春雷(3)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第一章 春雷(3)

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 大扉を引き開けば、雨の匂いが臭覚を、幾つもの風きり音が聴覚を、そして、きらりと光った金属の先端が視覚を刺激する。防衛本能に従って左腕の盾をかざせば、一瞬の間をおいて、鈍い衝撃が腕に伝わった。何かが弾かれたように盾の表面を滑り、地面に落ちる。中途でへの字に折れた、一本の矢だった。
「アグリアス様!」
「隊長ッ!」
 かざした盾の裏で青ざめた顔を向けてくる二人の部下に、アグリアスは安心させるように微笑んだ。
「無事か、アリシア、ラヴィアン」
「はい!」
「今のところは」
 アリシアが溌剌と頷き、ラヴィアンの落ち着いた声が後に続いた。アグリアスは両者の間に立ち、二人だけに聞こえるよう小声で囁く。
「状況は?」
「負傷したサキを礼拝堂に逃がした直後、いきなり攻撃されたんです」
「断続的に撃ってくるので敵の懐に飛び込む機会がなく、この場を守るのが精一杯でした」
「十分だ。で、アンジェリカとナンシーは無事か?」
 サキと共に礼拝堂前の広場でチョコボ車の準備をしていた二人の名前をアグリアスが口に出した瞬間、アリシアはひゅっと息を呑み、ラヴィアンは痛ましげに目を伏せる。その反応が、なによりも答えとなった。アグリアスはぎりっと奥歯を噛みしめる。
「そこの女、おまえがリーダーだな」
 緩慢に続いていた矢の攻撃が止む。一人の男が歩み寄り、こちらから二十歩ほどの距離、長弓の射程範囲内であるが剣の間合いの外で、足を止めた。長弓や短剣を構えた軽装の男達と違って、金属製の環を繋いで作られた鎧をまとい、右手に長剣を握り、両肩に赤地のマントをはおっていた。正規の騎士らしく、左胸には所属する騎士団の紋章がはっきりと刻印されている。その紋章の色形を視認した瞬間、茫然とした声音でアリシアがつぶやいた。
「うそ…黒獅子」
 燃ゆる太陽を表す赤地にくっきりと浮かび上がる、黒の獅子。それは、イヴァリースで一、二を争う実力を有する南天騎士団の紋章であり、その総大将の家紋でもある。
「ばかな…! ゴルターナ公はいったい何を考えているのだ。ここまでして戦争を起こしたいのかッ!」
 だが、男はアグリアスの疑問に答えず、傲然と要求を突き付ける。
「無駄な抵抗はやめて、おとなしく王女を渡すんだ。さもなくば、その綺麗な顔に傷がつくことになるぞッ!」
 元老院から王女の守護を命じられた立場から判断しても、王女の身を心から案じている心情からしても、考慮するに値しない要求だ。アグリアスは無言で剣を鞘から抜き放つ。左右に控えているアリシアとラヴィアンが、防御から攻撃へと構えを切り替えた。
 前方にいる三名の弓兵が矢をつがえる。
 戦場特有の緊迫感が急速に膨れあがり、戦いの高揚感が中枢神経を駆けめぐろうとした瞬間、背後で複数の軍靴が鳴り響き、アグリアスのすぐ横で止まった。二人の傭兵を従えたガフガリオンが敵を眺め、唇を嘲笑の形にゆがめる。
「フン、真正面から攻めてくるとはな。ゴルターナ軍も能無しばかりだぜ」
「ならば、ここは我々だけに任せておくのだな」
「それでは金が稼げンのだよッ!」
 ガフガリオンのみならず彼の背後に控えていた傭兵二人も、鞘をはらって白羽の刃を構える。彼らの型はそれぞれ異なるが、一連の動作に淀みがない点では共通する。アグリアスがかすかに感心していたとき、ガフガリオンが傲然と言い放った。
「いいか、一人残らずやるぞッ! 生きて奴らを帰すなッ!」
「何を言うか! 奴らを殺す必要はないッ! ここで奴らを殺してしまってはまさにゴルターナ公の思うつぼ! 追い返すだけでいいッ!」
 アグリアスが大声で言い返したその直後、敵の攻撃が始まった。引き絞られた弓から矢が放たれ、雨粒に混じって振ってくる。騎士達は盾で身を守り、傭兵達は飛来する矢を剣で叩ききった。
「この状況でそンな器用なマネができるもンか! ラッド!」
 黒剣を振るいながら、ガフガリオンが一人の傭兵に目配せする。ラッドと呼ばれた彼は「はいよ」とうなずき、空いた手で腰のポーチをまさぐった。拳に収まる大きさの物を取り出し、すぅと息を吐く。そして、その腕を大きく振りかぶった。
「おらよ!」
 投げ出されたそれは、極限にまで引き絞られた弓から放たれた矢にも劣らない速度で進み、左端の弓兵の胴体に当たった。会の状態が崩れ、その姿勢が前のめりになる。時を置かずに、ガフガリオンが相手に肉薄し、刃を振り上げた。
「神に背きし剣の極意 その目で見るがいい…闇の剣!」
 弓兵の直上に、血の色をした光がうっすらと浮かび上がる。禍々しい印象を与えるその輝きは、瞬時に目に似た紋章を鮮やかに描いた。
 神の光に背を向けて生きる暗黒の騎士だけが使用できる剣技、暗黒剣。その技の一つである「闇の剣」が発動する。
 目縁から流れ出る血色の輝きをまともに浴びた弓兵は体力を根こそぎガフガリオンに吸収され、どうっと地面に倒れた。ぴくりとも動かない。一撃で倒されたことに対する恐怖か、敵兵の間に動揺が走る。
「ラッド、ラムザ、オレに続けッ!」
 ガフガリオンが別の弓兵に迫り、ラッドが駆け出す。
 アグリアスは決断した。剣を下段に構える。
「こちらは右から斬り込む。アリシア、ラヴィアン、援護は頼むぞ!」
「はい!」
「お任せ下さい」
 部下両名の返事を背で聞きつつ、アグリアスは地を蹴った。


