Guidance of mercenary(1)>>間奏>>Zodiac Brave Story

Guidance of mercenary(1)

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 闇に沈み影に隠れていたものが、弱々しい朝日によって明るみに出ている。
 ろくに舗装されていない石畳。石がめくれた箇所に溜まっているゴミ。角に吐き捨てられた吐瀉物。饐えた匂いが染みついた空気。そして、
(なんでまたこんな所に…)
 戸口を塞ぐように座り込んでいる人物を前にして、ラッドは舌打ちした。
 頭からつま先まですっぽりと覆うように薄茶色の外套を着ているため、容姿はわからない。華奢で小柄な体格から推察するに、女もしくは子どもか。発見してかれこれ数分が経とうとしているが、ぴくりとも動かない。
 浮浪者の死体。
 別に珍しいものじゃない、とラッドは思う。五十年にも及ぶ戦争が終わったとはいえ、農地は荒れ果て耕す者もいない。奇跡的に戦禍を逃れた耕作地であっても、生産物は税という建前で貴族や教会に奪われ農民の手許に残らない。逆に、購買するように仕向けられる。ごく僅かに有する財産を金銭に代えても、一時のしのぎにしかならない。野草や木の皮を煮詰めたもので飢えをしのいでも、まずくて食えたものではないし植物にも限りがある。やがて、食べ物を求めて、農民達は土地を捨て貴族や教会が集う街へ流れるようになる。
 ところが、急激に増えた人口に比例して街の食糧も増加するわけではない。消費社会である街に生産性はなく、むしろ減っていくだけだ。身一つで流れ着いた農民に確かな財産といえる物は全くなく、収入を得る手段を持つ者も少ない。やがては、乞食や浮浪者となって街をうろつくようになる。汚い格好でうろつく彼らに対して街人は冷たく、状況改善や施しをしようとする酔狂な者はまずいない。苦労してみつけた食べ物をめぐって浮浪者同士が争うことも、金目の物を狙って盗みを繰り返すのも、何日も空腹で過ごししまいには餓死してしまうことも、日常茶飯事なのだ。
 ごく一部の人間を対象としているとはいえ酒場である<<風鳥亭>>の裏口を塞いでいるところから判断するに、この死体は残飯で空腹を満たそうとしたが失敗し、飢えでそのまま動けなくなったのだろう。
 よくあることであり、何らかの感慨をもたらす事柄でもない。
 ラッドが舌打ちしたのは、ただ、通り道を塞がれていることに対する苛立ちに起因していた。
(めんどくせぇ。どうせなら、人様の迷惑にならないところで死ねよ)
 蹴り倒そうかとも思ったが、せめてもの情けで自制した。右腕を伸ばし、外套の端を掴む。想像以上に清潔な布地の感触が手に伝わった瞬間、フードに覆われた頭が突然動いた。
「どあっ、生きていたのか!」
「生きているよ、まだ」
 思わず後ずさってしまったラッドの耳に、低い呟きが届いた。外套に身を包んでいた人物が立ち上がり、その動きに合わせてフードが自然と払いのけられる。現れたのは、金色の髪と青灰色の瞳を備えた少年の顔だった。瞳に宿る意志の光がなければ彫刻と見間違えたかもしれない。
 少年は目を細めてこちらを見つめ、問うというより確認した。
「あなたは、傭兵団の関係者ですね」
「だったら、なんだ?」
「入団したい」
 抑揚のない声で、少年はそう言った。


