剣を棄てない理由(2)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第十二章 剣を棄てない理由(2)

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 カッコン、カッコン、カッコン。
 風車の羽根が風を受けて回転する音が、緩やかなリズムを刻んでいく。
 薄暗く荒れ果てた小屋の中に、五名の人間が集まっていた。
 一人は、長い栗色の髪をもつ十代半ばの少女。山積みにされた木箱や古樽によってできた物陰に、蹲っている。
 残り四名は、二十代後半から三十代前半と思える成人男性だった。
 二人はお互いに向き合い、睨み合いをしている。残り二人は、四隅に積み上げられた木箱や石材を椅子代わりに腰掛け、向き合う二人を傍観していた。
「なぜ、娘を誘拐した?」
 睨み合いをしていた片方の男性が声を発する。
 身なりのよい男だ。紅茶色の頭髪はきちんと櫛が入っている。緑の戦闘服の上に、金属の輪を繋げて作った鎧を着用している。左腰には一振りの長剣。両肩に羽織ったマントは、薄闇でもはっきりと識別できる白。
 実用性のみならず華美さをも追求した騎士装束。各地の騎士団に一度でも所属したことがある者ならば、目を見張ったことだろう。男が纏っている装束は、千人以上の兵を統率する者だけに許されるものだった。
 男の名は、ウィーグラフ・フォルズ。
 一年前まで数千の義勇兵団を統率していた人物であり、現在、北天騎士団が総力を挙げてその行方を捜している人物でもある。
「我々が逃げるためには人質を取らざるをえなかったんだ」
 正面にいる男は、悪びれもせずに答える。ウィーグラフは眉をひそめた。
「逃げるだけならば途中で解放することもできたはず。ゴラグロス、まさか、おまえまで…!」
「ギュスタヴと一緒にするのか! よく考えてみろ、ウィーグラフ。我々骸騎士団は仲間の大半を失い今も北天騎士団に包囲されている。この窮地を乗り切るためにはまたとない切り札となるぞ。この娘はベオルブ家の令嬢だからな!」
 ウィーグラフは切り札と称された娘を一瞥する。
 縄で後ろ手に拘束された少女は、うなだれたまま身動き一つしない。顔にかかる栗色の髪が、ヴェールのように表情を覆い隠していた。
「逃げてどうする? いや、どこへ逃げようというのだ?」
 ウィーグラフの質問に即答する者はいない。
 彼は一呼吸おき、続けた。
「この場から逃れようとも我々は奪われる側。いいように利用されるだけだ。我々は我々の子供たちのために未来を築かねばならない。同じ苦しみを与えぬためにも。我々の投じた小石は小さな波紋しか起こせぬかもしれんがそれは確実に大きな波となろう。たとえ、ここで朽ち果てようともな!」
 ゴラグロスが、かっと目を見開く。
「我々に“死ね”と命ずるのか?!」
「ただでは死なぬ。一人でも多くの貴族を道連れに!」
「バカなっ、犬死にするだけだ!」
 ウィーグラフはゆっくりと頭を振った。
「いや、ジークデン砦には生き残った仲間がまだいるはずだ。合流すれば、一矢報いることはできよう」
「すでに、殺られているかも」
 ゴラグロスの言葉に覆い被さるように、扉が音を立てて開かれた。軽装の女性が屋内に入ってくる。偵察の任にあてていた直属の部下、ドローネだった。ウィーグラフに一礼した後、ドローネは平静な声を装って告げた。骸騎士団にとって、また、団長にとっても深手と言える訃報を。
「ミルウーダが北天騎士団に殺られました」
「なんだとッ!」
 ウィーグラフは憤怒の形相で、偵察役を睨み付ける。数秒の時間をかけて、彼女の顔に嘘偽りがない事を認めると、彼は拳を震わせた。
 怒りと憎悪、そして、深い悲しみが奔流となって団長の胸を内をかけめぐっている。ドローネはそう感じ取った。だが、事態は切迫している。いま、自分たちに悲しみに暮れる時間はない。彼女は意を決して口を開く。
「ミルウーダの命を奪った小隊がここへ来るのも時間の問題です。ウィーグラフ様、ご指示を!」
 数秒後、ウィーグラフの判断は下った。
「わかった。ここを撤退する。聞いてのとおりだ、ゴラグロス。ジークデン砦へ向こうぞ。娘はここへ置いていけ!」
 ウィーグラフが返答を聞く前に、急を告げる声が室内に響き渡った。
「敵襲ッ! 北天騎士団のヤツラだーッ!」
 ドローネは外へと飛び出していった。
 敵の迅速さに、ウィーグラフは思わず舌打ちをした。
「チッ、早いなッ! ここは私がくい止める。ゴラグロス、おまえは他の仲間と共にジークデン砦を目指せ!」
 言うやいなや、ウィーグラフもきびすを返した。
 ゴラグロスは、左右にいる二人の同志に視線を走らせる。彼らは心得顔を浮かべ、裏口から出ていった。
 物音がしなくなった小屋の中で、ゴラグロスは呻く。
「オレは逃げてやる。死んでたまるか!」
 ギラギラと焦燥感たぎる視線の先には、囚われの娘があった。

