砂ネズミの穴ぐら(1)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第六章 砂ネズミの穴ぐら(1)

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 夜がしらじらと明けはじめる頃、一行は宿を引き払った。
 “砂ネズミの穴グラ”と呼ばれる骸旅団のアジトは、ドーターとゼラクス砂漠の中間あたりに位置する。夜明けに出発すれば、朝食時に到着できる距離。食事時なら油断しているかもしれないと考えたからだ。
 王都ルザリアへと至る北街道を歩む。地図によれば、一時間ほど街道沿いを歩き、その後は北東にある湖を目指せばいいみたいである。湖の畔に目指す集落跡がある。
「ラムザ、その髪型、とってもよく似合うよ」
 地図片手に先頭を歩いていたラムザは不快に思う感情を隠さず、振り返る。発言者はイリアだ。その青紫の瞳は、いらずらが成功した子どものように輝いてる。
「そんな顔しなくてもいいのに。ねぇ、みんな、そう思うよね?」
 マリアが熱心に賛同する。ところが、他のメンバーは否定も肯定もしなかった。珍しそうに、面白そうに、からかうように、ラムザのうなじ辺りを凝視する。
 ラムザは髪を束ねているリボンを触った。彼自身は後ろ姿が見えないため、何とも言えない。はしゃぎながらマリアとイリアが髪の毛をいじっていた事から推察すると、怪しい結び方でもしているのだろうか。彼が理解できたのは、普段と違い、髪を引っ張るようにきつく首の後ろでくくられたこと、毛先はいつものように流されていることだけだった。
 いつもは紐で長い金髪を無造作にひとくくりにするラムザだが、その紐はドゾフにあげてしまった。


 出発間際、ドゾフは昨日の件を謝罪した。
 候補生達は、骸旅団に戻らないことを条件に彼を許した。その後、彼はラムザに向き直り、「旦那が身につけている物をお守り代わりに下さい」といってきた。
 ラムザにとって自由に出来る私物は、懐の懐中時計か、髪を束ねるのに使う紐くらいしかない。時計はないと困る。そこで、彼はその場で髪を束ねていた紐をほどき、ドゾフに手渡した。受け取ったドゾフはガラス細工でも扱うかのように丁寧な手つきで触れてから、左腕に幾重にも巻き付けていた。
「ラムザ、貴方その頭で大丈夫なの?」
 マリアの指摘に、ラムザはあることに気がついた。戦闘をするのに、まとめていない長い髪は邪魔なのだ。鞄を探ってみるが、あいにくと予備の紐はなかった。
「マリア、余分な紐があるなら貸してくれないかな?」
 このパーティの中で、髪留めが必要な程の長髪はラムザとマリアしかいない。癖のある亜麻色の髪を常にポニーテールに結わえているマリアなら予備くらい持っているだろうと考えたからこそ、ラムザは彼女に頼んだ。
「いいわよ。あいにくと紐はないから、これでいいよね?」
 彼女が鞄から取り出したのは、真新しい藍色の細い布きれ――女性用のリボンだった。
 ―――リボンは恥ずかしい。
 ラムザは率直にそう思った。
「他のものはないかな?」
「これしかないのっ!」
 男としての抵抗は、あっさり封じられた。
「そうだ。時間ないし、くくってあげるね」
 ラムザが左後方に視線を巡らすと、イリアが鞄からブラシと手鏡を取り出していた。旅をする女性にとって必須アイテム二つを両手に構え、じりじりと近づいてくる。にっこり笑っているが、ラムザにはなぜか不穏なものに見えた。
 不意に、数ヶ月前の悪夢が蘇る。
 ―――あのときも、彼女は同じ顔をしていた!
 小悪魔と化したイリアから離れるために一歩前に踏み出そうとした瞬間、後頭部に鈍い痛みが走る。背後を見遣ると、マリアが彼の金髪を一房握りしめ、これまた妙に可愛らしい笑顔――ラムザにとっては邪笑そのもの――をしていた。
「どこへ行くの? 私達の厚意を無碍にするつもり?」
 奇妙に迫力ある二人の包囲網から逃げることかなわず、他の仲間達の助力もなく、ラムザは彼女らに髪の毛をいじられたのだった…。


