凶報(1)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第十章 凶報(1)

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 どんなに厚い暗雲でも、いつかは風にながれて地平線の彼方に消える。
 そして、日中ならば太陽の輝きが、夜ならば月星の煌めきが、天を満たし地を照らす。
 天に留まり続ける暗雲は存在しない。
 沈まない太陽がないように。明けない夜がないように。
 それは自然の摂理であり、自明の理でもある。
 ところが、人間の胸の内に宿った暗雲となると話は全く異なってくる。

 無知。驕慢。怯懦。憎悪。嫉妬。
 誰もが嫌悪し、醜いと否定する負の感情。
 だが、人として存在し生きていく以上、必ず体験する感情でもある。
 避けて通ることは出来ない。
 これらの感情を宿す契機となる出来事は、唐突にやってくるからだ。
 ある者は受け容れ、それらの感情で胸を満たすだろう。
 ある者は、否定するための方法を模索するだろう。
 どちらが正しいか、どちらが間違いか、単純に判断することは出来ない。
 個人がもつ価値観に基づき、簡単に判断を下すこと。
 それこそが、また、無知の現れでもあるからだ。

 一人の人間によって引き起こされた惨状。流れた血。はき出された暴言の数々。
 その場にいた六名の少年少女たちは、程度の差はあれど、各々の胸の内に重苦しい感情を宿してしまった。
 黒い雨雲が東に流れ、陽光が帰路につく彼ら彼女らを優しく照らす。しかし、雨に打たれた身体を癒すには十分だったが、胸にある感情を氷解するには役不足だった。
 野宿でこしらえる簡潔な野営料理。空腹を満たすだけで、心を満たすまでにはいかない。
 モンスターよけの火を絶やさないよう交代で見ながら、休息をとる。不自然に訪れた忘我の時に望んで飛び込んだ者、期待していた睡魔は訪れず一睡もできなかった者、自己暗示で無理矢理仮眠をとった者。精一杯寝心地を追求したテントの中で横になってからの経過は人それぞれだったが、全員に共通していえることは、肉体的疲労は回復したが精神的疲労を癒すまでには至らなかったということだった。
 不信。疑惑。そして、迷い。
 様々な感情が複雑に絡み合い、暗雲が胸の内で沸き続ける。
 それを吹き払う力強い風は訪れず、それを引き裂く閃光ももたらされない。
 微かにではあるが確かな煌めきを秘めていた想いも、黒いもやに覆われ、曖昧なものへと変わっていく。
 迫り来る暗雲にのみ込まれる事に恐怖し、止める術を求めて、彼ら彼女らは馴染みのある世界――成都イグーロスを目指した。
 そこで彼ら彼女らを待っていたのは、一条の光明ではなかった。
 ベオルブ邸が骸旅団に襲撃され、ダイスダーグの他、数名の死傷者がでたという凶報だった。


「ダイスダーグ兄さんが…」
 ラムザの顔から血の気がみるみる退いていく。ディリータも顔を引きつらせる。城門前で警備の任に就いていた兵士は、あわてて認識を訂正した。
「ダイスダーグ卿は重傷を負われたとのことですが、幸い、命に別状ありません。ご安心下さい」
「そう、ですか」
 その知らせに、ラムザとディリータのみならず四名の候補生達も胸をなで下ろす。候補生達にとっては一度会っただけの人物だが、見知らぬ人でもない。暗殺の憂き目にあったと聞かされて何も感じないほど、非情ではない。また、最悪の事態を想定していた仲間の不安がひとまず解消されたことを、我が事のように喜んだ。
「つきましては、ベオルブ候補生とハイラル候補生の両名をベオルブ邸に向かわせるよう卿から言いつかっております。あちらの馬車のお乗り下さい」
「俺…私もですか?」
 ディリータが思わず問い返す。
 家長の重傷という事態に呼ばれるのは血縁者のみ。それが普通だ。いくら縁があるとはいえ、自分はベオルブに連なる者ではない。アルガスに指摘されるまでもなく、ディリータ自身がそう自覚していた。身内のみならず使用人にも、公私の分別をつけるよう厳命するベオルブの若当主によって。
 その彼が、弟のラムザのみならず、自分をもベオルブ邸に呼ぶ。しかも迎えの馬車付きで。ディリータにはどうしても、その事実が信じられなかった。
 四十代の兵士は、一介の候補生に命令の意義を問いただされるという非礼を気にもせず、「そう命令されています」と簡潔に答えた。
 命令ならば仕方ない。何より、ラムザの表情がほんの少しだけ明るくなったのを見たからには、同行を拒否できるわけがなかった。
「ディリータ、行こう」
「ああ、わかった」
 先に馬車にのるよう目で訴えるラムザに従って、ディリータは客席に座る。ラムザは証書をイゴールに手渡し後事を託してから、馬車の乗り込んできた。彼が席に着くと同時に扉は閉められる。御者が一定の意味を込めて手綱をとると、命令に忠実な騎獣は馬車を牽きながら軽快に走り出した。イグーロス城から北東にあるベオルブ邸に向かって。
 土煙を上げて走り去っていく馬車が視界から消えた頃、兵士はもう一つの命令を伝えた。
「ランベリー近衛騎士団所属の見習い騎士アルガス・サダルファス殿には、帰還次第、登城するよう命令が下っています。こちらが通行手形です」
 アルガスは無言で受け取ると、残った四名の候補生に一言も挨拶せず城門をくぐっていった。腹立たしい態度ではあるが、彼ら彼女らは奇妙な安堵を覚えた。おそらく、彼を見る度に二度と思い出したくもない惨状が、暴言の数々が鮮やかに蘇るからだろう。
 残された四名に下った命令は、兵舎で任務報告の後、そこで待機することだった。不快な人間が目の前からいなくなったことで気は楽になったが、胸のわだかまりが消え去るわけではない。彼ら彼女らの足取りはここでも重く、やはり沈黙しがちだった。

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