襲撃(3)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第九章 襲撃(3)

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 ディリータがただ一人生き残っている敵を牽制し、ラムザがマリアの治療を始めたのを見届けると、イゴールの身体から力がごっそり抜け落ちた。がっくり両膝をつき、両手を床について崩れ落ちそうになる身体をかろうじて支える。右手からこぼれ落ちたロッドが音を立ててどこかへ転がっていく。彼はそれに構う余裕もなく、浅く荒い呼吸を繰り返した。だが、一向に息苦しさは改善されない。胸に走る鈍痛と目眩、そして、倦怠感に苛まれていた。
「まったく無茶するね」
 頭上から労りつつも呆れる声がふってくる。
「通常ならば複数の地点に落下する雷を一点に絞ることで至近距離にいる味方への巻き添えを防ぎ、なおかつ、その威力を数倍に高める。理論上は可能だけど、魔法力のみならず高い魔法制御能力が要求される技術よ。これこそが、あなたの特訓の成果かしら?」
 さやっと布ずれの音がし、誰かがすぐそばに腰を下ろす。その人物は自分の左腕に手を添えて、回復呪文の詠唱を始める。誰かわざわざ確認するまでもない。イゴールは肯定の言葉代わりに顎を動かした。
「清らかなる生命の風よ 失いし力とならん! ケアル!」
 生命の息吹きがイゴールの身体を撫でて空へと吸い込まれていく。イリアが唱える白魔法の効き目は抜群だ。目眩が引き潮のようにひき、息苦しさの原因となっていた胸部の鈍い痛みも取れた。気だるい感じはまだあるが、耐えられないほどではない。
「ありがとう、だいぶ楽になった」
「どういたしまして。でも、まだ動かない方がいいよ」
 イリアが楽な姿勢をとるよう目配せをし、立ち上がって自分から離れていく。
 イゴールは素直に従い、その場に腰を下ろした。顔を上げ、状況を確認する。
 どうやら、現状はそんなに変わっていない。ディリータは女性騎士と交戦中であり、戦況は彼が優勢のようだ。ディリータは常と変わらぬ切れのいい剣筋だが、相手の女性はアルガスと対峙していたときよりもスピードが落ちている。魔法と連戦による疲労ゆえだろう。激しい鍔迫り合いの後、ディリータから距離をとった彼女は肩で荒い息をし、剣の切っ先は最初の時よりもかなり下にさがっていた。
 視線を戦う二人より遠くに向ければ、片袖を引き破って包帯代わりにマリアの肩に巻き付けるラムザと、元気なく頭を垂れるアデルの姿が見える。彼らは何やら会話を交わし、やがて、ラムザだけ長弓を握りしめ立ち上がった。手早く革の手袋を装着し直し、背中に袈裟懸けにかけていた矢筒から矢を一本取りだす。そして、いつでも矢を番えられる体勢をとり機会を狙い始めた。
 これで、ほぼ勝負はついたも同然だ。
 一対一の戦闘でも敵は苦戦している。そのうえ、ラムザの遠隔攻撃による援護も加われば、相手の勝機はますます減ることなる。さらに、こちらにはもうひとり剣を持つ味方がいる。彼の回復が終われば、戦況はさらに有利になるだろう。
 イゴールは後ろに視線を巡らす。そして、眉をひそめた。そこにいるはずの人物はおらず、乱雑にたたまれた外套が床に一着転がっているだけだったからだ。
「イリア、アルガスはどこにいった?!」
「え? あなたの前に治癒終わったからそこにいるはず――って、いないね」
 地面に落ちた何かを拾い上げる動作をしつつ振り返ったイリアも、怪訝そうな表情を浮かべる。イゴールは思わず舌打ちをした。
 今いるホールらしき空間の四方を見渡すと、左前方に通路が見える。おそらく、アルガスはそちらに他の敵がいないか調べに行ったのだろうが、他の仲間が敵と交戦中なのに助太刀をせず、なおかつ、そばにいた自分達に一言も告げずに勝手に行動するというのが腹立たしいことこの上ない。
 可能性は少ないが、もし、伏兵がいたらどうする気だ?
 通路に罠が仕掛けられていたら、どうするつもりだ?
