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候補生達の軽歌劇2

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「ねぇ、置いてきて良かったのかしら?」
「いまさら何を言うんだよ」
「それはそうだけど…」
「そもそも、俺達はハロウィンイベントが無事終わるよう警備するのが仕事だ。誰かが担当場所にいないとまずいだろう」
「悪戯を避ける方便としか聞こえないわね」
「人のこと言えるか。おまえだってさっさと見捨てたクセに」
「仕方ないじゃない! 自分の過去を思い返すと…」
 最後の言葉は呟きに近かったが、アデルの耳にはきちんと届いた。彼はニッと口の端をひく。
「お前もいたずらにかこつけて色々やったクチか」
「…え」
 二人は顔を見合わせる。そこには、共通する感情が浮かんでいた。
「正々堂々いたずらができるって、楽しいよな」
「そうね」
 くすくす笑い声をあげて、二人は歩みを再開する。
 目指す警備場所は、もう、すぐそこだった。


***


「五五ギル!」
「六〇ギルです!」
 火花を散らしそうな眼光で、イリアと店主は真っ向から睨み合う。
 二人の周りには、値引き合戦を遠巻きに見物する観客が集まっている。その一部に溶け込んだラムザは、額に手をあてた。
 ―――いつになったら終わるのだろう。
 娯楽用の商品を安く買いたいというイリアの気持ちは理解できる。また、定価八〇ギルの商品を六〇ギルまで値切ったその努力は、あっぱれだと思う。
 二割五分も値切ったのだから、ここらで手を打ってもいいではないか。
 彼はそう思うのだが、イリアは違うらしい。不満そうに呻いている。きっと、頭の中では、自分の言い値で買う手法を模索しているに違いない。
 一方、店主は興奮で顔を紅潮させ、その瞳は高揚感で輝いている。まるで好敵手にであった騎士のようだ。
 ラムザは深い深いため息をついた。
 店主も店主だ。ふっかけのようなイリアの値引きが気にくわないなら追い返すという手段もあるのに、律儀につき合っている。商人にしては人が良いのだろうか、好戦的と評すべきなのか、あるいは騒動に集客効果を認めているのだろうか。判断に迷うところだ。
 時間のあるときなら、自分が納得できる答えを導くまで思考を凝らすことも、イリアの気の済むようにさせることもできる。しかし、今は、許されることではない。自分たちには、「警備」というなさねばならぬ務めがあるのだから。
 そうだ。そろそろ、イリアにガリランドの街にいる意味を思い出させてもバチは当たらない。抵抗するそぶりを見せたら、班長命令ということにして引っ張っていこう。こんな事に権限を持ち出すのは情けない気もするが、仕方ない。両者が提示している金額の差額、五ギルの決着を待つのに更なる時間を費やすわけにはいかない。夕闇色に染まっていた空はもうすっかり暗くなっているのだから。
 ラムザは自分で自分を説き伏せて、一歩前へと踏み出した。だが、
「イリア」
 別の人に先を越される。
 ラムザが頭を巡らすと、三十代後半かと思われる一組の男女がいた。夫婦なのだろうか、仲むつまじく腕を組んでいる。
「あなた、ここで何をしているの?」
 薄紫のローブを纏った女性が呆れるように言い、
「私達の頃は日没後の外出は禁じられていたのに、規則が変わったのかな?」
 黒髪の男性が咎めるように言う。イリアはびくっと身体を硬直させ、振り返った。
「父様、母様…」
 ラムザはぎょっとし、三人の顔を見比べる。そして、数秒もかからないうちに納得した。イリアの黒髪は男性のそれと同じで、顔のパーツ…具体的に言えば大きめな瞳と眉の形が、女性のものとよく似ていたからだ。
「ふむ。その表情から推察するに、規則は変わっていないようだな。となると脱寮か。お前にそんな根性があるとは知らなかった。ジャックの教育のお陰か…」
 しみじみと男性が呟き、
「ハロウィンとはいえ、夜に女の子一人だと危ないでしょう。寮を抜け出すときは誰かと一緒にしなさい」
 穏やかな声で、女性が微妙にずれた注意をする。
「あ、あの。僕たちは脱寮したわけでも規則を破ったわけでもありません」
 気がつけば、ラムザは声を掛けていた。
「きみは?」
 男性の訝しげな視線が頭上を通過する。ラムザは被っていたフードを払いのけた。
「彼女と同じ班に所属している者で、ラムザ・ベオルブと申します。今日は…その、教官の命令で…」
「ああ、あなたが!」
 みなまでいわせず、女性が嬉しそうな声をあげた。
「あなたの話はいつも娘から聞いてますのよ。本当に女の子のように可愛いですわね」
 最も言われたくないことを初対面の相手にあっさりと言われ、ラムザの表情がびきっと凍り付く。
 儀礼的な微笑みの裏に潜む不穏な気配にいち早く気づいたのは、母親にそう漏らしていたイリアだった。彼女は身振り手振りで両親に危険性を訴える。明敏な父は、すぐ察してくれた。
「イリス、男の子が『女の子のようだ』と言われて喜ぶはずがなかろう。もうしわけない、ラムザ君。妻の言葉は気にしないでくれ」
「…はい」
 彼の返事に、イリアはほっと胸をなで下ろした。
「この娘の父親で、ハリス・ミザールといいます。君には、いつも娘が迷惑を掛けているようだ」
 そう言いつつ、ハリスは視線を前方に向ける。そこには騒ぎの発端たる物が、テーブルに置かれたカボチャ帽子があった。
「いえ、僕の方こそ彼女に色々と助けてもらってますから」
 ―――まあ、時折こういう事態もありますが。
 その言葉は喉元まででかかったが、両親の手前、ラムザはなんとか押し込めた。
 父親は娘の同期生をじっと見つめ、
「その言葉は、私だけではなく娘にとっても喜ばしいものだ」
 軽く頭を下げ、イリアの側に歩み寄った。店主と彼女の話を交互に聞き、事態の収拾を図ってくれるようだ。
「気に障ることを言ってしまって、ごめんなさいね」
 頭を横に巡らせば、イリアとよく似た顔立ちの女性が俯いている。ラムザは慌てて頭を振った。
「あ、いえ、気にしてません。お気遣いなく」
「そうですか?」
「はい」
 ラムザがはっきりと頷くと、相手は安心したように微笑する。
 イリアと共通する表情に釣られる形で、彼も顔を綻ばせた。