***

 急を告げる声に呼応して、武装した人間が続々と風車小屋から飛び出してくる。剣を帯びた剣士が一人、拳でもって戦おうとする人が二人。いずれも女性で、敵意丸出しの視線を向けてくる。
 そこまでは、彼ら彼女らの予想範囲内だった。
 最後に扉から姿を現した少壮の男性を見て、六名の士官候補生はそれぞれ個性に応じた驚きを表した。
 ラムザとディリータは、面識があるがゆえに。他の四名は、その人物が、数日前赤毛の騎士に見せられた『骸旅団団長の似顔絵』と一致していることに思い至ったがゆえに。
 そして、六名全員が共通して二つの認識を有した。
 一つは、数時間前に戦ったミルウーダの言葉は真実であり、助けるべき彼女がここにいること。
 もう一つは、相手も、驚愕と戸惑いとを隠さないことに対する疑問だった。
 もっとも、後者はすぐに解決された。他ならぬウィーグラフの言葉によって。
「おまえたちは、あの時の…まさか、おまえたちがミルウーダを? おまえたち士官候補生たちが我が妹、ミルウーダを倒したというのか!」
 候補生たちの間を動揺が駆け抜ける。
 特に顕著だったのは、ラムザだった。彼は顔を青ざめ、茫洋とつぶやいた。
「彼女はウィーグラフの妹だったのか?」
 わずかに震える声で紡がれた疑問に、仲間達は誰一人答えなかった。
 紅茶色の髪。切れ長の目。怒りという強い感情を宿した瞳。形のよい唇。
 性別の違いによる差異はあれど、両者の外見には幾つかの共通項が見いだせる。
 何より、憤怒と憎悪に歪んだウィーグラフの表情が、雄弁に事実を語っていた。
 ウィーグラフも、また、答えなかった。最も著しい反応をした金髪の候補生を下手人と断定し、鞘を払う。
「ならば、退くわけにはいくまい。妹の仇を討たせてもらおうかッ!」
 陽光を反射し、刀身が白銀を放つ。
 同時に、ウィーグラフの左右に控える骸旅団団員達も戦闘態勢をとった。
 戦い直前における緊張が中枢神経を刺激し、高揚感となって戦士達の体中を駆けめぐる。だが――、
「ティータを、オレの妹のティータを返してくれッ!」
 栗色の髪をもつ候補生に水を差される形となった。数歩前に出て、必死の形相で懇願するその少年は、風車小屋にいる娘と似ていた。ウィーグラフはわずかに眉を動かす。
「ティータ…あの娘のことか。ならば、おまえがベオルブ家の?」
「彼はベオルブ家と関係ない! 僕がベオルブの名を継ぐ者だッ!」
 名乗りを上げたのは、妹の仇だった。ウィーグラフは鋭い眼光を向ける。
 同年代の少年達より少々低めの身長。戦士と表現するには体つきが細く、華奢。異常とも思えるほど眉目秀麗であり、貴族の令嬢のように肌が白い。ベオルブの名を継ぐ他の二人とは全く似ていない外見。
 だが、数秒後、ウィーグラフは認識を改めた。
 こちらの視線を逸らすことなく受け止める少年の瞳。確かな意志の光のある澄んだ双眸は、色こそ違えど、過去垣間見た偉大な騎士と同種のものだった。
「なるほど、ゴラグロスが間違えたか。だが、まったく無関係ではあるまい?」
「ベオルブ家に関わるものならば皆一緒と言いたいのか?」
「違うとでも?」
 ベオルブ家の少年は無言だ。また、娘の兄という少年も沈黙を保つ。
 答えを期待していなかったウィーグラフは、一歩前へと踏み出し、剣を構えた。
「どちらにしてもあの娘は解放するつもりだった。人質に取るつもりはない。だが、その前に、決着をつけよう! あの娘を返して欲しくば私を倒してからにするがいいッ!」
 宣言と同時に、ウィーグラフは指を一回鳴らした。


