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魅惑の空

 一日の疲労をとるべく寝台に横になるも、確たる理由もないのに心がざわめき眠ることができなかったある夜。ムスタディオは安眠薬代わりにカップ一杯の水を求めて寝室を抜け出した。熟睡しているであろう仲間達の迷惑にならないよう足音を殺して廊下を歩き、食堂兼居間に通じるドアへの前とたどり着いたときだった。
 扉と壁とのわずかな隙間から、光が漏れている。
 時刻は、一日で最も深く闇に包まれる深夜。野営中ならば仲間の誰かが必ず不寝番を務めているが、珍しく宿を取ることができた今夜は皆暖かく柔らかいベッドを堪能しているはずだ。
 久しぶりのベッドを拒否し夜更かしをしている物好きは、誰だろうか?
 好奇心から、ドアノブを引く。
 開いた扉の先にいたのは―――
「ん?」
 バルフレアだった。居間で一人、酒を飲んでいたらしい。灯りに照り返された酒瓶とグラスが、テーブルに長い影を作っている。
「お子様が、こんな夜更けまで何をしている?」
 笑いながら言っているが、陽気さが欠ける声のように思えた。ランプによって濃く陰影づけられた顔は沈鬱そうにも見える。だからこそ、
「眠れないから、水を飲みに来たんだよ」
 普段ならば腹立たしい“お子様”という言葉を、ムスタディオは敢えて聞かなかったことにした。
「だったら、水より美味いものを飲ませてやるよ」
 バルフレアは椅子を軽く引いて立ち上がり、食器棚からカップを一個取り出す。ムスタディオがテーブルを挟んで向かいの椅子に腰を下ろし正面を向けば、彼はニッと口の端をひいて酒瓶の中身をカップに注ぎ入れていた。
「これがなかなかいけるんだ」
 目の前に置かれた真鍮のカップを手に取り、中身を凝視する。が、ランプ一つが灯された室内は暗く、不十分な明かりは液体のはっきりとした色や透明度を見せてくれない。葡萄の香りが微かに鼻を刺激するが…。
「もしかして、ミルクの方がよかったか?」
「まさか、ラムザじゃあるまいし」
 ムスタディオは一気にカップをあおった。火の玉のような灼熱感が喉を通過し、全身に駆けめぐった。
「いい飲みっぷりじゃないか」
「おう!」
 空のカップをテーブルに叩きつけ、頭にかかったアルコールの靄を渾身の意志力で振り払う。
 こぽこぽという微かな音に目を向ければ、カップの縁に酒瓶の口が置かれていた。赤褐色の液体がカップの中へと流れ落ちている。視線を上げれば、黒いグローブが、瀟洒な白の袖が、そして、面白そうに笑う男の顔があった。
「感心したから、プレゼントだ」
「………」
 視線を手元に戻せば、カップの八分目まで赤褐色の液体が満たされている。直径は約五センチ、高さは約八センチのカップ。目分量で測るに、量は二〇〇ミリリットルほどか。つがれた酒は、先程飲み干した感触ではかなりアルコール純度が高い酒のはず。恐らく、もう一度この量を一気飲みをすれば、酔いがあっという間に回って正体をなくすだろう。そして、べろんべろんに酔った様をこの男が見れば、「酒量の限界をわきまえていない、やはりお子様だな」と皮肉を言うに違いない。
 ―――それは、むかつく。
 ムスタディオはカップに口元に寄せ、一口分だけを呑み込んだ。息を一つ吐くことで身体が火照る感触を静める。目だけを動かして正面を見れば、バルフレアは酒が満たされたカップを持っているものの飲もうとはせず、ムスタディオの斜め横を…ランプをぼんやりと眺めていた。焦げ茶色の瞳がランプの炎を映し、揺らいでいる。
 いつになく静かな態度に、どことなく寂しそうな表情に、ムスタディオは内心首を傾げる。