「イリアは母親似だね」
 カボチャ帽子の値段を五七ギルで決着させ、両親と別れた直後、ラムザがぽつりと言った。
「うん。近所の皆さんもそう言う」
 イリアは頷き、日頃疑問に思っていることを口に出した。
「ラムザはご両親のどちらに似たの?」
「…母だよ」
 どことなく翳りのある口調に、イリアは相手の顔をじっと見る。
 真情を探るような青紫の瞳から逃れるため、ラムザはフードを深く被りなおした。
「だいぶ遅れてしまったから、早く行こう」
 常の落ち着いた声音で言い、ラムザは歩き出す。
 イリアは戦利品を頭に被り、彼の後を追った。


***


 路地裏に荒々しい呼吸音が響く。
「なん、俺まで、悪戯の対象になるんだ…」
 ディリータがぼやくように言えば、
「菓子を、あげて、いないからだろう」
 イゴールが切れ切れの息を繋ぎつつも冷静な指摘をする。ディリータはかっとなって叫んだ。
「お前が言うな!そもそも事の発端は―――うっ!」
「どうした…っ」
 唐突に黙り込む相手に視線を向けたイゴールも、同じように口を閉ざす。
 彼らは、カボチャ提灯が照らし出す相手の顔を穴が開くほど見つめる。
 数秒後、
「ひどい顔だな!」
「ディリータ、その落書き、にあう…」
 互いに互いの顔を指さし、げらげらと笑い転げた。


「だいぶ外れの方に来てたんだな」
 公共の井戸を使って顔を清潔にしたディリータが、しんみり呟く。イゴールは顔をしかめた。
「合流には時間がかかるか」
「ああ。で、それ落ちそうか?」
 ディリータは視線をイゴールの手元に落とす。そこには、びしょぬれの手布があった。二人の顔に施されたペイントを落とすのに使ったため、白色だった布は黒と赤と青が混じり合った形容しがたい色に染まっている。
「だいぶ落ちたが、完璧には無理だ。もうハンカチとして使えないだろう」
 イゴールはぎゅっと絞って水気を落とすと、たたみ直してズボンのポケットにしまった。
「冷たくないか?」
 思わず訊いたディリータに、
「平気だ」
 イゴールは短く応え、すたすたと歩き出す。ディリータは石畳に転がっている嘴の付いた帽子を拾い上げ、駆け足で追った。