 イゴールは床に両手をつき両足に力を込めて、立ち上がることを試みる。だが、次の瞬間、視界がくらりと揺らいだ。
「ちょ、ちょっと、なにしてるのよ!」
 自分を座らせようとするイリアの両手を緩慢な動作で払いのける。
「アルガスを探しに行く」
「今のあなたには無理よ。もう戦えない。さっきの魔法で精神力も体力も使い果たしているんだから」
「だが、今のあいつを一人にするのは危険だ」
 イリアは鋭い目つきで自分を見つめる。イゴールも負けじと、相手の青紫の瞳を見つめ返した。無言のにらみ合いの後、根負けたのはイリアだった。
「わかった。わたしが探してくるから、イゴールはここで休んでて」
 彼女は右手に棒状の物をのせると、こちらが反論する間も与えず身を翻し、壁際を移動して奥の通路に消えた。手慣れた感触に目を向けると、自分のロッドだった。先端についた黄色の宝玉が鈍い光を放っている。イゴールは落とさないようそれをベルトの金具に固定し、再度、立ち上がるべく努力をする。だが、意思に反して一向に身体は言うことを聞いてくれない。立ったと思った瞬間に両足は空を回り、床にへばってしまう。
 イゴールは唇を噛みしめた。精神力のみならず、体力までこんなに消耗するとは想定外だった。練習ではうまくいっていたのに、実戦ともなると勝手が違うらしい。
 仕方ない。奥の手を使うか。
 イゴールは腰回りのポーチをまさぐり、魔法薬の小瓶を取り出す。回復魔法や魔法薬を立て続けに使用することは、身体がもつ自然治癒能力を低下させる恐れがあるという説がある。割と信憑性の高い説らしく、ジャック教官も連続使用は避けるよう言っていた。だが、今は動けるだけの体力を回復させる方が先決だ。イゴールは封を切って、一気に中身を飲み干した。口内を満たす独特の苦みに吐き気がこみ上がってくるが、かろうじて堪える。
 苦しみに耐えた甲斐はあった。身体の中に力強い何かが宿る。
 イゴールはゆっくりと立ち上がり、イリアの後を追った。
 彼を突き動かすものは、胸をよぎる漠然とした不安。
 そして、この作戦が始まって以来、ディリータと目を合わそうとしないアルガスの態度に対する不審だった。


 イリアは前後左右に気を配りながら、薄暗い石造りの通路を歩いていた。
 彼女は他の仲間達を違って接近戦は苦手だ。身を守る程度の体術は習得しているが、敵に力で押さえ込まれると抵抗の術はない。右手に武器――ロッドはあるが、所詮二十センチほどの棒でしかない。剣での攻撃をこれで受け流すなんて芸当は出来ないし、矢の攻撃に対しては無防備そのものだ。正直、頼りないことこの上ない。だが、ないよりはマシだろう。それに今持っているロッドは、先端の宝玉に雷の魔法力が込められている。振り下ろした瞬間、込められた魔法力が開放され相手に裁きの雷を下ろすこともできる。問題は、その発動が完全にランダムな点だが…。
 ―――間違えてアルガスに振り下ろさないように気をつけないと、ね。
 イリアは一瞬苦笑いを浮かべたが、即座に表情を改める。通路の前方に大人が一人通れるほどの穴が四つあった。中に伏兵がいるかもしれない。イリアは足音を立てないよう近寄り、ロッドを構えて一番手前の穴をのぞき込んでみた。
 石造りの小さな小部屋だ。天井は半分以上崩れ落ちており、雨が室内を濡らし、天を走る雷光が青白い明かりを一瞬だけ提供する。壁の左右には木造の棚が並び、金属製の箱が収められているが、埃とカビにまみれていた。五十年戦争によって治安が乱れる前は、この建物は灯台として利用され、海を航海する船の安全を守っていたという。これらの物はその名残なのだろう。
 イリアは順次部屋を調べてみる。
 二番目のは天井が完全に崩れ雨風が吹き荒れており、最初に調べた部屋と似たような状況。
 三番目のは屋根と雨戸がある分、先程のよりだいぶ部屋としての体裁を保っている。人一人寝られるだけのベットと小さな棚が置かれているだけの狭い部屋。ベットには白いシーツが敷かれ、粗末な毛布が乱雑に畳まれている。どちらも、建物の古さに不釣り合いな新しさ。ここを根城にしている骸旅団の誰かがこの部屋を利用しているのだろう。
 最後の穴をゆっくりとのぞき込む。イリアの目に人の形をした黒い影が飛び込んできた。彼女が穴から飛び退きロッドを構えると同時に、人影をなしている人物が振り返った。辺りの青い闇と同系色の戦闘服を着込み、淡い金髪と見る者を射るような鋭い水色の瞳を持つ騎士見習い。探していたアルガスだった。