 直後、バルフレアはこちらの視線に気づいたのだろう。顔を隠すかのようにカップを掲げ、口をつける。同性から見ても様になると感じる動作で酒を飲み干し、ぽつりと言った。
「上等な酒は、どの世界にもあるものだな」
「あんたがいた世界でもあったのか?」
 バルフレアは一度瞬きをして、頷いた。
「ああ」
「ふ〜ん」
 ムスタディオは適当に相づちし、三口分ほど酒を飲んだ。バルフレアは手ずからカップに酒を注いでいる。
 沈黙の楽が、二人の間を流れる。
 耳に聞こえない楽曲を数小節で打ち切ったのは、ムスタディオだった。
「なあ、一度聞いてみたいと思っていたんだけどよ…、自分がいた世界とは異なる世界にいるというのは、どういう感じなんだ?」
「…共通点や相違点に気づく度に、異世界にいると認識させられる。己の存在感が希薄で、どうも落ち着かない。そして、あいつに対する感情は募る一方だよ」
 答えが返ってきたのは、質問してから約十秒後。
 最後の言葉が、ムスタディオの豊かな好奇心をくすぐった。
「あいつって?」
 その瞬間、バルフレアは露骨に顔をしかめる。
 ムスタディオは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、テーブルに両手をついた。
「なあ、あいつって、あんたの恋人か!?」
「………」
「隠しても無駄だぞ。ラムザから聞いたんだぞ。あんた、ドーターで『美しい女をおいかけるのに理由がいるのか』と言ったらしいな」
 形のよい唇が歪み、短い舌打ちが発せられる。
 ムスタディオは確信を抱き、さらに攻勢をかけた。
「で、どんな女だ。美人か、それとも可愛いタイプか? どこでどんなきっかけで知り合ったんだ? つきあいは長いのか? 会えなくてやっぱり寂しいのか? それとも、浮気されているかもしれないって心配しているのか? そうだよな、もうこっちの世界に来てかなりの時間が経っているからな、そりゃ、気になるよなぁ…。オレの機工士仲間にもいたんだよ、発掘に熱中するあまりに愛想つかれて別れを告げられたヤツが。ああ、でも――」
「わかった、話すから黙れ」
 ムスタディオは口に勢いよく錠を下ろした。喉の渇きを癒すため、最も身近にあった飲み物を…カップに半分ほど残っている酒を飲み干す。ぷはっと充足の息を吐いていると、
「表情がとても豊かで、どんなときでも見とれてしまう」
 ぼそりとした呟きが耳に入った。ムスタディオはうんうんと首を縦に振る。
「つまり、美人なんだな」
「ああ。とびっきりのべっぴんさんだ。もっとも、そう思うのはオレだけではなく、あいつに憧れている男はたくさんいる。むかつきもするが、仕方ないとも思う。オレだけのものには決してできないからな」
「なんで?」
「手を伸ばせば触れることはできるが、その手に掴むことはできないからな」
 なぞなぞのような答えに、ムスタディオは首を捻った。空いた左手で拳を握ったり開いたりしても、なかなか理解に繋がらない。触れることができるから、その瞬間に握れば掴めるはずなのに…。
「意味、わからないか?」
 笑いを含んだ声が返ってくる。ムスタディオは素直に認めた。
「ああ」
「翼を持ってみれば、すぐわかるさ」
「は?」
 ムスタディオの頭に浮かんだ疑問符がさらに増える。
 だが、疑問を解消する機会は与えられなかった。
 バルフレアに尋ねてもそれ以上詳細な答えは返ってこず、彼から新たな酒を勧められて飲んでいるうちに酔ったらしく、記憶がぷっつんと途切れてしまったからである。
 また、後日改めて聞き出すきっかけもなく、時間が経つにつれて興味が薄れていってしまった。


