初陣(2)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第一章 初陣(2)

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 激しい雨音。
 鉛色の空を切り裂く、稲妻。
 その日は、季節はずれの雷雨だった―――。


 猛スピードでイグーロスの町中を走り抜ける馬車。
 僕は一人客席に座り、祈っていた。
 一刻も早くベオルブ邸に着くことを。
 最後の別れに間に合うことを。
 到着を知らされると、御者に感謝の言葉を言うのも忘れて馬車を飛び降り、玄関の扉を力任せに開けた。大広間には乳母のマーサが控えていて、僕に気づくとすぐ駆け寄ってきてくれた。「旦那様の寝室です」という彼女の言葉を耳の端に入れつつ、全力で走る。今日ほど本館の広さを呪ったことはなかった。もどかしい思いをしながら階段を駆け上がり、廊下を走り抜け、目的の部屋にたどり着く。目の前の重厚な胡桃材の扉を力任せに開いた。
 部屋の中央におかれたベットに横たわり、瞼を閉じている父さんの姿。沈痛な表情のザルバッグ兄さん。静かに涙を流す妹のアルマ。一瞬、遅かったのかと思った。
「父上!」
 背中を向けるように立っていたダイスダーグ兄さんが、振り返った。
「騒々しいぞ」
 たしなめる兄の声に促されるかのように、ベットに横たわる父さんが薄く目を開いた。灰色の瞳が僕の姿をかすめた。
「よく、来てくれたな…。よく…顔を見せてくれ」
 望むままに、父さんの枕元へ近寄る。
 痩せこけた頬。目の下の濃い隈。白くなってしまった髪。日に焼けて小麦色だった肌は長年の病床ゆえか、つやをなくし青白くなっている。変わり果てたその姿に、死相という言葉が脳裏をよぎった。胸がズキリと痛む。
「父上」
「久しぶりだな…いい面構えになったぞ…。学校はどうだ…? 春からはアカデミーだな」
 学校のこと、背が伸びたこと、剣術の腕が少し上がったこと。アカデミー入学の準備をしていること。
 話したいこと、聞いてほしいことは山のようにあった。でも、うまく言葉にできない。ただ、無言で頷くことしかできなかった。
 父さんは手を僕の方へ伸ばした。小刻みに震えている。震えを止めるように優しくその手を握りしめた。暖かく大きかった手。だけど、今は氷のように冷たく、骨ばっていた。
「よいか、ラムザ…。我がベオルブ家は…代々王家に…仕える武門の棟梁…。騎士の魂は我らと共にある…。ベオルブの名に恥じぬ騎士になれ…。不正を許すな、人として正しき道を歩め…。おまえはおまえが信じた道を…歩むのだ…。それが、……ベオルブの名が示す真の騎士道だ…」
 とぎれとぎれの父さんの言葉。力強い意志が込められた灰色の瞳をみて、僕は理解した。
 これは父さんの最後の教えであり、そして、願いであると。
 僕はその言葉を反芻し、心に刻み込み、守ることを誓った。
「はい、父上」
 決意の強さを示すようにその手を両手で包むように握る。わかってくれたのだろうか、父さんは嬉しそうに目を細めた。
「ディリータはいい子だ。身分は違うがおまえの片腕として役に立とう…。士官アカデミーへの入学手続きをとっておいた…。ふふふ…、学長は目を丸くしていたがな…。生涯お前に仕える味方となろう…。仲良くな…」
 アルマのすすり泣きの聞こえる。妹に感応するよう僕の両目から暖かいものが流れ、頬をぬらす。父さんの姿が霞んできた。
「は、はい…。父上」
「アルマを頼んだぞ」