「まあ、その辺に座れよ。団長が起きたらつれてきてやる」
 少年を招き入れ、顎で椅子を指す。彼は暫し視線を酒場内にさまよわせていたが、六つある椅子のうち最も入り口に近いものを選んで腰を下ろした。
 ラッドはそれ以上少年に話しかけず、厨房に向かった。自分と傭兵仲間のために、朝食作りを開始する。料理と言っても簡単なもので、残っていた野菜と干し肉を煮やしただけのスープに、パンとチーズを添えるだけだ。竈に水を入れた大鍋を設置し、ファイアで火をつける。適当に切った具材を鍋に放り込んでいると、何か重いものが落ちるような音が頭上から聞こえた。
 ラッドは一瞬視線を天井に向けたが、続く物音がないとわかると調理を再開した。鍋に蓋をし、チーズを包丁で切り分ける。野菜が煮える匂いが辺り一帯に漂いはじめた頃、階段を下りる一つの足音がラッドの耳に届く。足音をたてた人物は、厨房に現れるなり皮肉を言った。
「おまえが飯作りとは珍しいな。娼館のお姐様方に愛想つかれたのか?」
「寝相の悪さで女にふられまくる野郎に言われたくないね」
「おれみたいに体も心も大きい人間にとって、そこらのベッドは狭すぎるのさ」
 自慢げに胸板を親指で指す。反論する気がしなくなったラッドは、無言で肩をすくめた。
 鍛え抜かれた筋肉を誇示するかのように素肌に直接袖無しの上着を着、膨らんだズボンを履いたこの男は、ラッドが所属する傭兵団において一番の怪力を有するガイラーである。今年で二七歳と、年がラッドと近いため最も気の合う相手でもある。毒舌のやりとりも毎度のことだ。
 不意に、背中に視線を感じる。ガイラーも感じたのだろう。時を同じくして振り返った二人は、背筋を伸ばして椅子に座る少年をみつけた。一瞬青灰の瞳と視線が絡むが、向こうからついと外される。
「…ん、なんだ、あのガキは」
「今朝、入り口前でみつけた。入団希望者だとよ」
「あんな細っこい子どもが?」
「本人はそう言ったぜ」
「来る場所間違えてないか。あの容姿なら、あっち方面の所に行けば喜ばれるだろうに」
 ラッドはガイラーの言葉に同調しなかった。
 確かに、顔の造りは端正で、同性に対して使用するには若干の抵抗あるが美しいとは思う。ラッドもガイラーも同性愛嗜好はないが、その手の人間が見れば舌なめずることぐらいは推測できる。
 だが、あの少年は見かけ通りの人間ではない。後ずさることで不審人物から距離をとる。その反応を一瞥しただけで、あの少年はラッドの動きが訓練されたものであることを見抜いた。素人には絶対不可能なことであり、何らかの武術の素養がある事を示しているではないか。
(まあ、多少できるからと言って入団できるとは限らない…)
 ラッドは心の内で呟き、中断していた作業を続行する。岩のように固くなったパンを切る作業をガイラーに任せ、スープの出来具合を確認する。塩をひとつまみ分追加し、焦げないようお玉でかき混ぜていると、予想よりも早く団長が厨房に姿を現した。ラッドとガイラーは調理の手を止め、挨拶する。
「おはようございます」
「今朝は早いっすね、ガフガリオンさん」
「たまにはな。朝飯作り、ご苦労さン」
「いえいえ。ああ、そうだ、入団希望者がきていますよ」
「あぁ、こンな朝っぱらからどこのどいつだ――っ!」
 そのとき、ラッドは仰天した。不敵・不遜の代名詞とまで言われているガフ・ガフガリオンが、息を呑んでいる。どこをどう見ても十代後半にしかみえない少年を目の当たりにして。
「…お前、ラムザか?」
 驚愕の色を濃く残した声が、ガフガリオンの口から発せられる。
 問われた少年は、一度またたきをしてから頷いた。


