震え>>第二部>>Zodiac Brave Story

第八章 震え

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 王国歴四五六年金牛の月一八日の朝、ザランダとライオネルのほぼ中間に位置するエルハイヤ村にて、予期せぬ事実が発覚した。
 第一発見者はラムザである。
 日課である早朝稽古を終わらせると、彼は、もう一つの日課をこなすべく宿に併設されている小屋へ向かった。
 木製の扉を押し開けば、チョコボが醸し出す独特の臭気が鼻腔一杯に広がる。
 その匂いにラムザは一瞬顔をしかめ、次の瞬間には己の心に浮かんだ感情を恥じた。表情を消し、扉を丁寧に閉める。右側に居並ぶチョコボ達を横目に小屋を横断し、最も奥に佇む騎獣の前でラムザは足を止めた。
「おはよう、ボコ」
 クエーと元気よさそうな鳴き声に、ラムザの目元が和やかに緩む。
「久しぶりに屋根のある場所で寝られて、君もご機嫌みたいだね。よかった」
 黄色い羽毛に包まれた頭を撫でれば、つぶらな瞳がうっとりを幸せそうに細められた。
「朝食をとったらここを出立するから、そのつもりで頼むよ――って、ん?」
 不意に視界の端を掠めた白の色彩に、ラムザは眉をひそめた。凝視すれば、チョコボの右足の近くに藁の小山できており、ゆるやかな丸い先端を有した白いものが僅かに顔を覗かせている。
「こんなの昨夜はなかったな。なんだ?」
 チョコボと自分とを隔てている柵をしゃがんで通過し、チョコボの脇を通り抜けて藁の小山の近くに腰を下ろした。慎重に両手で藁をかきわければ、人の顔ぐらいの大きさを有する、楕円形の白い物体が現れる。ラムザは目を見張った。
「たまご!?」
「クエェー!」
 誇らしげな鳴き声が、ラムザの指摘を肯定した。


