襲撃(4)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第九章 襲撃(4)

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

 刀傷を受けても、矢傷を受けても、怯むことなく剣を向ける女性。浅く荒い呼吸を繰り返しながらも、鋭くこちらを睨む紅茶色の瞳には、なおも戦う意志が込められている。
 彼女が剣を振るう度に、腕や臑に受けた傷口から血が流れ出す。それらは彼女が戦いで流した汗と混じり、麻色の服が朱に染まっていく。
 たった一人になりながらも、傷ついて血汗を流しながらも、戦うことをやめない女性。
 一体、何が彼女をそこまで戦わせるのか。
 剣を交えるディリータのみならず、矢をつがえた状態で待機しているラムザや、後方でマリアの護衛をしてるアデルも、その姿に当惑し畏怖を抱いていた。
 それらの感情は隠れることなく、戦っている二人の行動に表れる。
 ディリータは防御と逃亡阻止に徹し、攻撃に転ずることはなかった。また、ラムザも相手の急所を狙うことはなく、彼が放つ矢は腕や足をかすめていくだけだった。
 数の上では圧倒的有利な状況なのに、なかなか決着がつかない。奇妙な膠着状態に陥っていた。
 その均衡を破ったのは、士官候補生達ではなく、濃い紅茶色の髪を持つ強い女性でもない。別のものだった。
「とめてぇ!」
 遠くからでも聞こえた絶叫。耳を塞ぎたくなるような悲痛なものだった。
「イリア?」
 ラムザは思わず構えを解いてしまう。ディリータも剣を交えながら声がした向かいの通路に視線を走らせる。一瞬の空隙。敵にとっては絶好の機会だったはずだ。だが、不思議なことに女性は隙に乗じることはなかった。それどころか、その身体は硬直しており、剣に込められた力が緩んでさえいた。
 我に返ったディリータは、逆にこの好機を逃さなかった。剣を鍔元で一回転させ相手の武器をはじき飛ばす。続けて、左腕に装備していた小型の盾で腹部を強打した。女性は苦悶の声を漏らしながら、体勢を崩し床にひっくり返る。ディリータはすかさず距離を詰め、身を起こそうとした彼女の喉元に剣の切っ先を突きつけた。
「大人しくしてもらおうか。もう抵抗しないと言うなら、命まで取ろうとは思わない。ラムザ、そうだろう?」
「ああ」
 ディリータに同意しつつ、ラムザは落下した相手の剣を拾い上げた。切れ味のいい、細く長い片刃の剣。手入れが行き届いており、刃こぼれ一つしていない。割と上質のものだ。ただ一人金属製の輪を繋げて作られている鎧をまとっている事からしても、この女性は骸旅団の中でも地位の高い人なのかもしれない。
「さっさと殺せば?! 他の仲間と同じようにッ!」
 彼女は目前に突きつけられた切っ先には目もくれず、ディリータを、そして、ラムザを鋭む。軽蔑と憎悪という感情を織り交ぜた眼光はどんな武器よりも鋭利で、彼らの胸に深く突き刺さった。
「そこまで僕たちが憎いのか?」
 ラムザの低い呟きに対し、彼女は無言で睨み付けるのみ。その態度こそが、雄弁に心情を語っていた。
 紅茶色の瞳を逸らさず見つめているうちに、ラムザの胸に潜んでいた疑問が急速に膨れあがる。
 それは、無事を祈るために手編みの紐を作ってくれた妹二人の微笑みでもって、心の引き出しに厳重に封じ込めたはずだった。しかし、女性の鋭い眼光はあっさり封印を破り捨ててしまった。溢れる疑問と迷いは、彼の口からこぼれ落ちる。
「なぜ、ですか?」
 ラムザはゆっくりと女性へと歩み寄る。彼が近づくにつれて、ディリータが相手に突きつけていた剣が徐々に下に下がっていく。だが、ディリータやアデルのみならず、女性もその事実に気がつかなかった。途方に暮れながらも答えを求める金髪の少年に、目を奪われていた。
