追跡(4)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第二章 追跡(4)

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『奴らが逃げ込む先といえば、ベスラ要塞しかない』
 アグリアスの言葉に従い、一夜の休息をドーターでとった後、一行は東に進路をとった。
 王女を拐かした誘拐犯とは、約半日の空きがある。まともに街道を通って追跡していたのでは、旅慣れぬ王女を連れている点を差し引いても、とうてい追いつけないだろう。もし、難攻不落として名高いベスラ要塞に逃げ込まれたならば、こちらからは容易に手出しができなくなる。これらの判断から、一行は近道を、アラグアイの森を一直線に横断しアルゴスト山脈の麓に至る道なき道を進むことを選んだ。
 先頭に立つラムザが、木の間の通れるところを拾うようにして進む。その傍らに並ぶラッドが、ねじ曲がって互いに絡み合ったたくさんの根につまずかないよう、後続に注意を促す。二人の背後につくガフガリオンが、時折思い出したかのように方位磁石で方角を確かめ、進路を修正する。
 護衛隊隊長としてアグリアスが命令を下したわけもでないのに、傭兵達はごく自然に役割を分担し、それぞれ最善を尽くしている。金目当ての傭兵にしては、実に誠実な仕事ぶりだ。意外に思いながらも、アグリアスは部下二人を先に行かせ、しんがりを守っていた。
 地面は少しずつ登りとなった。前に進むにつれて木はだんだん高くなり、その密度は増して周囲は暗くなっていく。物音と言えば、アグリアス達が発する足音がするのみで、足を止めればシンとした静けさが辺りを支配する。不思議と、動物の姿も見られない。アラグアイの森は野生動物の宝庫と言われるほど生態系が豊かであり、モルボルやパンサーなどモンスターの生息地でもあるのだが。
 ―――いや、違う。
 五感を研ぎ澄ませば、複数の気配がした。意識的に探らなければわからないほど、微かな気配。遠巻きにこちらの動向をうかがっている。人間に対する警戒か、それとも、動物たちのテリトリーを侵す者達への警告か。いずれにせよ、誘拐犯の足取りを一秒でも早く掴みたい状況下では、危険がこちらに及ぶまで無視するに限る。アグリアスは警戒心を忘れぬまま黙々と足を動かした。
 森に足を踏み入れて数時間が経過したと思われる頃、だんだんと周囲が明るくなってきた。木々の間を突然に抜けたかと思うと、アグリアス達は広い楕円形の広場にいた。頭上には空が広がっている。久しぶりに見上げた空は青く澄んでいて、アグリアスに安堵めいた気持ちを与えてくれた。
 太陽はまだこの空き地を照らすほど高く登っていないらしく、木の高い梢にその光が反射している。空き地の周囲を囲む木々の葉は今まで見てきた木より豊かに茂っており、堅固な壁のようにびっしりと囲んでいた。対照的に、空き地には木が一本もなく、ただ伸び放題の草や丈の高い植物がたくさん生えているばかり。荒涼としていて侘びしい印象を与えるが、鬱蒼とした森と違うと思えば新鮮な驚きもあった。
 空き地の向かい側、壁なす木々の間一箇所の切れ目があり、その先は明らかに獣道とは違う小道がみつけられた。森の中へと続いている。目指すべき方角と同じなので、一行はその道を進んだ。
 道は最初こそまっすぐで歩きやすいものだったが、徐々に迫り来る木々にその幅は狭められ、絡み合う太い根に途切れてしまうこともあった。それでも、己の足で道を切り開く作業が減ったおかげで、先程よりも早く進めているようだ。その証拠に、四つの背中に隠れてアグリアスの視界に入ってこなかった、変わらず先頭を歩む者の後ろ頭がちらちらと見える。張り出された暗い大枝によって日光の大半が奪われたために若干沈んだ色合いをしているが、それでも鮮やかな金の髪。
(彼はいったい何者なのだろうか)
 アグリアスは改めて疑問に思う。