***


「こないなぁ」
「そうね」
「あいつら警備を忘れて遊んでいるんじゃないだろうな」
「人のこといえるの?」
 マリアは半眼を隣の人物に向ける。
 右手に肉の串焼きをもち、左手に湯気が立ちのぼるカップをもつアデルは、胸を反らして言った。
「これは一般人に扮するために必要な措置だ。ぼへぇと何もせずに突っ立っていると、怪しさ大爆裂だからな」
 だからって、屋台の料理を片っ端から買い食いするのは如何なものか。
 マリアはそう思わないでもなかったが、あまりにも幸せそうに串焼きを頬張るアデルを眺めていると、口に出す気が萎えた。
「お前も何か食べるか?」
「ううん、私はいい」
「そうか? …ちょっとそこで待っててくれ」
 串焼きを完食し終えたアデルは、広場の片隅にある屋台に向かって駆け出す。マリアは一つ息を吐いて、辺りを見渡した。
 中央に焚かれた篝火は赤々と燃えさかり、広場を、集まっている人々の顔を淡く照らしている。
 陽気な曲に奏でる辻芸人。それに合わせて輪になって踊る者達。屋台で一夜限りの商売に精を出す者。広場の片隅で談笑する者達。大人達に菓子をねだる子ども達。
 人々の行動は様々だが、総じて皆楽しそうな表情をしていた。
(戦争が終わって初めてのハロウィンだからかしら)
 そう考えた途端、マリアの心は弾んできた。
(私も、ちょっとハロウィン気分に浸ろうかな)
 マリアは胸の隠しポケットから財布を取り出した。蓋を開け、軽い中身に顔をしかめてしまい直す。
(あとで暖かい飲み物でも買おう。そのくらいなら許されるに違いないわ)


***


 楽しみがあれば、悲しみがある。
 どこかで笑う者がいれば、必ず、どこかで泣いている者がいる。
 両者は表裏一体のものであり、決して切り離せぬ関係なのだ。
 そう実感する場面に、ディリータとイゴールは遭遇した。
 警備場所に向かう途中で足を踏み入れた中央広場は、厳粛な雰囲気に包まれていた。集まった人々は目を伏せて押し黙っている。灯りという灯りはたった一つの例外を除いてすべて消されていた。
 唯一の例外。
 それは、屠殺された牛の骨が投げ込まれた篝火。
「死者の霊を出迎え、悪霊から身を守るための焚き火か」
 イゴールが小声で呟く。
「そうみたいだな」
 祈りの妨げにならないよう、ディリータも小声で応じた。
「お前は行かなくていいのか?」
 言われた意味を図りかねてディリータが視線を向けると、イゴールは焚き火をじっと見つめていた。
「ハロウィンの夜は、この一年間で死んだ者が家族を訪ねるといわれている。お前は昨年の冬、家族を亡くしている。会いに行かなくていいのか?」
 脳裏に、一人の初老の男性の姿が鮮やかに蘇る。
 暖かく朗らかで、今もなおこの畏国で最も高潔な騎士だと主張できる人物。
 彼と共有した時間、交わした言葉、託された願い。
 そして、永遠の別れとなった葬儀の日――。
 ディリータはいつのまにか閉じていた瞼を開いた。
「俺よりも先に会いに行くべき人がいるからな」
「ラムザか?」
「そうだ」
「だが、お前も実子と同等の扱いを受けていたのだろう。天騎士主宰の下で、佩剣の儀を受けたと彼から聞いた」
「………」
「家族という絆に必要とされるのは血の繋がりではない。俺はそう思う」
 暗さで色を落とした緑の瞳を遠くに向けて、イゴールは言う。焚き火の灯りに淡く照らし出されたその顔からは、どんな表情も読み取れない。
 だが、なぜか、その言葉はディリータの心に染みた。
「俺が一人で会いに行くのは不公平だ。時間があれば、ラムザと一緒に行くことにするよ」
「そうか」
 イゴールはディリータに視線を向け、微かに微笑む。次いで、すぐさま頬を引き締めた。
「早く合流すべく、急ぐとするか」
「ああ。アデル達が待ちくたびれているだろうからな」
 二人は頷き合い、足音を殺して広場の端を歩き出した。


