剣を棄てない理由(3)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第十二章 剣を棄てない理由(3)

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 状況は芳しくなかった。
 骸旅団の戦士によって先手をとられ、六名の候補生は二人ずつ、三つの小集団に分断された。これによって、六対四という数の優位が一時封じられた。
 次に、敵はこちらに接近戦を挑み、各個撃破しようとしている。
 そうなると、圧倒的に不利なのがイリアとイゴールの二人組だった。
 肉体的に弱い魔道士が、モンクの一撃必殺の拳を受けて耐えられる可能性は少ない。弓使いは体力面において魔道士より優れているが、接近されると弓が使えないから攻撃手段がない。普段ならば、このような事態を避けるために他の仲間達が前で敵を食い止めてくれるのだが、彼らは対峙している敵の対応に手一杯のようだ。
 加勢が期待できない以上、自力で何とかするしかない。
 イリアは唇をきゅっと噛みしめ、行動を開始した。
 まず、敵の攻撃を受け持ってくれているイゴールのためにプロテスをかける。彼と自身が光の膜に包まれたのを確認すると、即座に別の呪文を詠唱した。
 意図を察したイゴールは長身を生かして彼女を背後に隠すと、回避から防御へと切り替えた。強化魔法が効いているお陰か、敵の拳打は小突き程度に軽減されていた。
「まばゆき光彩を刃となして 地を引き裂かん! サンダー! 」
 イリアがサンダーロットを両手で掲げる。
 力ある言葉に導かれ一条の稲妻が虚空より発現し、面前の敵に襲いかかった。
 だが、
「はっ」
 女性は息を短く吐き、後ろへと高く跳んだ。直後、紫電が彼女がいた地面を穿つ。イリアはイゴールへの巻き添えを防ぐため、魔法の発現場所を人ではなく空間で指定していた。そのために、敵の急速な動きに対応できなかったのだ。
 しかし、一人が失敗したからといって、もう一人が何もしないわけがない。
 イゴールは矢筒から矢を取り、番え、弓を引き絞る。敵が着地した瞬間を狙って、彼は矢を放った。
 矢は透明の軌跡を描き、敵の身体へと吸い込まれていく。急激な回避行動のため着地の体勢が十分とはいえない敵に、対応する術はない。
 左胸に、血の花が散った。
 くぐもった呻き声をあげ、ゆっくりと仰向けに崩れ落ちる。草地に赤い液体が浸潤していく。しばらくは四肢を痙攣させていたが、やがて動かなくなった。
 イゴールは油断なく矢をつがえたまま、生死を確認するため近づく。
 大きな血だまりに浸っている身体。血と泥が飛沫状に散った顔は、無念に歪められている。
 かっと見開いたままの両目。その瞳孔は、陽光を受けても開いたままの状態。
 冒涜しがたい事実がそこにはあった。
「死んでいる」
 彼は長弓を下ろす。左手を見開いたままの両瞼をあて、そっと閉じさせた。
 イリアは彼の横に立つと、無惨な姿で斃れた戦士をじっと見つめた。青紫の瞳が透明な液体で曇る。だが、それが目尻から流れることはなかった。
 イゴールは数秒の黙祷を捧げる。
 戦場に不似合いな、だが、侵すことを許さない静寂が生者と死者の間を流れた。
「イゴール、ケガはない?」
 顔を上げて尋ねるイリアには、いつもの穏やかさがあった。
「ああ。あっても軽い打ち身程度だ。行動に支障ない」
「そう。よかった。かばってくれてありがとう」
「いや、強化魔法がなかったら保たなかった。俺の方こそ助かった」
 彼はそれだけ言うと、身体の向きを風車小屋がある方へと変えた。次にとるべき行動を模索するためだったが、視覚よりも聴覚に対する刺激が先立った。
「ディリータ!」
 二人は同時に叫んだ人物を見やり、そして、一目で事態を把握した。
「イリア、ディリータの治癒を頼む。俺はラムザの援護に回る」
「いいけど、マリア達は放っておいていいの?」
 イゴールは視線を巡らす。
