうことだ?」
(そっちもヘマを踏んでいるではないか)
 窓辺に近づくダイスダーグの背中を、意地の悪い笑みを浮かべたガフガリオンがみつめている。
「本物の実行犯たちは、修道院の近くの林の中で死体で発見された」
 窓の向こうに広がる光景――鈍色の雲を背後にそびえ立つ白亜の居城を眺めつつ、ダイスダーグは淡々と告げた。
「何者かが、我々の計画をかぎつけて邪魔をしようとしているようだな。いずれにせよ、オヴェリアがまだアグリアスの下にいる間は問題ない。奪うチャンスはいくらでもある」
「そう願いたいもンだな」
 他人事の口ぶりでガフガリオンは応じ、踵を返した。
 律動的な靴音が遠ざかり、扉を開閉する音を残して完全に消え去る。
 一人だけの空間になると、ダイスダーグは再び食器棚に歩み寄り、真新しいグラスに葡萄酒を注ぎ入れた。満たされた赤い液体を、灰褐色の瞳がみつめている。
「敗者に」
 ダイスダーグはグラスを掲げ、ゆっくりと飲み干していく。
 ラムザかガフガリオン。
 遠くない未来に命を落とすどちらかに対するダイスダーグの手向けが、それであった。

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