 ところが、それから数ヶ月後。
 仲間達と共有していた目的を達成し、それぞれの道を歩むために彼ら彼女らと別れ、父親が待つゴーグに帰り機工士としての生活に慣れ始めた頃。
 古い坑道から発掘されたある機械の一部が、ヒントになりそうな気がした。
 淡い予感を確かめるため、ムスタディオはあらゆる努力をした。同じ坑道を重点的に発掘して部品をできる限り集めた。損傷が激しい部品は古い文献をもとに新たに作成した。組み立てには人手が必要だったので、かつての旅で得た金銭を元に人を募った。
 そして、


「よってらっしゃい、みてらっしゃい。まもなく機工コンテスト最大の注目アイテム、“人力飛行機”の実地演習が行われるよ!」
 年若い話術士が巧みに群衆を集めていく。その後方では、三枚目な三十代の男が実に楽しそうに花火を上げていく。注がれる多くの視線を頬に感じつつ、ムスタディオはねじり鉢巻をぎゅっと頭に巻いた。
「お、やる気十分だね」
「やっとここまで来たからな」
 振り返ると、声をかけてきた人物が…十四・五くらいの少女がにっこり笑った。
「ただ、コンテストまで時間がなかったから一度も練習できず、ぶっつけ本番というのが心配の種だけどね」
「成功するに決まってるよ。このあたしが、わざわざ手伝ってあげたんだから!」
 外見からは想像もつかない強烈な力で背中を叩かれた。直後、じんじんとした痛みが広がっていく。文句を言おうと口を開きかければ、
「ムスタディオさん」
 別の声が、絶妙なタイミングで遮った。
「はい?」
 身体ごと向き直れば、今作品を作るに多大な貢献をしてくれた二十代の女性がいた。
「離陸に成功した場合、海岸線上を飛ぶようにするよう心がけ、陸地は避けてください。緊急時パイロットの脱出を容易にするために、コクピットはわざと脆弱な素材を使用しています。陸地では衝突の際に生じる衝撃を吸収しきれず、負傷のおそれがあるので。」
「わかってます、リズさん」
 心から頷くと、彼女は見る者を安心させる笑みを浮かべた。
「気をつけてください」
「はい」
 二人の女性が後方に下がったのを確認し、ムスタディオはコクピットに乗り込んだ。サドルに腰掛け、足をペダルに載せる。前方を見遣れば、二人の男がこちらに背を向けて立っていた。
「イゴール、どうかなぁ?」
「視認できる範囲では、障害物はない」
「風は…ないよね?」
「いや、海上では南風が吹いている」
「わかった」
 右側に立っていた男がこちらに駆け寄り、コクピットの空いた空間に顔を寄せた。
「離陸準備完了ですよ。海では追い風が吹いているから、こぐのにより力がいるかな」
「ラッド、南に向かって飛ぶのだから向かい風だ」
「あれ、北はあっちか?!」
「そっちは北北西だ。真北じゃない」
「そんな細かい方角までなんでわかるんだよ」
 なかなか面白い漫才だが、ここらで打ち切らないとメインイベントに移れない。観衆はしびれを切らしているのか、ざわつき始めている。ムスタディオは「わかった」と声をかけ、コクピットへの扉を閉めるよう指示した。
 誰かの手によって扉が閉められ、コクピットは一人の空間となる。
 背後に見遣れば、ラッドとイゴールが主翼を支えているのが見えた。
 正面を向き、一度深呼吸をする。そして、ムスタディオは声を張り上げた。
「プロペラ、回すぞ」
 ムスタディオはペダルをこぎ出した。脚力がチェーンを伝導しプロペラにたどり着き、勢いよく回り出す。背後でどよめきが聞こえた。
「三、二、一…発進!」
 押し出された力によってすぅと船体が滑り、やがて地面の感触が消え失せる。
 その瞬間、ムスタディオの面前に広がったのは、真っ青な空。


『翼を持ってみれば、すぐわかるさ』
 脳裏に浮かんだ男の面影に、ムスタディオは頷いた。

- end -

2007.11.11

(あとがき)
お祭りサイトで進行していた「機工都市フェスタ」参加作品です。
特別出演していただいた汎用さん達(登場順)
・テンスベルガー/話術士 @糸魚リバーさん
・アル/ナイト @半助さん
・ベレニス/竜騎士 @三嶋聡子さん
・エリザベス(リズ)/算術士 @アズリューさん
・ラッド/ナイト @rnさん
ご出演、ありがとうございました

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