「僕らが何をしたというのですか? 何がいけないのですか? 教えてください」
 迷いに揺れながらもまっすぐに見つめてくる青灰の瞳を見つめていくうちに、女性の鋭い眼光にもう一つ別の感情が混ざり始め、徐々に目元が緩んでいく。
 そして、彼女が声を発しようとした瞬間。
 別の声が、場の空気を一変させた。
「ラムザ、なにやってるんだ。あとはそいつだけだ。さっさと殺せよ」
 こつこつと足音を立てて、声の主は向かいの通路から姿を現す。影になっていたその人物の格好が明らかになると、その場にいる誰もが息を呑んだ。
 薄闇だからこそ判然できる淡い金髪に混じる赤黒い液状のペイント。着用している濃紺の戦闘服にも、同じような塗装が施されている。かの人物から濃厚に漂ってくる、さびた鉄のような匂い。度重なる戦闘で否応なしに嗅ぎ慣れてしまったものだった。
 最後まで影になっていた顔も、やがて判然する。明らかになったアルガスの顔を彩る表情に、士官候補生達は硬直した。それは、決して短くはないつきあいの中で初めて見た、あまりにも凄惨なものだった。ラムザの左手から剣が滑り落ち、耳障りな音を立てて床に落下する。
「向こうの奴らはオレが片付けてきたぜ。さっさと終わらせてイグーロスに帰還しよう。どうも、家畜の匂いはくさくていけない」
 アルガスは自分の袖口を嗅ぎ渋面を作る。それは彼なりの戯けだったが、他のメンバーは誰一人として反応を返さなかった。
「どういう事だ。『向こうの奴ら』とは、誰を指して言う!」
 片膝を床についていた女性騎士が反応した。アルガスは質問の意味がわからないように首をひねる。数瞬の後、その手をぽんと叩いて答えた。
「無様にベットに寝ていた家畜三匹」
「な!」
 驚愕の声が漏れる。彼女は畳みかけるように怒号をアルガスに浴びせた。
「馬鹿な! 彼らは重度の負傷者だ。戦う術など有りはしない。お前は、非戦闘員を虐殺したというのかッ!」
「オレ達が北天騎士団から受けた命令は『骸旅団の殲滅』だ。オレは忠実に命令を実行しただけだぜ。なあ、ラムザ」
 真冬の凍り付いた湖面のような瞳を向けられたラムザは、たまらず視線から逃れるために俯いた。じっと床の一点を見つめ、口を固く閉じて、沈黙を保つ。
 アルガスはそんなラムザの態度に頓着もせず、続けて口を開く。
「こいつらは田畑を耕すことしか能がない癖に、不相応にもオレ達貴族に反抗した。家畜の分際で、オレ達の生活を乱し、治安を混乱させ、不当に盗みを繰り返した。あげくに身代金目当てで侯爵様の誘拐までやった! 畜生にも劣る奴らだ!!」
 視界には入れなくても、両耳が嫌でも彼が紡ぐ言葉の数々を流し込んでくる。
「ふざけるなッ!貴族がなんだと言うんだ!」
 激怒して、反駁する声。女性のものだ。
「私たちは貴族の家畜じゃない。私たちは人間だわ! 貴方たちと同じ人間よッ! 私たちと貴方たちの間にどんな差があるっていうの!? 生まれた家が違うだけじゃないの!」
 ラムザの脳裏に、傷だらけの男性の顔が浮かぶ。
 貿易都市ドーターで尋問した骸旅団の捕虜も、同じことを言っていた。
 貴族と平民にどんな違いがあるのか、と。
「ひもじい思いをしたことがある? 数ヶ月間も豆だけのスープで暮らしたことがあるの? なぜ私たちが飢えなければならない? それは貴方たち貴族が奪うからだ! 生きる権利のすべてを奪うからだッ!」
 小さな背中を向けて、寸胴鍋をお玉でかき回すドゾフの後ろ姿が脳裏に蘇る。
 彼は、生きるために仕方なく盗賊行為をしていたと言った。
 一方、僕は、飢えたことがない。今まで何不自由なく暮らしてきた。
 富める者。貧しい者。是正されない貧富の差。
 その原因を作っているのは、貴族?
 貴族が、僕が、彼らの生きる権利全てを奪っている?