 風車小屋から左後方の位置で、マリアとアデルが二人の敵と対峙していた。死角をつかれないよう背中を合わせ、それぞれ正面にいる敵の出方を窺っている。視線に気づいたのか、アデルがこちらを一瞥し手話で一言だけ伝えてきた。
「『あのバカどもを何とかしろ』か。軽口がたたけるなら、放っておいて問題ないだろう」
「そうね」
 二人は小さく笑い、行動を開始した。
 イゴールは長弓を携え、高台へと移動する。
 イリアは前方にいる敵三名の隙を窺いながら、ディリータの元へ歩み出した。


「行ったな」
「これでしばらく大丈夫ね」
 背中越しにかけられた言葉に、マリアは振り返ることなく応じる。
「にしても、あいつ何で避けなかったんだ?」
「避けたくても避けられなかったんじゃないかしら。聖剣技の追加効果のせいで」
「…特殊な技を喰らった際、まれに発生するといわれる異常状態か?」
 若干の間が空いたのは、彼が『追加効果』という定義を思い出すまで時間がかかった証拠。
 たやすく推察できたが、マリアはそのことは指摘しなかった。
「時魔法のストップと同じ効果みたいね」
「妙なところで運の良い奴だな。俺との賭はたいてい外すくせに」
 揶揄するような笑いがアデルの口から漏れる。釣られるように、マリアも微かな笑みを口の端に浮かべた。
 ひときわ高い金属音が響きわたる。
 ちらりと視線を走らせれば、風車小屋の真横にあたる位置に、骸旅団団長と鍔迫り合いをしているラムザがいる。倒れたまま動かない親友を気にしながら、たった一人で戦っていた。
「ディリータはふだん慎重なのに、頭に血が上ると後先考えずに行動する。ラムザは困っている人を見ればすぐ助けに行くのに、他人の助力を求めるのは超絶下手。端から見ていると、危なっかしい事この上ないわ。だから、あの二人は放っておけないのよ」
 マリアは表情を改め、剣を青眼に構え直した。
「全くもって、同感だ」
 アデルも身構えた。
「手こずっている時間はない。さっさとケリつけて加勢に行くぞ!」
「ええ!」
 両者は顔を合わせることなく頷きあうと、同時に力強く地を蹴った。


 ラムザの意識は三つの事に集中していた。
 一つは相手の切っ先。もう一つは向こうの拳。
 この二つは、怒濤のような攻撃に対応するために必要な判断材料。
 一瞬でも目を離せば、即座、死に繋がるだろう。
 聖剣技という特殊技。踏み込み、間合い、目線、剣筋、一撃に込められた闘気。相手の剣技の全てが、ラムザにそう告げていた。
 最後の一つは…。
「あの少年がそんなに気になるか?」
 ぎりぎりと噛み合う刃を挟んで、ウィーグラフが指摘する。
「死んではいない。技の追加効果によって、時の環から一時外れているだけだ。だが、あの少年を殺せば、おまえを私と同じ立場に立たせることができるのか?」
 ラムザは絶句した。
 ウィーグラフの声は平坦であり、静かと評してもいい。
 それだけに相手の怒り、憎悪、悲しみの深さが読み取れた。
 声を荒げ感情を示すだけが、激情の表現方法ではない。山間を流れる川において最も静謐な場所が淵であり、深く淀んだ水は流れることなく留まり続けるのだから。
「命を奪おうと最初から考えていたわけじゃない」
「白々しい嘘を言うな!」
 忌々しげにウィーグラフは言う。
「僕は嘘なんていってない!」
 ラムザは交えていた刃を相手の剣筋に添って受け流し、間合いぎりぎりの距離まで下がった。
「剣を抜けば、退くか死ぬまで戦わなくてはいけない。僕とミルウーダのように。そんな悲しい方法でなくても、他に方法があるんじゃないのか? 話し合うことはできないのか?」
「やはり、おまえはわかっていない。我々が剣を棄てない理由を! 我々は理由なく奪われることのない世界を、万人が平等に取り扱われる社会を創造するために戦っているのだ! 貴族としてあらゆる特権を享受し、それが当然だと勘違いしている奴らとの話し合いに、何が期待できる? おまえが話し合いを願ったとして、お互い対等な立場でのそれが実現できるのかッ?」
 ラムザは返答に詰まる。
 一瞬の沈黙。
 ウィーグラフはそれを肯定と判断した。