 最初は、南天騎士団のスパイではないかと疑った。だが、その疑惑は、オーボンヌ修道院が所蔵している貴族名鑑を調べているうちに霧散していった。彼が真に誘拐犯と通じているのならば、あそこまで露骨に動揺を表すはずがない。素知らぬ顔を決め込んでいた方が疑われず、スパイとしてより容易く行動できるだろうから。
 次に、南天騎士団ゆかりの貴族ではないかと考えた。ところが、これも、貴族名鑑によって否定される。『ルグリア』なる姓は、どの頁にも記載されていなかった。家督税を支払っている者だけが、毎年白羊の月一日に紋章院が発行する貴族名鑑にその姓が記載される。貴族名鑑は貴族の身分を証明するものであり、かつ、貴族であることを第三者に公示するものでもあるのだ。つまり、名鑑に姓が記載されていなければ貴族以外の身分――平民となる。
 ならば、彼は、平民の子なのだろうか。
 しかし、アグリアスはこの推理にも納得できなかった。
 理由は二つある。
 一つは彼の実力だ。剣で生きる傭兵ならば多少剣の腕が立つのは当たり前だが、彼は魔法までも行使していた。オーボンヌ修道院でサキの傷を癒すために行使したケアルラは、中級の回復魔法。ドーターで使っていたサンダガにいたっては、上級の雷撃魔法だ。どちらも一夜漬けで覚えられるものではない。そもそも、魔法を修めようと思ったら、なんの嫌味かと思わず文句を言いたくなるほど難解な魔法書の内容を、そこに込められた象徴を正しく理解しなければならない。彼の勉学意欲が高く、また彼の両親が子どもの教育にとても熱心だったと仮定しても、初等教育のみならず魔法などの高等教育まで修めさせるだけの資産を有する庶民が、国内にいったい何人いるだろうか。読み書きできるのは自分の名前だけという庶民が大半を占めるというのが、現実なのに。
 もう一つの理由が、立ち居振る舞いだ。アグリアスを始めとする王女護衛隊の面々に接する際、彼はごく自然に、うわべだけを取り繕った感も見せずに、礼儀正しく対応する。礼儀作法には厳しく育てられたアグリアスに非の打ち所をみつけさせないほど、完璧に。他の二人の傭兵は、どことなくぎこちなさや粗暴さが隠しきれないというのに。
 平民と言うには、彼の挙措は洗練されすぎている。だが、姓は貴族名鑑に登録されていない。
(ラムザ・ルグリアという名前は、偽名だろうか)
 そうとも考えたアグリアスだが、この推理を裏付ける術はない。本人は否定するだろうし、ガフガリオンは先のオーボンヌ修道院のやりとりから考えても適当にはぐらかして答えないに決まっている。そして、
『傭兵に過去を聞くのはタブーだぜ』
 聞き出せそうな唯一の人物、ラッドは、アグリアスが訊くなり警告した。
『まあ、あんたがあいつの正体を気にする気持ちもわかるけどな。俺も初対面の時、かなり怪しんだクチだし』
『いまは違うとでも?』
『ああ。傭兵に必要なのは背中を預けるに足りる強さだけ。あいつはそれをもっている』
 そう断言できるラッドが、アグリアスには少しうらやましい。彼女はまだ迷っていた。
 正体は不明、信頼は希薄、しかも誘拐犯と知り合い。そんな人間を、王女救出のための戦力に数えて良いものか。熱心な懇願に心動かされて同行を認めたのだが、それは本当によかったのか。あの動揺さえも演技であり、腹の内ではいつ裏切ろうと画策しているのはないだろうか。
 まとまりきらない考えが胸の内で渦巻いていて、重苦しい。己の口から、ずいぶんと大きいため息が勝手に漏れた。
「どうかなさいましたか?」
 苦笑いするこちらに気付いたのか、ラヴィアンが足を止めて声をかけてくる。
「…ちょっと考え事をしていた」
 正直にそう答えると、ラヴィアンは少し悲しそうに笑った。
「あまり思い詰めないでくださいね。姫様がさらわれたのは、隊長のせいだけではありません。私もなんの役にも立ちませんでしたから…」
「違うわよ、ラヴィアン。悪いのは誘拐犯よ」
 そう明快に言い切ったのは、アリシアだ。彼女は力拳をつくった。
