選択(2)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第三章 選択(2)

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「オヴェリア様、今お助けいたしますッ!」
 王女を安心させるために、白獅子の紋章を掲げる騎士達に己の立場を表明するために、アグリアスが声高に叫ぶ。言い終わるなり王女の下へ駆け出そうとした彼女だが、思いもよらぬ騎士達の返答にその足は縫いつけられたようにぴたっと止まった。
「チッ、余計な連中がやってきたか。ガフガリオン、そいつらを殺せ。一気にカタをつけるぞッ!」
 ぎょっとアグリアスが振り返れば、アリシアもラヴィアンも、ラムザやラッドでさえも、名指しされた人物を愕然とみつめている。ガフガリオンはやれやれと肩をすくめた。
「どういうことか、よくわからンが、これも契約だ。仕方ないな」
 ガフガリオンが黒剣を鞘から払う。切っ先を向けられたアグリアスは一瞬呆然とし、次の瞬間には身を焦がすような怒りを感じた。
「ガフガリオン、貴様、裏切る気かッ!」
「裏切る? とンでもない。こいつらはホンモノさ。オレたちの仕事は、お姫さまが『無事に』誘拐されるようにすることだ。そして、こいつらの任務は誘拐したやつらを口封じのためにここで始末することなのさ!」
 戸惑いが王女護衛隊の面々を包む。「どういうこと?」とアリシアが呟き、「誘拐は…狂言?」とラヴィアンが茫洋たる声で言い、「まさか」とアグリアスが呻いた。
「邪魔なンだよ、そのお姫さまはな。正統の後継者はオリナス王子だけでいいんだ。お姫さまが生きていると担ぎ出すヤツがあらわれるからな」
「どうせ殺すことになるのなら役に立ってもらおう。ゴルターナ軍に誘拐されたことにしてそのまま殺してしまえば、邪魔なライバルを失脚させることができ、邪魔なお姫さまも処分できる。ラーグ公が書いたシナリオはそんなところだろう」
 ガフガリオンの言葉を引き継いだのは、ディリータだった。騎獣を後方に下げて戦闘態勢をとる騎士達から意識を離すことなく、視線だけをラムザへと向ける。硬い表情で立ちつくす幼なじみに、彼は頷いてみせた。
「いや、そのシナリオを書いたのはきっとダイスダーグだな。ラムザ、おまえもそう思うだろ?」
 冷ややかな榛の瞳を直視することに耐えられず、ラムザは足下に視線を落とす。河原の小石を睨み付けている彼に対し、ガフガリオンは容赦なく命を下した。
「そういうわけだ。ラムザ、こいつらを皆殺しにするぞ!」
 厳しい言葉を浴びせられても、ラムザは頭を垂れたまま動こうとしない。ガフガリオンは不満げに鼻を鳴らし、剣を上段に構えた。ラムザを除く全員がその動作の意味を察したが、予想外の出来事に面食らっていた身体は俊敏さを欠き、致命的な遅れとなった。焦燥で間延びされた刹那の時間の中、黒剣に籠められた邪気が解放される。
「闇の剣!」
 ラムザのすぐ傍で禍々しい血色の光が炸裂した。甲高い悲鳴が耳朶を打ち、黄色の羽毛に包まれた身体がぐらりと傾く。弾かれたように顔を上げたラムザの面前で、チョコボは倒れた。ぐったりとして動かない。
「ボコ!」
「そのチョコボでお姫さまをかっさられちゃ、面倒だからな」
 隙無く腕が下ろされ、黒剣が下段に構え直される。
 ラムザは戦慄し、悟った。本気なのだ。ガフガリオンは王女を、アグリアス達を本気で殺そうとしている。ダイスダーグは本気で自分に王女を殺させようとしている。
 胸の奥でごとりと何かが動いた。
 熱いものが腹の底からこみ上げてくる。
「また、力の弱い者を犠牲にしようというのか」
 左肩から背中にかけて炙られたように疼く。火傷の痕。ジークデン砦。深々と左胸に突き刺さった矢。倒れる華奢な身体。得意げな顔。慟哭。小刻みに震える背中。陸橋から地面へとしたたり落ちる血。憤怒。哄笑。憎悪。涙。爆音。炎。溶ける雪。怜悧な灰褐色の瞳。利用する者の発想。見捨てられた命。焦げた濃紺の紐。一瞬だけ垣間見た微笑――。
 記憶の欠片がとめどなく溢れ、灼熱の感情と混じり合い、爆発した。
「そんなことを許しはしない! これ以上、ティータのような犠牲者を出してはいけないんだッ!」
