第三章 選択(4)
ガフガリオンは異常を感じた。
自身の体調についてではない。利き手が握りしめている剣についてである。
相手の剣を払った際、いつもと違う鈍い音がしたのだ。
幾年も欠かさず常に携え、何千何万回と振るい、己の血肉の一部といってもいいほど馴染んだ道具であるからこそ、違和感は顕著であった。
(長期戦はやばい)
直感でそう思う。理屈では説明できないが、戦場においてこの手の類のものはよくあたる。人間といえども本来は動物。文明という楔によって薄れはしたが、狩猟で飢えを満たしていた頃から脈々と血肉に受け継がれている野生の勘。そして、戦場とは、人間が理性をかなぐり捨てて殺戮を行う場。つまりはそういうことだろう。
こちらの衝撃を受け流し、アグリアスがバックステップを踏む。着地の瞬間を狙って闇の剣を発動させようとしたガフガリオンだったが、面前の女騎士は予想を超える速さで着地しガフガリオンに肉薄してきた。その素早さに内心舌を巻きつつ、鎧の付け目を狙って突き出された剣をカウンター気味に絡め取り、切っ先で喉を狙う。だが、アグリアスはすかさず飛び退いた。
「自分が何をしようとしているのか、貴様はわかっているのかッ!? オヴェリア様は養女といえども王家の血筋。そのような方を貴様は手にかけようというのだぞッ!」
蒼い目には怒りの炎がちらついている。ガフガリオンは冷ややかに観察し、芝居がかった仕草で頷いてみせた。
「ああ、わかっているさ。よぉく、わかっているとも。王女といえども邪魔なら排除される。それが頂点に立つ“王家の血筋”ってヤツなンだろ?」
「貴様、オヴェリア様を愚弄するか」
柳眉がつり上がる。予想どおりの反応を示す相手に、唇が自然と意地の悪い笑みを刻んだ。
「邪魔なら殺される、オレたち平民と変わらんってことさ。違うのは、おまえのような頭の固いヤツらが何も考えずに忠誠を誓うってことぐらいか。生きていたって、頂点に立たない限り利用されるだけなンだ。だったら今、殺された方がマシだぜッ!」
「ならば、私が護ってみせる!」
アグリアスが攻勢に転ずる。攻撃を剣捌きや体捌きで対処しつつ、ガフガリオンは目論見が外れたことを認識した。逆上させることで生じうる隙に付けいろうと暴言を口に出したのが、どうやら闘争心を刺激するにとどまったらしい。剣筋が大振りになることはなく、攻撃パターンが単調になることもない。直線と曲線とをバランスよく取り入れた剣技はなかなかに完成度が高く、こちらに付け入る隙を与えない。また、つかず離れずの状態で剣を交えているために暗黒剣を発動させる余裕がない。裏を返せば向こうにも聖剣技を発動させる間がないといえるのだが、これは一種の膠着状態だ。
(さて、どうすンかな)
状況さえ許せばこのまま死の舞踏を演じきってもいいのだが、そうもいってられないようだ。剣に感じる違和感は刃を交えるごとに顕著になり、悲鳴のような軋む音まで混じりだした。滝を挟んで戦う北天騎士団の騎士達のうちこちら側にいる一人は護衛隊の女騎士に戦闘不能に追い込まれ、向こう岸にいる残り三名は誘拐犯の小僧が駆使する聖剣技によって倒されつつある。このままでは敵に周囲を囲まれるのは時間の問題だ。そうなれば、さすがに笑っていられる状況ではなくなる。
(ふン、しかたないな)
とるべき方針を定めると、ガフガリオンは即座に行動に移した。構えを防御から攻撃へと転じて相手を受動的な立場に追いやると同時に、体内の魔力を高める。アグリアスが間合いをとった瞬間、左手を相手に突き出した。
「ファイア!」
予想していなかったのか、端整な顔立ちが驚愕に染まった。解放の言霊に導かれて発現した火の玉が弧を描いてアグリアスに迫る。盾をかざそうとするが、わずかに間に合わない。
「―――っ!」
「アグリアス様!」
爆発音が響き、吹き上がる爆煙が二人の間を塞ぐ。
ガフガリオンは懐に手を入れ、一枚の札を取り出す。翼に似た紋様が描かれているそれを、力任せに引きちぎった。キンと高く澄んだ音が耳の奥で鳴り、札から溢れた魔力が身体を締め上げていく。
滝壺から吹く涼風によって、煙がさぁと勢いよく流れる。
