伝承(3)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第九章 伝承(3)

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 その後に話し合った結果、ゴーグへの出立は明朝となり、ラムザ達もライオネル城に一泊することになった。
 当初、ラムザは「傭兵である自分には過分な待遇である」と辞退していたのだが、枢機卿から様々な道理――あと二時間で日没という今の時間に出発しても、次の街までたどり着くことは到底不可能であること、雨期に突入したこの時期の野宿は旅慣れていないムスタディオには厳しいであろうこと、ライオネルからゴーグに至る道のりにあるツィゴリス湿原を突破するには相応の準備が必要であること――を説かれ、さらには「不慣れな環境で不安であろう王女の心を、同世代のあなた達と今宵を共に過ごすことでほぐしてあげてほしい」と小声で頼まれると、断り切れなかったのである。
 ドラクロワの計らいにより、真っ先に入浴の準備が整えられることになった。この申し出に目を輝かせたのは、女性陣である。エルハイヤ村を出発してライオネルに着くまでの七日間ずっと野営が続き、湿らせた布で身体を拭き清めるだけだったからだ。男女別に分かれた一行は案内された浴室で、香料入りの石けんを使って旅路の汚れを落とし、たっぷりお湯が張られた湯船に身体を浸す快感を久々に味わった。さっぱりした身体で浴室からあがれば、着衣所に控えていた人物から着替えを差し出される。入浴前に着ていた衣服のありかを問えば、「洗濯に回しております」との返事。受け取って袖を通してみれば、あしらえたかのようにサイズがピッタリと合う。これには、一六八センチという女性にしては高い身長を有するアグリアスは驚かされた。
 入浴後は個室に案内されたが、ドラクロワはここでも配慮をみせた。二間続いている寝室をオヴェリアとアグリアスに提供し、その廊下を隔てた向かいの部屋にアリシアとラヴィアンの個室をそれぞれに用意したのである。扉を開ければ容易く、互いが互いの元へ移動できる。慣れ親しんだ者が間近にいた方が王女の心が安まるだろうという思いやりと、親衛隊員の立場を尊重しようとする態度とが、アグリアスの胸に染みた。
 また、ゴーグへ出発するムスタディオ達にも、ドラクロワは配慮を怠らなかった。ラムザにあてがわれた部屋に集まって今後の進路を話し合っていると、侍従らしき老齢の男性が、大きな包みを抱えて入ってきた。「猊下からの差し入れです」との言葉にラムザが包みを開いてみると、現れたのは、ツィゴリス湿原を含むライオネル領南部の詳細な地図に、乾物などの携帯に適した食料品、ランプに差す油、ハイポーションとエーテルがそれぞれ五つずつと、五十発の銃弾を収めた木箱である。最後の贈り物は「ゴーグじゃないと弾の補充ができないのか」とぼやいていたムスタディオを特に喜ばせた。
 そして、太陽が地に没しようとする時刻になって、全員が夕食の席に招かれた。テーブルに鎮座するのは、チョコボの手羽刺しをメインとする山の幸が凝縮された料理の数々。招待主のドラクロワが政務を理由に席を外し、また、食事の世話をする侍従達が室外に待機していたからだろうか、食卓は旅の最中と変わらぬ和気藹々とした雰囲気になった。
「うっめー、このピリ辛風味の焼き肉もいけるぞ!」
「アデル、ニンジンも残さず食べなさいよ。栄養たっぷりなのだから」
「おふくろみたいなこと言うなよ、マリア」
「アデルさんはニンジンがお嫌いなのですか?」
「そうですよ、お姫さま」
「どうしてですか?」
「生だと固くて食えないし、煮やしたら食感がぼそぼそしていて気持ち悪いし、どう調理しても匂いが残るからですよ」
「以前、ニンジン入りのパウンドケーキを『うまいうまい』と平らげたのはどなただったかしら?」
「あれは知らなかったからだ! そもそも、黙って嫌いな物を食わせる方が卑怯ってもんだぜ!」