 パチンという音を合図に、骸旅団の戦士達は一斉に行動を開始した。
 疾風に似た動きでラムザとディリータの横を通り過ぎ、最後尾にいる最もひ弱な者、イリアめがけて襲いかかる。
 アデルとマリアは、はじかれたように同じ行動をとった。イリアの前に立ちはだかり、ナイトらしき敵の攻撃をマリアが、モンクらしき敵二名の攻撃をアデルが引き受ける。
 イゴールはイリアの腕を引き、後方へ下がろうとする。だが、その行動は中断せざるを得なかった。アデルの隙をついて一人の敵がイゴールに急接近する。長弓を装備している彼に、接近戦をする術はない。イリアを庇いつつ、敵の猛攻を回避し続ける事しかできない。
「イゴール、イリア!」
 二人の危機を救うべく、ラムザは剣に手をかける。
 刹那、鋭い語気が彼の耳を刺激した。
「お前の相手は、私だ」
 殺気と危険を感じ、ラムザは反射的に横へ跳ぶ。
 直後、彼が先程まで立っていた地面から三角錐形の赤光が突き上がった。
 ――これはっ!
 光の正体を理解したラムザは目をみはった。
 神の加護を剣に宿し邪を退ける、聖剣技。
 教会の洗礼を受けた騎士の中でも、修練を重ねに重ねた者だけが行使できる奇跡の技。
 その技を習得した騎士の称号は――。
「ホーリーナイトか!」
 ディリータが叫ぶ。
 ウィーグラフは背後にいるディリータに見向きもせず、視線をラムザに固定したまま言った。
「残念ながら、私は洗礼を受けていないから、正式なホーリーナイトとはいえない。だが…」
 その長身から周囲を圧する気魄が立ちのぼり、見えざる凶器となって襲いかかる。
 十歩ほどの距離にいるラムザは、まともにその影響を受けた。背筋に流れる冷たい汗を精神力で抑え、怯みそうになる心を叱咤し、剣を鞘から抜き構える。
「技に、何ら遜色はない」
 ウィーグラフが動いた。
 滑らかな動作で剣をふりかざす。
 同時に、ラムザも動いた。地を蹴り、ウィーグラフに向かって疾走する。
 気迫を込めて振り下ろされようとしていたウィーグラフの剣は、ラムザのそれによって阻害された。二本の剣が刃を交え、甲高い音が戦場に響く。
「ほう」
 ウィーグラフが微かに嗤う。
 一方、ラムザには口を開く余裕はなかった。彼は腕にかかる今まで経験したことのない重量感に、必死に耐えていた。
 だが、奮闘空しく、刃は少しずつラムザの額へ近づいていく。
「させるかぁ!」
 ディリータが剣を抜き、ウィーグラフの背後を襲う。
 ウィーグラフは全く狼狽しなかった。右足を前に振り上げ、ラムザの腹部にのめり込ませる。崩れた姿勢を立て直しながら距離をとる少年を横目でみて、ウィーグラフは振り返った。間をおかず、剣を振りかざす。そして、裂帛の気合いと共に振り下ろした。
「命脈は無常にして惜しむるべからず…葬る! 不動無明剣!」
 あと二歩でウィーグラフに剣が届くという距離で、その技は発動された。
 ディリータの頭上に、青く煌めく光の結晶が発現する。水晶によく似たそれは空中で澄んだ音を立てて砕け散り、破片が刃となって幾つも彼の身体を貫いた。
「ぐ、あぁああああ!」
 一秒にも満たない時間で、光は消え失せる。身体の内側から剣を突き立てるような苦痛から解放されたディリータではあったが、続けて別の異変に襲われた。なぜか身動きできないのだ。足を踏み出そうとしても、剣を手にした腕を振り上げようとしても、顔を動かそうとしても、身体は意志に反して全く動かない。異常を訴えようにも、声を出すことさえできなかった。
「ディリータ!」
 ラムザの警告と同時に、ウィーグラフの拳が鳩尾に叩き込まれる。衝撃で身体が宙に浮き、間をおいて背中に何かが激突した。背骨が折れるかと思った激痛は、ディリータに残された唯一の行動、思考さえも奪った。視界が急速に狭まり、暗転していく。意識が闇に沈む直前、誰かの悲痛な叫びが聞こえたような気がした。

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