「なんだ、お前か」
 ぞんざいな口調がイリアの癪に障った。
「なんだはないでしょう、せっかく探しにきたのに! それと、勝手な行動はしないで。イゴールが心配してたよ」
「イゴール?…ああ、あいつね」
 妙な含みを帯びた口調が、なぜかイリアの頭にカチンと来た。だが、当のアルガスはこちらの感情に気づかず、話題を変えてくる。
「余計な世話だと言いたいところだが、ある意味、丁度良かった。お前、火炎魔法使えたよな?」
「えっ? ええ、中級までなら使えるけど。でも、雨降ってるから効果は薄いよ」
「屋内でもそうなのか?」
「そうよ。天候が雨だと空気が湿気るから、燃焼しにくいのよ。さっき、あなたがふたつの火炎魔法を喰らっても、重度の火傷にはならなかったでしょう? ずぶ濡れの外套を着ていたおかげもあるけど、そういう訳でもあるの。逆に、雷撃の魔法だったら雨天時は増幅される。サンダーの魔法を二つも喰らっていたら、やばかったかもしれない。敵が黒魔法の性質について詳しくなくて、正直助かったわ」
 自分で言っておいて、イリアは最後の言葉に引っかかった。
 アルガスに火炎魔法を浴びせた二人の敵。両者とも白いローブをまとった女性で、白樫で作られた身の丈ほどある杖を装備していた。典型的な白魔道士の格好といえる。戦場においては後方支援や治療が専門の白魔道士が、なぜ、戦いのど真ん中に出て、専門外の黒魔法を唱えていたのか。リーダー格の女性騎士を白魔法で援護する方が、本来の力を発揮できるはずなのに…。
「つまり、燃えるものがあれば普通と同じ効果を発揮するって事だよな? じゃあ、問題はない。これから薪を用意するから、準備しといてくれ」
 そう言ってアルガスは部屋の中央へと入っていく。イリアは物思いを中断し、彼の後に続いて室内に足を踏み入れた。薄暗い部屋の状況を確認し、イリアは息を呑む。
 室内は今まで見たどの部屋よりも広く、そして、清潔で埃やカビの匂いがしない。丁寧に掃き清められた石造りの床。割と高い天井。正面に備え付けられた棚。その上に置かれた木箱とランプ。部屋の壁際に並列に置かれた三つのベット。
 彼女が驚いたのは、それらの家具にではない。それぞれのベットには人が横たわっていたからだ。苦悶の表情を浮かべて、浅く荒い呼吸を繰り返す三十代後半の男性。右目を重点的に顔の半分を包帯で覆い、両足に添え木をしている年配の男性。そして、死体かと見まごうほど青白い顔で眠っている二十代後半の青年だった。
「ひどいケガ。これはいったい…」
「ラーグ公の仕業だよ、お嬢ちゃん」
 ただ一人意識がある年配の男性が、身体を起こして静かに答える。イリアは頭を振った。
「嘘よ。捕虜に対する残虐な行為は禁止されているはずだわ!」
「それは、北天騎士団の規則だろう。やつ直属の近衛騎士団には関係ないというわけさ」
 穏やかな口調とは正反対に、相手のただ一つの瞳には怒りの炎が宿っている。イリアは喉から半分以上でかかった反論の言葉をのみ込んだ。
「君たちがここに来たということは、ミルウーダ様はやられたのか?」
「答える義務はないし、必要もない。どうせ、お前らもすぐ死ぬんだからな」
 冷たく宣告するアルガスの声に、イリアの背筋に悪寒が走る。彼は腰に帯びた剣を鞘から抜いた。青い闇の中で白銀の刃が微かに光を放った。
「な、何をするのよ、アルガス!」
「何って、オレはさっき言っただろう。薪を用意する、と」
 アルガスは剣の切っ先をベットに横たわる傷病人に向ける。イリアは否応なしに彼の言う『薪』が何を意味しているのかを知ってしまった。
 抜き身の刃を携えて、アルガスはゆっくりとベットへと歩を進める。イリアは止めるべく彼とベットの間に割り込んだ。
「あなた、なに考えているの!? 相手は戦う意思も力もない傷病者よ。無駄に殺害する必要ない!」
 アルガスはイリアの顔を凝視し、やがて、酷薄な笑みを浮かべた。
「そう言うお前こそ、なに考えているんだよ。オレ達に下った命令は『骸旅団の殲滅』だ。例外はない。そうだろう?」
「そ、それはそうだけど。でも、だからと言って…」
