選択(1)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第三章 選択(1)

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 車輪が轍を残す音が一定の律動を帯び、静寂に時を刻む。
 オヴェリアは、手の甲に落としていた視線をゆっくりと上げた。視界に入ってきたのは、彼女と向かい合うように座っている人物が有する、金属製の鎧に包まれた下半身である。黄金色の輝きを放つそれには傷がなく、上にはおったサーコートも鮮やかな赤色を保っていて、雨風による色落ちが見受けられない。それだけで判断するのならば、物語で登場しそうな、青雲の志を帯びて郷里を飛び出した騎士見習いのようにも思える。しかし、傍らに置かれた長剣が、修道院から拉致されたときの記憶と相まって、行動の自由を不当に制限するだけの実力があることをはっきりと主張していた。
 さらに視線を上げれば、誘拐犯の顔が目に映る。オヴェリアより一つか二つ上と思われる、瑞々しい若者の顔だ。双眼を閉じているためか、相手はこちらの視線に気付かず、微動だにしない。心の内で二十を数える間オヴェリアはじっとその顔をみつめたが、頬はぴくりとも動かず、真一文字に結ばれた唇が開くこともなかった。
(ひょっとして、眠っているのかしら)
 きっとそうに違いない、とオヴェリアは内心で頷く。この男はオヴェリアがチョコボ車に押し込められて以来、ずっとこちらの動向に目を光らせていた。重苦しい鎧を纏ったまま一昼夜休むことなく見張っていては、疲れて当然だ。おとなしい王女に油断し、ちょっとした気のゆるみで睡魔に身を委ねても、なんら不思議ではない。
(逃げ出すなら今だわ)
 オヴェリアはドレスの裾の中で両の足を順々にゆっくりと動かした。物音を立てないよう細心の注意を払って、二、三回繰り返す。固まった筋肉がほどよくほぐれたところで、もう一度、面前の相手の表情を窺う。生ける彫像と化したように変化がない。
(よし、行こう!)
「ムダな努力はやめるんだな」
 オヴェリアの心の内を読んだかのようなタイミングで、男が口を開いた。
「移動する馬車からそんな身なりで飛び降りて、無傷でいられるはずがない。仮に怪我をしなかったとしても、現在地がどこで修道院がどの方角にあるか知らないおまえが、どうやって戻る?」
 閉じられていた瞼が開き、硬質な光を放つ榛色の瞳がオヴェリアをまっすぐに射る。その冷たさにオヴェリアは一瞬怯んだが、その感情を表に出すことは王族の矜持が許さなかった。意志力で己を律し、平然を装う。
「なら、教えて。私をどこに連れて行くの」
「おまえが本来いるべき場所だ」
 曖昧な表現ではあるが、質問に対して答えが返ってきたことにオヴェリアは驚いた。てっきり無視されると思っていたからだ。
「それを決めるのはあなたたちではないわ。私自身よ」
「王妃とラーグ公爵による国政の私物化を承認することで自身の保身を図るのが、おまえの意志か」
 突き放すような言い方に、苛立ちを含んだ声音に、オヴェリアはかっとなった。
「では、あなたは、私にラーグ公とゴルターナ公との対立を煽って国を真っ二つにする内乱を引き起こせと言うの。鴎国との長にわたる戦争で疲れ切った民を、王家のゴタゴタによる無意味な戦争でさらに傷つけろと言うの。民を守るのが王族の責務だというのに!」
 怒りにまかせて一息に言いきった直後、面前の相手の表情がはじめて動いた。目元がほころび、口の端が柔らかい弧を描く。
「王侯貴族がみんなあんたのような人間だったら、俺はこんなことをしていなかっただろうに…」
 呟くように言われた言葉に、どこかさびしそうな笑顔に、オヴェリアは虚をつかれる。
「――…え?」
 尋ね返すも、相手は表情から感情の色を消し去り、まぶたを閉じた。追及から逃れるような仕草に、オヴェリアはそっと目を伏せた。


(なぜ、あんな事を言ったのか)
 仮初めの闇の中、ディリータの思考を占めていたのは苛立ちだった。
 叶うのならば、時間を巻き戻してうかつな発言をした自分自身をぶん殴りたい。しかし、人間には到底できないことだ。だからこそ、一度口に出した言葉は取り消せない。聞いた相手が覚えている限り。そして、言った本人が忘れない限り。
(――ラムザ…)
 修道院で予期せぬ再会をした幼なじみが、瞼の裏に浮かぶ。青ざめた顔に、極限まで大きく開かれた目。その表情は一年前のあの日、最後に彼をまともに見たときとよく似ていた。
(なぜ、おまえがあんなところにいたんだ)
 風の便りで、ジークデン砦での命令違反の咎を一身に引き受け、三年間の騎士資格停止という名誉刑を受けたと聞いた。騎士になることを第一の目標としていた彼とって厳しい処罰ではあるが、妹と違って、命までは取られないのだ。今頃、ベオルブの監視の下、邸か縁のある騎士団で身を慎んで過ごしているだろうと思っていたのに。
『修道院から王女親衛隊が三名、それに男性と明記してあったからおそらく北天騎士団が雇った傭兵だろうな、それが三名。計六名の追っ手がオーボンヌ修道院から来ている』
 イズルードからそう聞かされたとき、少なからず動揺した。その傭兵のなかに金髪で女顔の(本人がいたらとても言えない形容詞ではあるが)男はいたか。思わずそう尋ねようとしたディリータへ、同年の神殿騎士は無自覚に追い打ちをかけた。
『父上…じゃない団長は、傭兵はダイスダーグの手先だから、追っ手は内紛で勝手に自滅するだろうと言っていたが、食い止める手だても打ってくれたが、そう何もかもこちらの思うとおりにはいかないはずだ。だから、油断するなよ』
 王女の身を確保する瞬間に彼がいたという事実。
 こちらの味方ではなく、また、王女親衛隊に所属する者でもない。消去法で考えれば、彼は、ラーグ公爵とその背後にいる者の意を受けた組織に所属する人間となる。
 少し考えればわかるはずなのに、イズルードに言われるまで気づきもしなかった。
 それは、彼について考えることを放棄していたに他ならない。
(あいかわらず兄貴の…ダイスダーグの言いなりなのか? 一年しか経っていないのに、ティータの死を忘れたというのか?)