 命令通り二人分の朝食を団長の私室に運ぶ。ラッドが室内にいる間、卓を挟んで向かい合うガフガリオンと少年は一言も喋らず、息苦しくなるような緊張感だけが満ちていた。
 部屋から出て、扉を閉める。二人の姿が木製の扉によって遮られるなり耳をそばだててみたが、何も聞こえない。団長ガフガリオンは、邪魔者が完全に失せるまで話す気がないらしい。後ろ髪を引かれつつも、ラッドは廊下を歩み階段を下りた。
 食堂に通じる扉を開いた瞬間、珍しい光景がラッドの目に飛び込んできた。
 休暇中は好き勝手に過ごす傭兵仲間達が、一つの大卓に顔をつき合わせて座り、先程ラッドとガイラーが作った食事をとっている。一瞬休暇が終わったのかとも思ったが、あと一日あったはずだと理性の声が即座に否定した。
 ラッドに気づいたガイラーが太く逞しい腕を上げ、一つの空席を指す。そこには、一人分の食事が用意されていた。
「どうだった?」
 席に着くなり、ガイラーが興味津々と濃く墨で書いた顔で聞いてくる。ラッドは杯を手に取り中身を一気に飲み干した。薄められたワインの芳香が、喉をふわりと通過する。
「なにがだ?」
「ボスとあのガキとの話は、どうだった?」
「知らん。俺の前では一切しゃべらなかった」
「では、盗み聞きをしてもムダですね」
 ガフガリオンに次ぐ年長者・バダムが心底残念そうに言った。
「にしても、あのガキは何者だ? ボスが驚くなんて、ただ事じゃない」
「そんなに驚いていたのか? にわかに信じられない…」
 ガイラーの言葉に、セヴァリーニが疑念を呈する。傭兵団一の理論派と主張するこの男は、己の目でみたものしか信じない傾向が強い。”あの”ガフガリオンが息を詰まらせるなど、青天の霹靂に等しいのだろう。
「ガイラー、あなた、団長は少年の名前を教えられずとも口に出したとも言っていましたね?」
 状況を確認しようとするバダムに、ガイラーが頷く。若干遅れてラッドも首肯した。
 各々が思惟に沈んで数秒後………
「わかった!」
 やけに嬉しそうに声を張り上げたのは、クライブだった。この男はいつも懐に帳面を忍ばせており、面白いと感じたことを書き留めている。自分たちの活躍を戦記としてまとめ上げ、本にするのが夢らしい。学なし傭兵の中にあって、奇特な存在だ。
「ボスの隠し子だッ!」
 ――それだけに、発想も突飛であった。
「全然似てなかったぞ!」
「そんなわけあるかッ!」
 ラッドとガイラーがほぼ同時に否定する。しかし、クライブは改めようとはしなかった。
「いや、ボスはもう五十を超えているし、件の少年は聞く限りでは一六か一七。年齢的に何らおかしくはないぞ。母親がとびきりの美人だったこともあり得る」
 ――行方不明だった父親の所在が知った少年が、はるばる尋ねてきた…。
「あの二人の間に、そんなうるわしい雰囲気は全く感じられなかったぞ」
 ラッドは脳裏に浮かんだ情景を、クライブの妄想を、きっぱりと否定した。
「じゃあ、どんな雰囲気だったんだ?」
「そうだな…互いに切っ先をつき合わせて出方をうかがうような…」
「サシでの勝負」
「ああ、そんな感じだった」
 セヴァリーニの表現をラッドは認め、さじをスープにくぐらせた。
「いずれにせよ、入団希望者なら団長から説明があるでしょう。それを待ちましょうか」
 バダムの言葉でもって会話を打ち切り、傭兵達は各々食事に集中した。掻き込むように食事を平らげ、順次席を立ち、自分たちが使用した食器を洗う。普段の休暇中ならば各々好きな場所に散っていくのだが、今日に限って誰一人食堂から去ろうとしない。共有する少年への興味が、自分勝手な傭兵の足を留めているのだ。
 そして、待ち望んでいた時がきた。
「ラッド」
 食堂に現れた団長から、なぜかラッド一人が呼ばれる。四つの興味たゆたう視線を背に感じつつ、ラッドは歩み寄った。
「なんすか?」
「こいつをリデルの店に連れて行け」
 ガフガリオンが指さす空間は食堂から死角になっており、そこには話題の少年が黙然とたたずんでいた。
「お前達が店から帰り次第、テストする」
 必要なことだけを言って、団長ガフガリオンは食堂へと立ち去ってしまった。
 名前さえ知らない…一度聞いたのが覚えていない…少年と残され、ラッドは無意識に首の後ろをかく。若干の心構えができると、あごをしゃくり裏口に通じる廊下を示した。

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