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第六章 遭遇

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 後をつけられている。
 五十歩くらいの距離を保って、尾行してくる人影。気付いてからというもの、縮まることはあっても離れる気配はまったくない。
 このような立場に立たされた場合、人が取りうる選択肢は大まかに分けて三つあるだろう。無視するか。尾行をまくか。あるいは、相手に詰め寄って理由を尋ねるか。
 実際に遭遇した若者は、二番目の選択肢を選んだ。人の波を掻き分けるように大通りを横断したり、路地をジグザグに走り抜けてみたりと、街中を忙しなく移動する。
 勢いよく流れる街の風景の中で、ふと、狭い路地が目に入った。若者は急反転してそこに飛び込んだ。暗がりに身を潜め、息を止めて心の中で数をゆっくり数える。十を数えた頃、若者はおそるおそる背後を顧みた。
 人影はない。誰かの気配もしない。
 ほっと安堵した途端、襲ってきたのは猛烈な息苦しさと激しい疲労。倒れ込みそうになる身体を若者は壁に縋ることで押しとどめ、新鮮な空気を思う存分貪った。
「さてと…」
 若者は荒い呼吸を気力で押さえ込み、歩き出す。
「補給はあきらめるしかないな。さっさと街をでよう」
 乳酸がたまった両脚は、鉛のように重い。ともすれば止まりそうになる足を若者は叱咤して動かし、ふと、眉間にかすかな皺を寄せた。
「――ってか、ここはどこで出口はどっちだ?」
「スラム街のはずれだ」
 独り言に返事が返ってくる。
 若者が愕然と振り返れば、一人の男が道をふさぐようにたたずんでいた。
「さらに言えばその先に古い門があるが、おまえがそこにたどり着くことはない」
 ご親切に道案内をしてくれたわけではないのは、悪意に満ちた口調からして明らかだ。
 若者は慌てて前へ駆け出したが、数歩もいかないうちにその足は止まった。満月状に弓を引き絞った別の男が、行く手を塞ぐように立っていたからだ。鏃はまっすぐに若者を狙っている。
「どこにも逃げられんぞ。命が惜しければおとなしく渡すんだ」
 背後の男が言うように、封鎖された路地には分かれ道がない。
 若者はゆっくりと振り返り、おどけるように肩をすくめた。
「何を渡せっていうんだ? オレにはなんのことだかさっぱり…」
「しらばっくれるんじゃない、ムスタディオ!」
 若者――ムスタディオは顔をしかめた。大声が耳にキーンと響いたこともあったが、面識のない男に名指しされる意味を正確に察したからだ。
「さあ、素直に『聖石』をこちらに渡すんだ。渡せば親父を解放してやろう」
 前を見て、首だけを動かして後ろを見て、再び前を向いて目を伏せる。
 ムスタディオのそうした動きを、男は観念したと解釈した。たやすく仕事が終わりそうな予感に、男の口が自然と緩む。
「…よし、捕らえるんだ!」
 その命令に、弓を引き絞っていた男が構えをとく。
 油断がもたらした隙を、ムスタディオは見逃さなかった。左手で左腰に固定していたポーチのふたを払い、右手でしまっていた物――銃を取り出し、弓を握ったまま近寄ろうとする男に狙いをつける。
 初めて実物を見るのだろう。金属製の筒を突き付けられた男の顔に戸惑いの色が浮かぶ。
 ムスタディオは滑り込ませた人差し指で引き金を引いた。
 轟音。
 男の左大腿部に小さな穴が穿たれ、そこから大量の血が噴水のように噴き出す。男の表情が、戸惑いから驚愕そして苦悶へと、一瞬のうちに変わった。
 同時に、ムスタディオは走り出した。背後の男には構わず、弓を投げ出して出血する箇所を抑えている男の横を通り抜け、路地の奥へと駆ける。
 たどり着いたそこは、ひらけた場所になっていた。かつては市街地だったようだが、放置されて久しいのか。きちんと敷かれているべき石畳は大部分が剥がれ落ち、背丈の低い雑草が一面に生い茂っている。その新緑色の空き地を区切るかのように、身の丈ほどの城壁が連なっており、右の端には門のような建造物が見えた。
 追っ手から遠ざかることだけを考えていたムスタディオは、当然、街の外へと通じるであろう場所へ足を向ける。だが、次の瞬間、狙い澄ましたかのようにシュッと空気を裂く音が耳を掠め、鼻先を素早い何かが通過していった。
「舐めたマネしてくれやがって…」
 唸るような低い声と共に、路地から先ほど無視した男が姿を現す。それを合図としたかのように、ムスタディオが単なる草むらだと思っていた場所から五人の男たちが身を起こし、二手に分かれて左右に散らばった。
 ギラギラとした瞳でこちらを見据え、武器――剣に弓矢そしてロッドと種類は異なるが――を構え、扇状に展開したままじりじりと近寄ってくる動きは、肉食獣が集団で獲物を追いつめる様を連想させる。
