夢みたあとで(4)>>間奏>>Zodiac Brave Story

夢みたあとで(4)

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 淡い微笑みが刻まれた、ティータの死に顔。
 太矢に心臓を貫かれ自身が流した血だまりの中に沈む身体とは、あまりにも不似合いな表情。
 なぜ、そんな顔ができるのか。
 何ら罪を犯していないにもかかわらず、殺されたのに。
 助けると言った約束は反故にされ、見捨てられたのに。
 辛かったろうに、痛かったろうに、苦しかったろうに、無念だったろうに。
 疑問は、あのときにおいては、妹を殺した者達に対する憎悪を深めるだけだった。
 しかし、今は―――。


 瞼を開き、今己が纏っている衣装をみわたす。
 生成色のシャツに革の上衣。適度にゆとりのある焦げ茶色の革ズボン。素足を包む、綿製の靴下。
 締め付けのない寝間着ではない。また、修道女から借り受けた素朴な部屋着でもない。機能性と頑丈さを追及した、旅装姿である。
 ここに運ばれる以前に着ていた衣服は、擦過で布地は傷み破れ、急激な加熱によって革は爛れてしまっていた。優秀な針職人をもってしても、元通りに修復できないと思われた。だから、修道院の麓にある集落におもむき、金銭と引き換えに手に入れてきたのだった。
 不備がないと分かると、唯一使用に耐えうる状態だったブーツに足を通し、靴紐を固く締める。続けて、サイドテーブルに置いていた財布を手に取る。一度開いて中身を確認し、それから上衣の内ポケットにしまった。
 ふと、何かが足りないような気がして、室内を見渡す。
 空の寝台。折りたたんだ状態で重ねられた毛布にシーツに枕。何も物が置かれていないサイドテーブル。
 目をこらすも、私物といえる物は何一つ残っていない。
 ――― ああ、そうか。
 何かがすとんと心に填る。
 考えてみれば、なくて当然だ。あのときに失ってしまったのだから。
 腰に挿していた剣も、左手首に彩りを添えていた橙の紐も、そして、それらに込められていた想いも。
 湧き上がる感傷を封じ込めるように頭を振って、部屋を出る。
 薄暗い廊下を歩き、いくつかの扉を素通りし、突き当たりにある扉を押し開く。
 その先にあるのは、厳粛な雰囲気を漂わせる礼拝堂。
 広間の真ん中には長椅子が整然と十脚ほど並べられている。おそらく、信者達が座るのだろう。
 さらに椅子の列の前には、質素な造りの祭壇があり、その前に跪いている修道女がいる。彼との距離は直線距離で十メートルほどだか、彼女は気づかない。祭壇の背後にあるステンドグラスを透過して色づいた光を頭上に浴び、身動き一つせず、祈りを捧げている。妨げにならないよう、彼は息をひそめ気配を殺した。
 ステンドグラスから差し込む光が徐々に細くなり、やがて完全に消える。それが合図であるかのように、彼女は顔を上げた。立ち上がり、こちらを顧みる。綺麗なカーブを描く眉が、一瞬、怪訝の形に寄った。
 彼は、ゆっくりと修道女に歩み寄る。
 祭壇を降りた彼女の数メートル前で足を止め、正面から相手を見て、口を開いた。
「長い間、お世話になりました。今日、ここをでていきます」
「…そうですか」
 若干の間を経て、修道女はうなずいた。
「手厚く丁寧な看護、本当にありがとうございます」
「いいえ。アジョラ神に仕える者として、傷つき倒れし者に手を差し伸べるのは当然の務めです」
 敬虔なグレバドス教教徒として、模範的な回答。
 本気でそう思っていると、慈愛に満ちた修道女の表情が語っている。
 だが、このとき彼は、生まれて初めて神を強く憎んだ。
 偶然の積み重ねと他者の献身によって、彼自身の命は長らえた。
 だが、誰も何も恨むことなく死の瞬間まであいつのことを気遣っていた妹には、救いの手を差し伸べないのか。恐ろしく一途で純粋な想いさえ、無視するのか。『宿命』『分不相応の扱いを受けた罰』『大儀名聞』などという言葉によって、その死を受容せよというのか。
 ――― そんな神ならば、俺はいらない!
 胸の内を吹き荒れる嵐を顔に出さないよう注意しながら、彼は、修道女に対して、ベオルブ家で教わった騎士としての礼をした。
 修道女の言葉に賛同するためではない。
 見ず知らずの自分に対して、何の見返りも求めず献身的に看護してくれた修道女の尊い行為に感謝の意を表すためである。
 相手がどう受け止めたか、それは彼には分からない。
 姿勢を正し顔を上げたとき、修道女は穏やかな瞳をまっすぐ自分に注いでいた。
「これからどちらに行かれるのですか?」
「イグーロスに行こうと思います」
 心が命ずる方角と正反対の地名が、すんなりと口から出る。
「では、そちらに家があるのですね」
「はい」
 重ねて嘘をつく。
 だが、良心に恥じることはなかった。
 『家』と彼が心から思う場所は、もうない。そして、彼の帰りを待つ人も、もういない。だが、そのことを、この心優しい修道女に告げても、何にもならない。余計な気遣いをさせるだけであり、同時に煩わしいことでもあった。
 そんなことよりも、しなくてはならないことが俺にはある。
 彼は暇を告げる言葉を唇に載せ、背を向けた。礼拝堂の出口に向かって歩を進める。後ろから、修道女の軽い足音がついてくる。
 足を止めて振り返り、見送りは不要だという意思を伝える。
 視線を正面に戻して歩みを再開すれば、足音は彼自身が発するものだけになった。
 両開きの頑丈そうな扉を、自らの両手で押す。
 音も立てずに扉はすんなりと開いた。
 湿り気のある外気が彼の肌を撫でていく。空は灰色の雲に覆われ、その裂け目から差し込む太陽の光が、か細く山道を照らしていた。
 
 面前に広がる光景を前にして、彼は目を閉じた。
 仮初めの暗闇の中で思い浮かぶのは、微笑みを浮かべた妹の死に顔。
 ――― ディリータ・ハイラルとしての全てを取り戻させた記憶。
 胸の内に湧き上がるのは、ある人物への思慕。
 ――― 妹が、ティータ・ハイラルが、秘かに育み最期まで絶やさなかった感情。

 なぜ自分に妹の感情が宿ったのか、いまだに分からない。
 だが、原因はどうであれ、自分は知ってしまった。奇跡という言葉にふさわしい、一途で純粋な心を。この想いを己の胸の中だけに封じ込め、以前の生活に戻ることなど到底できない。
 だからこそ、彼は旅立つ。
 妹を利用し見殺しにして骸の上に胡座を汲む者達を、糾弾するために。
 踏みにじった方は忘れても、踏みにじられた方は受けた苦痛や悲嘆を決して忘れない。そのことを骨の髄まで思い知らせるために。
 助かるべき存在に救いの手を差し伸べなかった理不尽な現実に、怒りの拳を叩きつけるために。
 瞼を開き、無意識に胸の辺りに上げられていた右手を眺める。
 手のひらには何もない。空っぽだ。
 (だが、いつか必ず!)
 手のひらにある空気を圧殺するような勢いで拳を握り、振り下ろす。
 そして、彼は大地に一歩を踏み出した。


 意思を託されたことで望んだものを、叶えるために。 

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