邂逅(2)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第四章 邂逅(2)

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

 集合場所としていた中央広場の片隅には、自分を除く全員がそろっていた。
「お待たせしました」
 そう声をかければ、五つの頭が一斉に振り返った。
「どうだったか?」
 真っ先に口を開いたのは、アグリアスである。単刀直入に本題を突くその態度に、ラムザも簡潔に趣旨を切り出した。
「世間には、年齢に髪と瞳の色くらいしか知られていないようです。『肖像画がないから顔はわからない』と酒場の店主は言っていました」
「そうか」
 声に安堵を滲ませるアグリアスの視線の先には、頭からつま先までフード付きの外套ですっぽりと身を覆ったオヴェリアがいる。広場を行き交う人々の視線を塞ぐように直立するアリシアとラヴィアンに守られ、黙然と佇んでいる。ラムザがちらりと視線を向ければ、フードの影から覗く紺碧の瞳がまっすぐに自分を見ていた。どのような表情をされているかは、わからない。
 ラムザは視線をアグリアスに戻し、報告を続ける。
「それ以上に警戒すべきなのは、南天騎士団の紋章を掲げた騎士が王女を誘拐したという事実が流布していることです。今この場にいる我々を除けば、目撃者はガフガリオンと負傷のために修道院に残してきた女性しかいません。前者は仕事上の機密を言いふらすような愚行はせず、後者はケガで絶対安静の身。また、礼拝堂にいたシモン神父も関係者となりますが、彼は実際に見たわけではなく人づてに聞いただけであり、証拠としては信憑性が薄いと思われます。それなのに、こうもはっきりと誘拐犯の正体が明示されているのは――」
「意図的か」
 結論をアグリアスに先取りされる。ラムザは首肯した。
「おそらく、ラーグ公側の情報操作でしょう」
 そう締めくくる若者に、アグリアスは舌を巻いた。
 実は、ラムザが広場に来る前に、アグリアスは別の酒場に向かっていたラッドから同じ情報を聞かされていた。そのときは「王女誘拐が事件として情報屋に流れている」程度に認識しただけだった。しかし、ラムザは同じ情報を耳にしながらも不自然さを見逃さず、逆にそこを着眼点にして思案し、巧妙に隠された真実を探り出していた。これは見事な戦略眼と評してもいい。
「ラッド、そっちはどうだった?」
「語り手という枝葉は異なるが、内容という根っこは同じ。俺も、おまえの言うとおりだと思うぜ」
「…そうか。」
 呟くように言ったきり、ラムザは黙ってしまう。
 ゴルターナ公を貶めるよう情報操作をしているラーグ公側の意図を推理しているに違いない。つきあいの長さから、ラッドはそう推察する。黙考する同僚をそのままにして、ラッドはアグリアスに話を振った。
「で、そちらさんは今日の宿を手配できたのか?」
「それが…」
 気まずそうに言い淀む態度で、ラッドは全てを察した。
「あ〜、ダメだったわけですね」
「だって、オヴェリア様をあんな汚くて狭くてすぐ隣には不逞の輩がいそうな部屋にお泊めできるわけが――ふごっ」
 ムキになって反論するアリシアの口をラヴィアンが両手でふさぐ。「声が大きい」とラヴィアンがささやけば、つり上がっていた朱金色の眉がしゅんと垂れた。
「貴公はこの街に詳しいのだろう? 人目につかず、それでいて妙齢の女性でも安心して泊まれるような宿を知らないか?」
 アグリアスの問いかけに、ラッドは困った。途方もない難問だったからだ。
 頻繁にドーターを訪れるのは事実だ。しかし、私用で訪れることは滅多になく、ほとんどが仕事の関係による。そして、ラッドの職業は傭兵である。傭兵というのは、金銭の支払が約束されているのならば、人目を憚るようなものでも法に触れる行為であっても請け負う存在だ。仕事上訪れることが多いのならば、当然、足を踏み入れる場所も目的にふさわしいところとなる。脳裏をよぎった馴染みの宿は、どう考えてもアグリアスが提示する条件に適わない。
「それなら、この宿に行ってみませんか?」
 助け船を出してくれたのは、意外にも、思案にふけっていたはずのラムザだった。ズボンのポケットから一枚の紙切れを取り出し、アグリアスに差し出す。
「先ほどの酒場の主人が『お勧めの宿』として紹介してくれました」