 左手を刀身に添えて白刃を構えるラムザを、ガフガリオンは暫しみつめる。やや時を置いて、彼の視線はラムザの背後にいる青年へと移った。
「ラッド、おまえはどうする?」
「俺は――っ」
 そこまで言って続きの言葉がでないことに、ラッドは愕然とした。
 ボスであるガフガリオンの命令には絶対服従。傭兵団における唯一無二の規則だ。逆らう余地などない。なのに、王女護衛隊の女騎士達を、反抗の意を示したラムザを殺せと言われて素直に剣を抜けない自分がいる。知り合い同士で殺し合うことなど、先の戦争では珍しくもなかったのに。実際、この手に掛けてきたというのに。
 困惑の嵐が収まらぬうちに、疑念が鎌首をもたげ思考を埋め尽くす。
 なぜ、事の真相が自分には知らされていなかったのか。なぜ、ガフガリオンはあらかじめ教えてくれなかったのか。一八年前彼に拾われて以来ずっと行動をともにしてきたのに、ガフガリオンにとって自分は、依頼上の秘密を打ち明けられないほど情けない存在なのか。
「まあ、どっちでもいい。オレの邪魔だけはすンな」
 ガフガリオンはラッドの葛藤を斟酌せず、
「上官の裏切りは部下であった僕が処理します。あなた方はオヴェリア様の下へ」
「なっ!」
「ここでオヴェリア様を喪ったら取り返しのつかない事態になる。だから早く!」
 ラムザもまたラッドを置き去りにしようとしていた。ガフガリオンを見つめる青灰の瞳には、はっきりと敵意が籠もっている。
「ラムザよ、オレが素直にこいつらを通すと思っているンか?」
「思わない」
 刀身に添えられていたラムザの左手が柄頭に移り、中段の構えになる。フッと鋭く短い呼気が発せられたかと思うと、腰が勢いよく沈み、鉄靴に覆われた右足が地を蹴った。一直線に駆け、黒甲冑の剣士に迫る。迎え撃とうとするガフガリオンの顔に獰猛な笑みが浮かんだ。


 語られた真相にオヴェリアもまた混乱していた。
 ラーグ公爵からの招聘に応じてオーボンヌ修道院からイグーロスへと向かっていたというのに。第三王子オリナスの即位を認めることは、ラーグ公爵側に利益になれこそ損にはならないはずなのに。自身の王位継承権を放棄すれば、無意味な権力争いが終わり、内乱が回避され、国政が落ち着くことによってやがて民は安心して暮らしていけるようになると考えていたのに。
 なのに、ラーグ公爵はオヴェリアを「邪魔」の一言で殺そうとしている。前後を挟む白獅子を掲げた騎士達は、殺気に満ちたまなざしで白刃を差し伸べてくる。
(一体誰を信じればいいの?)
「おい」
 間近で聞こえた低い声にはっと我に返れば、胸元に白い袋が押しつけられた。とっさに抱え持てば、ずしっとした重みが腕に伝わる。
「無駄死にしたくなければ、迎えが来るまでそれを持ってじっとしていろ」
 つい先程までそれを背負っていた男は淡々と言い、横に移動してさりげなく正面の北天騎士団達からオヴェリアの姿を隠した。
「安心しろ。あんたに傷ひとつつけはしない」
 サキやシモン神父を傷つけ、オヴェリアを力ずくで拉致し拘禁した男が、今度は守るために戦うという。その矛盾した態度がオヴェリアをさらに混乱させた。
「あなたは何者なの? 味方、それとも敵?」
「俺の名はディリータ・ハイラル。あんたと同じ人間だ」
 水晶を槌で砕いたような澄んだ音が響き、青色の閃光が男の輪郭を際だたせた。


 吊り橋の前後を敵に封鎖され、挟撃の危機。
 橋の中央で立ちつくす主のそばにいるのは、誘拐という大それた事をやってのけた不逞な若者で、アグリアスを始めとする王女親衛隊にしてみれば敵も同然の存在。
 主の命は風前の灯火に等しい状況だった。
 だからこそ、王女を害する存在は実力でもって排除する意志で剣を抜いたアグリアスだったが、誘拐犯の若者が聖剣技の一つ不動無明剣を発動させたとき、さすがに驚きを禁じ得なかった。頭上から降り注ぐ深い青の結晶体をまともに浴びた敵は、激痛に表情を歪めるも戦闘意欲は失われていないようで、王女に向かって歩みを止めない。アグリアスはその敵に狙いを定め、誘拐犯とは異なる聖剣技を発動させた。
「大気満たす力震え、我が腕をして閃光とならん! 無双稲妻突き!」
 紫電を帯びた剣気に突き刺された敵が、けたたましい金属音をたてて橋を塞ぐように倒れた。戦闘能力は失われたと判断し、次の敵を探す。
「このアマがッ!」
