邂逅(1)>>第二部>>Zodiac Brave Story

第四章 邂逅(1)

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 人々が発するざわめき。湯気が立ちのぼる食事に、上質なアルコール飲料。随時もたらされる新鮮な情報。掲示板に貼られた依頼書の数々。哀愁を帯びた旋律で奏でられる叙情詩。
 貿易都市ドーターの中央広場に店を構える<<人馬亭>>は、これらの要素が絶妙なバランスで混合されている酒場として近隣の冒険者に知れ渡っていた。
 カラン、コラン。
 扉の上部に取り付けられた鈴が、新たな来客を告げる。
 カウンターの中でカップを磨いていた男はその手を止め、営業用の笑みを浮かべた。
「いらっしゃい」
 やってきたのは、十代後半と思われる一組の男女だった。
「よっ、マスター」
 黒髪に黒い瞳、黄色がかった肌を有する若者は、親しげに右手を挙げ、
「ご無沙汰しています」
 長い亜麻色の髪を頭頂部で一つに結わえた娘は、気品のようなものを感じさせる顔立ちに微笑をのせて会釈をする。
 なじみの客の毎度の挨拶に、男の笑みが自然のものに変わった。
「なんか飲んでいくかい?」
「おっ、じゃあ軽いものを。おまえはどうする?」
「そうね、ノンアルコールのものをお願いします」
 若者には赤ワインにレモンや蜂蜜を入れたホットパンチを、娘にはミルクを添えた紅茶がいいだろう。脳裏に整然と収めてある顧客帳簿と照らし合わし、男はさっそく調理に取り掛かった。
「お、アデルにマリアじゃないか。もどってきたのか」
 調理の半ばに達した頃、常連の冒険者達が彼らに声をかけてきた。
「おう、無事帰ってきたぜ」
 若者が気安げに答える。男は作業を続行しながら続く会話に耳を澄ました。
「その表情だと、依頼は成功したんだな」
「おうよ。俺達のおかげでドーターとガリランド間の交易路の安全は確保され、バッカス酒造の『バッカスリキュール』も入ってくるようになったぜ。感謝してくれよな」
「生意気にも一人前の口を利きやがる。はじめてここに来た頃は、ケツに卵の殻を被ったひよこにすぎなかったのによぅ」
「男子三日会わねば刮目して見よ、だぜ」
「アデル、調子に乗りすぎよ。ささいな油断が大きな失敗を招くことを忘れないで」
「わかっているよ」
「手厳しいねぇ、マリアちゃん。そこも魅力的だけどさ」
「あら、ありがとうございます」
「…そういや、あのノッポの兄ちゃんはどうした? 一緒に行っていたんだろう?」
「イゴールなら先に宿に戻りました」
「『少し疲れた』といっていたけど、あれは、絶対、残してきたイリアのことが心配だったからだな」
「やれやれ、過保護なことだな」
「イゴールの心配もわからない訳ではないのですが」
「魔法の実験が失敗して拠点が吹っ飛ばされていないか、知らずに酒を飲んで大暴れしていないかってか?」
 爆笑の渦が巻き起こる。
 収まった頃を見計らって、男は完成した飲み物を二人の前にそっと置いた。
「マスター、サンキュ!」
「いただきます」
 若者はカップを手に取り、香りを楽しんでから口に含んだ。かたや、娘は円を描くようにミルクを紅茶に注ぎ入れ、匙でかき混ぜている。
 話題のネタである人物が二人とも無言になったからか、周囲に集まっていた冒険者達も各々のテーブルに戻っていった。
「マスター、これ、今月分のお金です」
 紅茶の香りを楽しんでいた娘が、カウンターに小さな革袋を置く。男は受け取り、縛ってある紐を解いた。中身が銀貨五枚であることを確認した後、己の懐にしまった。
「確かに受け取ったよ」
「で、あいつらに関する情報はあった?」
 真剣そのものといった表情で尋ねてくる二人に、男はゆっくりと頭を振った。
「残念だけど、これといった情報はないよ」
「どんなささいなものでも構わないのですけど」
「すまないね。ほんとうに何の情報もないんだ」
 若者の両肩ががっくりと落ち、娘はカップを両手で握りしめた。
 カウンター席にだけ影が降りたかのように、重く苦い沈黙が二人の間を漂う。
「その代わりと言っちゃなんだが、面白い情報があるよ」
 カウンター席にいる二人だけに聞こえるよう男が声をひそめて話しかけると、若干元気を取り戻した笑顔を向けてきた。
「…どんなものだい?」
「オヴェリア王女って、知っているか?」
「オリナス王子に次ぐ、第二位の王位継承権を持つ姫君ですね。オーボンヌ修道院でお暮らしとか」
「そう、そのお姫様が、五日前、何者かによって修道院から誘拐されたのさ」
「マジ?」
「大まじめさ。目撃者の話によると、連れ去った騎士の一団は南天騎士団の紋章を付けていたらしい」
