罠(2)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第四章 罠(2)

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 市街地の北端に形成されたという貧民窟は、悲惨ものだった。
 舗装もされておらず、赤茶色の土が丸出しになっている道。所々にある水たまりは淀んだ緑色をしており、腐臭が漂う。あちこちに無尽蔵に建てられた、粗末な造りの木造の家屋。
 そこで暮らす人々の姿も悲惨だった。炉端に座り、その日の糧を得るため他人の慈悲を請う者。ゴミとしか思えない残飯を巡って争う者達。彼らの淀んだ、虚ろな目。
 市場が建ち並び、活気に溢れる大通りとは全く異なる世界があった。


 時折すれ違う住民の痛い視線を感じながらも、一行は情報屋が書いた雑な地図を頼りに、スラム街を歩き続けた。
「酷いものね」
 ぼろぼろの服を着ているやせ細った幼子の姿を垣間見、マリアはたまらず視線をそらした。
「全くだな。話には聞いてたが、ここまで酷いものとは知らなかった」
 疲弊しきったイゴールの声が続いた。アデルが静かに呟く。
「百聞は一見に如かず、か」
「なに、その言葉?」
 イリアが興味深げに尋ねる。
「お袋の国のことわざらしい。確か、人に何度も聞くよりは実際に実物を見た方が早いという意味だったはずだ」
「まさに、その通りだね」
 吐息交じりにイリアがつぶやく。
 地図を片手に先頭を歩いていたディリータは背後の会話に無言で賛同し、頭上を見上げた。彼にしてみれば何気ない仕草だったが、結果として自分達の身を救った。雨雲が覆っている灰色の空を引き裂くように、こちらめがけて飛んでくる金属の光を幾つかとらえることが出来たからだ。
「散れッ!」
 ディリータの叫びに、全員が過不足なく応える。
 先程まで立っていた場所に数本もの矢が突き刺さる。いくつもの風きり音がしたかと思うと、立て続けに矢の雨が降り注ぐ。騎士の卵たちはとっさに建物の陰に身を隠した。
「囲まれているぞ」
「弓使いが3、 魔道士1、リーダーらしきナイトが1、剣士らしき男が後ろに2だ」
 アデルが冷静に指摘し、イゴールが優れた視力で敵の数を確認する。
 ―――罠か。
 ディリータは胸中で呟いた。

***

 ラムザは当惑の表情で自分を呼び止めた男をみつめていた。
 四十ほどの成人男性と思われるのだが、彼の身長は自分の胸くらいまでしかなかった。あまり整っているとはいえない顔はなぜか真っ赤で、言葉はたどたどしく、要領を得ないものだった。だが、彼は必死に何かを訴えているようだった。
 ラムザは意思疎通を図るための努力をする。
「あの、貴方は僕の名前を知っているんですね?」
「へっ、あ、はい」
 中途で遮られたにもかかわらず、男は嬉しそうに頷いた。
「誰に聞いたのですか?」
「ああ、えっと…教会前にいた女の子二人」
「二人だけですか?」
「他にも四人、男がいた」
「なんだ、みんなここに来てたのか。で、彼女たちは何と言ったのですか?」
「そ、それは…」
 男は口ごもり、うつむく。小さな体がますます縮こまる。ラムザは幼い子どもを相手にしているみたいだなと感じた。膝をついて目線をあわせる。男の黒色の瞳をみながら、穏やかな口調で尋ねた。
「何と言っていたのですか? 教えてください」
 男はラムザの顔をじ〜っと凝視したかとおもうと、急に大粒の涙をながし始めた。
「だめだ!あんた、確実に奴らに殺される。オレにはがまんできねぇ。さっさと逃げてくれ」
 男は強い力でラムザの肩を揺さぶり、腕をつかみ走り出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください。殺されるってどういう事ですか」
 その手をかろうじてふりほどき、詳しい説明を求めた。男は堰を切ったかのように勢いよく話し出した。
「オ、オレ、本当は骸旅団の一員なんだ。最近北天騎士団のやつらがこの辺をうろちょろしているから、怪しいやつにアジトを教えるといってスラムへ連れて行くのが仕事だったんだ。ついさっき、教会前にいた貴族のガキどもを案内した。でも、一人仲間がいるからって、オレ、伝言を頼まれた。すんごい美少女だから、すぐわかるっていわれた。そしたら、やってきたのはオレが今まで見たこともないような美人さんで、しかも、オレのようなぶ男にまで優しい言葉をかけてくれた。オレ、お前さんに惚れたよ。ガキどもの後を追ったら、あんたも殺される。そんなのいやだから、一緒に逃げよう」
 ラムザは二つの事に愕然とした。
 一つは、ディリータ達が骸旅団に殺されるかもしれないということ。
 もう一つは、女の子に間違われ、かつ、同性に告白されたことだ。
 頭が真っ白で何も言えない彼を、男は逃げることに同意したと勝手に解釈したのだろうか。腕をとって駆け出そうとする。
 ラムザは反射的にその手を払いのけた。
 突然石畳に転がされ、後頭部に走る鈍い痛みを堪えて立ち上がろうとした男の視界に、突如、抜き身の刃が映る。
「今から言うことをよく覚えておけ。僕は男だ。次に、僕の名はラムザ・ベオルブ。ベオルブの名を継ぐ者の名誉にかけ、友を見捨てて逃げるなんてことはしない。わかったら、さっさと彼らの所に案内しろ」
 先程とは全く異なる命令口調。睨む瞳は、真冬の黄昏時の空のように冷たく、峻厳。容赦なく襲いかかってくる目の前の人物からの怒気。
 顔面から血の気が引くのを実感しながら、男はしわがれた声で承諾の言葉を紡いだ。

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