「ボコが今朝、卵を産みました」
 ラムザがチョコボ厩舎での出来事を切り出すと、朝食の席は騒然となった。
「えぇ、あのチョコボ、メスだったのか! ボコって呼んでるからオレはてっきりオスだと…」
 真っ先にムスタディオが驚きを顕わにし、
「ふつうそう思うよな」
 彼の隣の席に座るアデルが、神妙な顔で頷く。
「ってことは、アデルはメスだって知ってたのか?」
「いや、俺もオスだと思っていた」
「じゃ、なんで『ボコ』なんて名前を付けたんだよ」
「ムスタディオ、あのチョコボの名付け親はラムザよ」
 マリアの指摘に、ムスタディオは好奇に満ちた視線をラムザに向けた。
「なんでだ?」
 強い視線を感じてラムザが食卓を見渡せば、じっと見つめてくるのはムスタディオだけでなかった。アデルにイゴールも、マリアとイリアも、そしてオヴェリアさえも、視線を送って疑問が解決される瞬間を待っている。
 ラムザはスープにくぐらせかけていた匙から手を離した。
「なんか、ボコっていう顔をしていたから」
 抽象的な答えに、ムスタディオは「どんな顔だよ、それは!」と内心でツッコミを入れ、アデルは「わけわからん」と感想を独語する。イゴールは「本人も説明できないんだな」と冷静に分析し、マリアは「変な所でのほほんとしているのは士官アカデミーの頃と変わってないわね」と懐かしがり、オヴェリアは「そういう考え方もあるのね」と素直に受け止める。そして―――
「うん、確かにボコって顔をしているかも」
 と、イリアだけが心からの同意を示した。
「女の子だからこれからは『ボコちゃん』と呼ばないといけないね。う〜ん、でも、ちょっと言いにくいか。もう少し可愛らしい名前に改名すべきかな。だったらどんな名前が良いかな」
「ねえ、イリア。さしあたり問題にすべきことは別だと思うわよ」
 マリアがため息混じりに告げてイリアの思索を中断させ、
「卵をどうするか、だ」
 イゴールによって本題がようやく提示される。彼は続けて言った。
「考えられる処置としては四つ。孵すか、村人に譲渡するか、廃棄するか、あるいは食するか」
「えっ!」
 声を上げたのは、オヴェリアだった。
「孵して一緒に連れて行かないのですか?」
 それ以外の選択肢を思いつけなかったのか、オヴェリアはしきりに瞬きを繰り返している。
 王女親衛隊に属する三名の女騎士は互いに目交ぜし、同じ思いを抱いていることを確認すると代表してアグリアスが口を開いた。
「オ…こほん、リア様。チョコボの場合、卵からヒナが孵るまで三、四日はかかります。また、生まれたてのヒナには旅に耐えられる体力がありませんので、誕生と同時に出立というわけにもいきません。最低でも三日は様子をみることになります。つまり、孵すことにした場合、最短でも六日間はここに滞在することになります。現状を鑑みるに、そのような長期間を一箇所で過ごされることは大変厳しいと言わざるを得ません」
 リアという偽名での呼びかけ。追っ手である二つの組織の明言を避ける態度。
 護衛隊長の慎重な振る舞いは、隣室にいるであろう宿の主人とその家族を意識してのことであるのは明白である。
 彼女の職責を重んじるならば、王女という立場からこの場にいる全員を危険にさらしている事実を考慮するならば、これ以上のわがままを言うべきではない。素直に忠告を受け入れるべきだ。
 理性の声はそうオヴェリアに語りかけている。だが―――、
「でも、母親の下から卵を引き離すのは残酷なことですし、生まれようとする命をこちらの都合だけで壊すのはもっと残酷なことだと思うのです」
 チョコボの心地よい乗り心地が、奔放に撥ねた頭部の黄色い羽根を撫でたときの柔らかい感触が、つぶらな瞳が、「クエ」という愛嬌のある鳴き声が、オヴェリアに理性の声を封じさせて素直な感情を吐露させた。
「………」
 食卓の空気が微妙に変化する。なかでも特に顕著だったのは、王女親衛隊の女騎士達であった。
 チョコボといえど命を尊ぶ王女の態度は、ラヴィアンにとって目が覚める思いであった。こちらの思惑で振り回されている卵の行方が、アリシアには王女の現状に重なって見えた。そして、オヴェリアの境遇が、アグリアスに『母親』という言葉の重みを思い起こさせる。
 彼女達は再び目交ぜし、互いにうなずき合うと王女に向き直った。
「御心のままに」
 一斉に頭を下げる三人の女騎士にオヴェリアは微笑で応え、次いで、ムスタディオに視線を止めた。
「すみません、わがままを言って。もしあなたが先を急ぎたいというなら、ドラクロワ卿宛てに一筆書きますのでそれを持って先に…」
 ムスタディオはゆるゆるとかぶりを振った。
「いや、オレは構いませんよ」
 本心を言えば、ムスタディオは一刻も早くライオネルに着きたかった。一秒でも早くとらわれの身にある父親を助け出したかった。だが、金にモノをいわせたバート商会の執拗な襲撃を切り抜けるのは自分一人では難しく、また、ザランダからエルハイヤ村に至るまでの道中に遭遇したモンスターの強さも予想外だった。多少の時間がかかっても王女と共に向かった方が、安全かつ確実にライオネル城にたどり着けてドラクロワ卿に謁見できる。それに、自分がバート商会に捕まらない限り父親は人質として利用価値があるだろうから、ひとまず殺されることはない。
 ムスタディオが王女の提案に従ったのは、焦る気持ちを理性で押しとどめて冷静に考えた結果であった。
 立場が違えど追っ手に追われている者同士が、危険を承知の上で留まることを選択したのならば、自然と反論する気も萎えてくる。
 結果、チョコボの卵は孵すことに決まった。


 図らずも余暇ができた王女一行だったが、無為に過ごすことは女騎士達の勤労精神が許さなかった。己の力を生かして金銭を稼ぐという目的のもと、アデルとイゴール、それにマリアは害獣駆除の依頼に派遣された。ムスタディオは手先の器用さを生かして農具や家屋などの修理を村人から請け負い、その彼の助手兼護衛としてラムザが同行した。イリアは白魔道士として病人の治療にあたることを決め、オヴェリアが彼女の手助けを申し出た。当初、アグリアスを始めとする王女親衛隊の面々は、多少の変装はしているとはいえ堂々と素顔を晒し、王女が自ら傷病者の治療にあたることに渋い顔をした。しかし、『皆さんが働いているのに私一人のうのうと部屋で過ごすことなどできません』とオヴェリアに訴えられ、さらには『宿に閉じこもっている方がかえって人目を惹くのではないか』とイリアから指摘され、やがては『市井の生活をご覧になる良い機会かもしれない』と思い直し、オヴェリアの意思を尊重した。ただ、側を離れるのはやはり不安だったので、イリアの助手のそのまた助手という形で親衛隊の全員が付き添うことになったが。
 そして、卵を見つけて四日目の朝―――。


