第四章 邂逅(3)
思い出の中でしか存在しなかった人達が、ラムザの面前にいる。黒髪に異国風の顔立ちを有する若者は記憶にあるよりも逞しさを増し、黒い瞳に宿る光は強い意志の力を放っている。茶色の髪に緑の瞳を有する若者は、矢じりのように鋭い雰囲気は変わらないが、うらやましいことに背丈を更に伸ばしていた。亜麻色の髪に青の瞳を有する娘は、髪型や顔かたちは変わらないが、内面から滲み出る凛とした雰囲気がしなやかな肢体を輝かせているように見える。一方、黒の髪に青紫の瞳を備えた娘は可憐で清楚な風貌を留めており、不思議なほどに記憶のままだった。
互いの間を流れた一年という時間を実感しているのは、ラムザだけではない。
襟に辛うじてかかる長さで大ざっぱに切られた黄金色の髪。黄昏時の空の色を宿した瞳。名工の手による彫像を思わせる秀麗な容姿に、白磁のような滑らかさを有する肌。ふっくらとした丸みが消え、鋭さが増した頬の輪郭。両肩と肘当ての突起が厳つい印象を与える鎧に、鱗状に金属の板を張った鉄の靴。
四対の瞳にも、見覚えのあるものと見覚えのないものが映し出されていた。
さぐるような沈黙が、長々と、二つの寝台と引出が一つ置かれただけの簡素な部屋を支配する。
その空気に誰よりも早くしびれを切らしたのは、アデルだった。彼は気安げに右手をあげた。
「久しぶりだな。ラムザ」
「なぜ、君たちがここにいるんだ」
どこか咎めるようなラムザの口調に、イリアが何か言いたげな表情を浮かべる。が、彼女は何も言わず、俯いてしまった。数秒の沈黙。アデルは挙げていた手を降ろし、後頭部をがりがりと掻いた。
「なぜって…、あのあと俺たちにも色々と思うところがあって、士官アカデミーを飛び出したわけよ」
「………」
「ともかく元気そうでよかったよ。これで依頼の半分が果たせるぜ」
「依頼?」
ラムザは内心首を傾げる。アデルの口から発せられたその単語は、金儲けの手段以上の価値を有するもののように聞こえたからだ。
疑問にはマリアが答えてくれた。
「あなたとディリータを探し出してガリランドにまで連れてこいという依頼を、士官アカデミーをでるときにジャック教官から受けていたの」
「いやぁ、ラムザを見つけ出すだけで一年もかかるとは思わなかったぜ。ちょうど請け負っている仕事もないし、さっそく明日にでもガリランドに行こうぜ!」
アデルが意気揚々と拳を上げ、壁にもたれ掛かるように佇むイゴールが頷く。ラムザはかぶりを振った。
「それは困る」
「なんで!?」
「僕は…いま、ある任務を遂行中だ。ガリランドになんか行っていられない」
「…フードで顔を隠したあの女の子のことか」
若干の間を経て、イゴールが呟くように言う。鋭い洞察力にラムザは驚き、その感情を必死に腹の底に押し込めた。表情を殺し、口を閉ざす。
「そうか、よくわかった」
イゴールが手招きで仲間を呼び寄せる。四人で顔をつき合わせ、ひそめた声で何やら内緒話。のけ者にされたラムザが心の内で三十を数えた頃、彼らは一斉に振り返った。みんな、やけにすっきりした顔をしている。
「じゃ、俺達もおまえと一緒に行くから」
夕食の献立を告げるようなアデルの口ぶりに、ラムザは一瞬何を言われたのか分からなかった。
「――…は?」
「一七歳でもう耳が遠くなったのか? 一緒に行くって言っているんだよ」
冗談だと笑おうとしたが、四つの真摯なまなざしに頬が強ばる。
「いきなり『一緒に行く』と言われてそんなことが認められると思っているのか?」
ラムザが何とか口を動かせば、
「俺達は、ようやくみつけたおまえをこのまま去るに任せる気はさらさらない」
アデルが一歩も譲らない気概を見せ、
「ジャック教官との約束があるから、あなたが私たちと一緒にガリランドに行く気になるまでどこまでもついていくわよ」
マリアにびしっと音が聞こえそうな勢いで指さされ、
「仕事の妨げにならないよう依頼主にあらかじめ話を通しておくから、安心してね」
イリアがにっこりと微笑んだ。
「おそらく、依頼主はあの長身で金髪碧眼の女性だ」
淡々とした声音でイゴールが真実をつげば、
「じゃ、そういうことで」
そう言い残して、アデルがこちらに背を向けた。最も扉に近い場所にいるイリアがドアノブに手をかけようとする。ラムザは叫んだ。
「そういう問題じゃないんだ!」
「じゃ、どういう問題なんだよ」
そうアデルに切り返され、ラムザは答えに窮した。言うわけにはいかない。ディリータがオヴェリア王女誘拐の実行犯である事実を。国内の二大勢力の片割れである北天騎士団を敵に回してしまった現状を。ダイスダーグと真っ向から対立している現実を。彼らのことだ、言えば怯むどころか「それがどうした」と逆に勇躍してついてくるに違いない。そうなれば、その先は考えるだけで背筋が凍る。