「そもそも、か弱い姫様を暴力で拐かして己の利権のために利用しようとするなんて、不届き千万! 奴らにあったら嫌と言うほど己がしでかした罪の重さを思い知らせてやるんだからッ!」
「静かにしてください」
 熱の籠もったアリシアの言葉に、緊迫した別の声が覆い被さる。ラムザだ。アグリアスは前にいる四人を追い抜き、その傍らに立った。
「どうした?」
 前を見据えたまま、小声で問いかける。返答は囁くような声でなされた。
「悲鳴のような声が聞こえた…」
 アグリアスはまぶたを閉じた。自身の息遣いを押し込め、神経の大半を聴覚に集中させる。枝々の間から囁き声は聞こえない。なにかが動く気配も感じられない。しんとした静けさが耳に痛いばかりだ。気のせいではないか、とアグリアスが目を開きかけた瞬間、絹を裂いたような悲鳴がかすかに聞こえた。
「こっちだ!」
 ラムザが走り出す。すかさず、アグリアスもその後に続いた。
 先程まで歩いていた間道を大きく反れ、木々の間をすり抜けるように走り、表面に絡み合う根と出っ張った岩を足がかりにして急勾配の上り坂を登る。登り切ったところで眼下を見下ろせば、
「クェー!」
 悲鳴の発生源がわかった。チョコボだ。木々と岩に囲まれたすり鉢状の空き地の向かいの側に、そのチョコボは一匹でいた。ゴブリンの群れに前を、巨岩に背後を塞がれた状況で。どこかの戦場跡であさったのか、ゴブリンの手にはナイフやメイスなどの小型の武器が握られている。チョコボは嘴の鋭さで威嚇しているが、あまり効果はないようだ。ゴブリン達は巧みに攻撃を避けながら、その包囲網をゆっくりと縮めている。
「ゴブリンの巣に迷い込むとは、マヌケなチョコボだな」
 最後に追いついてきたガフガリオンが、眼下の光景を見るなり冷淡に言い捨てる。次の瞬間には、彼はきびすを返していた。
「金にならンし、時間の無駄だ。行くぞ」
 アグリアスはしばし迷ったが、彼女もまたチョコボに背を向けた。かわいそうだとは思うが、いまはオヴェリア様を救出することを優先しなければならない。誘拐犯の足取りを一秒でも早くつかまなければならない。
 隊長同士の意見が一致したことによって、それぞれの部下達も命令に従い、一人、また一人と、チョコボの危機に背を向け脇道に足を向ける。だが、
「ラムザ」
 ただ一人、ラムザだけが動こうとしなかった。目ざとく気付いたラッドが彼に歩み寄り、その腕を引く。アグリアス達はその場で足を止め、振り返った。
「さっさと行くぞ。ゴブリンに気付かれないうちに…」
 答えはない。いや、聞こえているのかさえも怪しいかもしれない。ラッドの方を振り向こうともせず、彼の視線は眼下の光景に、いや、正確には、ゴブリンの餌食になろうとしているチョコボに釘付けにされている。何を思っているのか、突然その横顔が今にも泣き出しそうに歪み、震える唇が僅かに動いた。
「………」
 誰かの名か、それとも短い言葉か。距離があったためアグリアスには聞き取れなかったが、至近距離にいたラッドには聞き取れたのだろう。ぎょっとしたように褐色の目が大きく見開かれる。
 ラッドが驚愕で固まってしまった、一瞬の間。その一秒にも満たない時間で、ラムザは動いていた。ぱしっと音が鳴るほど勢いよくラッドの手を払いのけて自由を得るなり、身体を屈めて空き地に向かって跳躍する。ラッドが慌てて腕を伸ばすが、あと指一本分届かず、その手は虚しく空を切った。
 派手に音をたてて斜面を滑り降りるラムザに、ゴブリン達は当然のごとく気づいた。「ゴブブッ!」と独特の鳴き声をあげる。突然乱入してきた人間にとまどっているのか、ゴブリン達の動きに乱れが生じた。そのほころびを突き崩すようにラムザは突進し、行く手を阻むゴブリンだけを斬り捨て、チョコボに向かってまっしぐらに走っていく。
「あいつ!」
「馬鹿がッ!」
 ラッドがうなり、ガフガリオンが舌打ちし、斜面に身を躍らせる。
「アグリアス様、このままでは…」
 アリシアの不安そうな声音に、アグリアスは頷いた。
