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秘めし願い

 授業の合間に設けられた休憩時間は一五分。
 九〇分という授業時間に比べれば、決して長い時間ではない。
 むしろ、短いと言ってもいいだろう。
 だが、ティータにしてみれば、それはとてつもなく長く、苦痛の時間だった。
 授業中は忘れることができる、ある事実を思い知らされるから。

 教室で交わされるひそひそ話。
 自分に対する、くだらない偏見。
 いわれのない誹謗、嘲笑。
 それらは、まだ我慢ができる。
 聞こえないよう耳をふさぎ、心を固く閉ざせばいいのだから。
 でも、どうしても耐えられないものがある。
 それは『憐憫』の感情だ。
 『ベオルブの庇護下にある平民出身の女子』に対し、『貴族令嬢』として哀れみを向け、殊更に優しく扱う。
 彼女たちの目は、『ティータ・ハイラル』という個人を認識していない。
 その目を向けられる度に、腫れ物のように扱われる度に、嫌で嫌でたまらない。
 でも、口に出したところで、たった一人を除いては誰も理解してくれなかった。
 だから、休憩時間を一人で過ごすときは、次の授業で使うテキストを机に上に広げ目を通す。
 こうすれば、誰とも視線をあわせることはない。
 文字をおっていれば、胸にわき上がる虚しさに、寂しさに押しつぶされる事もない。
 ―――それは、自分の心を守るための自衛策だった。


 その日もそうやって過ごしていた。
 午後の第一授業と第二授業の合間にある休憩時間。
 唯一無二の親友は、隣の席にいなかったから。
「え〜、これがそうなの?」
 背後で誰かを羨望する声。
 複数の人間が席を立って誰かの元に集まる気配。
 そして、艶のある別の声が耳に入ってきた。
「ええ、婚約者と交換したのよ」
「いいわねぇ」
「ねえ、どんな言葉を取り交わしたの?」
「秘密よ」
「もったいぶらないで教えてよ」
「恥ずかしくて言えないわ。」
 聞き出そうとする女学生となかなか口を割らない女学生。
 数回のやりとりの後、教室内にいる全員に聞こえるよう彼女は言った。
「…『遠く離れていても、僕は君を想っている。これはその証』よ」
 恥ずかしがる声に覆い被さるように、複数の羨む声が教室内にこだまする。
 ティータは背後を見遣る。
 金髪が目立つ人混みの中心にいるのは、同級生のナスターシャ。
 頬を赤く染め、幸せそうに微笑む。
 左手首に揺れる、緑色のリボン。普段見慣れた物より若干太くて短く、レースなどの余計な装飾は一切ない。
 ―――男性用のリボンだった。
 視線に気づいたのか、ナスターシャを取り囲む女学生の一人がこちらを一瞥する。ティータは慌てて視線を前に戻した。机の上に広げたテキストを読む作業を再開する。
 だが、頭に入ってこない。
 先程耳に入れたやりとりと、ある人物の面影が頭をぐるぐる回る。
 現実ではあり得ない空想が頭を支配する。
 万が一の可能性もないと、もう分かっている。
 それでも押さえきれない想いが胸から溢れ出る。
「いいなぁ、私も欲しいな」
「なにが?」
 すぐ側で耳慣れた声がする。
 びっくりして顔を上げると、さっきまでいなかったはずの親友、アルマがいた。ティータの顔をじっとみつめ、後ろの人だかりを見遣り、ふむふむと納得顔をする。
「ティータ、ラムザ兄さんのこと考えてたでしょう?」
 耳元で囁かれる。
 ティータは顔が赤くなるのを自覚したが、どうしようもない。表情を隠すために顔を伏せ、力一杯かぶりをふった。
「ち、ちがうわよ」
「そんな赤い顔をして否定されても、全然説得力ないよ。兄さんに婚約者はいないから、今がアタックのチャンスなのになぁ」
「な、な、な、何を言っているのよ」
 授業開始の鐘が鳴り響く。背後で盛り上がっていた同級生達は、慌てず、しずしずと着席する。
「親友として応援してるからね〜」
 にんまり笑いながら、アルマも自分の席に座った。
 ティータがその言葉に反論する時間はなかった。
 直後に、担当の先生が入室してきたからだ。一礼の後、指名された生徒が聖書の一節を朗読する。
 ティータは耳の端に入れつつも、別のことを考える。


 両思いの証に、お互いの持ち物を交換する。
 肌身離さず身につけていると、二人の愛は永遠に続く。
 ここ最近はやりだした、恋のおまじない。
 実は、もう一つのおまじないも知っている。
 相手の持ち物を譲り受け肌身離さず持ち歩くと、いつか想いが通じるというもの。
 方法を知っているアルマは「ダメ元で試してみるのよ」というが、そこまでの勇気はない。
 大好きな兄と、同じくらい好きな親友。そして、優しく微笑んでくれる彼。
 大切な三人と過ごせる『今』が、ずっと永遠に続けばいい。


 叶わぬ願いと知りながらも、彼女はそう祈ってた。

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