追跡(1)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第二章 追跡(1)

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 灰色の雲の切れ間から日が差し込み、真新しい二つの土盛りを淡く照らす。
「願わくば聖アジョラの御加護により、アンジェリカ・カーズ、ナンシー・クトニス両名の魂を至福の地へ導きたまえ…」
 泥で汚れるのもいとわずに両膝を地面についたアリシアが朱金色の頭を垂れ、その傍らにたたずむラヴィアンが小さく十字を切った。
「ファーラム」
 十ほど時をおいて、ラッドがぼそりと呟いた。
「…あたら美女が二人も、惜しいことだな」
 アグリアスは左胸に当てていた右手を外し、ズボンのポケットに滑らせた。二つの細長い包みを指先でゆっくりと撫で、中に色も長さも異なる二種類の髪が一房ずつ仕舞われていることを確認する。目頭がじぃんと熱くなったが、腹にぐっと力を込めてそれをやり過ごした。
 墓石さえ用意できなかった急ごしらえの墓にむかってアグリアスは敬礼し、きびすを返す。黙祷を捧げる者達の妨げにならないよう足音を殺して歩き、二人の仲間を喪った広場を駆けるように素通りし、礼拝堂内へと足を踏み入れた。
 神の膝元にふさわしき壮麗な内装が、アグリアスを出迎える。
 しかし、彼女は見向きもせずに身廊を突き進み、聖堂へと通じる扉の面前で足を止めた。両手で押し開いた瞬間、
「ケアルラ!」
 青緑の光が視界に溢れる。
 咄嗟にかざした手の隙間から、床に横たわるサキと、その傍らに膝をつき手をかざすラムザの姿が見えた。青緑の光がサキの身体を包み込み、右腕を中心に収束したかと思うと、ふっと消え失せる。アグリアスは駆け寄った。
「サキ?」
 埋葬のために離れたときよりも若干赤みが差したその顔色に、口元にかざした手から感じる呼気に、アグリアスは心の底から安堵する。
「傷口は塞ぎました。ただ、出血が多かった上にかなり無理をされたようですから、しばらく昏睡状態が続くと思います」
 ラムザはそう説明し、いったいどこから調達したのか、毛布をサキにそっと掛ける。緩慢にだが確実に死の世界に行こうとしていた仲間を、回復魔法でもって引き戻してくれた若者に対し、アグリアスは深々と頭を下げた。
「感謝する」
 その瞬間、ラムザは苦しげに目を伏せる。だが、昏倒しているシモン神父やサキは勿論のこと、頭を下げているアグリアスもその表情をみることはできず、聖堂の隅で超然とたたずんでいたガフガリオンだけが見て取った。彼は手入れが終わった黒剣を鞘に収め、護衛隊長にむかって口を開く。
「で、これからどうするつもりだ?」
「むろん、潮が引き次第オヴェリア様の奪還に向かう!」
「追いかけるつもりか?」
「当然だ。このままでは王家に対して顔向けができん!」
 打てば響くように返ってきたアグリアスの答えに、ガフガリオンは素っ気なく告げた。
「オレたちは手伝わンぞ。契約外だからな」
「正式な騎士でもない輩の手助けなど、こちらから断る。自分の失態は自分で補うのが騎士というもの。これは我々護衛隊の役目だ!」
 アグリアスの凛とした叫びに、別の声での小さな呻き声が混じる。
 サキの隣に寝かせていたシモン神父が意識を取り戻し、ふらつきながらも起きあがろうとしていた。
「お気づきになったか、シモン神父!」
 さっと駆け寄ったアグリアスが「無理をしてはいけません」と言い、寝かしつけるように腕を伸ばす。長い歳月が刻まれたシモン神父の手がその腕を握り、白い髭に覆われた唇が動いてしわがれた声を紡いだ。
「姫は、姫はどうなされた?」
 アグリアスは目を伏せ、首を横に振る。そして、顔を上げ、まっすぐにシモン神父をみつめた。
「申し訳ございませぬ。オヴェリア様は必ず私が!」
「い、いかん…、それでは…アグリアス殿が…」