 そう問うても、脳裏に浮かぶ彼は驚愕に凝るばかり。表情から内面を探ろうとしても、互いの間を流れた一年という空白の時間が邪魔をする。それだけの時間があれば、人は、良い方にも悪い方にも変わる。復讐と断罪のために力を望んだディリータ自身のように。
(もし、イズルードの言うとおりだったら…)
 彼から答えが得られたときに備えて、あらかじめ選んでおかなければならない。自身がとるべき行動を。
(そのときは容赦しない)
 敵として、裏切り者として、斬って捨てるだけだ。そう断言する心に迷いはない。
(だが、あのときと同じように、ラムザにはなにも知らされていなかったとしたら?)
 途端に思考が途切れ、心は千々に乱れ出す。覚悟を決めなければならないというときに限って定まらない己の心に、忘れかけていた苛立ちが蘇ってくる。
 ディリータが思わず舌を打ちかけたそのとき、馬車が一度激しく揺れ、停止した。衝撃で前のめりに倒れそうになった王女をとっさに支え、見上げてきた紺碧の瞳に「その場を動くなよ」と命令してから御者台へ向かう。
「どうした?」
 御者を務めている従騎士に尋ねれば、彼は無言で前方を指さした。右側の崖の一部が崩れ、流れた土砂と樹木が道をふさいでいる。一人二人の力で排除できる量ではないことは、一目で判断できた。
「ほかに道は?」
「少しもどれば古い山道がありますが、道幅が狭くて馬車は通れません。徒歩でないと…」
 申し訳なさそうに言う。周辺の地理に詳しいという理由から特別に選抜された者の説明だ。嘘はないだろう。ディリータは決断した。
「わかった、その道に向かってくれ。ぎりぎりまでは頼む」
「はい、お任せ下さい」
 予定になかった道を通るにあたって必要と思われる情報を従騎士から聞き出し、頭に叩き込んだ上で客席に戻る。問いたげな王女の視線を無視し、角に置かれた荷物箱に歩み寄った。箱からピクニックバスケットを取り出し、王女に押しつける。
「中にサンドイッチが入っている。食べろ」
「………」
 顎で蓋をしゃくるが、王女はこちらを睨み付けたまま動こうとしない。警戒心あらわな態度に、強い意志が宿る瞳の光に、ディリータは肩をすくめた。
「安心しろ。怪しい薬なんか入っていない」
 蓋を開け、適当に選んだサンドイッチの一つを王女の目の前で食べてみせる。紺碧の瞳に込められた険は若干和らいだが、十秒ほど待っても手を付けようとはしない。
「昼には早いが食っておけ。しばらくしたら馬車を降り、夕方近くまで歩くことになる」
「いやよ、といっても無駄なのでしょうね」
「ああ。自分の足で歩かないなら縄で引っ張ってでも連れて行く」
 じっとこちらを睨み付けてから、王女はサンドイッチを食べ始めた。ゆっくりと咀嚼している様を横目で眺めつつ、ディリータは荷物箱の片隅に仕舞われていた背負い袋を取り出した。口を縛っている紐を緩めれば、水筒に火打ち石、保存食や魔法薬など、緊急時に必要と思われるアイテムが整然と収められている。一つずつ手に取り、欠陥品がないか確認する。すべてに不備がないとわかると、改めて水筒を取り出し、一口だけ水を含んだ。喉を鳴らして飲み干した直後あることに思い至り、王女に水筒を差し出した。
「飲むか? パンだけじゃ、のど乾くだろう」
「…け、けっこうですっ!」
 うわずった声を上げてそっぽ向く王女に、ディリータは眉根をわずかに寄せた。


 人の倍の時間を費やして王女がサンドイッチを食べ終えた頃、馬車が緩やかに停止した。ディリータは自分で客席の扉を開き、久方ぶりの大地に足を下ろす。客席に座る王女に手を差し伸べれば、彼女は頭を振ってこちらの手助けを拒否し、自分の足で馬車から出てきた。
 視線をあちこちに彷徨わせる王女から決して意識を離さないまま、御者台にいる従騎士に幾つか伝言を託す。彼は快諾し、器用な手綱捌きでチョコボ車を反転させ、来た道を戻っていった。
「行くぞ」
 細い山道を、王女を先に行かせて歩む。
