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差し入れの正体

 士官アカデミーの寄宿舎の一角、二〇六号室は不機嫌そうな気配に満ちていた。
「ただいま」
 部屋の主の一人、ディリータ・ハイラルが発生源たる人物に声を掛けるも、返事がない。仰向けにベッドに寝ころび、双眸を閉じている。
 ディリータは背中に隠した物を気取られないよう注意して己の机に歩み寄り、同室者から死角になる位置にその物をそっと置いた。
 視線を転ずれば、同室者の机には紙とペンがある。覗き込んでみれば、冒頭に『反省文』と題名だけが記されており、肝心の内容がまったく書かれていなかった。
「まだ書いていないのか?」
 返事はない。ディリータはかまわず声をかける。
「これは明朝提出じゃないのか」
 決して焦らず、のんびりと反応を待つ。立っているのに若干疲れて自分の椅子に腰掛けたとき、呻くような声がベッドから聞こえた。
「反省するようなことはしていない。間違っているのは向こうの方だ」
 ラムザはきっぱりと言い放ち、身体を横に向ける。
 向けられた背中に、ディリータは語りかけた。
「先に殴ったのは、お前の方だぞ」
「………」
「理由はどうあれ、『私闘』に及んだのは事実だぞ」
「…いっそ、決闘を申し込めばよかった」
「ラムザ!」
 あまりに不穏な言動に、ディリータは思わず椅子を蹴立てる。
 直後―――、
「親友を侮辱されて黙っていろと言うのか!」
 怒気を孕んだ叫びが室内に木霊した。口調の激しさに、ディリータは口ごもる。
「僕は、あいつらの言動の酷さをあいつらの身体に教えただけだ」
 ディリータは心が震えるのを感じた。
 ラムザが怒りを感じている対象は、あくまでディリータへの暴言だ。
 『平民の血が混じった妾腹』と侮辱されたことは、気にも留めていない。
 ―――どうして、こいつはこうなんだろうな………。
「だからって、先に暴力を振るって良い訳ないだろう?」
「………」
 ラムザは頑なに背中を向け続ける。
 ディリータは話題を変えた。
「さっき、ザルバッグ様に会った」
「―――!」
 びくっと動いた背中が、彼の驚愕をディリータに教えた。
「『ベオルブを名乗る者に、意味もなく暴力を振るう人間はいない』と仰っていた。俺も、そう思う」
 静寂が室内を支配する。
 ディリータはここでも焦らず、じっと待った。
「…わかったよ」
 不意に、ラムザがむくりと起きあがった。振り子のように両足振って、立ち上がる。こちらをまっすぐ見て、言った。
「反省文で、あいつらの非道を告発するよ」
 不敵な色を湛えた青灰の瞳に、ディリータは頷く。
「いいな、それ」
「だろう?」
 ベッドから机に移動し、椅子に腰掛けて文章を推敲しはじめた彼の横顔を眺めつつ、ディリータは独白する。
 ―――無事書き終えたら、ザルバッグ様からの差し入れを渡そう。きっと、喜ぶぞ。
 壁と机との僅かな隙間にあるマーサ手作りのシナモンパイを収めた箱が、そのときを待っていた。

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