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その手記が伝えるもの

 王国歴四五五年白羊の月二六日(記述二七日)。天気、雨。
 この日、私はいつもと同じ時間に起き、いつものように貴族学校に通うための身支度を調えた。わざわざ部屋まで迎えに来てくれたティータと一緒に食堂に向かう。食卓に着いていたのは、ダイスダーグ兄さんだけだった。朝の挨拶を交わし、席に着く。卓に並べられた食事は三人分だけだった。
 できる限り、家族揃って朝食をとる。
 それは、ベオルブの家にいる限り父から求められた行為であり、その死後も続いてきた習慣である。ラムザ兄さんとディリータは重要な任務のためにいないから、二人分の空席があるのはわかる。でも、ザルバッグ兄さんはどうしたのだろう。
 疑問は、ダイスダーグ兄さんが解き明かしてくれた。
「ザルバッグは?」
「明け方頃にイグーロスから戻られたので、まだお休みではないかと」
「…そうか」
 給仕のために控えている乳母から答えを得ると、ダイスダーグ兄さんは食前の祈りを捧げる。私も、そしてティータも、それに倣った。
「では、いただこう」
 最初は寡黙に料理を食べ続けるだけだったが、オニオンスープがすべて胃に収まった頃、ダイスダーグ兄さんが学校の様子を訊いてきた。とっさにティータの方をみるも、彼女は俯くばかりで口を開こうとしない。私は少し考え、最近授業で覚えさせられた詩を暗唱した。兄さんはじっと耳を傾けていたが、私が話し終わると、
「何か困ったことがあったら、いつでも言いなさい」
 と、言って食事を再開する。
 このとき、私はこの冷静な兄にすべてを打ち明けたくなった。
 困ったどころではない。ティータは学校でいじめられている。平民の出で貴族学校に通っている、ただそれだけの理由で。直接的な暴力こそないが、共同作業で面倒で手間のかかる箇所をティータ一人に無理矢理押しつけたり、彼女の持ち物を勝手に持ち出して池に捨てたり、表向きは優しく接しておきながら陰口をたたいたりと、陰惨極まる。ティータ個人には、何も非難するところがないのに。
 学校の先生に訴えても、「良識ある生徒達がそんなことをするわけない」と言うだけで、取り合ってくれなかった。でも、ダイスダーグ兄さんなら、ティータの環境を改善する有効な手だてを講じてくれるかもしれない。
「ダイスダーグ兄さん」
「なんだ?」
「あの…」
 続きの言葉を言おうとした瞬間、ぐいっと袖を引かれた。視線だけを下に落とせば、テーブルクロスの影に隠れて、ティータの手が私の袖を握りしめている。ぐっと腱の浮き出た手の甲が、小刻みに震える指先が、容赦のない力が込められていることを知らせてくる。そして、彼女の気持ちをも――。
 私は、喉の先まででかかった言葉を呑み込んだ。続きを促す兄の視線をかわすため、思いつくままに喋る。
「…兄さんは、今日ご在宅なのですか?」
「いや、登城する。処理すべき案件が山積みだから、帰りは深夜になるかもしれん」
「そうですか…」
「代わりに、ザルバッグが休みのはずだ。安心しなさい」
「……はい」
 都合よく誤解してくれた兄に頷いてみせると、袖を引っ張っていた力が消えた。横目を使ってティータの表情をみようとしたが、豊かな栗色の髪に隠れてよくわからない。仕方なく、表面上は納得したように顔を取り繕って、パンを手に取る。一口大にちぎろうとした瞬間、ノックもなしに胡桃材の扉が開かれた。ダイスダーグ兄さんがいる前で、ベオルブ家にいる者ならば絶対に誰もしない行為だった。
 けたたましい音を立てて扉が床に倒れ、男の人が一人立っていた。所々赤いシミのある黒っぽい濡れた服を着ていて、兄さんの顔を見るなり背中から何かを取り出した。自動弓だった。兄さんに向かって構えられる。装填された鏃の先端が、室内の微かな光を反射して鈍く光った。