「できはしまい? よしんば、おまえがそうしたとしてもおまえの兄たちは認めんよ!」
「兄さんたちはそんな貴族じゃない。争いをしたいわけじゃないッ! ウィーグラフ、貴方さえ剣を棄ててくれれば兄さんたちだって話し合いに応じてくれるはずだッ!」
 ウィーグラフはベオルブ家の少年を凝視した。相手の真剣な表情から、本気でそう思っていると理解する。怒りや憎しみとは違う感情が胸を満たし、喉へせり上がっていった。
「ハッハッハッ! これは傑作だッ! おまえの兄たちが争いを起こしたくないだと? おまえはどこまで幸せなヤツなんだ!」
 ウィーグラフは片手で髪をかき上げ、哄笑する。
 ラムザは目を剥いた。
「兄さんたちが好んで戦いをしかけていると言いたいのかッ!」
「青いな。執政者の手なんぞ黒い血で汚れているもの。ダイスダーグに正義があるとでも? 正義とはそれを語る者によってころころと変わるものだ!」
「兄さんたちを愚弄するのかッ!」
「愚弄ではない。おまえが、ただ、知らないだけだ」
 ウィーグラフは冷ややかな声で告げ、剣をふりかざす。そして、ごく自然な動作で振り下ろした。
 ラムザの視界が青白く染まる。
 いや、違う。身体が、青く澄んだ結晶体に包まれているんだ。
 彼がそう認識した直後、胸を抉りとるような痛みが走った。痛みは急速に身体全体へと広がり、激痛となって駆けめぐる。
「うわあ…っ」
 歯を食いしばって耐えている間に、結晶体は砕け、霧散していく。
 ディリータと異なり、ラムザは時の環から外れなかった。
 しかし、それは聖剣技の威力を直截的に肉体に刻む事を意味していた。
 体力を根こそぎもぎ取られたような脱力感で、体がふらつく。両膝はがくがくと無様に震え、地面につきそうになる。ラムザは剣を地面に突き刺し縋ることで、辛うじて堪えた。
 視界はもやがかかったように霞み、十歩程の距離にいるウィーグラフの姿でさえぼやけている。唇をきつく噛み苦痛と血の味で意識をはっきりさせると、抜き身の剣を帯びたまま、こちらに近づいているのが見えた。
 彼の意図は明白だ。とどめを刺すべく近づいてくる。
 どうすればいい。
 必死の思考で引き延ばされた時間の中で、ラムザは考える。
 そもそも撤退はできない。
 小屋の中にいるティータを、動けないディリータを、背後で戦っているアデル達を見捨てて逃げられるわけがない。
 ならば、相手が退くまで戦うしかない。でも、勝算はあるのか?
 接近戦を挑むには体力を消耗しすぎている。激しい剣撃を、縦横無尽な攻撃を、これ以上かわす自信がない。失った体力を回復しようにも、魔法薬の類はもってないし、ケアルをかける隙をウィーグラフがくれるとは思えない。後方へ退避し回復魔法を唱えようとしても、その行動は逆に命取りとなるだろう。精神を内面に集中しなければならないため、詠唱中は無防備状態となる。そこへ聖剣技による攻撃が加えられれば、良くて戦闘不能、最悪の場合は絶命させられる。
 いや、まて。
 発想を転換すれば、こうも言える。
 聖剣技さえ封じれば、勝機が見いだせるかもしれない。
 聖剣技は剣を媒体に発動される。その性質上、聖剣技を封じることはウィーグラフの武器をも封じることになる。見た限りでは、彼の剣は手に持っている一刀のみ。それさえ破壊もしくは奪えば、その戦闘能力は激減する。
 問題は、剣を破壊もしくは封じる方法だが、それこそが最も困難な事かもしれない。
 剣で対抗しても、かなわない。力、技、スピード、体捌き。全てにおいて、ウィーグラフの剣技はこちらを凌駕している。初見で感じ取った強さは本物であり、実際、ラムザは苛烈な剣撃から身を守るだけで精一杯だった。
 剣では足りない。届かない。
 ならば、他のもので対抗するしかない。
 なにか、ないか。
 別の、闘うための力は!
 (………闇に生まれし精霊の…)
 不意に、修辞の施された、一連の言葉が思い浮かぶ。
 それは、世の理に介入し、原理を歪め、秘められた力を解放するための鍵。
 すっかり忘れていたのに、なぜ、いま?