「明け方、ヒナが孵ったようですよ」
 アリシアがもたらした知らせに、オヴェリアは最低限度の身支度を終わらせるなり部屋を飛び出し、チョコボ厩舎に足を向けた。
 厩舎内には、先客が一人いた。奥の方で、ボコと名付けられたチョコボの身体をブラシで清めている。
「ラムザさん」
「おはようございます。ヒナをご覧に来られたのですか?」
 オヴェリアが頷くと、ラムザは後ろに身を引いて人が通れるスペースを空けてくれた。
「そちらです」
 オヴェリアが歩み寄れば、藁のベッドにチョコボのヒナが身体を丸めて眠っている。腰を屈めて顔を寄せてみれば、規則正しい寝息が耳に届いた。
「もう朝なのに、眠っているのね」
「疲れているんですよ」
 ラムザの言葉は、オヴェリアにとって意外であった。振り返れば、斜め後ろに佇むラムザは労るような視線をヒナに注いでいる。
「卵という一つの世界にいたヒナにとって、この世に生まれるというのは別世界にやってきたのに等しいんです。急激な環境の変化に、ヒナはまだ、対応できずにいるのですよ」
 二つの人間の気配にも動じることなく、ヒナは変わらず昏々と眠っている。
 身体に比して大きめの目が開かれる様を見てみたい。柔らかそうな黄色の羽毛を撫でてみたい。成獣と鳴き声がどう違うのか聴いてみたい。
 ヒナを目の当たりにしてオヴェリアが抱いていた様々な欲求は、ラムザの言とヒナの様子で霞のように消え去った。音をたてぬよう注意を払って立ち上がり、壁際に引き下がる。
 入れ代わりにラムザが進み出て、ボコの世話を再開する。ブラシで撫でられる度にボコが気持ちよさそうに目を細めるのをみて、オヴェリアは感嘆のため息を漏らした。
「ラムザさんはチョコボの世話が上手ですね」
「上手な友人に教わりましたから」
 ラムザの口から発せられた友人という言葉に、オヴェリアの脳裏に浮かんだのはドーターから行動を共にしている冒険者四名の顔だった。
「まあ、その方はどなたですか?」
 だから気楽にそう尋ねた彼女だったが、返ってきた答えは予想外だった。
「ディリータです」
 忘れもしない誘拐犯の名前に、オヴェリアは目を見張る。
「彼の父親は軍用チョコボの育成を生業としていましたから、色々教えてもらえたと言っていました」
「あなたとあの方は、幼なじみの間柄だそうですね」
 オヴェリアの問いに、ブラシを動かしていたラムザの手がぴたりと止まった。
「アデル達から聞いたのですか?」
 オヴェリアは首肯し、ラムザの背中に視線を注いだ。
「あの方はあなたと同じく、ゼイレキレの滝で私を守って戦ってくださいました。囚われの身であったときも乱暴なことはせず、むしろ、濡れた衣服の替えを用意してくれたり転びそうになった私を支えてくれたりと、気を配ってくださいました。それほど悪い方ではなく、ゴルターナ公に与しているのも理由があってのことだと一度おっしゃっていましたが、いったい何があったのでしょうか?」
 ラムザは答えようとせず、オヴェリアに背中を向けたまま凝然としている。
 長い沈黙にオヴェリアが胸元に手をあてたとき、チョコボ厩舎の扉が外から開かれた。
「オヴェリア様」
 躍動的な足取りでアグリアスが近づき、主君に対して軽く頭を下げる。
「イリア殿が今日看護する傷病者のことで相談したいことがあると申しております。宿の方にお戻りください」
「わかりました」
 オヴェリアが頷き、ラムザの方をちらっと見る。
 王女の視線に釣られてアグリアスも見遣り、無防備なほどに晒された彼の背中を騎士として奇妙に思ったが、抱いた感情は言葉にするには淡く、そして抽象的だった。王女を促して、無言のままチョコボ厩舎を後にする。
 戸口で警護していたアリシアがオヴェリアとアグリアスを出迎え、連れだって宿へ戻っていく。
 他人の気配が完全に消え失せたとき、ブラシがラムザの手から藁を敷いた床へと転がり落ちた。
「全部僕のせい。君ならきっとそう言うだろうな、ディリータ」
 小刻みに震える右手を目にして、ラムザは自嘲の笑みを浮かべた。

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