 袖にぎゅっと皺が寄り、掴まれた箇所から微かな痛みが走る。アグリアスはそれをおくびにも出さずに微笑み、労るようにシモン神父の手をそっと己の腕から外した。
「心配召されるな。騎士の名誉にかけてお助けすることを誓いますッ!」
「僕も、僕も行きます! 足手まといにはなりません!」
 アグリアスに続くかのように声を張り上げたのは、ラムザだった。すっと立ち上がり、アグリアスに向き直る。直後、ガフガリオンの怒鳴り声が聖堂内に響いた。
「何言ってンだ。オレ達には関係ねぇことだぞ!」
「確かめなきゃいけないんだ、この目で確かめなきゃいけないんだ!」
 肩越しに振り向いたラムザから向けられた縋るような瞳に、焦燥あらわなその声音に、ガフガリオンは表にこそは出さなかったが驚愕した。傭兵として己の部下に招き入れて約一年。どんな事態にも冷めた態度を崩さず、冷徹に戦況を分析して最善を導き、ときには熟練の戦士達の舌をも巻かせた辣腕さが、今のラムザからはみじんも感じられない。
 ――いや、あのときのラムザもそうだった。敵が逃走するのを茫然と見送っていた。
「あの誘拐犯の小僧か?」
 ガフガリオンの指摘に、ラムザは小さく、だが、はっきりと頷く。
 数秒間、沈黙が辺りを支配した。
「よかろう。私が貴公を雇う。オヴェリア様を無事お救いした後は、北天騎士団の契約に従ってイグーロスまで道案内をしてくれればいい」
 思ってもみなかったアグリアスの言葉に、はっとしたようにラムザは顔を上げ、ガフガリオンは意地の悪い笑みを浮かべた。
「依頼料は前払が鉄則だぜ。あいにくと、空手形を信用するほどお人好しじゃないンでな」
 アグリアスは背中に手をやり、ごそごそと動かす。数秒後、ぱちんと澄んだ金属音がかすかに聞こえた。
「これでは不服か?」
 差し出された手には、銀色のバレッタが載せられている。表には、目も眩むような緻密で繊細な装飾がびっしりと施されていた。
「なかなかの値打ちもンだな。いいだろう」
 ガフガリオンが受け取ろうと手を伸ばす。が、その指がバレッタに触れる直前で、アグリアスは拳を作ることでバレッタを隠した。すっとガフガリオンの脇を通り過ぎ、ラムザの数歩手前で足を止める。
「契約を成立させる前に、確認したいことがある」
「なんでしょうか?」
「貴公の姓名だ」
 アグリアスが問うた瞬間、ラムザの頬がぴくりと動いた。が、次の瞬間には、平然たる声音で彼は言った。
「ただの傭兵にすぎない僕に姓を問うても、無意味です」
「貴公の年齢で、実戦で通用する剣技と実用可能な回復魔法を習得するのは、天賦の才能があったと仮定しても独学では不可能。高等教育機関に通って修練したと考えるのが普通だ。そして、高額な授業料を払えるだけの資産を有するのは、貴族のみだ」
 アグリアスの指摘に対し、ラムザは肯定も否定もしない。真っ向から結んだ視線を逸らさず、じっとこちらを見返している。アグリアスはもう一段階おのれの考えをさらけ出すことにした。
「貴公は誘拐犯の名を知っていた。サキを救ってくれた恩人に対してこのようなことは言いたくないが…」
「僕が、表向きは傭兵といっておきながら実は南天騎士団のスパイであると、疑っているわけですか」
 言い淀んだ箇所を明快に指摘されてバツの悪い思いにとらわれたが、アグリアスは肯定した。
「そうだ」
 ラムザが床に視線を落とす。
 アグリアスはガフガリオンに目をやったが、彼はその黒い瞳に笑みを刻んで、沈黙を保っている。己の部下の出自について説明する気も、疑いを晴らす気もないらしい。
 情の薄いその態度に、他人事ながらアグリアスは微かな怒りを感じる。
「ルグリア」
 だから、正面の若者から返ってきた言葉を、一瞬聞き逃してしまった。
「…え?」
「ラムザ・ルグリア。それが僕のフルネームです。どうぞ好きなだけお調べ下さい、護衛隊長殿」
 冷淡に言い捨て、彼は踵を返した。どこに行くとも言わずに、誰の赦しも請わずに、一度も振り返ることなく聖堂から出て行ってしまった。
