第六章 砂ネズミの穴ぐら(2)
青とも緑ともいえない、静かな水を湛えた湖があった。
乾いた大地を癒すかのように。旅人の疲れをぬぐい去るかのように。
その昔、流浪に疲れた砂漠の民がここを安住の地とし、湖畔で静かに穏やかに暮らしていたという。
しかし、戦禍は彼らに容赦なく襲いかかった。
五十年戦争末期の防衛戦で、オルダリーア国軍と南天騎士団がこの地で激突。
住民を巻き込んだ武力衝突。
戦闘に参加した騎士だけでなく、数多くの無辜の民も犠牲となった。かろうじて生き残った民は、村の再建を諦め他の地へ流れていったという。
そして、今。
風雨にさらされ崩れかけている廃屋が数軒と、変わらぬ美しさを保つ湖があるだけだった。
ラムザが畔に近い廃屋を調べていたとき、ディリータの呼び声が聞こえた。散開していた皆が駆け寄ると、彼は草をかき分け地面の一点を指さした。
「見てみろよ」
そこは、覆い茂った雑草にかき消されていた獣道だった。地面には新旧いくつもの靴跡がある。獣道は集落跡からはずれの方へ続いているようだった。ラムザは鞄からボウガンを取り出し、矢を装填した。他の皆もおのおの戦闘準備をとる。
「行こうか」
先頭に立とうとするラムザをディリータは制止し、後ろにつくように手で指示する。ラムザは素直に従った。革製の厚手の服とボウガンという軽装備の自分と違い、ディリータは青銅と革をつなぎ合わせた鎧を装備している。前方から襲撃がある場合を考慮すれば、防御力の高い者が先頭に立つべきだった。
ディリータが草をかき分け、ならしていく。後ろのメンバーは極力物音を立てないように注意して歩いた。
獣道はやがて上り坂になり、登り切ると眼下に一軒の家屋が見えた。湖の畔にあったものよりは家としての体裁を保っている。
先頭のディリータが家屋の内部に人影を視認した瞬間、
「大変だぁ!北天騎士団の奴らだ!」
屋内からの絶叫が辺りにこだました。
「反応が早いな」
「向こうから正体を暴露してくれるとは、な」
ディリータは愚痴を言い、アルガスは不敵に笑う。彼らは腰に帯びた剣を抜きはなって駆け出した。アデルも彼らの後に続く。
ラムザは辺りを見渡し、状況を確認する。
屋外には敵がいない。全員家屋の中のようだ。正面と左にある勝手口らしき入り口を塞げば、彼らに逃げ道はない。
「ディリータとアデルで裏口を。マリアは二人の補佐。アルガスは正面を!」
矢継ぎ早に指示を出し、ラムザ自身も正面出口付近の敵を矢で牽制する。後ろにいるであろうイゴールとイリアに、合図をしたら一気にやるよう手話で指示を出す。
アルガスが正面出口に陣取ったことで、正面から敵の進出の阻止に成功した。一方、勝手口のほうは若干の距離があったためか、一人の敵が外に出てしまった。アデルとマリアが対応に回る。ディリータが勝手口に到着したのを確認して、ラムザはイゴールとイリアに前進するよう指示を出した。
ローブを羽織った二人は魔法の届く所まで移動し、詠唱を開始する。護衛としてラムザは二人の周りに気を配る。彼らの口からは同じ韻が紡がれている。雷の中級魔法のようだった。
敵もこちらの意図を察知したのか、外に逃げようとしている。しかし、戸口は狭く、一人分の空きしかない。突破するには、封鎖しているアルガスとディリータを一対一の勝負で破るしかない。正面からの攻撃しか来ない状況下ゆえだろう、彼らは余裕で敵に対応していた。外にいる敵は魔道士二人を襲おうとするが、アデルとマリアが食い止めている。
二人の呪文が完成した。
「「暗雲に迷える光よ! 我に集い、その力解き放て サンダラ!」」
家屋の中で稲妻が炸裂する音、複数の絶叫が家屋内に響く。内部はほぼ制圧したと考えてもいいだろう。
ラムザはアデルとマリアの援護に回ろうとした。が、不要だった。マリアの矢で敵がひるんだ瞬間を狙ってアデルは拳をたたきつけている。見事な連携だった。相手は徐々に劣勢に追い込まれ、投降の意志を表した。
ディリータとアルガスは魔法の発現現象が収まってから内部に突入した。敵は全員床に倒れている。雷撃の魔法によって失神しているようだ。