 アグリアスが受け取った紙をラッドは横から覗き込んだ。大ざっぱに描かれた地図を眺め、二重に下線されている店名を呟く。
「小熊亭。聞いたことないぞ」
「良心的な酒場だったので、少しは期待できるかと」
 ラッドの言葉を聞き流して、ラムザが言う。
 暫し迷ったが、アグリアスは行ってみることにした。立地条件から護衛しやすいと思われた宿はすべて、アリシアが憤慨するように王女を泊めるに相応しくなく、他にあてがなかったからだ。
 様子見だからと自分一人で行こうとしたアグリアスだったが、「慣れない街でお一人にさせるわけにはいきません」とアリシアが頑なに同行を申し出て、「どのような宿か見てみたい」とオヴェリアが呟き、「姫様が行かれるのでしたら、私も」とラヴィアンが頷く。そして、「他に用事がないから」と傭兵二人もついてくることになり、結局全員で移動することになった。
 中央広場を貫く大通りを歩み、三本目の交差点を左折する。路地をまっすぐ進んでいけば市場の喧噪は遠ざかり、庶民的な雰囲気が漂いだした。道端で会話する中年の女性達が、すれ違う子供達が、軒下でワインを楽しむ男達が、こちらに好奇の視線を向けてくる。挨拶には挨拶で返し、会釈には会釈で対応し、さあらぬ風を装って歩む。地図に従って三つめの角を曲がれば、目的地と思われる建物にたどり着いた。
 蔦に覆われたレンガ壁に赤い屋根、こぢんまりではあるが丹念に手入れのされている庭。一見すれば、ちょっと洒落た住宅だ。しかし、軒先に吊り下げられた木製の看板には『小熊亭』と書かれている。
「…ここか」
 観音開きの扉を、アグリアスが押し開く。中に入った彼女のすぐ後ろを、フードを目深くかぶり直したオヴェリアとアリシアが並んで歩く。
「お先にどうぞ」
 ラヴィアンが右腕を動かし、開かれた扉を指さす。しっとりとした落ち着きを感じさせる声音に変化はないが、傭兵二人を見るその目は厳しい。
 怪しいことをしないか、後ろで見張っている。
 暗にそう言われて、ラッドは肩をすくめて傍らの同僚を見返した。
「はいよっと、ラムザ?」
「………」
 どこかぼんやりとした表情で、ラムザは宿を眺めている。ラッドは肘でその腕を軽く小突いた。
「俺たちが先に中に入れ、っとさ」
「…ああ、わかった」
 すっと前に進み出て、特に躊躇いを感じさせずに扉をくぐっていく。その動きは、ラッドがよく知るラムザのもの。気のせいだったのだろうか。ラッドは内心でそう呟き、その後に続いた。
 最後に入ったラヴィアンが扉を閉める。
 入ってすぐの場所は、食堂になっているようだ。掃除が行き届いた室内に、手作りと思われるテーブルセットが適度な距離でもって設置されている。向かって右側の壁には料理のメニュー表が貼られ、反対の左側はカウンター席になっており、そのさらに向こうは厨房になっているようだ。午後四時という昼食には遅く夕食には早い時間のせいか、客は一人もいない。食事や酒の匂いさえしなかった。
「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか」
 アリシアが声を張り上げる。
 残響が消えかけた頃、厨房から壮齢の男性が姿を現した。簡素な衣服の上に清潔な印象を与える白の前掛けを着用しているから、店主なのだろう。あたふたとした足取りでこちらに歩み寄り、薄い茶色の髪に覆われた頭をぺこりと下げた。
「もうしわけありません、本日はもう材料がなくて料理をお出しすることができないのです」
 その一言に、アグリアスをはじめ全員が困惑する。
「ここは宿屋だと聞いたのだが?」
 アグリアスの問いかけに、店主は「ああ、失礼しました」と、さらに深く頭を下げた。
「最近食事だけというお客様が多かったものですから、うれしいですねぇ。何名様でしょう?」
「男性二名女性四名、計六名だ」
「二人部屋一つに大部屋一つでよろしいでしょうか? その二部屋しか空きがないのです」
 大部屋一つを女性陣にあてれば、親衛隊の全員が王女と共に一室で寝泊まりできることになる。護衛するには最適な環境だ。アグリアスは店主に頷いて見せた。
「構わない」
「では、こちらにご記入願います」
 店主から宿帳とペンを差し出され、アグリアスは一瞬思案を巡らした。
