成都2>>第一部>>Zodiac Brave Story

第三章 成都イグーロス(2)

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 北天騎士団本部前の庭園は、イグーロス城の中庭でもある。
 真ん中を縦断するように小川が流れ、中央には小さくはあるが石造りの橋が架けられている。岸の両側には、数本の大木が植えられており、絶好の木陰を提供する。日差しの強い日だと休憩をとる騎士の姿が見られるが、あと二時間で日暮れという時刻では、誰もいなかった。
 部屋の準備ができるまで別室で休憩しているといい、というダイスダーグの申し出を辞退して、ラムザ達はこの中庭に足を運んだ。
 ラムザは新鮮な空気を肺の中に取り込んで、気分転換を試みる。だが、あまり効果がなかった。隣にいるディリータに視線を滑らすと、彼は小さく吐息して、重苦しい空気の発生源たる人物を眺めた。
 それは石造りの橋の中央に立つアルガスだった。
 先だってダイスダーグに厳しく叱責された彼は、部屋を退出してから一言も話さない。すっかり意気消沈している彼に、なんと声をかければいいのか二人にはわからなかった。
「オレの家も、昔はベオルブ家みたいに皆から尊敬される家柄だったんだ」
 アルガスが唐突に口を開いた。彼は、橋に転がっていた小石を手に取る。
「五十年戦争のとき、オレのじいさんが敵に捕まってなぁ。じいさん、自分が助かるためだけに仲間を敵に売ったんだ。そう、自分の命を救うためにね」
 小石をもてあそびながら、自分の言葉を反芻するように言う。
「でも、敵の城を出てからすぐに背後から刺されて、死んじまった。オレみたいな見習い騎士に。命からがら逃げ延びたじいさんの部下だった男が、方々にそのことを吹聴していった。もちろん、親父は信じなかった。でも、みんなはその話を信じた。そして、みんな去っていった」
 ぽちゃんと軽い音を立てて、小川に小石が一つ投げ込まれる。
「身分か…。確かに、オレ一人じゃダイスダーグ卿には会えないよなぁ」
 ラムザは何も言わなかった。彼自身も、一候補生という立場以上に優遇されているのを感じていたからだ。
 士官候補生という立場なら、ラーグ公直属の軍師に会えるわけがない。目撃情報などの証言が必要ならば、一語一句間違えずに自分の言葉を再現したあの調書だけで十分なはず。にもかかわらず、面通りが許されたのは自分が軍師の弟であるからだ。
 己の力では変えようのない、生まれながらの“身分”。ベオルブという家名。
 ―――たとえ、半分だけしか流れていない血であっても。
「兄さーん!」
 突如響き渡った呼びかけが、ラムザの思考を打ち切った。弾けるように元気が良い女の子の声。それは、ラムザにとって聞き覚えのある声だった。視線を声がした方へ走らせる。そこには勢いよく手を振る金髪の少女がいた。その後ろにいる背の高い騎士の顔をも確認して、ラムザは思わず叫んだ。
「アルマ! ザルバッグ兄さん!」
 ラムザの大声につられて、ディリータも視線を滑らせる。アルマとザルバッグの後ろに隠れるようにしていた栗色の髪をもつ少女の姿を目で捉え、彼自身も喜びを隠さず呼びかけた。
「ティータ!」
 アルマはスカートの裾を左手で軽く持ち上げて走り、ラムザに抱きついてきた。
「イグーロスに戻っておいでだったのね、ラムザ兄さん。どうして連絡くれなかったの?話したいこと、聞きたいことがいっぱいあるのに…」
 アルマの声が再会を喜ぶ声から不満そうなものへと変わっていく。ラムザは素直にごめんと謝った。自分と同じ色合いの金髪をなでると、アルマは頭を軽く横に振った。
「ううん、本当はわかってるの。遊びに戻ったわけじゃないものね」
 ぎゅっと兄に抱きついてから、身を離した。少し横にずれ、ザルバッグとティータに場所を譲る。
 ラムザはザルバッグに会釈した。
「お久しぶりです、兄さん」
「約一年ぶりになるのか。背が伸びたな、ラムザ」
 ザルバッグは満面に笑みを浮かべ、伝え聞いた弟の武勲を誉めた。
「初陣で、そしてマンダリアでも盗賊どもを蹴散らしたそうだな。それでこそベオルブ家の一員だ。亡き父上も喜んでおいでだろう」
「ありがとうございます」
 賛辞に対するラムザの表情は、ここでも固かった。
 アルガスは不思議な思いでラムザの顔を見た。ダイスダーグ卿に対しても、聖騎士ザルバッグに対しても、彼は平坦で感情があまりこもっていない声音で感謝の言葉を口に出していた。兄たちが気を悪くしないのだろうか。
 だが、それは杞憂だった。
「はは、相変わらずだな。こんな言葉じゃ素直に喜べないか」
 ザルバッグは軽く笑い声をあげ、ラムザの右肩に手を置いた。
「生き残ってくれて兄として嬉しいぞ。兄上も同じ気持ちだろう」
 右肩をぽんぽんと軽くたたく。ラムザの表情はみるみる柔らかくなっていった。ザルバッグは満足げに頷き、ディリータにも暖かみのある視線を向けた。
「ディリータ、逞しくなったな。お前の活躍も聞いたぞ。ティータが嬉しそうだった。なぁ?」
 聖騎士に視線を向けられたティータは、貴婦人としてのお辞儀をラムザとディリータにする。妹の見慣れない仕草に、二人は驚きで目を丸くする。兄達の表情の変化に目ざとく気付いたアルマは「わたしもすればよかった」と悔しそうに呟いた。