 不意に、父さんは僕の手を突き放した。泣くな!と叱責しているように感じた。袖で乱暴に顔をぬぐい、まっすぐ父さんの姿を見る。父さんはかすかに笑ったように見えた。
「兄たちに負けぬ騎士になれよ…ラムザ…」
 父さんはゆっくりと瞼を閉じた。腕が力なくベットにぽとんと落ちる。
「お父様?」
 ダイスダーグ兄さんが無言でベッドに歩み寄り、父さんの首筋に手をあてる。十秒ほどの沈黙を置いて、兄さんは首をゆっくりと横に振った。
 その仕草の意味はすぐにわかった。
 ―――父さんは眠ったんだ。
 もう永遠に目覚めない。母さんと同じように―――。
 稲妻がどこかに落ち、部屋の中を一瞬青白く照らす。激しい雨音が今頃僕の耳にはいってきた。アルマの泣き声を聞きながら、僕は顔を伏せた。瞬きをせず、床の一点をみつめる。目がからからに乾ききってから、はじめて瞼を閉じた。


 ラムザは瞼を開いた。
 そこには、父の姿も、兄たちの姿も、そして妹の姿もなかった。目に入ったのは薄闇に包まれた木目調の天井。見慣れた士官アカデミー寄宿舎の自室のものだった。体を起こし、現実を認識する。そして、過去の出来事を夢としてみていたのだと理解した。
「あのときの夢か…。久しぶりに見たな」
 隣のベットでなにやら音がする。
 起こしてしまったかと焦ったが、ディリータはなにか寝言を言って静かな寝息に戻った。
 ほっと安堵し、ベットから降りる。
 目が冴えて、もう一度ベッドに潜り込む気にはなれなかった。
 室内はまだ薄暗いが、目が闇に慣れた今では特に支障がない。寝間着から普段着に手早く着替え、厚手の上着を羽織る。寝癖を適当に手櫛で直し、長い髪を紐で一つに結わえ、ブーツを履く。身支度はできた。寝台の脇に置いていた真剣を手に取り、部屋の扉を開け、後ろ手でゆっくりと閉めた。
 足音を立てないように廊下を歩き、階段を下り、勝手口から寄宿舎の外へと出る。外は夜明け前の青い闇に包まれており、身を切るような冷たい風がラムザを襲った。上着を体に引き寄せながら、彼は歩き出した。寄宿舎の外れにある林を抜け、小高い丘へと至る。
 ここはラムザのお気に入りの場所の一つだった。ガリランド市街が一望でき、時間さえあえば、朝焼け色に染まる町並みを眺望できるからだ。
 空模様から判断するに、絶景が見られるまでまだ少し時間があるようだった。夜風に冷えた体を温めるため、いつもの通り体を動かすことにする。上着を脱ぎ、風で飛ばされないようその辺に転がっていた石で地面に固定し、剣を抜。鞘を上着の上において、素振りを始めた。
 剣が風を切り、空気を裂く音が動きに追随する。
 ラムザは最初素振りの回数を数えていたが、次第に忘れていった。
 精神が研ぎすまされ、無心になるこのときが好きだった。
 不意に、誰かが小枝を踏みつける音が耳に入る。視線を巡らすと、バツの悪そうな顔をしたディリータがいた。右手に彼愛用の剣を、左手には柔らかそうなタオルを二枚持っている。
「邪魔してすまないな」
「いや、いいよ」
 ラムザはもう十分暖まったからと呟き、おいていた鞘を取り剣を納めた。
「タオルくらい持って行けよ。風邪引くぞ」
 ディリータが呆れるような口調で一枚を投げてよこす。ラムザはそれを受け取ってからはじめて自分がかなり汗をかいていることに気がついた。汗も拭かずに帰れば、寄宿舎の部屋に着く頃には冷えて凍えていたかもしれない。彼に感謝の言葉をいい、タオルで汗を軽く拭き、上着を羽織った。
 一段落して、ラムザはふと疑問に思った。
 ―――どうして、彼までこんなに早起きなのだろうか?