 ラムザはただ一人その場を動かず、面前で展開される戦況をじっとみつめていた。状況は、こちらの有利に傾きつつある。三名いた弓兵のうち一人はガフガリオンの剣技で戦闘不能になり、もう一人も上官の斬撃に加えてラッドの突きをくらい、地に倒れた。最後の一人は距離を保とうと後方に飛び退いたが、王女親衛隊に所属する枯れ葉色の髪をした女騎士が追いかけ、接近戦を挑もうとしている。懐に飛び込んでしまえば、弓が剣に勝てるはずもない。こちらからの援護は不要に思えた。
 少し視線を横にずらせば、リーダー格の敵の騎士と王女親衛隊長の女騎士が戦っているのが目にとまる。激しい音をたてて剣を数合交えては距離をとり、再び挑むということを繰り返している。双方一歩も引かずという戦いぶりなのだが、ラムザはそれがうわべだけのものであると理解していた。体力ならいざ知らず、技術と速さでは親衛隊隊長である女騎士の方が圧倒的に優れている。それなのに、戦いが均衡してみえるのは、彼女が手加減をしているからだ。おそらく、生け捕りにして背後関係を聞き出したいのだろう。
(背後関係…。ゴルターナ公は、本当に王女の身柄を実力で奪うつもりなのか?)
 冷静に状況を分析すれば、疑問はそこに行き着く。
 ゴルターナ公の狙いは、オヴェリア王女を擁して即位させ、その摂政に就任することで権力を掌握することだ。しかし、王女は、オリナス王子を擁するラーグ公爵の本拠地イグーロスに移送される。イグーロスに移動されてしまっては、ゴルターナ公としては手出しができない。だから、王女の身柄を確保するために、麾下の南天騎士団を差し向けた。
 理屈は通じるが、あまりにも稚拙で短絡的な考え方だ。
 王女は、御年一六歳だ。物事の分別がわからぬ幼子では、決してない。また、一触即発だったガフガリオンと親衛隊隊長を絶妙なタイミングで回避したことからしても、聡明な方なのだろう。唯々諾々とゴルターナ公の野望の道具となり、内乱を引き起こしていたずらに民を苦しめるような方ではないと思われる。それに、力ずくで王女を即位させたとあっては、民衆の信頼が得られず、外聞もはなはだ悪かろう。
(それとも、王女の意思や外聞など問わないつもりなのだろうか?)
 そうだと仮定した場合。なりふり構わず、ゴルターナ公が王女の身柄を実力で奪うことを決心した場合。馬鹿正直に、正面から襲撃するだろうか。
『ゴルターナ軍も能無しばかりだぜ』
 ガフガリオンはそう言ったが、ラムザの認識は異なる。
 敵は、修道院ではなくその付属施設である礼拝堂を襲撃した。この事実から、敵は出立の日時を正確に把握していたことを、また、王女が敬虔なグレバドス教信者であり、出立前には祈りを捧げるであろうことを予想していたと推測できる。つまり、情報を収集して分析する頭脳を有している。
 ならば、なぜ、その情報を生かそうともせず、正面から襲ってきたのだろうか。
「ラムザッ!」
 怒鳴り声が、意識を思惟から現実へと引き戻す。背負い袋を背負った軽装の男が、短剣を突きの形に構えてこちらに突進しているのが目に飛び込んできた。鎧の継ぎ目を狙って一突きにせんとする刃が、鈍い光を放つ。
 ラムザは前屈みに右へ移動することで、敵の刃を回避した。避けられることを想定していなかったのか、突き殺すことに専念しすぎていたのか、敵の姿勢が前のめりに崩れる。ラムザはその一瞬の隙を逃さず、掬い上げるように右手の剣を振るった。切っ先が男の脇腹を刺し、肉を引き裂く感触を手のひらに伝える。咲く花のように血が散った。激痛に顔を歪めた敵が膝をつき、空いた手で傷を手で押さえた。
「く、くそが…」
 男が短剣を手放した。その手が懐を探る。しまっていた何かを掴んだ瞬間、小さな呻き声をあげて地面に倒れた。その頸部には、白羽の刃が深々と突き刺さっている。
「ぼやっとするンじゃねぇ!」
 ガフガリオンの叱責を聞くにとどめ、ラムザは己の剣を男の身体から引き抜き、血を振り払う。ふと強い視線を感じて顔を上げれば、親衛隊隊長である女性がこちらをじっと見ていた。瞳には非難の色がありありと浮かんでいる。
 視線が絡み合い、数秒後、むこうの方から逸らされた。彼女は対峙している騎士の対応に戻る。
 ラムザは視線を落とした。たった今、彼が手にかけた者が、つい先程まで生きていた人が、物言わぬ肉塊となって横たわっている。瞳孔が開いた瞳は、まっすぐラムザを見上げていた。
 ラムザは息を呑んだ。奥底に仕舞っていた何かが、ぱかっと音をたてて開いた。どろどろとした黒い何かが、じわりじわりと広がり胸を押しつぶそうとしている。ラムザはぐっと腹に力を込めた。重しをつけて湖の奥底へと沈めるイメージを必死に描く。