「死ね!」
 恐怖から、私は思わず目を閉じてしまった。暗闇の中、鋭い風きり音と悲鳴、そして、重い物が床に倒れる音が聞こえた。
「…椅子から立って、壁際に移動しなさい」
 聞き慣れた声に、そっと瞼を開く。そして、目の前の光景に背筋が凍り付いた。ダイスダーグ兄さんの左肩には、自動弓の太い矢が深々と突き刺さっている。
「ダイスダーグ兄さん!」
「騒ぐな、たいした傷ではない。それよりも、言われたとおりにしなさい」
 冷静な兄の態度に動かされ、椅子から立ちあがる。その際、床下に仰向けで倒れている人影が視界の端をかすめた。喉に何か突き刺さっているようにみえた。でも、太いテーブルの脚が邪魔してはっきりとわからない。不思議に思って覗き込もうとしたら、
「見るな!」
 兄さんに厳しい口調で叱られた。駆け寄ってきた乳母によって、ティータ共々問答無用で壁際に引っ張られる。手が壁に触れた瞬間、より強い力で壁と乳母との間に身体を押し込められた。
「マーサ、二人を安全な場所に――、間に合わないか」
 兄さんの推測を証明するかのように、複数の足音が急激に近づいて怒号が鼓膜を打った。
「ダイスダーグ・ベオルブ! 我が骸騎士団を謀った罪により―――」
「ドンムブ」
 慌てふためく複数の気配。首を精一杯伸ばしてみれば、乳母の身体越しに、男達が入り口で突っ立っているのがみえた。兄さんが発動させた魔法の効果で、両足が動けないのだ。大の大人が上半身だけをまごまごと動かしている様は、どこかおかしかった。
 一方、兄さんは懐から短剣を取り出し、なにかの呪文を唱えている。私には何の呪文か判断できなかったが、侵入者達はわかったのだろう。男達の顔色が顕著に変わり、動かない足をなんとか動かそうと足掻く。
「くそがッ!」
 一番体格のいい男がやけくそ気味に抜き身の刃を兄さんに向かって投げたが、兄さんは一歩左に動くことで交わした。剣はそのまま兄さんの脇を素通りし、壁にぶち当たって床に落下する。また、別の男がボウガンの引き金を引いたが、兄さんが振るう短剣によって中途で軌道を逸らされ、あらぬ方向へとんでいった。
「無念の響き、嘆きの風を凍らせて 忘却の真実を語れ…ブリザガ!」
 ガキンと大きな音とともに、男達の足下に一塊の氷が付着する。氷はあっという間に面積を増していき、瞬く間に男達の全身を覆い尽くし、戸口を塞いだ。
「これで暫くは時間が稼げる」
 そう言う兄さんの顔には、大粒の汗がいくつか浮いていた。突如できた等身大の氷像のせいで、室内は寒い位なのに。声音や表情が変わらないから、傷の痛みから来る脂汗だと気づくまでに少し時間がかかった。
「手当を…」
「下手に抜くと出血が酷くなる。安全を確保する方が先だ」
 ティータの控えめな提案を、兄さんは退けた。奥の談話室に移動するよう指示され、その場にいた全員が素直に従う。鍵をかけるなり、兄さんは言った。
「西館に向かう。あそこなら敵の侵入が確実に防げるからな」
「だけど、ザルバッグ兄さんがまだ――」
「この騒ぎに気づかず寝こけているようでは、騎士団長失格だ」
 珍しく冗談めいた口調で兄さんが言う。でも、私は不安だった。一騎当千の強さを誇る騎士がちょっとした油断で命を失う。そんな事例は、決して珍しいものではない。そう話していたのは、他ならぬ兄達ではないか………。
「大丈夫だ。ザルバッグは間抜けではない。魔法の発動音で異常を察知し、事態を把握するために動いているはずだ。我々は我々ですべきことをしよう」
 このとき、私はダイスダーグ兄さんが言う「すべきこと」は具体的に何を意味するか、よくわかっていなかった。
 理解させたのは、一階で別の侵入者にみつかったとき私達を先に逃がそうとした兄さんが言った、言葉だった。
「今のお前達がすべきなのは、安全な場所に向かって力の限り逃げることだ。」
 ダイスダーグ兄さんは正しい。