「ディリータ、ずいぶん早いね。どうかしたのか?」
「…ちょっと早く目が覚めただけだ。お、いい景色じゃないか!」
 ディリータは眼下に広がる景色を見て感嘆の声を上げる。
 そのとき、空も大地も建物も全てが薔薇色に染まっていた。自然と人工物が一体となって、一つの美しい景色を生み出す。
「このときが一番きれいなんだ」
「確かに、綺麗だな」
「ここは、隠れたデートスポットらしいよ。知ってた?」
「知らなかった」
 呆然とディリータが呟く。
 ひとつ幼なじみに勝てたことに、ラムザは心の中でガッツポーズをとった。
「ちょっとまて! お前、誰かとデートしたのか?!」
「一度、この時間に来たら先客がいた。仲むつまじいカップルが、ね」
「なるほど、なるほど」
 ディリータがわざとらしく首を何度も縦に振る。なぜか、腹立たしく思えた。
「それ、どういう意味?」
「俺に彼女がいないのにお前にはできたなんて思った俺の考えが、勘違いだとわかってよかったってことだ」
「あっそ」
 薔薇色だった世界に金色が混じり始める。
 地平線から放射状に差し込む太陽の光。
 眼下に広がる建物の群れが金と闇に彩られ、光と影ができる。
「なあ、ラムザ」
「なに?」
「手合わせ頼んでもいいか?」
「わかった。手加減はしないでよ」
「お前こそ」
 ラムザは上着を脱いで枝にタオルと共にかけた。振り向くと、ディリータも上着を抜き、身軽な格好になっていた。
 両者はほぼ同時に剣を抜いて、身構える。
 ラムザはまっすぐ相手の榛色の瞳をみつめ、彼の出方を窺う。
 ディリータも考えを読み取るように、相手の青灰の瞳を見つめた。
 肌寒い風が吹き、梢が揺れる。木々のざわめきが辺りに響き渡る。
 ラムザはその瞬間、一気にディリータに詰め寄った。彼の側面に対し、自分が出せうる最速の速さで剣を振り下ろす。だが、寸前で幅広の彼の剣に阻止された。金属音が鳴り響く。ラムザはすぐさま次の行動に移した。水平に半円を描くように剣を一閃し、ディリータの胴をなぎ払おうとする。が、これもまた絶妙な角度でだされた剣によって阻止された。
「見事な防御だね、ディリータ」
「お褒めいただき、ありがとうよ!」
 幅広の剣と細身の剣が交じり、鍔迫り合いとなる。拮抗する二つの刃。ラムザはわざと力を緩めた。予想外のところで拮抗が崩れたためか、ディリータはわずかに体勢を崩す。その隙を逃さず、右足で彼の向こうずねを蹴飛ばした。急所を蹴られ、背中から地面に倒れた彼の喉元にラムザは剣の切っ先をあてた。
 ディリータは目前の剣の先端をじっとみてから、参ったと呟いた。ラムザは剣を引き、鞘に収める。ディリータはすねをさすりながら、
「本気で蹴飛ばすなよ。かなり痛いぞ」と抗議してきた。
「あ、ごめん。見せて」
 そこは内出血しており、かなりの広範囲で青あざになっていた。ラムザは患部に手をあて、おまじないをかける。発動が収まり、手を離すと元通りの小麦色の肌になっていた。
「おい、いいのか? 戦闘中以外で癒しの技を使うのは禁止されているんだぞ?」
「構わないよ。ばれなければいいんだから」
 ラムザがにっこり笑って口止めを要求する。こう言われると、何も言えないディリータだった。差し出された手を借りて体を起こす。鞘に剣を収め汗を拭いていると「お腹すいたなぁ」というラムザの呟きが耳に入った。マイペースな彼の態度に、笑みがこぼれる。
「そろそろ食堂も開いているだろう。部屋で着替えてから、飯にしようぜ」
「うん、行こうか」
 二人並んで、寮への道を戻る。
 他愛のない話をしながら、朝日を浴びる林の小道をゆっくりと歩いて。
 このとき、二人の歩む道は同じだった。

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