  今はそんなことを考えている場合じゃない。
   考えるべきは、敵の戦略だ。
    正面から襲撃する真意はどこにあるんだ―――。

『敵の意図が知りたければ、敵の立場になって考えてみろ。自分なら目的達成のためにどう行動するか、ってな。相手も感情と思考をもつ同じ人間だ。大概のことはわかる』

 かつての恩師の言葉が脳裏をよぎる。ラムザはその面影に頷き、思考の方向性を変えた。
 目的は…オヴェリア王女を無傷で確保すること。彼女の身の回りには、少数とはいえ精鋭の護衛が常に控えている。修道院でも、礼拝堂でも、イグーロスへの移動中でも、だ。作戦の成功率を高めるためには、オヴェリア王女の傍から護衛を引き離す必要がある。僕なら…どうする?
「そういうことか!」
 ラムザは舌打ちし、駆け出した。
「アグリアス様の邪魔はさせません。下がっていなさい」
「騎士道精神なンて古いンだよ! どきやがれッ!」
「そうはいきません」
 親衛隊長と敵の騎士との一騎打ちを尊重しようとする朱金色の髪の女騎士を、ラムザは無言で背後から羽交い締めにする。驚愕で見返る彼女を無視し、上官を直視した。
「あなたの力で、この戦いを一秒でも早く終わらせてください」
 ガフガリオンは一度瞬き、そしてふっと口の端で笑った。
「ご要望どおりすぐ終わらせてやるよ!」
 数歩進み出たガフガリオンが、なにもない空間に向かって剣を振り上げる。親衛隊長と鍔迫り合いをしている敵の騎士を正面に見据え、その剣を裂帛の気合いと共に振り下ろした。
「喰らえっ、闇の剣!」
 敵の騎士の直上にて、暗黒剣が発動する。男に不意打ちの剣技を回避する余裕など無く、まともに技を浴びてどぅと地に倒れた。二、三回痙攣し、やがて動かなくなる。
 ラムザは拘束していた女騎士を解放し、素早く辺りを見渡す。両の足で立っている敵はもういない。敵と分類された人は全員、戦闘能力を失っている。
 確認し終わるなり、彼は礼拝堂に向かって踵を返したが、
「待てッ!」
 走り出す直前で、親衛隊長に腕を掴まれた。
「貴公、どういうつもりだッ!」
 向けられた蒼い瞳には、怒りの炎が燃えさかっている。ラムザは真っ向から受け止め、叫んだ。
「彼らは囮だ! いまごろ、別働隊がオヴェリア様の下にッ!」
「なっ!」
 掴まれていた指先の力が緩む。そして、時を置かずに―――、
「離しなさいッ!」
 悲鳴が礼拝堂から発せられた。