 正々堂々と本名を記入するわけにはいかない。ゼイレキレの滝でガフガリオンの逃亡を許してしまったから、王女が親衛隊と共にいることはラーグ公にもう知られてしまっているだろう。王女を殺そうとした人間に、こちらがドーターに宿泊していたという事実をわざわざ教える気は毛頭ない。かといって、偽名を記しては、咄嗟にボロを出してしまい宿の人間に不審に思われる可能性も否定できない。
 アグリアスは見返り、壁際に佇む傭兵の二人を見つめる。
 王女の名を記すはもってのほか。アリシアもラヴィアンも、アグリアスとまったく同じ理由で名を記すわけにはいかない。傭兵という立場ならば、雇われたとはいえその名が北天騎士団に知られている可能性は低いだろう。だから、二人のうちどちらかが宿帳に記入してほしい。
 蒼い瞳に籠められた無言の訴えを察した傭兵二人は、目配せをする。
 ラムザとしては、ラッドに書いてほしかった。なぜなら、今この場にいる人間の中で最もラーグ公側に名を知られているのが自分だからだ。ダイスダーグの手の者が宿帳を調べでもすれば、アグリアスの懸念が的中してしまう。
 一方、ラッドとしては、ラムザに書かせたかった。成り行き上ここまでついてきたが、これから先も王女ご一行と行動を共にするかどうか、わからないからだ。ガフガリオンから別れ際に言われた言葉が、頭から離れない。
 ほぼ同時に相手の脇腹を肘で突き、軽い衝撃で互いが互いに押しつけようとしていることを知る。
 無言で睨み合うこと、数秒。
 先に折れたのは、ラムザの方だった。
 宿帳の記入という宿に泊まるのならば当然の行為をこれ以上ためらっていては、宿の主人のみならずアグリアス達にも不審に思われてしまう。そしてなにより、自分は、弱者が強者の犠牲になることを防ぐために王女を助けると決めた。ガフガリオンに見放され、これからどのような道をとるか迷っているラッドに、自分が選んだ道を強いるようなことをすべきではない。
 アグリアスが一歩退き、入れ代わりにラムザが前に進み出る。
 彼の顔を視界に収めた途端、店主が息を呑んだ。
「…だんな…ですか?」
 震える声での呼びかけに、ラムザは目を瞬く。十七年間生きていて、『旦那』という粗野ながらも限りない敬意を籠めて自分を呼んだ人物は、ただの一人しかいない。しかし、その人物は、がりがりに痩せていて、荒んだ環境にいたせいか人相はかなり悪くて、ぼさぼさで量の多い茶色の髪を有していた。面前の店主のようにふっくらとしていないし、腹もでていないし、額も著しく後退していなかった。こざっぱりとした衣服に白い前掛け姿なんて、記憶にない。だが、四十代半ばと思える年齢に、自分の胸くらいまでしかない低い背丈、穏やかでありながら強い光が宿っている黒い瞳は、共通する。その人物の名前は―――、
「ドゾフ?」
 店主の顔がぱっと輝き、泣き笑いで歪んだと思うとラムザに向かって駆け寄った。
「やっぱり旦那だ。よかった、生きていたんですねッ!」
 腰にしかと手を回し、おいおいと声を上げて大粒の涙をこぼす。
 尋常ではない喜び様に抱きつかれた者は困惑し、他の者達は大の男がはばかりもせずに号泣する光景に、ただ傍観するのみ。そして――、
「ドゾフさん?」
 上から発せられた愛らしい声が、唖然とする雰囲気に変化をもたらす。トントンと階段を下る音がし、次いで、向かいの奥にあるのれんが払われた。清楚な少女が顔を覗かせる。
「さっきから騒々しいですけど、どうかした――」
 言葉を紡いでいた少女の唇が、唐突に中途半端な形で止まった。大きめの目が極限まで見開かれる。
「うそっ…ラムザ?」
 震える声で紡がれた己の名前。瞬時に潤った青紫色の瞳からこぼれ落ちる雫。
 その二つが、ラムザに少女の正体とドゾフが泣く理由を知らしめた。
 ごぞりと、心の奥底で何かが軋む。
「――――っ!」
 力任せにドゾフの両肩を押し出し、拘束するものがなくなった途端ラムザは走り出した。一目散に入り口へと駆ける彼を目にして、斜線上にいた者達は条件反射的に道を空ける。
「旦那!?」
「ラムザッ!」
 二種類の呼び止めにラムザは振り返ることもなく、ドアの取っ手に手をかける。ところが、彼の手が押し開けるよりも早く、扉の向こう側にいた誰かによって開け放たれた。急に支えを失い、身体が前にかしぐ。
「すまない、人がいるとは――」
 頭上から低い声が降ってくる。
 顔を上げれば、ずば抜けて身長の高い若者が立っている。緑の双眸で射抜くように凝視され、ラムザは立ちつくすしかなかった。

>>次頁へ | >>長編の目次へ | >>前頁へ

↑ PAGE TOP