「第一、こいつらを看病していた奴らは、全員あの世行き決定。こいつらは手当を受けられず、そのままここでのたれ死にという寸法さ。だったら、今、ひと思いに殺してやるのが慈悲ってものだろう? ご丁寧に火葬までしてやるんだ。家畜には過ぎた待遇だぜ」
 アルガスは本気でそう思っている。今まで見たこともないような冷酷な笑みを浮かべ、鋭い水色の瞳は剣呑なものを宿していた。イリアには、彼が冗談を言っているようにはとても感じられない。
 アルガスは本気で口に出した言葉を実行しようとしている。ゆっくりと自分との距離を詰める。左手にあるのは、死を運ぶ抜き身の刃。右手でそこを退くよう指示する。
 目眩と頭痛がする。気持ちが悪い。
「ほら。さっさとどけよ。いつまでもそこにいるとケガするぞ」
 迫り来る白刃に、両足が震える。少しでも力を抜けば、その場にへたり込んでしまいそう。だが、それでも、こんな理不尽なことを認めるわけにはいかない。
 イリアは一歩も動かず、激しく頭を振った。
 青紫の瞳と水色の瞳がぶつかり合う。先に視線を逸らしたのはアルガスだった。彼は大きなため息を吐く。
「仕方ない、か」
 諦めてくれたのかなとイリアが思った瞬間だった。左側面から衝撃がきて、彼女の身体は真横に吹っ飛んでいた。背中に何かがぶつかり、激痛が走る。
「イリア!」
 前方から飛び込んできた、聞き覚えのある声。彼女はとっさに助けを求めていた。
「とめてぇぇぇ!」


 まだ多少ふらつく身体を引きずるように通路を歩き、人の声がする部屋の様子を伺う。イゴールの目に飛び込んできたのは、イリアの小柄な身体を素手で殴り飛ばすアルガスの姿だった。受け身をとることなく、彼女は背中から壁に激突する。とっさに名前を呼ぶと、彼女は悲鳴を上げた。
 その悲鳴が慟哭にかわる中、惨劇は繰り広げられた。
 アルガスがベットに横たわる病人に、次々と剣を突き立てていく。
 室内にこだまする、複数の断末魔の声。
 壁に、天井に、飛び散る赤黒い液体。
 何度嗅いでも慣れない、さびた鉄のような血のにおい。
 ベットの縁からぽたぽたとこぼれ落ちる赤黒い滴。
 どこか現実味がなく、趣味の悪い戯画を見せられているような気分だった。
「なんだ、お前もきたのか。確か、あんたも火炎魔法使えたよな?」
 惨状を作り出した人物は、この場に不似合いな気楽さで自分に話しかけてくる。
 返り血を浴びた濃紺の戦闘服。彼の手にある血まみれの長剣。その人物が近づくにつれて、血のにおいが濃厚になる。
 これらの事実が、目の前の出来事は冷厳なる現実であると告げていた。
「薪が出来たから、ぱーっと燃やしてやってくれ」
「たきぎ?」
 口から漏れたのは、自分のものとは思えない、しわがれた声だった。
「ああ。あいつら、よく燃えるだろうよ」
 アルガスはそう言ってベットに横たわる死者に目を向ける。彼らに対する哀惜の念なぞ全くない、物をみるような無機質な視線。床にへたり込むように座っているイリアが、アルガスの態度に身体を硬直させた。
「じゃあ、頼むよ。オレはラムザの様子を見てくる」
 一閃させて血糊を落としてから剣を鞘に収めると、アルガスは部屋から出て行った。遠くで舌打ち音と共に、「ちぇ、服が汚れてしまったな」という声が聞こえた。
 イゴールは時を忘れて呆然とその場に立ちつくしていたが、すすり泣きの声に我に返った。床に座り込んで両手で顔を覆っているイリアに近づく。
「イリア、大丈夫か?」
 間抜けな問いかけだ、と自分でも思った。大丈夫なわけがないのに。だが、他に言うべき言葉が思いつかなかった。
 それでも、彼女は微かに首を縦に振った。
「ここから出よう。立てるか?」
 今度は首を横に振る。イゴールは彼女の手を取ろうとするが、イリアは両手で顔を隠したままだ。嗚咽と共に、指の隙間から透明な液体がいくつもこぼれ落ちる。
「失礼するよ」
 イゴールは彼女の背中と両膝の裏に手を入れ、小柄な身体を抱き上げた。一瞬、身体がぐらりと傾いたが、かろうじて堪える。なるべく彼女に振動を与えないよう慎重に歩く。
 胸くそが悪くなる場所から通路にでると、イゴールはホールには戻らず、隣にあった部屋に向かった。
 今のイリアに戦いの音は聞かせたくなかったから。
 そして、なにより、アルガスの顔を見たくなかったから…。

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