誓いの剣・逸話
「ディリータが倒れました」
その知らせがもたらされたとき、最も顕著な反応を示したのは宴の主役たる弟だった。身体をびくっと硬直させ、顔面からは血の気がさっと退いていく。
「あ……あぁ…」
「ラムザ、落ち着きなさい」
バルバネスが穏やかに言い聞かせるが、あまり効果がないようだ。青灰の瞳を小刻みに揺らして譫言のように呟く。
「そんな…僕のせいで……母さんだけでなくディリータまで…」
「ラムザ!」
バルバネスの口から鋭い一喝が発せられる。数多の戦さで数十万の兵を統率してきた天騎士の一喝は、恐慌状態寸前の弟を正気に返させ、宴席を満たしていた華やいだざわめきをも消し去った。
何事か、と祝宴に列席している親族・所領の有力者達が視線をこちらに走らせる。しかし、祝宴の主宰たるバルバネスの関心は、弟とこの場にはいない少年に向いているようだ。矢継ぎ早に注進してきた使用人に容態を訊き、弟の不安を解消させようとしている。
代理として、ダイスダーグが場の空気を元に戻すべく努力をしなければならなかった。彼は席を立って父に一礼する。相手が頷くのを見て取った後、彼は手始めに最も席が近い者――実母の兄であり、分家・セクンドゥス家の当主に話しかけた。儀礼的な会話を交わし、己に人々の関心と視線を集め、先程の出来事について差し障りのない言葉で何でもない旨を説明をする。
徐々に人々のざわめきが戻りつつあるのを見て取った彼は、周囲に集まった列席者達に断りを入れて祝宴場を後にした。
「医者を呼べ!」
廊下に足を踏み入れるなり、叫び声がダイスダーグの耳朶を刺激する。彼は発生源の方へ歩み、片隅に出来上がった人だかりに向かって口を開いた。
「その必要はない」
意味なく集まっていた者達が綺麗に左右に分かれ、立ち去っていく。残ったのは、ぐったりと倒れている少年の身体を支えているザルバッグと、礼装姿のアルマとティータ、そして一人の警備兵だけである。ダイスダーグは歩み寄り、少年の側に膝を屈めた。顔色を見、手首に手をあて脈をとり、閉じられている瞼をちらっと捲る。頬を軽く叩き、
「ディリータ、聞こえるか?」
呼びかける。反応がない。ダイスダーグは強弱をつけて繰り返す。五回目で、青い唇が微かに動いた。
「貧血だな。数時間ほど安静にしていれば回復するだろう」
ダイスダーグは診断を下し、少年の両膝に手を差し入れ抱きかかえる。ザルバッグが肩に羽織っていたマントを外し、冷たく軽い少年の身体に掛けた。
「近くに空いている部屋はあるか?」
「招待客の休憩室として、全て埋まっています」
警備兵が申し訳なさそうに言う。
「ラムザ兄さんの控え室は? 続き部屋だって父さんが言ってました」
妹の言葉にダイスダーグは一瞬考えたが、
「案内してくれ」
と、結論を下した。
祝宴の席に戻るなり、
「ダイスダーグ兄さん、ディリータは?」
震えのある声で弟が訊いてきた。
「貧血だから数時間安静にさせればよい。今、お前の控え室の奥で休ませている。アルマとティータが付き添っているから、問題ない」
「はい。兄さん…」
何か言いたげな口ぶりに、ダイスダーグは視線を向ける。
「ありがとうございました」
ダイスダーグはそれには応えず、無言でカップに口を付けた。