***


 先着していた二人の候補生は、最初は暇をもてあましていた。しかし、現在、全く退屈してなかった。
「どう?」
 緊張感ある表情でマリアが囁けば、
「やっぱり見られている」
 空のカップを屋台に返しに行っていたアデルは、囁き返す。
 二人の警戒心をかき立てているのは、一人の老人だ。衣服はその辺の住人が着るような平素なものだが、顔立ちがよく分からない。目深く被った麦わら帽子と口元の豊かな白い髭によって、巧妙に隠されているからだ。広場の一角にあるベンチに腰を下ろした様子は、人混みに疲れたようにも見えるが、帽子の奥から突き刺さるような視線が向けられていることに二人は早くから気づいていた。
「どうするかな…」
「見られているというだけで拘束できないわ。何か証拠がないと」
「証拠か…。身体検査でもするか?」
「あなた、見知らぬ人に『お前は怪しいから身体検査をする』と命じられて素直に従う?」
「ダメか」
 アデルは腕組みをし、マリアは帽子から溢れる髪を指先に絡める。
「何か行動してくれれば対応策を講じられるけれど――っ」
 視線の端に捕らえていた老人が立ち上がった。奥の方…篝火を挟んで向かい側にある小道の方へと向かっている。
 マリアとアデルは顔を見合わせる。視線で頷き合うと、その後をついていった。
 老人の足取りはゆったりとしているが、もたついてはいない。そして、歩く速度はかなり早い。健康な成人男性のような速さだ。また、人混みを巧みにくぐり抜け最短距離でもって小道へ進んでいる様子から、状況判断力も優れているようだ。
 ―――ますます怪しい。
 候補生二人は疑惑を深めて、尾行を続ける。
 老人は広場を横断し、人通りが少ない小道をすたすたと歩く。だが、その足は、左方向に大きく曲がった角に差し掛かった際、ぴたりと止まった。
「二人して尾行が下手だな」
 くるりと振り返って言う。
 角に設置された街灯の灯りが、じりっと音を立てた。
 不審者は背後で硬直している候補生二人にニヤリと笑いかけ、麦わら帽子を取る。帽子に隠されていたのは砂色の髪。次いで、口元の髭を無造作な仕草でむしり取る。街灯の明かりによってその容貌が明らかになったとき、アデルは目を見張り、マリアは思わず叫んだ。
「どうして教官がここに居るのですか!」
「知人に会いに行くついでにお前らの仕事ぶりを見ておこうと思ったんだが…班長以下四人も不在とはどういう事だ? 一時間ほどあそこにいたが、俺は最初から最後まで奴らの姿を見ていないぞ」
 峻厳な瞳を向けられたアデル・マリアの両名は、素直に事実を述べるしかなかった。
「ディリータとイゴールは災難だとしか言いようがないが、ラムザとイリアは直接話を聞く必要があるな。事の次第によっては、ただでは済まさないぞ」
 ジャック教官は悪巧みをするような笑顔を浮かべて、ばきばきと指を鳴らす。
 二人とも、健闘を祈る(わ)。
 二人の候補生は示し合わせたかのように同じ言葉を胸中で呟いた。