『あなたが心の底から行使したいと思ったとき、必ず魔法は応えてくれる』
 ああ、そういうことか。
 疑問は淡雪のように氷解し、身体の奥底で熱い何かが動き出した。


 ウィーグラフは、精神が沸騰直前の歓喜で軋むのを感じた。
 ベオルブ家の少年は、剣の柄に縋ったまま動かない。
 技の一撃によって抵抗する体力を失ったか。それとも、戦意を失ったか。
 まあ、どちらでもよい。やるべき事はひとつだ。
 彼は剣を突きの形に構えようとしたが、不意に中断し、左側面に一閃させた。微かな手応えが残り、ぽとりと何かが地に落下する。それは、中央で切断された矢だった。
 ウィーグラフは殺気がした方角を、小屋がある高台を見つめる。そこには、身の丈程の長弓を携えた、鋭い眼つきの少年がいる。イゴールだった。
 イゴールは二本の矢を手に取り、時間差を与えず連続的に放つ。だが、その矢は中途で銀光に阻まれ、地面に落下する。ウィーグラフの剣によってたたき落とされたのである。
 イゴールは驚嘆した。骸旅団団長の動体視力と反射神経に。だが、それくらいで彼は揺らぐほど甘くないし、状況もまた甘くない。再び背に差した矢を取り、弓を引き絞る。
 だが、ウィーグラフがその動きを制した。予備の短剣を取り出し、少年に向けて投げ付ける。一直線に顔面へと迫り来る短剣を、イゴールは首を横に動かし直前で避ける。刃は頬をかすり、長弓の弦をも掠めた。ぷつんと軽い音と共に、弓の張りが失われる。
 イゴールは顔をしかめたのだが、ウィーグラフがその表情を見ることはなかった。
「闇に生まれし精霊の…吐息の凍てつく…」
 低い呟きがウィーグラフの聴覚を刺激する。振り向けば、ベオルブ家の少年が左手を突き出していた。その手のひらは、闘気とは違う力によって淡く発光している。
 呪文の詠唱!
 ウィーグラフが後ずさった瞬間、ラムザの口から最後の言葉が紡がれた。
「風の刃に散れ! ブリザド!」
 秘められし力――凍結作用が解き放たれる。
 ウィーグラフの手にある剣がガキンと悲鳴を上げた。刀身に曇りが生じ、小さな氷の核が生じている。核はあっという間に面積を増し、刀身を呑み込み、柄を握りしめている右手をも覆うとする。
「なっ!」
 ウィーグラフは剣を放り投げた。草地に落下した剣は、厚さ一〇センチはある氷に閉じこめられていた。
 彼は茫然とそれを見つめ、数秒にも満たない時間で冷静さを取り戻す。
 だが、隙が生じたのは確かであり、ラムザにはそれで十分だった。残された全ての力を振り絞ってウィーグラフに突進し、神速の突きを繰り出す。ウィーグラフは盾で防ごうとするが、僅かに間に合わない。
 細い刃は左の肩口を貫き、鮮血が飛散した。
 ラムザは剣を引き抜こうとし、そして、思わぬ逆襲にあった。
 引き抜けない。
 ウィーグラフの右手が刃を握りしめ、彼の剣を肩に縛り付けていた。
「…ッ!」
 驚愕によって、柄から手を放すのが一瞬遅れる。
 ウィーグラフがその隙を逃すはずがない。
 肘が横っ面に叩きつけられ、
「うわぁ!」
 ラムザは衝撃で吹っ飛んだ。顔の骨が歪むかと思った程の、猛烈な肘鉄だった。
 受け身をとる余裕などなく、彼は右肩から地面に転がり落ちる。頬は真っ赤に腫れ上がり、口からは血が流れ出ていた。
 ウィーグラフは肩に突き刺さった剣を一息に引き抜く。自身の血が絡まった刀身を、柄頭に象眼されているベオルブ家の紋章を一瞥し、彼は独語した。
「細身の刃、剣のみならず魔法をも併用した戦い…。あの方と同じか」
 ウィーグラフはその柄を握り、地に伏しているベオルブ家の少年に近づく。
 ラムザは身を起こそうとする。だが、激しい目眩に襲われ、再びうつぶせに倒れた。肘鉄を喰らった際、軽い脳しんとうを起こしたのだ。
「おもしろいことを教えてやろう。エルムドア侯爵をギュスタヴに誘拐させたのは誰だと思う?」
 ウィーグラフの声は凛と辺りに響く。
 最も顕著に反応したのは、問われたラムザではなく、後方にいたイゴールとイリアだった。