「侯爵様! どこですか?!」
手当たり次第に探すも、室内にそれらしい人物はいなかった。
アルガスはのびている敵の一人を無理矢理たたき起こし、侯爵の居場所を問いただす。敵は「地下」という言葉だけを残して、再度気を失った。
「地下ぁ?おい、どこだよ、そこは!」
大声を張り上げても反応しない敵にアルガスは舌打ちし、相手を放り投げる。そして、偶然彼らは発見した。さっきまで敵が倒れていた床には、カーペットが敷かれており、端の方に金属らしきものが見える。雷で焼かれて焦げ臭いそれをどかしてみると、鉄板の扉が床にはめ込まれていた。
「ここか?!」
扉をめいっぱいに引くと、そこは階段が下へと続いていた。アルガスが躊躇うことなく入ろうとする。
「おい、まだ他の敵が中にいるかもしれないぞ!」
ディリータが制止するが、効果がなかった。アルガスは足を止めることなく、階段を駆け下りていった。
「ラムザ、アルガスが先走った。追いかける!」
ディリータは外に向かって大声を上げてから、アルガスの後を追った。ラムザは他の四人に残存する敵のことを一任すると、階段に足を踏み入れる。アルガスとディリータをおぼしき足音が辺りに反響している。ラムザは階段を駆け下りながらも、疑問を抱いた。
これだけ大騒ぎしているなら、他の奴らに気づかれるはずなのに。なぜ、増援が来ない?
***
地上で戦闘らしきものが行われていることはわかっていた。だが…。
ギュスタヴはある男と対峙していた。
白と緑を基調とした騎士装束に身を包んだ三十歳ほどの男。抜き身の剣をその手に持ちながら構えることもなく、ただ鋭い眼光でこちらを睨む。相手の体から発せられる怒りの気が容赦なく自分を襲う。前後左右から凶器を突きつけられたような恐怖感。ギュスタヴは体を動かすことも、一声も出す事も叶わなかった。
目の前の男は、ウィーグラフ・フォルズ。
骸旅団団長という肩書きを持ち、ギュスタヴのかつての上官にあたる人物でもある。
圧政に苦しむ平民を救済するため、立ち上がったお人好しな男。卑怯な手段を使わないで貴族社会を打破するという甘い人間。
だが、その強さは計り知れない。その強さに惹かれるが故に、命尽きるまでウィーグラフの理想のために戦うという団員もいる。
しかし、ギュスタヴはそうではなかった。彼が現状において最も欲しているのは、理想ではない。生きていくために必要なもの、すなわち、食物と金と寝床だ。だからこそ、ギュスタヴはある人が提示した計画に乗った。成功すれば、人生をやり直せるだけの金が手に入る。自分の計画に従うと言った部下も多くいた。
多少想定外の事はあったものの、無事、侯爵誘拐に成功した。あとは身代金という名の成功報酬を受け取るだけなのに、ウィーグラフはどこからか自分が侯爵を誘拐したことを突き止め、粛正に来たのだ。
「どうだ。ギュスタヴ、いい加減観念したらどうだ」
怒気を納め、骸旅団団長は口を開く。次いで、地に倒れ伏したかつての仲間に憐憫の情を見せた。
地下にいた部下は、全員、奴独自の技・聖剣技で瞬く間に倒された。生き残っているのは、もはやギュスタヴだけ。観念しろというが許しを請う気にはなれなかった。どうせ、こいつの無謀な命令で、遠からず死ぬだけだからだ。
「貴様の革命など、うまくいくものか!オレたちに必要なのは理想や思想じゃない。食べ物や寝る所なんだッ!それも今すぐにな!」
「お前は目先のことしか見ていない。重要なのは根本を正すことだ」
相変わらず甘い事ばかり言う奴だ。不意に笑いがこみ上げてくる。
「あははははッ、貴様にそれができるのかぁ?無理だよ、ウィーグラフ。貴様には絶対出来ない!」
そうだ、出来るわけがない。
理想や思想だけで、飢えは満たされない。
心が満たされればどんな逆境にも耐えられるなんて嘘だ。欺瞞だ。
生きるために必要なものが得られなければ、何も始まらない。
それに気づきもしないお前が滑稽だ。
理想に踊らされる哀れな道化師。それがお前の正体だよ、ウィーグラフ!