 ゴブリン達の包囲網に突入することは成功したが、無事に出られる保証はない。ゴブリン属は小柄だが力があり、知能も発達している。最初こそ闖入者に驚いていたようだが、すぐに冷静な判断を取り戻したようだ。二匹が犠牲となった段階でラムザの行く手を阻むことなく、彼がチョコボの下に行くのに任せている。とりあえず中に入れておいて、周囲を囲んで逃げ道を塞ぎ、一斉攻撃でチョコボともども始末する。そんなつもりなのだろう。
 ガフガリオンとラッドが救援に向かったが、十匹以上…正確には十二匹…ものゴブリンが相手では、彼らの腕をもってしても間に合わないかもしれない。そうなれば―、
 背筋を凍らす想像が、アグリアスに剣の柄を握らせた。
「見殺しにする訳にもいかないな。私達も行くぞ!」
「はい」
「了解ですっ!」
 三人の女騎士達は一斉に地を蹴り、斜面に飛び込んだ。
 勾配のきつい斜面を駆け下り、勢いのままにゴブリン達に肉薄し、全霊を込めて剣を振るう。
 部下の命をあずかる隊長ならば考慮すべき観念…作戦や戦術は、このときのアグリアスの頭の中にはどこにも存在しなかった。
 一人の若者と一匹の動物の命を救うため。
 その一心で、ただ、ひたすらに戦った。
「ゴブブブ―――ッ!」
 アグリアスが三回目となる聖剣技を行使し、二匹のゴブリンを同時に戦闘不能へと追い込んだときだった。群の中でも一際大きいゴブリンが高い声で叫び、生き残っていたゴブリン達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。全てのゴブリンが森に撤退したのを見届けて、アグリアスは剣を納めた。荒い呼吸を意志で押し込め、視線をめぐらす。彼女に剣を使わせたチョコボと金髪の若者は、擦過傷はあちこちにあるが深刻な怪我はないようで、しっかりとした足取りで大地に立っている。無事な姿にアグリアスが安堵しかけた瞬間、
「この馬鹿野郎がッ!」
 ガフガリオンの拳が若者の横っ面に叩き込まれた。衝撃で、小柄な身体が数メートル後方に吹っ飛ぶ。
「お前は金にならンことに命を張って、何が楽しいンだ!」
 背中から地面に倒れ込んだ彼を、ガフガリオンは胸元をぐいっと持ち上げ、無理矢理膝立ちにさせる。息苦しいのか、腫れ上がった頬が痛むのか。くぐもった声で、彼は言った。
「でも…チョコボが…」
 その言葉は、アグリアスの胸をついた。
「無事だとでも言うのか、この甘ちゃンが! お前が何も考えずに突っ込んでいくから、他のメンバーが危機にさらされたことがわからンのか」
 ガフガリオンの言うことは正しい。彼のせいで、二倍の数を有するモンスターの群との戦いを余儀なくされた。オヴェリア様奪還という目的には全く必要のない戦いで、貴重な時間を浪費した。軽率な行動であったと文句を言われても、仕方ない。
 しかし………、
 危機に瀕していたチョコボを見捨てることを是としなかった彼の心は、本当に非難すべきものだろうか。
 助けられるのならば、助けたい。その気持ちだけで行動したことは、本当にそしるべきものだろうか。

 アグリアスの脳裏に、修道院の窓から空を見上げていた王女の背中がよぎる。
 どこか儚げで、宙に掻き消えてしまうのではないかと錯覚さえ抱かせた、その小さな背中。

 ―――否。
 導かれた答えは、その一言だった。
「すみませんでした」
 深々と頭を下げる彼の下に、アグリアスは歩み寄る。金色のつむじをみつめなから、彼女は口を開いた。
「貴公の行動は確かに軽率だった。いらぬ戦いをしたのも事実だ。だが、貴公は大切なことを、決して忘れてはならないことを私に思い出させてくれた」
 額を弾かれたように、彼が勢いよく顔を上げる。まっすぐ向けられた青灰の瞳を見返しつつ、アグリアスは今の素直な気持ちを言の葉に託した。
「ラムザ殿、ありがとう」

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