 時の流れに戻ったディリータを治癒し終えたイリアは、すっと立ち上がった。明確な敵意をウィーグラフに向け、攻撃呪文の詠唱に移る。
 イゴールは矢を番えようするが、弦が切断されたことを思い出し、眉間にしわを寄せた。使えない長弓を背中の留め金に固定し、高台から飛び降りる。
 だが、二人とも間に合わない。
「それはおまえの兄、ダイスダーグだ! もちろん、聖騎士ザルバッグ殿もそれを知っているだろうッ!」
 ウィーグラフは口の端を皮肉の形につり上げ、真実を告げた。
 この純粋な少年ならば、思いつきさえしないであろう。そんな暗い悦びを抱きつつ。
「なにを…言って…」
「国王亡き後の覇権をめぐり二人の獅子が争おうとしている。一人は白獅子ラーグ公、もう一人は黒獅子ゴルターナ公。二人は誰が味方で誰が敵なのかを見極めようとしている。しかし、他人の頭の中を覗くのは難しい。ならば、いっそ亡き者にしその領地に息のかかった者を送り込めばいい。革命に疲れた愚かなギュスタヴはおまえの兄・ダイスダーグの甘言につられて侯爵を誘拐した」
「嘘だ」
 ラムザは否定の言葉を呟く。が、その声は、動揺を表すように震えていた。
「兄さん達が…誇り高きベオルブ家の人間が、そんな卑怯なことをするものか!」
「三百年続く由緒正しきベオルブ家。だが、所属する人間がいつも清廉潔白とは限らない。単純な真理だ」
「だからって、てめえらの行為が正当化されるかぁ!」
 別の声が絶叫し、ウィーグラフに気の固まりが叩き込まれる。とっさに腹筋を閉めることで衝撃を受け流し、後ずさる体勢を整える。正面を向くと、新手となる黒髪の少年と亜麻色の髪の少女がいた。二人ともベオルブ家の少年を庇うように身構える。
 遠くを見遣れば、他の候補生もフリーとなっていた。ローブを羽織った黒髪の少女はこちらの鋭く睨んでいる。岩壁にもたれたベオルブ家と関係のある少年を弓使いの少年が助け起こしていた。
 ウィーグラフは忌々しげに舌打ちする。
(仲間は全員倒されたか。さて、どうする。慣れない剣で戦うか?)
 しかし、ウィーグラフが結論を出す前に、状況は変化した。
 イリアが両手を天に掲げる。
「虚空の風よ、非情の手をもって人の業を裁かん! ブリザラ!」
 空気中に含まれる水分が凝固凍結し、一抱えほどもある氷柱を幾つも造りだす。それらは、両者の間を埋めるかのように落下した。轟音が響き、微細な氷の破片が飛沫する。
「ちょっと、イリア、これじゃ攻撃できないわよ!」
「ごめん、魔法は急に止まらないの」
 発動が収まる頃には、骸旅団団長と候補生達との間には、巨大な氷の壁が出現していた。
 向こうからも、こちらからも、物理攻撃不可能な状態。
 ウィーグラフは不本意な、だが最善と思える選択をとった。
「ミルウーダ、すまない!」
 謝罪の言葉と同時に、指笛を鳴らす。
 合図に従って、唯一行動可能な仲間、一匹のチョコボが風車小屋の裏手から現れる。忠実な騎獣はウィーグラフの下へと一直線に駆けつける。二メートル程の高さがある氷の壁は、軽やかなジャンプで飛び越えられた。
 ウィーグラフは手綱を取り、肩の傷を庇いつつも飛び乗る。チョコボの首を南西に向けた。
「待てッ、ウィーグラフ、逃げるのかッ!」
 首だけを動かせば、ベオルブ家の少年がふらつきながらも立ち上がっている。ウィーグラフは手に持っていた剣を持ち主に投げ返した。
 長剣は落雷のように宙を疾走し、金髪の少年の身体へと吸い込まれるかのように見えた。だが、両者の間にある氷の壁が阻む。刃はガキンと壁を突き刺さった。
「真実を自分の目と耳で確かめるがいい。さらばだ、ベオルブの名を継ぐ者よ!」
 ウィーグラフは騎獣の腹を蹴った。
 ジークデン砦にチョコボを疾駆させるその背中に、絶叫が浴びせられた。
「待てッ、ウィーグラフ! さっきの言葉、訂正しろッ!」

***

 遠ざかり、徐々に小さくなるウィーグラフと騎獣。
 候補生達は追撃をしようとはしなかった。
 厚い氷の壁が行く手を塞いだという理由だけではない。
 全員がどこかしらに傷を負い、あるいは体力の限界に近かったからだ。