 後に残されたのは、どこか居心地の悪い沈黙。
 アグリアスは手許に視点を落とした。右手には、ラムザに依頼料として提示したバレッタがそのまま残されている。彼の上官に当たるガフガリオンに渡す気にはどうしてもなれず、また、再び髪に留める気にもなれない。悩んだ末、アグリアスは懐のポケットに入れた。そして、シモン神父に二つの遺髪をそれぞれの遺族に届けてくれるように頼み、貴族名鑑のありかを問うた。


 カッ、カッ、カッ、カッ
 ブーツと床が激しく咬み合い、けたたましい音が次から次へと礼拝堂内に響く。
 乱暴な足取りが発生させているとわかっているが、止める気にはなれなかった。
 両の手が、勝手に拳の形を作る。
 ただ歩くにしては不自然極まる仕草だと頭の片隅で囁く声があるが、そうしなければ訳のわからないことを叫んでしまいそうだった。
 貴族と言われるたびに、お前はここで何をしているのかと、責められている気分になる。
 姓を問われるたびに、こんなことをしていていいのか他にすべきことがあるだろうと、なじられている気分になる。
 心の奥底に封じ込めていた得体の知れない感情が、鎌首をもたげて襲いかかる。
 かといって、何をどうすればいいのか、もうわからない。この一年間、自問する時間ならいくらでもあった。だけど、答えがみつからない。確たる指標は心のどこにも見いたせない。なのに、逃げ出したくなるような居たたまれなさだけは、絶対に消えない。あの榛の瞳は色あせず、慟哭は焼き付いたままだ。
「ラムザ?」
 はっと顔を上げれば、二十歩ほど離れた場所にラッドのみならず王女親衛隊の生き残りである二人の女騎士がいた。
「ずいぶんと恐い顔をしているな」
 からかうようなラッドの指摘に、しまったとラムザは思った。激情に支配されていたせいか、他人の気配を察するのが決定的に遅れた。せめてこれ以上の醜態は避けたい。その一心で、ラムザは無表情の仮面を被る。
「埋葬はおわったぜ。これからどうするかガフガリオンさんと相談しようと思ったんだが、聖堂にいるのか?」
 ラムザはその問いに答えず、歩み続ける。
 足を止めない自分に、ラッドが怪訝そうに首を傾げる。だけど、いま口を開けば、とても情けない声がでるだろうとラムザは自覚していた。だから、無言で、自然に分かれた三人の間を通り抜けた。
 面前を塞ぐ両開きの扉を押し開き、雨の匂いが残る外を赴くままに歩く。
 ぱしゃん。
 すぐ傍で、水音が聞こえる。
 いつの間にか落ちていた視線を上げれば、面前に一つの風景が広がる。ラムザは自嘲した。
 そこは、“彼”と一瞬の会合を果たした場所だった。
 あのときと違って満ち潮のせいか、渡し場の板は水没している。また、一歩でも前に進めば足が海に漬かるほどに、岸辺は後退していた。
 彼が去った方角に視線を転ずれば、空に雨雲はもうない。色が薄まった雲の隙間から日の光が帯状に差し込み、海面をきらきらと銀色に輝かせていた。
 つい一時間ほど前の出来事なのに、違いすぎる景色。
 ―――夢ではなかろうか。
 脳裏によぎった考えを、理性が「あり得ない」と否定する。
 逃走しようとする彼がこちらに気付いた瞬間、互いの視線は確かに交わった。精悍な顔立ちに驚愕の色がよぎり、その目が大きく見開かれたのを、はっきりと視認している。
 赤の他人は、あんな反応をしない。
 なにより、あの日以来一日たりとも忘れたことのない彼の顔を、自分が見間違えるはずがない。
「ディリータ」
 彼の名を呟き、彼の面影を思い浮かべる。
 確かめなくてはいけない。
 彼の生存を。王女をさらった理由を。親衛隊に属する騎士を二人も殺し、一人を瀕死状態に痛めつけた訳を。そして、彼が望んでいることを。
 それで、確かめた後はどうするんだ?
 ―――わからなかった。

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