ひそかな悩み
他人にしてみれば些細な事柄かもしれないが、当事者にしてみればとても深刻な事柄。
そんな悩みを抱えた人間は、決して珍しい存在ではない。
不本意ながら第一級異端者の宣告を受け、その首に莫大な賞金がかけられたラムザ・ベオルブも、その中の一人である。
彼の場合、普段はさほど気にならない。おそらく、自分自身のことよりも他の事柄に、例を挙げれば資金状況や仲間達の体調、目的地に至るまでの道中に起こりえる危険の予測と回避する方策等に思考の大半を費やしているからだろう。
しかし、戦いの合間に訪れるちょっとした休息時間、今のように物資の補給と情報収集を兼ねて街へ買い出しにきたとき、ふっと頭をよぎることがあるのだ。
「ラムザ、どうした?」
真横から発せられた柔らかいアルトの声にはっと顔を上げる。彼の青灰の瞳の先には、考え込むような表情をしているアグリアスがいた。
「深刻そうな顔をしているが、何かあったか?」
「えっ、あ、いや、なんでもありません」
「慌てた声で『なんでもありません』と言われても説得力ないが」
「いえ、本当になんでもないんです。気にしないでください」
ラムザはまっすぐ向けられたアグリアスの蒼い瞳を見つめ返す。彼女は、こちらの内面を探るようにじっと見つめていたが、数秒後、
「そうか」
と呟き、視線を正面に戻した。
ラムザはすかさず話題を変える。
「薬品の買い出しはほぼ終わりましたね。他に必要なものは、保存食や調味料でしょうか」
「そうだな。その前にちょっと休憩しないか。情けない話だが、長い間人混みにもまれたから少し疲れたようだ」
「あっ、気づかなくてもうしわけありません」
ラムザはアグリアスが持っていた紙袋を奪うように取り、自分が持っていたものと一緒に左手で抱えた。そんなことしなくてもいいと言うアグリアスの言葉を無視し、空いた手で斜め前方にある街の標識を指さす。
「あそこに公園があるようですから、そこで休みましょう」
「…ああ、わかった」
落葉樹の近くに設置されていたベンチに二人並んで腰掛け、抱え持っていた紙袋二つを足下に置く。軽くなった腕を相手に気取られないようにほぐしていると、
「で、先程は一体何を考えていたのだ?」
アグリアスが聞いてきた。
「本当になんでもないんですよ」
続けて「珍しくしつこいですね」と嫌味混じりに苦笑しようと思ったラムザだが、相手の真剣な表情に押しとどめられた。
「今日のおまえはどこかおかしい。普段なら一回で気づくのに、何度呼びかけても返事がなかった」
全く覚えがないことを指摘されてラムザは焦ったが、ひとまずは平然を装う。
「人混みで、たまたま聞こえなかっただけです」
「しかも、歩きながら何度もため息をしていた」
「ため息くらい、誰でもしますよ」
「街に到着して一時間ほどだが、十回はしているぞ?」
「そんなわけないじゃないですか…って、わざわざ数えたのですか!?」
「冗談だ」
にっこり笑顔で茶化され、ラムザの肩がかくっと傾く。崩れた姿勢を直せば、アグリアスの表情は真面目なものに戻っていた。
「だが、眉間に皺を寄せて深く考え込んでいたのは事実だ。いつ刺客に襲われるかわからない町中では、あまりにも不用心だぞ」
アグリアスの言うことは全くもって正しい。そんな当たり前のことに気づかず、アグリアスの追及を『しつこい』と思ってしまった自分が恥ずかしい。穴があれば入りたい…。
「すみません」
精一杯の気持ちを込めて、ラムザは謝罪した。
「悩み事を解決するには色々な方法があるが、誰か信頼できる人に言うのも一つの手だ。私では、不服か?」
思いもがけない言葉に視線をめぐらせば、アグリアスは微笑んでいた。優しく包み込むように、傷ついた心を癒すように。
その表情は、一瞬で、ラムザの心の奥底にあった重い楔を解き放ってしまった。
「あと三センチ、身長が伸びないかなと思っていたんです」
「身長?」
「はい」
「だが、だいぶ伸びた方ではないのか? 出会った頃は私の方が高かったのに、気づいたらいつのまにか抜かされていた」
「それはそうですけど…」
アグリアスさんと拳一つ分しか変わらないというのは、男としてかなり悲しいんです。
想い人の手前、後半の言葉は胸の中で呟く。
一方、アグリアスは、訳がわからないというように首を傾げている。
「一七一pというのは成人男性として低いと思いませんか?イゴールなんか僕よりも三カ月ほど遅く生まれたのに、一〇センチ以上も高いんですよ。」
「彼は彼、おまえはおまえだ。気にすることはない。正直なところ、私としてはそれ以上伸びない方がよい」
心外なことを言われ、ラムザは思わずむっとした。
「どうしてですか?」
「それは…」
アグリアスは言い淀み、辺りをきょろきょろと見る。
答えを誤魔化すような彼女の態度にラムザの視線が険しくなった瞬間、それはおこった。
アグリアスの腕がすっと伸び、頬に手が触れる。剣を握る者の手とは到底思えない滑らかさに、ラムザは一瞬身体を硬直させる。次の瞬間、視界一杯にアグリアスの顔が広がり、唇に暖かく柔らかいものが触れ、そして、離れていった。
「…え?」
想像さえしていなかった不意打ちの出来事に、ラムザは間の抜けた声を漏らす。
目を丸くしている青年に、アグリアスは笑みを深めて言った。
「キスがしやすい」
以後、ラムザが身長のことを気に病むことはなくなった。
- end -
2007.2.28
(あとがき)
衝動的に書き上げた一品です。
一番の難所は、ラストシーン。キスシーンって表現するの難しいね(^o^)
だが、私は後悔していない! 早いこと、ラムザを幸せにしてやりたいものです。