 事実、ウィーグラフの姿が丘陵の端に消えると、ラムザはその場に崩れ落ちた。
「ラムザ!」
「おい、大丈夫か!」
 助け起こしたアデルは、やけに冷たい身体に驚く。駆け寄ったイリアは、真っ赤に腫れ上がった左頬と血で汚れた口元に眉をしかめる。そして、マリアは、彼の口から発せられた途切れ途切れの言葉に呆れた。
「ティータ…は? ディリータ…は…?」
「あなたねぇ、少しは自分のことも心配しなさい!」
「全くだ」
 アデルが重々しくうなずく。
 ラムザの視線が立腹している二人をかすめる。彼は微かに表情筋を動かすが、苦痛と疲労からか、明確な感情表現にはならなかった。
「ディリータの治癒は終わったよ。いま、イゴールと一緒に小屋を調べてる。終わったら戻ってくるよ。だから、ラムザは安静にして」
 左頬の腫れ具合を確認していたイリアが、疑問に答える。
 マリアは羽織っていたマントを外し、ラムザの下に敷く。アデルは背中に当てた腕をゆっくりと外し、その下に寝させた。
 ラムザはふぅと息を一つ吐くと、目を閉じた。
「………」
 イリアは両手を彼の身体の上にかざし、回復呪文を詠唱し、力ある言葉を解き放った。
「ケアルラ!」
 かざした両手から微かな暖かみのある青い光が溢れ、ラムザの身体全体を照らす。頬の腫れがゆるやかにひき、唇の噛み傷をふさぎ、光は風になって宙へと霧散した。
「だいぶ楽になった。ありがとう」
 ラムザが身体を起こそうとする。
 だが、その顔には疲労の色が濃い。しばしの安静が必要なのは明らかだ。
 イリアが彼の行動を制していると、イゴールだけが戻ってきた。沈痛な表情をしている。
 ラムザは状況を察したが、それでも尋ねずにはいられなかった。
「ティータは?」
 予想通り、イゴールは無言で首を横に振った。
「ウィーグラフの奴、嘘ついたのか!?」
 アデルが吐き捨てる。イゴールは再び首を横に振り、口を開いた。
「連れ去られた可能性がある」
「誰に?」
「小屋の裏手に、チョコボの足跡が幾つもあった」
 マリアは前髪を人差し指に絡める。数秒後、小さく声をあげた。
「ウィーグラフが私達を足止めをしている間に、小屋にいた団員の誰かが、ティータちゃんを連れてチョコボで逃走した」
 イゴールはようやく首を縦に振った。
「ティータちゃんは、ジークデン砦に連れ去られたと考えるべきね」
「じゃ、回復次第、移動だな」
 アデルの提案に、全員が同意した。
 ラムザは両肩を押さえているイリアの手をゆっくりと外し、身体を起こす。イゴールに視線を向けた。
「ディリータはどこに?」
「…小屋にいる」
 表情を崩さぬまま、彼は答える。ただ、若干の間が空いたのがラムザの気にとまった。
「わかった」
 ラムザは立ち上がると、高台へ向かう。
 候補生たちは彼が小屋の中に消えるのを見守ると、目の前を塞ぐ氷の壁を除去する方法を話し合いだした。


 オレンジの光が室内を照らす。視線を彷徨わせる必要もなく、探している人物は見つかった。、こちらに背中向けて、両肩を落として立っていた。
「ティータ、いないんだ。どこにもいない」
 彼はぽつりと独り言のように言う。
 ラムザは麻痺しつつあった声帯の機能を総動員して、声を発した。
「ジークデン砦へ行こう。きっとティータはそこにいるはずだ」
 ディリータがゆっくりと振り向く。
 縋るような視線を向けられ、ラムザは針で心臓を突き刺すような痛みを感じた。
「どうしてだ? どうして、こんなことになった? 教えてくれ、ラムザ。どうして、ティータがこんな目に」
 ディリータは背中を丸めて、その場にしゃがみ込む。
「ディリータ」
 ラムザは右拳をきつく握りしめた。

 どうして、こんな事態になったのか。
 誰が、ティータをこんな目に遭わせたのか。
 悪いのは、誰なのか。
 答えが、わからない。

 風車の羽根が回転する音が、途切れることなく二人の間を流れる。
 決して止まらない時の流れを示すかのように。

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