「ゴルターナ公が、王女を?」
「普通ならそう考えるところだが、ご本人は『そんな事実は知らない』と潔白を主張。わざわざ捜索隊まで編成したらしい」
「でも、今、ゼルテニアでは大規模な農民一揆が発生していたのでは?」
「それならガリランドでも聞いた。たしか、“亮目団”という元騎士団が裏で手を回しているって…」
「そう、ゴルターナ公はその反乱鎮圧に手を焼いている。実際、編成された捜索隊は小隊規模。疑念を晴らすだけの、形だけのものといってもいいな」
「…やる気なさそうだな、あのおっさん」
 どこか遠くを見つめて呟く若者の面前に、男は人差し指を突き付けた。
「そこで、冒険者の出番というわけだ。捜索隊が探し出す前にお姫様を見つけて保護すれば、褒美として金一封がもらえるぞ」
「それは、正式な依頼ですか?」
 娘の指摘を、男はあっけらかんと否定した。
「いや、酒場のマスターとしての勘がそうなるのではないかと、オレに告げているのさ」
 彼らはお互いに顔を見合わせる。男にはわからない意味を込めた目配せを交わし、カップを一気に傾ける。ごくりと喉を鳴らして飲み干すなり、席を立った。
「ごちそうさまでした」
「これ、お代」
 娘は軽く頭を下げ、若者はカウンターに銅貨を五枚置く。
 てっきりやる気を出すだろうと思っていたのに、素っ気ない反応は男とって意外であった。
「結構クールだな」
 正直に口に出せば、「貴族同士の権力争いに巻き込まれるのは、もうご免なんでね」と、若者が苦い表情で言う。そして、二人とも足早に店をでていった。
「マスターの勘は外れっぱなしだってこと、あいつらもわかってきたな」
 扉が閉められるなり、テーブルで酒を傾けていた常連の一人がしみじみと言う。
「だな。一体何人の冒険者が『勘』という言葉に踊らされて泣きを見たことか」
「まったくだ。悪気がないから、ツケもあるから、こちらとしても強気になれないのが辛いところ」
「だねぇ」
 次から次へと、同調者が現れる。
 カチンと頭に来た男は、両手をぶんぶんと振り回した。
「大の男が真っ昼間から集まってぐだぐだと酒を飲んでいるんじゃねぇ! さっさと仕事でも片付けてこい、依頼なら山のようにあるぞッ!」
「横暴だ!」
「オレ達は客だぞッ!」
「三ヶ月以上もツケで飲み続けるヤツは、客とは言わねぇ!」
 赤い顔で不平を垂れる者どもを問答無用でたたき出す。扉の上部に取り付けられた鈴がけたたましく何回も鳴り、やがて余韻を残して静かになった。食堂に一人だけいる時点になって、男ははっと我に返った。
「しまった、全員追い出してしまった。これでは儲けにならない」
 つい愚痴が零れたが、数秒後、男はあることに思い至り開き直った。
「ま、どうせ、ツケで飲む輩ばかりだったからいいか」
 気を取り直し、男は前掛けのポケットから小さな帳面とペンを取り出た。それぞれのテーブルに残された皿と酒瓶の数を数えて金額を計算し、座っていた客の名前をも添えて帳面に書き込む。すべて書き終えると、男はカウンターに置かれた金を回収し、それから片付けをはじめた。酒瓶を裏口に運び、まとめておく。十数本あるそれはあとで卸元に連絡し、全て引き取ってもらうことにする。続けて、使用済みの食器を流しに運び、油汚れや食べ滓を布で大まかに落としてから石けんで洗い始めた。
 適当に鼻歌を歌いつつ、食器の汚れを落とし、水で清め、水切り用のカゴに並べていく。最後のカップを洗い終えて男が一息ついたとき、鈴が来客を告げた。
 追い出した客が先ほどの出来事を周辺の冒険者に言いふらすだろうから、今日はもう夕暮れまで客が来ないだろう。ちょうどいいから休憩するか。
 そう考えていた男は「あてが外れた」と思った。しかし、酒場を営む者として、来客は営業時間内ならば歓迎すべき事態だ。朗らかな笑顔を作って振り返る。
「いらっしゃい」
 初めての客だと、男はすぐに認識した。仕事柄ひとの顔を覚えるのは得意だし、なにより一度見たらそう簡単には忘れられないと思えるほど綺麗な顔をしていたからだ。首から下が薄茶色の外套に覆われているせいか、豊かな金の髪にふちどられているせいか、顔だけがやたらと目立つ。
『彼はね、金髪碧眼ですごい美人さんなのよ』
 幼さが残る声が脳裏をよぎり、右手が自然と懐に収めた革袋のあたりを押さえつける。
 男は記憶に留めている依頼書の中から一つを探し出した。依頼主は、ここ一年ほどこのドーターを中心に活動をしている冒険者四人。内容は二人の探し人。両方とも今年18になる少年で、そのうちの一人を特徴づける言葉が『美人』『金髪碧眼』。
 男は、客の瞳に注目する。