 ムスタディオは、まんまとこの場所におびき寄せられたことを悟った。唯一の逃げ道――後ろへ下がるが、十歩ほどで石の壁が背中にぶつかってしまう。彼は覚悟を決めた。
「てめぇ、自分の父親がどうなってもいいのかッ!?」
 恫喝していた男の視線が、突然、見下ろすものからから仰ぎ見るものへと変化する。
「そっちこそルードヴィッヒのヤローに言っておけ。親父に指一本でも触れてみろ、『聖石』は二度と手に入らないことになるってなッ!」
 跳躍して城壁の上に降り立ったムスタディオは、その男に銃口を向ける。
 しかし、すでに銃の威力を目の当たりにしていた男は、引き金がひかれるのを待たなかった。自身は姿勢を低くして壁際に駆け寄り、弓を携えた仲間達に矢を射させる。
 違う方向から飛来する二本の矢を見て、ムスタディオは咄嗟に身体を屈めた。一本は彼の頭上を通過していったが、もう一本は彼の右腕を掠めていった。
「――いてっ!」
 抉るような痛みに、ムスタディオの顔が歪む。
「このヤローッ!」
 手からこぼれ落ちそうになる銃を、ムスタディオは気力で構え直した。城壁をよじ登ろうとする男に狙いをつけて引き金をひきかけた瞬間、突然、目の前が白光した。
「サンダー!」
 魔法だと認識したときには、発現した一条の雷がムスタディオを貫いていた。強い電流に体中の筋肉が収縮し、その身体は釣り上げられた魚のように大きく跳ね上がる。
 全身の感覚が遠い。
 手を伸ばせば届きそうなところに銃が落ちているのに、身体が重くて思うように動かせない。
「ったく、てまどらせやがって」
 男のつま先が、銃を蹴飛ばす。ムスタディオにとって唯一の武器は、小さな弧を描いて城壁の外に落ちていった。
「最後の忠告だ。さっさと『聖石』を渡しな。」
「………」
 胸元を掴まれて強引に膝立ちにさせられるも、ムスタディオは口を固く閉ざす。
 すると、男は愉快そうに唇を歪めた。
「生意気盛りのガキを素直にさせる手段なんて、いくらでもあるんだぜ。たとえば――」
 男がぱっと手を離したかと思うと、次の瞬間には頬に冷たい金属の感触がした。
「――耳をそぎ落とすとか、な」
 相手が本気なのは、剣呑なものを宿す瞳とじんわりと頬に食い込む刃の感触とが教えてくれる。
 途端、顔面から血の気が退き、身体がみっともなく震え出した。
「坊主、『聖石』を渡せ」
(―――親父、すまねぇ!)
「……い…やだ」
 目が眩むような絶望感と無力感に苛まれながらも、ムスタディオは拒絶した。
「根性あるじゃないか。じゃ、右から頂くぜ」
 男が柄に力を込めようとする。
 すぐにくるであろう激痛に備えて、ムスタディオは目をきつく閉じ、歯を食いしばった。そして――、
「――がっ…!?」
 短い悲鳴と共に、重い何かが転がり落ちる音が聞こえる。
 ムスタディオが恐る恐る目を開けてみれば、面前にいたはずの男は城壁の下に転落していた。四肢はだらんと力なく伸び、その頸部には見慣れぬ矢が一本突き刺さっている。
「君、ぶじか!?」
 若い男の呼びかけに視線を巡らせば、五人の一集団が城壁の外にいた。いずれもムスタディオと同じ十代後半で、しかもそのうち二人は女の子だ。
「誰だ、てめぇら!?」
 一人が集団から抜け出し、跳躍してムスタディオの傍らに降り立った。短髪と言うには少し伸びた黒い髪を臙脂色のバンダナで抑え、濃紺色の武闘着を隙無く着こなした若者だ。
「このアディール・ハルバートン、あんたら悪漢に名乗る名前など持ち合わせていない!」
 城壁の中にいる男たちを、効果音が聞こえそうなほど勢いよく指さす。が―――
「アデル、冒頭で名乗っているわよ」
「しかもフルネームで」
「あっ…」
 女の子二人から指摘を受けるなり、アデルと呼ばれた若者は明らかにしまったという顔をした。
 なんとなく気力が抜けるような沈黙が数秒流れ――、
「と、とにかく!」
 黒髪の若者はわざとらしい咳払いをした。
「大勢で寄ってたかって一人に暴力をふるうなど、この俺の目が黒いうちは断じて認めん! 義によって――でぇ!」
「ごちゃごちゃうるせぇぞ!」
 意気軒昂な口上は、放たれた矢によって遮られる。
 途端、若者の目がつり上がった。まっすぐに心臓目がけて飛来する矢を、彼は、命中する寸前に手刀で叩き落とす。勢いよく城壁を駆け下り、追っ手のただ中に突撃し、
「人の話は最後まで聞けと親に教わらなかったのか!」
 矢を放った男に見事な回し蹴りを放った。意味不明な叫びを上げて、男は数メートル後ろに吹っ飛んでいく。
「このガキ、やる気か!」
 怒号と同時に、追っ手達は一斉に動いた。正面に立つ男は剣を抜き、左にいる麦わら帽子を被った二人組はロッドを掲げて何かを呟き、弓を持った男がその背後に回り込もうとしている。
(あのままじゃ、なぶり殺しだ!)