「離してッ!」
 オヴェリアは掴まれた右腕の自由を取り返すために、全身の力で暴れた。しかし、侵入者の腕を引きはがそうとした己の左手はあっさりと払いのけられ、床に踏ん張った両足は裏口へと引かれる力によってぐらぐらと揺れる。
「こっちへ来るんだッ! おとなしくしないかッ!!」
「誰があなたの言いなりに…!」
 侵入者の口からふぅと露骨なため息が発せられた。
「うるさいお姫様だ」
 鳩尾を拳で突かれたオヴェリアは、声を上げる暇さえ与えられずに意識を喪う。
 騎士は崩れ落ちる華奢な王女の身体を抱き留め、その耳許に囁いた。
「悪いな。恨むなら自分か神様にしてくれ」
 騎士は王女を抱き上げ、裏口へと歩み出す。数歩進んだとき、上の方で扉が乱暴に開かれる音がした。二つの足音がその後に続く。
 そのうちの一つ、アグリアスは聖堂内に足を踏み入れるなり、息を呑んだ。シモン神父に手当を委ねたサキは半ばで折れた剣を握りしめた状態で倒れており、その傍らには神父までも昏倒していた。
「しっかりしろ!」
 アグリアスがサキを抱き起こして揺らすと、「姫様が」と掠れた声で呟き、がくっと頭を垂れた。
「大丈夫、二人とも息はあります」
 冷静に脈を確認する年若い傭兵を一瞥し、アグリアスは欄干から下を覗く。そして、事態をさとった。
「待てッ!」
 侵入者は振り返りもせず、王女を抱きかかえたまま悠然と、渡し場に通じる裏口へと歩み去ろうとしている。
 アグリアスは殴るように欄干を叩き、身をひるがえした。下の聖堂に通じる螺旋状の階段を駆けおりていく。
 一方、ラムザは硬直していた。王女を誘拐しようとする者の背中。青灰の瞳はその一点に注がれていた。短髪と言うには少し長めの襟足にかかる栗色の髪を、知っている。他者を拒絶するかのように伸ばされた背中は、目に焼き付いている。
 ―――まさか、そんな!
 焦燥が胸にこみ上げ、凍り付いていた両足を動かした。聖堂から回廊へ、そして外へと駆け抜け、全速力で壁伝いに走る。
 ラムザが渡し場全体を見渡せる場所についたとき、誘拐犯は意識のない王女と共にチョコボで逃走しようとしていた。騎獣の腹を蹴った瞬間、こちらの気配に気付いたのか、ゆっくりと首を動かす。
 互いの視線が交わり、相手の容貌が明らかになる。
「―――!」
 胸に燻っていた焦燥は一気に喉まで突き上げ、声帯を麻痺させた。愕然とするラムザをよそに、“彼”は自然な仕草で前を向き、チョコボで走り去っていく。
「…なんてことだ」
 遅れて渡し場にやってきたアグリアスが、がっくりと膝をつく。
 だが、ラムザの目には、無念に打ちひしがれた彼女の姿はみえてなかった。“彼”が逃げ去った方角を、チョコボの足跡さえ残っていない水面だけをみつめていた。その唇が微かに震え、一つの名を絞り出す。
「ディリータ…」
 耳ざとく聞きとめたアグリアスが、不審のまなざしを注ぐ。
 ラムザはそれに気付かず、ただ、次々と浮かび上がる疑問を吐露した。
「生きていたのか、ディリータ? …でも、どうして君がゴルターナ軍にいるんだ?」
 稲妻が天を縦に引き裂き、青ざめた横顔を照らし出す。
「どうして…?」
 轟音が響き、雨が一際激しくなった。

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