では、彼らの関心を逸らすにはどうすればいいだろうか。このままずるずる話をしていたら、隠そうとする態度で容易ならざる状況に直面していると察知されてしまう。
めまぐるしく思案した結果、一つの考えが閃く。ラムザは迷うことなく実行に移した。氷炎の心を思い起こして、無表情の仮面を厚く被る。
「君たちには関係のないことだ。たとえ依頼主に話を通そうとしても、君たちの同行は決して認められないだろう。無駄なことはするな」
「ムダかどうか、やってみなければ分からないだろうが!」
「無駄だ。ぜったいに」
ラムザは自信をもって断言した。王女の身辺に関しては神経質なくらいに気を配る親衛隊の面々が、今日初めて出会い、食堂で短い会話を交わしただけの相手を信用するはずがない。「友人だから」というひと言で説得できるわけがない。秘密漏えい防止と監視のために共に行動することを容認された自分とは、訳が違うのだ。
濃淡の差はあれど、彼らの顔に困惑の色がよぎる。考える隙を与えてはいけない。先手を常にとり、たたみかけねばならない。
「話はそれだけか? ならば、僕は退出させてもらう」
ラムザはアデルの横をすり抜けようとしたが、後ろから左腕をつかまれた。
「ちょっと待て、話はまだ終わっていない!」
その手を払おうとしたが、握力ではモンクである彼に分があるのかふりほどけない。鎧下にアデルの指が食い込む。
「ごまかしてないでこっちの質問に答えろッ!」
「そうよ、どうして、あなたは私たちの同行をいやがるの!?」
ラムザは顔をしかめた。腕に走る痛みにではなく、マリアの口から発せられた叫びに。気付かれている。ああ、彼ら彼女らの内面は、一年前とまったく変わらない。人情に厚くて、聡明で、優しい。だからこそ、差し伸べられる手に縋ってはいけないのだ。
「さっきも言った。『君達には関係ない』と」
「あなたにとってはそうかも知れないけど、わたし達には関係があるの。ねえ、いま何をしているの? わたし、あなたを助けることはできないの? ジークデン砦のこと、謝らせてもくれないの?」
イリアの声には涙がにじんでいる。彼女をひたとみつめ、ラムザは口を開いた。
「助けはいらないし、謝罪もほしくない」
イリアの目から大粒の涙が溢れ、頬を伝った。小柄な身体がドアノブに飛びつき、乱暴に押し開かれた扉から駆け出していく。
「イリア!」
すかさずマリアが彼女の後を追う。ひるがえる長い亜麻色の髪が視界から消えた直後、
「おまえッ!」
アデルに胸ぐらを掴まれた。
「仲間を泣かせてまで嘘を言うか!」
「…嘘なんか言っていない」
淡々と告げれば、拳に籠もる力が増した。
「ああ、おまえはそう思っているだろうよ。だがな、俺にはそう見えない…。おまえは逃げているだけだ。ティータちゃんの死の真相に正面から向き合いたくない一心で失踪したあのときのようにッ!」
怒号が一瞬で仮面を剥ぎ取った。心が揺さぶられる。
「何に怯えている。何を恐れている。何を怖がっている。いい加減に本当の気持ちを話せよ! 俺達は仲間だろうがッ! 俺達はそんなに頼りない存在かッ!!」
目頭がかっと熱くなる。このままではダメだ。ラムザは腹の底にぐっと力を込めて、こみ上げそうになる熱いものを必死に堪えた。震えそうになる声を精神力で整え、口を開く。
「君たちには関係ない」
「―――ッ!」
振り上げられた拳が、頬に振り下ろされた。視界がぐにゃりと歪み、反転する。一瞬の浮遊の後、背中には固い壁の感触。胸甲でもっても吸収しきれなかった衝撃がもたらす、詰まるような痛み。そして―――
「この分からず屋ッ!」
罵声。
床を踏み抜くような足取りで、アデルが部屋を出て行く。
「ラムザ」
一対の視線が、じっとこちらを見ている。おそらくは、悲しげな呼びかけに相応する表情を浮かべて。ラムザは床の一点を見つめて口を閉ざし、ただ待った。
互いの視線を絡ませることなく、沈黙が流れる。
「ふぅ」
嘆息を残して、イゴールも立ち去った。
廊下側から扉が閉められる。人の気配が遠ざかり、やがて完全に消えた。
ラムザはそろそろと身を起こし、左頬に手をあてた。咄嗟に歯を食いしばったおかげで出血はしていないが、手袋越しにもはっきりわかるほど腫れている。じくじくと熱も帯びている。だが、それ以上に
「…痛い…な」
自ら望んだ結末だというのに、他の場所の方がはるかに痛かった。