火炎によって黒こげになった砂利。魔法の範囲から一歩分だけ外れた場所で、中途半端に盾をかざしたまま凝然としているアグリアス。
ガフガリオンにとって狙いどおりの光景が出現していた。
「逃げるのかッ!」
鋭い語気に目を動かせば、アグリアスがいる位置よりずっと後方に下がったラムザが、チョコボを押しのけて立ち上がろうとしていた。その傍らにいるラッドは、縋るようなまなざしでじっとこちらを見ている。その口が言葉を発する前に、ガフガリオンは口を開いた。
「ラッド、オレの背中を追うのはもう止めろ。自分の足で立って歩け」
身体全体を包んだ魔力の地場が、びくりと身体を竦ませるラッドの姿を歪ませる。
白光が目の前で膨れあがっていく。
ふわりと浮き上がる感覚を最後に、ガフガリオンの意識は白に染まった。
「…消えた?」
すぐ傍で愕然とした声が聞こえる。
視線を滑らせれば、ラッドはガフガリオンがつい先程までいた場所を凝視していた。
「呪符…、テレポの効果を籠めていた魔法道具を使ったんだ」
そう説明するも彼の耳には届いていないようで、顔を強ばらせたままだ。いつもの余裕を感じさせる雰囲気はみじんもない。一年という短くも長くもない時間行動を共にして初めて見た表情であることにラムザは気付いたが、驚きの感情は別の感情に掻き消えてしまった。
呪符などの魔力を籠めた道具は、正しい使い方をすれば誰でも魔法の効果を得られるだけあって利用価値が高く、また、数が少ないために投資の対象ともなるから財産的価値も高い。主に教会で作られているが、生成方法は秘匿とされていて、その流通ルートも限られている。北天騎士団と関係があって、魔法道具に精通していて、豊富な資産を有する人物。そんな人間はたった一人しか思い浮かばない。
(これがあなたのやり方かっ!)
拳を握ろうとした右腕に、鈍い痛みが走る。思わず顔をしかめ、次の瞬間には気遣わしげに見つめてくるチョコボに気付いた。平然を装って立ち上がる。頭を撫でることでチョコボにそこにいるよう伝え、呆然と一点を見つめるラッドをそのままにして、ラムザは歩き出した。
剣を納めるアグリアスの横を素通りし、隊長のもとに駆け寄ろうとするアリシアとすれ違う。勾配の土手を上り、吊り橋のたもとに佇む王女とラヴィアンに目礼し、橋に足を踏み入れる。
離れ離れになって一年間。一日たりとて忘れたことがなかった“彼”はこちらに背を向け、自身が倒した北天騎士達の衣服を使って剣に付着した血を拭っていた。
自然な風を装って、ラムザは歩き続ける。
橋の半ばに達したとき、“彼”は剣を鞘に収め、振り返った。足が自然と止まる。ゆっくりとした足取りでこちらに歩み寄り、五歩ほどの距離を保って“彼”も立ち止まった。
近くに、記憶にあるものよりも背丈が伸びたその姿が、精悍さと鋭さを増したその顔が見える。
「生きていたんだね、ディリータ」
「こんなところで再会するとはな」
肩をすくめる仕草は、記憶にあるまま。
面前にいる人物が間違いなく自分の知っているディリータ・ハイラル本人で、都合のいい夢でも幻でもないとの実感がわいてくる。そして、
「オヴェリア王女を俺に預けるんだ。その方がお姫さまのためだぞ」
冷淡な態度が、突き放すような言い方が、現実を突き付けた。
王女護衛隊の騎士達が色をなす気配が、背中に伝わる。
反射的に逸らしそうになる視線を渾身の意志力で榛の瞳に固定し、ラムザは口を開いた。
「ディリータ、きみはいったい何を企んでいるんだ?」
「企む? とんでもない。俺は真実を言っているだけさ。北天騎士団を敵にまわしたおまえたちがお姫さまをどこへ連れて行くっていうんだ? すぐにおまえたちを捕らえるために北天騎士団の精鋭たちがやってくることだろう。いったいどこへ逃げるつもりなんだ?」
「そ、それは…」
「よく考えてみろ。ラーグ公の計画ということは王妃も知っているってことだ。つまり、王家は味方じゃない。なら、ゴルターナ公か? いや、それも無理だ。自分の疑いを晴らすためにおまえたちを処刑するぜ」
頭の片隅にあるどこか冷静な部分が、ディリータの指摘の正しさを認めた。