 青灰色だった。碧眼に分類できる色だ。
「?」
 怪訝そうに首を傾げる相手の仕草に、男は本来の役割を思い出す。自然な風を装って、カウンターを挟んでちょうど正面に当たる席を勧めた。
「お客さん、初めて見る顔だね」
「…そうですね、店名は随分前から知っていたのですが」
 男にしては少し高めだが耳どおりのよい声が、淀みのない発音でもって言葉を紡ぐ。
「へぇ、嬉しいことを言ってくれるね。誰から聞いたんだい?」
「いろんなところからです」
 あいまいな返事をして、椅子に腰掛ける。かしゃんと鳴った金属音が、外套の裾から顔を覗かせた鞘が、客が剣士であることを男に知らせた。
「なにか飲むかい?」
「じゃあ、ミルクを」
「アルコールは苦手かい?」
「正直、おいしいと思ったことは一度もありません」
「そうか、それは残念だ。うちは酒にもこだわっているのに」
 カップをもって厨房の片隅にある冷暗所に向かい、氷水を張った桶に浸していた金属瓶を一つ引き上げる。封を開けて中の白い液体をカップに注ぎ入れて食堂に戻り、客の面前に置いた。
「いただきます」
 わざわざ挨拶をしてから、カップを手に取る。縁に口を付けたとき、客は目を見張った。
「冷たいものがでてくるとは思いませんでした」
「知り合いの魔道士が定期的に氷を作ってくれているんだ。いつでもどんな季節でも冷たいミルクが飲めるのは、ここら辺ではウチともう一軒だけさ。どうだ、旅疲れの身体によく冷えたミルクは最高だろう?」
「はい」
 ごくごくと喉を鳴らしてミルクを飲み干していく。やがて、ことん、と軽い音をたてて空のカップがカウンターに置かれた。男は心もちカウンターに身を寄せる。
「で、どんな情報がご所望かな?」
「ドーターを含むガリオンヌ領の、最新情報」
 抑揚に乏しい声で客はそう言い、カップの横に銀貨を一枚添える。
「ふむ」
 カップと共に回収した情報料を手に取り、目を眇めて眺める。銀メッキをしたまがい物ではないし、黄銅を混ぜた粗悪品でもない。額面どおりの価値を有する純銀製の銀貨だ。情報料としては申し分ない。男は胸の内ポケットに銀貨を仕舞った。
「そうだな、目新しい情報といえば…」
 そう前置きして、男は語った。金牛の月二日の正午頃に発生した、王女誘拐事件のことを。
 男が語り終えるまで、客は一言も口を挟まなかった。
「王女の消息は未だ不明。探し出せば、ゴルターナ公から金一封がもらえるかもしれないぞ」
 そう締めくくって、相手の反応を待つ。
 客は何かを考え込むように暫く沈黙していたが、やがて、口を開いた。
「オヴェリア王女の特徴は?」
「やってくれるかっ!?」
 内心で期待していた反応がようやく返ってきた。男の声が自然と弾む。しかし、
「情報は多いに越したことはありませんから」
 面前の客は十代後半という年齢にしては冒険心がなく、冷静だった。男はいささか拍子抜けする。
「まあ、確かにそうだな。…えっと、王女様は今年で一七歳になり、淡い金髪に紺碧色の瞳。誘拐当時は白のドレスに赤いケープをお召しになっていたらしい」
 前掛けのポケットから帳面を取り出し、該当する箇所を読み上げる。
「それだけですか?」
 肩すかしを食らったといわんばかりの声を上げる客に、男は降参の形に両手を上げた。
「すまんね、王女は王家に養女に迎え入れられる前から修道院で暮らしていたせいか、肖像画が一枚もないんだ。どんな顔をされているのか、儂にもわからん」
「そうですか、わかりました」
 客は椅子から立ち上がった。
「ミルク、ありがとうございました。おいしかったです」
 軽く金色の頭を下げて、踵を返そうとする。男は慌てて声をかけた。
「ああ、お客さん」
「なんでしょうか?」
「あと数時間もすれば日が暮れるが、今日の宿は決まったのかい?」
「…いえ、まだです」
「なら丁度いい。儂が良い宿を紹介してやろう」
 帳面の白い一頁を引き破り、ペンを勢いよく紙面に滑らせる。簡単な地図を描くと、男はそれを客の面前に差し出した。
「<<小熊亭>>っていう、食事もサービスも値段も良心的な宿だ。『人馬亭のデビットからの紹介だ』といえば、さらに割り引いてくれる。是非とも行ってみてくれ」
「わざわざありがとうございます」
 かすかに微笑んで地図を受け取り、客は自然な足取りで出て行った。
 鈴の余韻が染みわたる店内で、男は独語を漏らす。
「依頼主ご要望の人物かもしれないから使いを出した方がいいな」
 “準備中”と書かれた看板を表にぶら下げ、男自身は裏口から外へ駆け出した。

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