「本当によく似合うわ。リボンは藍色にして正解だったわね」
「次は三つ編みにでもしてみたいね、マリア」
「そうね。ラムザ、そのリボンあげるから、三つ編みにしたかったらいつでも声かけてね」
 ――そんな用件で声をかけることは、一生ない。
 ラムザはそう思ったが、ヘアアレンジ法ではしゃぐ女の子二人の手前、心のうちでつぶやくにとどめる。同時に、いますぐガリランドの寄宿舎にとんぼ返りしたくなった。自室に戻れば予備の紐があったはず。このままリボンをつけていれば、彼女たちに遊ばれるだけだ。
「しかし、なんで髪の毛なんか伸ばしているんだ? 邪魔なだけだろうに」
 アルガスが口に出した疑問は、士官アカデミーのメンバーも常々思っていることだった。好奇心に満ちた視線がラムザに注がれる。
「あ、ああ。これはちょっとね。詳しくは秘密」
 ラムザはそう呟いて早足に歩き出す。彼の背中は明らかに詳細を語るのを拒絶していた。候補生達の視線は、自然とディリータに移る。幼なじみの彼なら事情を知っているかもしれないからだ。だが、ディリータはかぶりを振った。
「残念だけど、俺も知らないんだ。ただ、子どもの頃から伸ばしていたのだけはわかる」
「謎だな」
 ぽつりとイゴールが呟く。
「女の子に間違われるのが嫌なくせに、髪を切らない理由っていったい…」
 アデルは腕組みしながら考え込む。
 数秒後、
「わかったわ。願掛けよ!」
 マリアが自慢げに推理を口に出した。すぐさま、異論の声が上がる。
「平凡すぎない? きっと、家訓なのよ。ベオルブ家の男子は、成人するまで髪を伸ばさなければならないのよ」
「イリア。物事は意外と単純なものよ。ねぇ、ディリータ?」
 マリアは熱い視線をディリータに注ぐ。彼が横を見遣れば、イリアもまた同じように見つめていた。
 ―――どうして俺を見るんだ? さっき、知らないと言っただろう…。
 ディリータは答えを知っている唯一の人物を見遣る。先頭にいる彼は、背中を向けて黙々と歩いていた。どうやら、この話題に関与する意志が全くないらしい。
 かといって、仲間達の好奇心は止まりそうもない。女性陣は相変わらず熱い視線を送ってくるし、アデルは時折首を傾げて考え込んでいる。イゴールはいつもの物静かな表情をしているが、興味がないという訳でもない。仲間の話を一音も聞き漏らすまいと耳をそばだてているようだった。
 ディリータはため息混じりに告げた。
「残念だけど、イリアのはおそらくハズレだ。そんな家訓聞いたことないし、ザルバッグ様の長髪なんて俺の記憶にない」
「ふ〜ん、そうなんだ…。残念」
「ほら、やっぱり願掛けよ」
 得意げにマリアが呟く。
「でも、願掛けに髪の毛を伸ばすってなんか、女々しくない?」
「ラムザって可愛いし、似合うし、いいじゃない」
「それもそうね!」
 その瞬間、ラムザの足が不自然にもつれたように見えたが、ディリータは気のせいだろうと自己暗示する。
「わかったぁ! きっとこれだ!!」
 唐突にアデルが大声を張り上げた。
「な、なに?」
「ラムザは小さい頃、女として育てられたんだ!」 
「はぁ!? 何言っているのよ、貴方…」
「まあ、聞け、マリア。お袋の国には、身体の弱い子を逆の性別として育てると健やかに成長するという風習がある。小さいとき、ラムザは病弱だった。ベオルブ家の男子であるから女の名前を付けるわけにはいかない。だから、せめて髪の毛を伸ばすことにしたんだ!」
 ―――あながち外れではないかもしれない。
 ディリータはそう思った。
 乳母のマーサから聞いたことがある。小さい頃のラムザは身体が弱く、ちょっとしたことですぐ熱を出していたという。五歳くらいになると落ち着き、徐々に丈夫になっていった、と。
 その風習ゆえに、今もなお極力髪に鋏を入れることを避けているとしたら…。
「どうだ。これなら信憑性高くないか?」
 アデルが嬉々として尋ねてくる。マリアもイリアも、沈黙を保っているイゴールとアルガスでさえ、固唾を呑んでディリータの答えを待っていた。
 彼は迷った。
 アデルの推察を裏付ける証拠はある。だが、言うべきだろうか?
 視線を前に向ければ、ラムザの両肩は微かに震えている。歩調もかなり荒々しい。右手は握り拳を作っていた。
 仕草から幼なじみの心情を察したディリータは、保身のため口を閉ざす。
「ディリータ、正解はどうなんだよ!」
「………」
「黙りってことは、正解かしら」
「きっとそうだね。それにしても、アデルが真実を見抜くとは珍しいね」
「俺だってやるときはやるってことだ」
 イリアの賞賛に、アデルが得意げに胸を張る。
 その刹那だった。
「君たち、そろそろ目的地に着くから静かにしてくれないか?」
 ラムザの口から絶対零度の響きをもつ呟きが発せられたのは。
 東の空から太陽の光が暖かく自分たちを照らしているというのに、気温が一気に氷点下にさがったような寒気に襲われる。
 声の主は、ゆっくりと振り返る。
 硬直している仲間達を順次見渡して、秀麗な顔にある表情を浮かべた。
 それは、どことなく毒のある微笑みだった。

 誰かが、微かに唾を飲み込んだ。
 誰かが、小さく悲鳴をあげた。
 誰かが、ごくりと喉を鳴らした。

「わかった?」
 数秒間の静寂の後、アデル、マリア、イリアは一斉に首を縦に振った。
「わかった!」
「ごめんなさい!」
「黙ります。失礼しましたッ!」
 三者三様の謝罪を受けて、ラムザは再び歩き出す。
 怯えと恐怖を顔に滲ませた三人は、以後、湖にたどり着くまで一言も話さなかった。

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