***


 ようやく担当場所である広場に着いたとき、なぜか、いるはずの仲間達はいなかった。イリアは辺りをきょろきょろと見る。
「あれ? みんなはどこ?」
「待っていればそのうち来るだろう」
 ラムザから素っ気なく言われる。いつになく冷たい口ぶりだ。イリアは恐る恐る相手の顔色を窺う。目深く被ったフードに隠れて、表情は分からない。それが、一層、恐怖をかき立てる。
「ねえ…怒ってる?」
「警備という任務があるのに君が長時間値引き合戦を繰り広げたことなら怒ってないよ。過ぎたことをとやかく言っても仕方ないからね!」
 ラムザは一気に捲し立てる。
(やっぱり怒っているじゃない!)
 だが、非は自分にある。彼の言うことは正しい。
 イリアはしゅんと頭を垂れる。被っていたカボチャ帽子がずるっと滑り、石畳に落下した。
「…ごめん、言い過ぎた」
 ラムザは腰を屈めて帽子を拾い、付着した砂を手で払いのけ、持ち主に差し出す。イリアはかぶりを振った。
「ううん。悪いのは自分だってわかってる。あなたが謝る必要はない。ごめんなさい」
 それっきり、イリアは押し黙ってしまった。
 ラムザは俯く彼女と手にあるカボチャ帽子を見比べ、途方に暮れる。
 ハロウィンの賑やかさに不釣り合いな静けさが、二人の間を漂う。居心地の悪さに、ラムザは瞳を何度も左右に巡らす。不意に、輪になって踊る人々の向こう側に見覚えのある鳥の帽子を認め、
「イゴール、こっちだ!」
 声を張り上げ、手を振った。
 彼はこちらに向き直って同じように手を振り、一度は人混みに紛れた。ラムザは視界の半ばが塞がれていることを煩わしく思い、フードを払いのける。広場の様子を注意深く見ていると、ダンスの輪を避けるように駆け寄ってくる二つの人影が目に写る。イゴールとディリータだった。
「やっと見つけられた」
 疲れのある声でディリータが言い、イゴールが頷く。
 ラムザは眉をひそめた。二人が着ている衣服には、はぐれてしまったときにはなかった飛沫状の染みが幾つもあったからだ。
「何かあったのか?」
 ディリータとイゴールは顔を見合わせる。前者はわざとらしく肩をすくめ、後者は不満げに片眉をわずかに動かした。
「イゴールが菓子を持っていなかったせいで、悪戯の洗礼を受けさせられたんだ」
「知らないものは仕方ないだろう」
「ハロウィンの発祥や歴史には詳しい癖に、『Trick or Treat』だけ知らないといわれても説得力ないぞ」
「………」
 イゴールはむっつりと黙り込む。
 ラムザは状況を整理するため口を挟んだ。
「ディリータとイゴールは二人で行動していたのか?」
「ああ、途中でアデル達とはぐれてしまった」
 イゴールはぽつりと言い、
「あいつらは俺達を見捨ててとっとと先に行ったんだ!」
 ディリータは地団駄を踏む。ラムザは首を傾げた。
「じゃあ、アデルとマリアは最初に着いているはずなのに…どこにいるんだ?」
「ここに着いてからずっと探していたが、見あたらなかった」
 ディリータの返事に、ラムザは不安を覚える。
 任務には真面目なマリアのことだから、アデルの行動にうまく歯止めを掛けてくれるだろうと思いたい。が、戦後初ということで例年以上に盛り上がっているハロウィンの雰囲気に、彼女が飲み込まれないとは決して断言できない。彼女の隣には、お祭り好きなアデルがいるのだから。イリアでさえ誘惑されてしまったのだから――。
 他の班員達も同じ事を考えていたらしく、
「食い倒れツアーでもしているかも…」
 イリアが不安げに呟き、
「ふむ。金が尽きる方が早いか、アデルの胃袋がふくれる方が早いか。大いに興味あるな」
「俺達を見捨てて食べ歩きか」
 イゴールは大まじめに考え、ディリータは憤慨している。
 もっとも、その推測は外れていた。
 それから幾らも経たないうちに、噂の二人は広場に姿を現した。目ざとくこちらに気づき、駆け寄ってくる。そして、
「ラムザとイリアに伝言があるの」
 上ずった声でマリアが言った。
「誰から?」
「ジャック教官からだ」
 アデルの口からその固有名詞が飛び出た瞬間、ラムザは顔を強張らせ、イリアは顔色を変えた。
「『明日の正午、二人揃って俺の所まで来い』だとよ」
「教官、ここにいたの?」
 恐る恐る尋ねるイリアに、マリアは申し訳なさそうに頷く。
「ええ」
「ディリータとイゴールについては納得してくれたけど、おまえらについては『途中ではぐれた』としか説明できなかったんだ」
「そうか…、わかった」
 深刻な表情でラムザが首を振る。アデルはその肩をばしっと叩いた。
「大丈夫だ、死ぬような目には遭わないって!」
「うん。きっと反省文程度よ。だから、イリアもそんな暗い顔しないで」
 マリアもしょげ返っている二人を慰める。
 ジャック教官の“恐い笑顔”のことは敢えて口に出さなかったが、勘の良いラムザとイリアは朧気に察していたのだろう。以後、警備担当時間が終わるまで、二人は最低限のことしか喋らなかった。


 翌日の正午、ラムザとイリアは覚悟を決めて教官の個室を訪れた。二人から事情を聞いた教官は長い間沈黙を保っていたが、
「二人とも反省文を書いて今日中に提出しろ」
 とだけ言って、二人を廊下へ追い出す。
 耳がつんざくような叱責が無かったという事実に、二人は顔を見合わせ首を傾げた。
 彼らの背後、ドア一枚を隔てた個室の奥で、
「くっそ〜、娘は一滴も飲めないのに、その両親は両方ともザルなのはどういう事だ?」
 猛烈な吐き気に顔を歪めつつ教官がぼやいていたのを、二人は知らない。

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