 青空に浮かぶ、刷毛ではいたような薄い雲。アルゴスト山脈と名付けられた山々は若葉で新緑色に萌え、道端には名も知らぬ野の花がひっそりと咲いている。時折遠くで鳥が鳴き声を上げ、気まぐれに吹く風は頬に優しい。
 実に素晴らしいピクニック日和といえるが、隙さえあれば逃げだそうと画策している王女から必要以上に目を離すわけにはいかない。ディリータは前を歩む王女を観察していた。
 塀に囲まれた修道院暮らしでは、外で走り回ることなどなかったのだろう。一〇分ほど歩いただけで息が乱れだし、その足取りはおぼつかない。道に転がった小石にさえ躓きそうになるものだから、ディリータはみかねてその腕をとった。びくりと身体を強張らせる王女の反応を無視して、ぐいっと腕を引く。なるべく平らな箇所を選び、ディリータからすればあくびが出そうになるくらいゆっくり進んでいると、掴んだ箇所から徐々に緊張が解けていくのがわかった。
 互いに会話を成立させることなく黙々と歩いて一時間が経っただろうか。進むにつれて水音が聞こえだした。王女が足を止め、小首を傾げる。
「どこかに川が?」
「ゼイレキレの滝だ」
「…え?」
 王女の腕を引いたまま道なりに進むと、左右に迫っていた崖が突然と消え失せ、視界がひらけた。
 視覚の大半を捉えるのは、ゼイレキレの滝だ。高さ三十メートルはあろうかと思われる階段状の崖を、大量の水が轟音を立てて流れていく。水の勢いで削られたのだろう、岩むき出しの大地は滝によって深く分断され、板を張り巡らせただけの粗末な吊り橋が岸の両側に掛けられていた。
「風光明媚な場所ね。本で読んだとおりだわ」
 目を細めて感嘆のため息を漏らす王女に、ディリータは目をやった。
「あいにくと観光旅行にきたわけじゃない。ぐずぐずするな。滝がみたければ、橋を渡っているときにしろ」
 不服そうに睨み付けてくる王女の腕を引き、橋へと足を踏み入れる。橋の半ばまで到達したとき、滝の水音に混じって蹄が地面を蹴る音が、ディリータの耳に届いた。顔を上げれば、前方の道から砂埃が上がっているのが見えた。道幅が狭くてチョコボ車が通行できない道に、蹄を着けられたチョコボが土煙を上げるほど早く通る。その意味するところは、一つしかない。
「戻れッ!」
 言うや否や王女の腕を引き、来た道を戻る。
 しかし、数歩走っただけで、止まらざるを得なかった。後方からも、騎獣にまたがった騎士らしき男が三人、迫っていたからだ。彼らの鞍には、揃って白獅子の紋章が刻まれている。とっさに後ろをみやれば、似たような鎧を纏った男が三人、行く手を塞ぐように立ちはだかっていた。ディリータは王女の腕を放し、剣の柄に手を掛ける。
「抵抗は無駄だ。王女をこちらに引き渡してもらおうか」
 一際立派な体格を有する男が、勝利を確信した顔で言う。
「そうすれば、おまえの命だけは助けてやろう」
「白々しいウソを! おまえたちの目的は王女の生命だろ?」
 ディリータがそう指摘した瞬間、男は驚愕で顔を強ばらせ、王女は戸惑いの呟きを漏らした。
「王女を殺害したとき、その真相を知る俺を、このまま生かして帰したりはしないはず!」
「何をバカなことを! 我々は王女を助けに来たのだ! 何故、王女の生命を奪わねばならん? 貴様たちゴルターナ軍に王女を渡すわけにはいかんのだよ!」
「オヴェリア様ーッ!」
 突然なんの前触れもなく、若い女の叫びが乱入してくる。
「アグリアス!」
 直後、ぱぁっと花咲くように王女の顔が安堵で綻んだ。
「ディリータ!」
 続けて耳朶を打った呼びかけに、ディリータは身じろいだ。
 聞き覚えのある声音に吸い込まれるかのように振り向けば、下方の岸辺にいる一匹のチョコボを交えた六名の小集団、その中央に佇むラムザがまっすぐに自分を見上げていた。

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