「なっ、私はあなたのためを思って作ってあげたのよ! ニンジンだって工夫すれば美味しく食べられることを教えてあげようと思って」
「それが大きなお世話だってーの! ニンジンなんか食わなくても生きていけるッ!」
「そんな子供じみた理屈が、自分で取ったお皿に盛られていたニンジンをイゴールに押しつける理由になるとおもっているの!」
「俺はべつに構わないが」
「イゴールがそうやって甘やかすからアデルが図に乗るのよ。さあ、今日こそ自分で食べなさい!」
「ぜってーイヤだ!」
「あ、アデルさん、マリアさん、二人とも落ち着いて…」
「オヴェリア様、放っておいて支障ないですよ。あれが二人のコミュニケーションですから」
「そうなのですか?」
「私も、イリア殿と同感です。仲が良いほど喧嘩するとも言いますし」
「ラヴィアンの言うとおりです。ここは黙って見物していましょう。それよりも、こちらは召し上がりましたか? 姫様の大好きな木イチゴのタルトですよ」
「ありがとう、アリシア。後でいただくわ」
「ラムザ殿」
 不意に、囁くように間近で呼びかけられる。ラムザが顔を上げると、オヴェリアの隣に座っていたはずのアグリアスが、いつの間にか自分の傍らに佇んでいた。
「話があるのだが、少しいいだろうか?」
 真剣な眼差しに、ラムザはうなずいて席を立った。


 みんながいると話しづらい内容なのか、アグリアスはラムザを伴って続きの間へと移動した。談話室のようで、重厚なデザインの応接セットがゆとりをもって配置されている。利用されることを想定していたのか、足を踏み入れた時点からすでに燭台には明かりが灯されていた。
「それで、お話とはなんでしょうか?」
 椅子に座らず立ったまま、ラムザは本題を切り出す。
「食事中にすまない。明日早くに出発すると聞いて、今を逃せば伝える機会がないと思ったからな」
 アグリアスはそう前置きして、面前の若者に視線を固定した。
「我々がここまで来られたのは、ラムザ殿、貴公のおかげだ。感謝している」
 アグリアスは深々と頭を下げる。
 驚きのあまりに頭が一瞬真っ白になったラムザをよそに、顔を上げたアグリアスはズボンのポケットから何かを取り出し、ラムザに差し出した。
「あらためて、これを受け取ってほしい」
 開いた手の平にのせられていたのは、オーボンヌ修道院で一度見た純銀製のバレッタだった。
「しかるべき場所で換金すれば、かなりの金額になるはずだ。それを、貴公の今後に役立ててほしい」
 アグリアスが歩み寄り、互いの距離を縮めようとする。
 ラムザは素早く身を引き、そして、ゆっくりとかぶりを振った。
「受け取るわけにはいきません。僕にそんな資格はありませんし、もしかしたら、あなたの方こそがまとまった現金が必要なときが来るかもしれませんから」
 不吉な響きを帯びた後半の言葉に、アグリアスは眉をしかめる。
「どういうことだ?」
「これは、憶測に過ぎませんが――」
 ラムザは昼過ぎに峠でイゴールと話し合ったことを――北天騎士団の動きの不審さからドラクロワ枢機卿がラーグ公爵側に取り込まれた可能性があることをアグリアスに説明した。
 無事な王女を前にして目を潤ませ、王女とムスタディオへの協力を快諾し、そして、王女だけでなく傭兵である自分にも温かいもてなしをしてくれている枢機卿に対して無礼極まる内容であるとラムザは自覚していたが、アグリアスは怒らなかった。
「確かに、その可能性も否定できないな。心しておくとしよう」
 意外な反応にラムザが目を瞬いていると、アグリアスはふっと優しく笑った。
「本当に、貴公には世話になりっぱなしだ」
「そんなことは――」
 見慣れぬ彼女の表情に気恥ずかしさを覚えて、ラムザは壁に飾られた風景画に視線を向けた。
「いや、ある。オーボンヌでは誰よりも早く別働隊の可能性に気付いた。ゼイレキレの滝では、オヴェリア様のために戦ってくれた。貴公がいたからこそ、ドーターで、イリア殿を始めとする信頼に値する冒険者達と知り合えた。収集した情報を分析する能力は確かだし、アリシアやラヴィアンがおそらく言いづらいことを率直に私に伝えてくれる。貴公と知り合ってこの一ヶ月というもの、助けられたことを挙げればきりがないくらい――」