 警告すべく、ムスタディオが口を開きかけたときだった。
「げっ…!」
 背後で矢をつがえようとしていた男は、逆に、長身痩躯の若者が放った矢を背中に受けて、そのままうつ伏せに倒れた。
「言葉操りの者共、静寂に真実を求め、暫し言葉忘れよ…沈黙唱!」
 白いローブを羽織った女の子が謳うように言うと、ロッドを掲げた男たちは露骨に狼狽を顕わにした。
「あとは任せて!」
 追い打ちをかけるように、亜麻色の髪をポニーテールに結った女の子が城壁を駆け下り、鞘に収めたままの剣で彼らを昏倒させる。そして――、
「連続拳!」
 若者が飛燕の速さで繰り出す両の拳で腹部を強かに殴られた男は、身体を大きくよろめかせた。
「くそっ…」
「引け。これ以上の戦いは無意味だ」
 最後に城壁に上がってきた金髪の若者が、淡々とした口調で語る。
 男は猛然と怒鳴った。
「冗談じゃねぇ、そいつを捕まえりゃ五万ギルが――ッ!」
 金髪の若者が何か短い言葉を呟く。
 直後、一抱えはありそうな氷の塊が男の面前に激突した。落下する際に砕け散った氷の破片が、男の頬や腕を掠めて細く鋭い傷をつける。
「傭兵ならば命あっての物種だと思うが、どうだろうか?」
 男に向かって突き出された若者の掌は、青い光を帯びた二重円の魔法陣が展開している。それは、高度な黒魔法を発現させる直前に発生する事象であるが、ムスタディオは知らなかった。ただ、本能的に、圧倒的な力が秘められていることを感じて、ごくりと生唾を飲んだ。
 心臓をキリキリ締め上げるような緊迫した沈黙が、双方の間を流れる。
「くそっ、覚えてろよ!」
 先に根負けしたのは、男の方だった。お決まりとも言える捨て台詞を残して、黒チョコボにも匹敵しそうな速さで逃げ去っていく。
 その姿が路地の暗がりに消えると、金髪の若者が長い息を吐いた。
 掌の光が、霞のように消える。
「逃げてくれたか、よかった」
 誰に告げるともなく彼は言い、ムスタディオに向き直る。青灰色の瞳と視線が絡むなり、彼は表情を曇らせた。
「イリア、彼の手当をお願いできるかな?」
「――…あ、うん」
 イリアと呼ばれた女の子がムスタディオの傍らに座り、「ちょっと失礼するね」と断ってから右の袖を慎重な手つきで捲っていく。傷の部分が顕わになると、彼女は右手をかざして「ケアルラ」と呟いた。
 綺麗な青緑の光が白い掌から溢れ、傷口に向かって流れ込む。
 春の日差しのようなぬくもりを心地よく感じていると、不意に身体が軽くなった。
「はい、おわり」
 肩に感じた軽い衝撃に右腕を見れば、傷は消え失せ、うっすらと皮が貼っている。
 初めて見た回復魔法にムスタディオが戸惑っていると、今度は金髪の若者が右手を差し伸べてきた。
「これ、君のだろう?」
 城壁の外に蹴飛ばされたはずの銃が、その手に握られている。ムスタディオは頷いた。
「そうだ。ありがとう」
「どういたしまして」
 そう言ってにっこり笑う若者の顔はすがすがしくて、ムスタディオの印象に強く残った。

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