「同じ人間だと? フン、汚らわしいッ!」
 軽蔑しきったアルガスの声音が、ラムザの思考を無理矢理中断させる。
「生まれた瞬間からおまえたちはオレたち貴族に尽くさねばならない! 生まれた瞬間からおまえたちはオレたち貴族の家畜なんだッ!!」
「誰が決めたッ! そんな理不尽なこと、誰が決めたッ!」
「それは天の意志だ!」
「天の意志? 神がそのようなことを宣うものか。神の前では何人たりとも平等のはず。神はそのようなことをお許しにはならない。なるはずがないッ!」
「家畜に神はいないッ!」
 複数の息を呑む音がホールに響く。
 ラムザはとっさに顔を上げ、そう宣告する人物を見つめていた。視線に気づいたのか、アルガスは自分の顔を見遣り、満足そうに笑みを浮かべる。その冷たい笑顔を見た瞬間、ラムザの背筋に戦慄が走った。
「さて、無駄話はここまでだ。ラムザ、こいつはお前が殺せよ」
 まるで今晩の夕食を予想するような気楽さで、アルガスは言う。ラムザは一歩後ろによろめいた。
「こいつはおまえの敵だ。ベオルブ家の敵だ。わかるか。おまえの敵なんだよ。こいつは敗者だ。人生の敗者だ。敗者を生かしておく余裕はどこにもない。今、こいつを殺さないと、次に殺されるのはオレ達だ。共に歩む道などない」
 ラムザは、もはや恐怖さえ感じていた。
 貴族と平民が共に歩む道などないと断言された事に。
 確かなものだと思っていた現実が、今まで信じていた世界の全てが、ひっくり返るような感覚に襲われる。
 大地を踏みしめているはずの両足が、頼りなく感じる。
 目はちかちかし、喉はからからだ。
 何か得体の知れない黒いものが腹の底からせり上がって、胸を圧迫する。
 息苦しくて、たまらない。
「どうした? その腰の剣はただの飾りか? さっさと殺せよ、ラムザ。おまえがその手でやるんだッ!!」
 のろのろとベルトの金具に固定した自分の剣に視線を向ければ、柄頭にはめ込まれた家紋が目に入る。大地を守護するという白い霊獣。誉れ高きベオルブ家の象徴。“ベオルブの名を継ぐ者”としての証。
 ベオルブ家の敵だと言われた相手に目を向ければ、心臓を射抜くような鋭い眼光にぶつかる。最初に見せたものと全く同じ感情を宿した、峻烈な紅茶色の瞳。直視する事が耐えられなくなり、ラムザは顔を背けた。
 先程の会話が頭を駆けめぐり、過去の記憶や想いが、胸の中で激しく渦巻く。
 何が正しくて、何が悪いのか。
 自分が何を望み、何を願って剣をとったのか。
 それさえもわからなくなるような、真っ黒い濁流がどんどん迫り来る。
 まさにのみ込まれようとする寸前だった。
 ラムザの耳に、静かでありながらも強い意志の込められた声が飛び込んできたのは。
「ラムザ、俺には彼女が敵とは思えない」
 はっと顔を上げると、穏やかな榛色の瞳が自分を見つめていた。明晰な意志の光を宿しており、常と何ら変わらない。
「なんだと? 気でも狂ったのか、ディリータ?」
「彼女は家畜じゃない。そうさ、俺らと同じ人間だ」
 ディリータは鞘に剣を収め、アルガスに向き直る。そして、ゆっくりと両手を広げた。
 これ以上交戦の意志がないことを示すかのように。
 女性の主張を全面的に認めるように。
 だが、アルガスは女性に向けていた表情を彼にまで向け始めた。
「裏切るのか、ディリータ!? やはり、おまえは…!」
 その続きの言葉を、いま、聞きたくない。ラムザはあらん限りの大声を張り上げた。
「黙れッ!」
 ホールにその声が響き渡る。厳しい命令口調と声の大きさに、彼をよく知るディリータとアデルは目を丸くする。アルガスでさえ口ごもった。
 ラムザは荒い呼吸を繰り返して息を整えると、女性に向き直った。
「行ってください」
「な、何を言っているんだ、ラムザ! オレ達は…」
「うるさいッ! あとで兄さん達に『命令違反』でも『任務失敗』でも、君が好きに報告すればいい! だけど、今、この場の最高責任者は僕だ。僕の命令には従ってもらう!」
 反論を持っている権限で封じ込めるという論法。普段のラムザなら決して使わない手法。だが、上下関係を重んじるアルガスには効果絶大だった。アルガスは不承不承引き下がる。ディリータから、そして、アデルからも異論の声は上がらなかった。
 顔をしかめながら女性はゆっくりと立ち上がり、ラムザの顔をじっと見た。彼は機械的に彼女の視線を受け止める。秀麗な顔には何ら感情の波はなかった。
「情けをかけるのか、なめられたものね…。貴方があのベオルブ家の人間である以上、私は貴方の敵よ。それを覚えておくといいわ」
 そう吐き捨てると、女性はラムザに背を向けて歩き出す。負傷した足を引きりながら入り口へと向かい、一度も振り返ることなく雷雨が降り注ぐ外へと姿を消した。
「ちっ、どいつもこいつも」
 雷光が走る轟音に紛れるように、舌打ちする音。アルガスだった。苛立ちを隠さずに両腕を組み、地面に唾を吐きかける。アデルがじろりと睨み付けると、彼はやれやれと肩をすくめて、外へと出て行った。
「ディリータ、僕らは…」
 女性が消えた方角へ視線を固定したまま、ラムザが掠れた声で呟く。無表情という仮面でも、もはや隠しきれない感情の一端を。
 ディリータはゆっくりと頭を振った。
 ラムザが言いかけであろう疑念を、はっきりと否定するために。

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

↑ PAGE TOP