「やめろ! 僕はそんな立派な人間じゃないッ!」
 悲鳴じみた叫びがアグリアスの言葉を中途で遮る。
 再び交錯した視線の中、ラムザの端麗な顔が自嘲に歪むのをアグリアスは見た。
「不安を自分の胸だけに納める度量がなくて不用意に口に出しては人の不審を誘い、困惑させ、そのくせいざそれが現実となると受け止めきれずに目を逸らした結果、多くの人を傷つけてきた。そんな意気地のない人間です。だから、やめてください」
 アグリアスは口を開きかけ、閉じた。面前の若者が、適当な気休めの言葉を欲していないことは明白だ。だが、素直に頷くことなど到底できず、その感情を伝えたいという気持ちが、アグリアスの中に確かに存在する。ただ、それをどう伝えれば彼の心に届くのか、その方法がわからない。
 アグリアスがめまぐるしく思案を巡らしていると、不意に、小さなノックの音が耳朶に滑り込む。食堂の通じる扉の方だ。
「…はい」
 数瞬の無言の間を経てラムザが応えると、扉を押して入ってきたのはオヴェリアだった。
「あ、あの…少しよろしいでしょうか?」
「どうぞ、僕はもう失礼しますので」
 そう答えるラムザの声音は常の平坦さを取り戻しており、その表情も整えられている。先程までの激しい動揺は、微塵も感じさせない。一瞬で面を被ったかのような彼の変化に、アグリアスは戸惑ったが――
「いえ、ラムザさん、あなたに聞いているのです」
「…それは…構いませんが…」
「どうしてもお礼が言いたくて。私がライオネルに無事たどり着けたのは、あなたのおかげです。本当にありがとうございました」
 お辞儀をするオヴェリアを映した青灰の瞳が揺れたのをみて、唐突に理解した。精神力で感情を押さえ込んでいるだけであることを。そして―――、
「何の力にもなれないけど…、気をつけてくださいね」
「ご心配なく。王女様のお言葉だけで十分です」
 王女の感謝の言葉でさえ、彼の心には響いていないであろうことを。
「すみません、明日は早いので先に休ませていただきます」
 礼儀作法の教本に見本として図解されていそうな礼をオヴェリアにした後、ラムザはきびすを返す。
 アグリアスは遠ざかる背中に焦りに似た感情を覚えたが、何一つ口に出すことはできず、結局は廊下へと直接通じる扉から彼が立ち去るのを見送るだけになってしまった。
 ぴたりと閉じられた扉が、彼の分厚く高い心の壁を連想させて、物悲しい。
「アグリアス、どうかしましたか?」
 気遣わしげな主君の言葉にも気付かず、アグリアスは胡桃材の扉をじっとみつめていた。


 翌朝。
 ムスタディオ達の見送りがしたいというオヴェリアの願いを叶えるために、アグリアスは王女と共に正門が一望できるテラスにいた。見下ろせば、今まさに出発しようとする六人の若者の姿が見える。
「あっ!」
 視線に気付いたのか、まずムスタディオが頭の上で大きく手を振り、数秒の間を経て四つの手が同じ動作を行う。
 同じように手を振って応えるオヴェリアの傍らで、アグリアスの視線は金髪の若者を追っていた。振り返るも彼はこちらを見ようとはせず、別れを惜しむ仲間達に何かを話しかけた後、城門をくぐっていく。
 他の若者達も彼の後を追って門をくぐり、全員が通過しおわるとすぐさま、内側にいる兵士によって門は固く閉じられた。
「さびしくなるわ…」
 ぽつりと呟くオヴェリアに、アグリアスは優しく語りかける。
「ムスタディオの父君が無事解放されて聖石を手に入れたら、彼らはライオネル城に帰還します。そのときには猊下に願い出て、お会いできるよう取り計らってもらったらいかがでしょうか」
「…そう…ですわね。機会があれば」
 オヴェリアの華奢な指が、祈りの形に組まれる。
 アグリアスは王女と等しい感慨を抱きながら、ゴーグがある西の空を見上げていた。

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