澄んだ金属音がギュスタヴの嘲笑を中断させる。ウィーグラフが剣を下段に構えていた。
「言いたいことはそれだけか?」
ウィーグラフの紅茶色の瞳は静謐そのもの。そこには迷いも動揺もない。これ以上、語るものは両者になかった。
ギュスタヴは腰の剣を抜き、ウィーグラフに斬りかかる。
自分が生き残れる最良の手段を、ウィーグラフを倒し侯爵を人質にして地上にいる北天騎士団の奴らから譲歩を引き出すために。
ウィーグラフはたった一撃で、生死をかけた相手の剣をはじき飛ばす。
「お別れだ、ギュスタヴ」
ウィーグラフは別れの言葉を囁き、がら空きになった胸に剣を突き刺す。鍔もとまで一気に刺し、そして、ひいた。
最期まで生きることに執着していた男は、生命を絶とうとする相手に対し怨嗟の表情を向ける。そして、胸を朱に染めながら床に倒れ伏した。
***
鍵がかけられていない扉を開くと、飛び込んできたのは血のにおいだった。
薄暗い地下室に充満するさびた鉄のような匂い。床に倒れている複数の骸旅団らしき人。その体から流れ出ている赤黒い液体。致死量に達しているのは明らかだった。
そして、血臭の中ただ一人の男性が超然と立っている。その右手には血まみれの剣が握られていた。特に慌てた風もなく、ゆっくりとこちらに向き直る。
ラムザはその人物の顔を見て、何かが引っかかった。どこかで見た覚えのある顔だった。
「どこかでみた顔だな」
隣でディリータが呟く。内心で同意し、ラムザは記憶を探った。
数瞬の後に、脳裏にある絵が閃く。
イグーロス城での会議で提示された骸旅団団長の似顔絵。紅茶色の短い髪、同じ色の瞳。そして、どことなく気品のようなものを漂わせる容貌。目の前の人物と一致していた。
「「ウィーグラフ!」」
ディリータと声が重なる。骸旅団の団長は、感嘆するような表情を浮かべた。
「侯爵様!」
アルガスが声を上げる。一番奥には銀髪の男性がうつ伏せに倒れていた。両腕を拘束されており、ぴくりとも動かない。
「動くな!」
駆け寄ろうとするアルガスを制したのは、ウィーグラフの鋭い警告だった。彼は剣の切っ先を侯爵に向ける。
「貴様ッ!」
「よせ! アルガス」
激昂するアルガスをディリータが止める。ウィーグラフは三人の少年達を順番に見渡す。状況の理解度を計るかのように。こちらの実力を計るかのように。
「侯爵殿は無事だ。イグーロスへ連れ帰るといい」
「どういうことだ?」
ラムザは一歩を踏み出して、相手の真意を探るべく目を見つめた。相手も逸らさず真っ正面から視線を結ぶ。
「侯爵殿誘拐は我々の本意ではない。我々は卑怯な手段は使わないのだ。このまま私を行かせてくれるのならば、侯爵殿をお返しするが、どうかね?」
強い目だった。意志と一定以上の実力が備わった者にだけ宿る光。
この申し出を拒否すれば、自分たちを排除することも辞さない事は容易に推察できた。
そして、剣をとって戦えばおそらく勝てない。
ラムザは、ウィーグラフの押し込められた気の力を敏感に感じ取っていた。
―――背中に流れる冷や汗が、止まらない。
「ふざけるな!オレ達にかなうと思っているのかッ!」
「よせ、アルガス。彼は本気だ」
ディリータも感じ取っているのだろう、必死でアルガスを止めている。
ラムザは軽く頷くことで、ウィーグラフの申し出に同意することを示した。一定の距離を保ったまま、侯爵に近づく。ウィーグラフもゆっくりと扉の方へ移動する。
「う、うぅ…」
侯爵の口から漏れるうめき声。少年達がそちらの方へ視線を走らせた瞬間、ウィーグラフは背を向けて地下室から出て行った。アルガスがすかさず後を追おうとする。ディリータは素早く彼の前に回り込み、阻止した。
「行かせるんだ、アルガス!」
「なぜ止める!」
「放っておいても、骸旅団は全滅する!わざわざ危険を冒す必要はないッ!」
「ぐッ!」
アルガスは舌打ちして、ラムザに視線を向ける。ディリータと同意見のラムザは、かぶりを振った。腰のベルトから短剣を取り出し、侯爵を拘束している縄を切る。体を仰向けにし、外傷の有無を調べ、脈をとった。脈拍は弱々しいが、正常だった。
「大丈夫。弱っているだけで、特に外傷はない」
「そうか。アルガス、侯爵は無事だぞ。よかったな」
ウィーグラフの件で不満そうだったアルガスだが、ディリータの言葉に対しては謝意を表した。