 左側面から別の敵が迫る。アグリアスは右足を軸にして回転し、相手の攻撃に備える。が、あと数歩で互いの剣が混じり合うという距離にいたって、その敵はアグリアスの背後から投げ込まれた礫を後頭部に受けて硬直した。構えていた盾の位置が乱れ、脇腹が無防備に晒される。すかさずアグリアスは敵に接近し、瞬きひとつの間に現れた隙に己の剣を突き刺した。男の脇腹に深く沈め、柄を半回転させて剣を引き抜く。敵は崩れ落ちるように倒れ、地面との深い接吻を余儀なくされた。アグリアスは肩越しに振り返り、枯れ葉色の髪の女騎士に微笑む。
「ラヴィアン、ありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
 落ち着いた声音と静かな瞳でもってなされた返答にアグリアスは表情を引き締め、間近に聞こえる剣戟の発生源に目を向けた。
「シールドブレイク!」
 アリシアの戦技によって、白獅子の紋章が刻まれた逆三角形の盾が粉砕される。敵は取っ手だけになってしまった盾を投げ捨て、両手で柄を握り直し、アリシアの攻撃を己の剣でもって受け流す。
「アリシアのサポートは私がします。隊長はオヴェリア様の下へ」
「わかった。ここは頼む」
「はい」
 ラヴィアンが頷くなり、アグリアスは吊り橋に向かって駆け出した。
「オヴェリア様!」
 大声で呼びかければ、オヴェリアは安堵にその顔を綻ばせ、白い袋を抱え持ったままアグリアスの方へ走り出した。誘拐犯の若者は王女の行動を阻害しようとせず、それどころか背中を堂々とこちらに晒して後背の敵と剣を交える。
 敵か味方かはっきりしないが、今のところオヴェリア様を害する気はないようだ。
 アグリアスはそう判断を下し、剣を鞘に収めた。吊り橋の入り口を塞ぐ敵の身体を踏まないよう注意しながら進み、駆け寄ってきた華奢な身体を抱き留める。
「ああ、アグリアス…」
 オヴェリアは、声だけでなく身体も震えていた。
 誘拐されて三日。たった一人で、どれほどの不安と恐怖と戦われてきたことか。己の不甲斐なさと申し訳なさで胸が塞がれる思いだ。アグリアスは王女の身体をそっと離し、その場に片膝をつき頭を垂れた。
「お待たせしてもうしわけありません、オヴェリア様」
「いいのです、アグリアス。こうして来てくれただけでも、私はとても嬉しいのですから」
 立つように言われ、アグリアスは素直に従う。無為の信頼を宿す紺碧の瞳に何かを告げようと口を開きかけた瞬間、紫色の光が視界の端を掠めた。続けて聞こえたのは、苦しげな呻き声。
 視線をめぐらせば、川岸で対峙する傭兵二人が目に映る。
「あの方々は北天騎士団から派遣された…」
「ええ。ですが、少なくともラムザ殿…あの金髪の若者は、信頼に値する人物です」
 不安そうに呟く王女にアグリアスはきっぱりと断言し、戦況を観察する。
 平然たる様子で立つガフガリオンと、肩で息をしているラムザ。どちらが有利で、どちらが不利か、一目瞭然だ。
 きゅっと唇を噛みしめたアグリアスをオヴェリアはじっとみつめ、辺りを見渡し、再びアグリアスに視線を固定して口を開いた。
「アグリアス」
「はい」
「私のことはいいから、あの人を助けに行ってあげて」
「ですが!」
「あの方は、私を救出するのに尽力してくださった方なのでしょう?そして、今も戦ってくださっている。そのような方が苦しんでいるのに何もしないなんて、人として恥ずべき事だわ」
「………」
「あなたが私のことを第一に考えようとしているのは、護衛隊長という立場では当然のことであり、何ら恥ずべき事ではないわ。でもね、アグリアス。私は、私のために誰も犠牲になってほしくないの」
 なおも躊躇うアグリアスの左腕にオヴェリアは手を添えた。桜色の唇から透徹で美しい歌声が流れ、滝の音と暫し和を奏でる。そして、旋律が終焉を迎えたとき、アグリアスの身体は柔らかい金色の光に包まれた。
「こ、これは?」
「聖魔法マバリア。今のあなたに必要な力よ」
 驚きで見開かれた蒼い瞳に、オヴェリアは心からの微笑みを贈る。
「さ、お行きなさい。私の剣よ」
 アグリアスは深々と頭を下げて、勢いよく身をひるがえした。遠ざかるその背中を、オヴェリアは表情を変えることなく見送った。

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