「おまえならどうするというのだ」
返す言葉を探しているうちに、アグリアスが口を挟む。すると、ディリータは薄く笑みを浮かべた。
「おまえたちにはできないことをするだけさ」
見覚えのないその表情に、ラムザは困惑する。
「どういう意味なんだ?」
「さあな…」
ディリータが背を向ける。一歩、二歩とこちらから遠ざかり、三歩目で立ち止まった。
「…おまえたちにお姫さまをもう少し預けておくことにしよう」
それだけ言って、ディリータは立ち去ろうとする。
遠ざかる背中にもどかしさを感じ、気付けば一歩前に進み出していた。
「ディリータ!」
黄金色の具足に包まれた足が、止まる。
自分の呼びかけに彼が応えてくれた。その事実に勇気を得て、素直に心情を吐露する。
「また会うことができて嬉しいよ」
罵声でも、怒号でも、怨嗟の呪詛でも正面から受け止める覚悟で、ディリータの背中をみつめる。
彼はゆっくりと首を動かし、空を見上げた。
「ティータが…」
「え?」
「ティータが俺を守ってくれたんだ」
彼の口から発せられたその名前は、どんな言葉よりも深くラムザの胸を抉った。腹の底からどろどろとした何がかこみ上げてくる。視線が自分の靴へと落ちる。
肩越しにディリータが振り向き、わずかに表情を動かす。しかし、俯いていたラムザは気づけず、オヴェリアと傍に控えている護衛隊の面々だけが見て取った。金色のつむじを見た瞬間揺らいだ榛の瞳が、オヴェリアを立ち上がらせた。
「感謝いたします、ディリータさん」
胸に手をあててそう告げる王女に、護衛隊に属する全員が驚愕を顕わにする。
ディリータは正面を向き、呟くように言った。
「また会おう、ラムザ」
鎧が擦れる音に、ラムザは顔を上げた。橋を通って向こう岸に渡り、崖に作られた小道を歩むディリータの姿が、完全に視界の端から消える。足を止めることも、振り返ることもなかった。
「ラムザ殿、加勢してくれたことに感謝する」
誰かが歩み寄り、背中に声をかけてくる。柔らかいアルトと硬い口調から、それがアグリアスであるとわかる。
「だが、よいのか? 北天騎士団を敵にまわしたのだぞ」
「…かまいません。自ら選んだ道です」
目を閉じて、意識的に呼吸を一つする。気持ちを切り替え、表情と声音を整えてからアグリアスの方へ向き直った。
「それより、これからどうしますか? ディリータの言ったとおり、僕らを助けてくれる人はいない」
「ドラクロワ枢機卿に助けを求めてみようと思う。ライオネルはグレバドス教会の所轄領だ。教会ならなんとかしてくれるのではないだろうか」
法による権力でイヴァリースを縦に支配しているのが王家だとすれば、グレバドス教という宗教でイヴァリースを横に支配するのが教会だ。
グレバドス教は全国民が信仰すると言っても過言ではないほど、深く信仰されている。人民の心の拠り所ともいえる存在だからこそ、王家といえども教会の権威は無視できない。
「たしかにライオネルなら北天騎士団もうかつに手を出せない」
「オヴェリア様、それでよろしいでしょうか?」
「……ええ、わかりましたわ」
優美な角度で頷くオヴェリアの仕草が、出立の合図となった。
王女のケープの乱れを直したり手で髪を梳いたりと、身支度をし始めた護衛隊の一行からラムザは離れた。河原に立ちつくす同僚に歩み寄る。
「ラッド」
声をかけるも、返事がない。途方に暮れたような表情で、ガフガリオンが逃げ去った場所をじっと見ている。心配げに鳴く傍らのチョコボにも気付いていないようだ。
「ラッド!」
「へっ!…ああ、ラムザか。なんだ?」
声を大きくすれば、明らかに無理して作った笑顔をこちらに向けてくる。
「町に着くまで一緒に行動しないか? 一人だと危険だろうし」
普段の彼が自分に対してするように、何でもない風で用件を口に出す。ラッドは一瞬虚をつかれた顔をし、次の瞬間には大袈裟に頷いた。
「ああ、そうだな。そうさせてもらうよ」
わざとらしい鼻歌を歌って吊り橋の方に歩き出した背中にラムザはため息を一つ零し、やや距離を置いてその後を追う。
「クェエー!」
最後尾には、両の羽根をぱたつかせて歩くチョコボが続いた。