「ディリータ兄さん、お元気そうでなによりです」
「ティータこそ、元気そうで良かった。学校には慣れたか?」
「ええ、みなさん、とてもよくしてくれるので…」
「ゆっくり話したいところなんだが、これから盗賊狩りなんだ。アルマ、ティータ。オレの分も含めてこいつらの武勇談を聞いておいてくれ」
 話の途中で、ザルバッグが残念そうに言う。
「ザルバッグ兄さん、お食事も一緒にとれないの?」
「すまんな、アルマ。時間ができたら必ず家に帰るから」
 妹の頬に軽くキスをして、ザルバッグは背を向けた。北天騎士団本部の方へ足を向ける。
「ご武運を」
 ラムザが逞しい背中にそう声をかけると、ザルバッグは足を止めた。
「骸旅団から身代金の要求があった」
「なんだって!」
 アルガスが驚きの声を上げる。ザルバッグは振り返り、
「どうも腑に落ちないことがある」
 その言葉を皮切りに、説明をした。
 骸旅団は反貴族を掲げるアナーキスト(無政府主義者)だが、貴族やそれに仕える者達以外には手を出さない義賊でもあると自ら主張している。そんな奴らが、身代金目的で要人誘拐という自らの名誉を貶める行為をするのは、おかしくないか、と。
「ばかな!やつらはただのならず者だ!」
 聖騎士はアルガスの言葉を無視して、ラムザに意味ありげな視線を送った。
「情報収集のために放った草(スパイ)の一人が帰ってこない。大事に巻き込まれたと考えられるのだが、草ごときに捜索隊を出す必要はないと重臣の方々はおっしゃるのだ」
「どこで消息を絶ったのですか?」
 ある決意を秘めた瞳で、ラムザが尋ねる。
 弟の目を見つめ返して、ザルバッグは答えた。
「ガリオンヌの東、ドーターという名の貿易都市だ。城の警護なんぞ、退屈だぞ。そうは思わないか?」
 ザルバッグは最後に右手を軽く振り、本部施設に入っていった。
 ラムザとディリータは顔を見合わせる。
「どうする?」
「あした用事が済んだら、ドーターへ出発する」
 ディリータの問いに、ラムザはきっぱりと言い切った。
 親友の予想通りの答えにディリータはにやりと笑い、そして懸念事項について訊いた。
「イゴール達にはどういうんだよ?」
「事後になるけど、説明するよ。同行するかしないかは、彼ら次第かな」
 ディリータはそうだなと同意した。できれば来てくれると助かるのだが、と心中で呟きながら。
「ディリータ兄さん」
 呼びかけに、ラムザがティータとアルマに視線を向けると、二人とも不安そうにこちらを見ていた。妹たちは敏感に察知したのだ。彼らがまた戦場へ行くことを。
「ごめんな、ティータ」
「ううん、いいの。兄さんは自分のことだけを考えてね。気をつけて」
「わかってる。無理はしない」
 前もって別れの抱擁をするディリータとティータを横目に、アルマがぱちんと両手をたたく。ラムザは驚いて妹の顔を見た。彼女の顔面からは不安の色は消えていた。
「今日は湿っぽいのはなしよ、ティータ。せっかくダイスダーグ兄さんから城内滞在許可をもらったんだから、楽しくみんなで食事をとるのよ。で、いっぱい兄さん達の話を聞くんだからね!」
「わかったわ。アルマ、ごめんね」
 ティータの返事に、よろしいと言わんばかりにアルマは頷き、右手をあげた。
「部屋の準備ができたらしいの。行きましょ。私たちは伝言を頼まれて、ラムザ兄さん達を探していたんだから」
「あ、そうだったのか。悪かったね。行こうか、ディリータ、アルガス」
「ああ」
「こっちです」
 ティータが先頭になって城の貴賓館方面へ向かう。ディリータも、アルガスも彼女の後に続いた。ラムザも歩き出そうとしたのだが、なにかが自分の上着の裾を引っ張っている。目を向けると、アルマの指だった。
「アルマ?」
 妹は無言だ。
 自分たちの身を案じていた先ほどまでと違い、何かを迷っている表情だ。膝を心持ち下げ、目線をあわせる。自分と同じ青灰の瞳を見つめながら、訊いた。
「なにかあったのか?」
 アルマは辺りを見渡し、中庭に兄妹二人だけだということを確認してから口を開いた。
「あのね、ティータ、ああいってたけど、本当は違うの。身分が違うからって、いじめられることが多いの」
 ティータの苦境を知ってもらいたくて、口に出した言葉だった。
 だが、アルマはすぐさま後悔した。兄の表情が明らかに曇ったからだ。何でも背負い込もうとする兄に、これ以上の負担をかけるべきではなかった。
「ごめんなさい、兄さん。余計な心配させて。ティータなら大丈夫。私がついているから安心して」
「いや、教えてくれてありがとう。そうだね、アルマがいるならきっと大丈夫だね。でも、無理はしたらダメだよ」
「兄さんこそ、無理しないで。周りの期待に応えようと、なんでも背負い込みすぎよ。兄さんは兄さんなんだから、ベオルブの名に縛られることはないわ」
 アルマにとってはごく普通にでた言葉だった。
 だが、兄の反応は彼女の予想外だった。一瞬で兄の表情が凍り付き、やがて、懐かしさと哀しさを織り交ぜた微笑みに変わった。
「まるで母さんみたいな言い方だな」
 頭を優しくなでてから、兄はティータ達が向かった方向へ足早に立ち去った。
 その背中を見送りながら、アルマは、まだ彼の心の傷が癒えていないことを痛感した。

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