 私は、問答無用で暴力を振るう侵入者に対して何もできなかった。面前で広げられた非日常的な光景が恐くて、目を背けて悲鳴をあげただけだった。
 戦う術を知らないのに戦うことを主張するのは、勇気ではなく無謀。ただ何とかしたいという気持ちだけで解決できることなど、現実に多くは存在しないのだ。
「なにかできるかもしれないって、そんな曖昧なもので現実がどうにかなるなら苦労しないわッ!!」
 ティータも同じようなことを言った。兄さんの追撃を逃れた侵入者にみつかり、私達を先に勝手口へ逃がして一人廊下に残った乳母を助けに戻ろうとした私に向かって。
 現状でとりうる最善の手段だと思ったから、ただ、逃げた。
 だけど、この日記を書いていると、疑いが首をもたげる。
 私は、駆けつけたザルバッグ兄さんのおかげで、助かった。ケガもしなかった。
 でも、私を庇ったティータは、連れて行かれた。利き腕を負傷しながらも侵入者と戦ったダイスダーグ兄さんは、腹部に深い傷を負って絶対安静の身だ。そして、マーサは出血が酷く、手当の甲斐なく死んでしまった。
「幸か不幸か、私を初めとして里帰りをしていた使用人が多かったため、犠牲者が少なくてすみました」
 執事頭のバーナードはそう言ったけど、死んでしまった人にはもう二度と会えない。
「奴らはティータを人質として利用する気だろうから、殺されることはない」
 明け方意識を取り戻したダイスダーグ兄さんはそう言ったけど、本当だろうか。いきなり暴力を振るってくるような人達に、道理が通じるだろうか。
 ラムザ兄さんやディリータがこのことを知ったら、何と思うだろう………。


王国歴四五五年白羊の月二八日
 昨日の夕方、ラムザ兄さんとディリータが帰ってきた。二人にティータやマーサのことを知らされていなかったのは、帰宅直後の態度ですぐわかった。その後、ダイスダーグ兄さんの寝室に入った二人は、直接兄さんから説明されたのだろう。朝食の席での二人は、不自然なほど何も話さなかった。機械的に黙々と食事をとっていたが、ラムザ兄さんは半ばで席を立った。
 マーサの所に行ったことは容易に推察できたので、私は看病のためダイスダーグ兄さんの部屋に戻ろうとしたが、扉前で執事に止められた。兄さんは、来客と面会中だという。怪我に障るから帰ってもらえと言ったが、相手はダイスダーグ兄さん自身が是非にと呼び出した人物で、機密内容を話しているから絶対誰も通すな、とのお達しらしい。
 仕方ないので自室に戻ったのだが、することがない。
 ベッドに寝ころんでみたが、寝台の柔らかさとシーツの感触はいつもと同じなのに、なぜか落ち着けない。
 机に向かって日記を広げてみたが、ペンを取る気がしない。
 身体を動かすのも、億劫だ。
 だけど、ただ部屋でじっとしているのは恐ろしい。言いようのない不安が、どんどん押し寄せてくる。
 意味もなく部屋をグルグル回っていると、人の叫びが聞こえた。バルコニーに出て声がする方を見遣ると、東門で言い争う三つの人影がみえた。ラムザ兄さんとディリータ、最後の一人は、記憶違いでなければイグーロス城中庭であった、兄さん達と同い年の金髪の人だ。
 いったい何があったのだろうか。ラムザ兄さんが背後からディリータに抱きつき、暴れる彼を押しとどめている。門前にいる男の人が何かを言ったかと思うと、ディリータが兄さんの拘束をはね除け、叫んだ。
 何と言ったか、距離がありすぎてはっきりとは聞こえなかった。
 だけど、ただ事ならぬ雰囲気は十分に察することができた。
 その後、ディリータは正門に向かって走り、ラムザ兄さんは二言三言男の人と話していたが、逆に屋敷内に入っていった。
 何か感じるものがあり、ラムザ兄さんの部屋に行ったら、予想どおりというか、暫く待っていると兄さんが姿を現した。魂が抜けたような朝食時と違って、決意に満ちた精気のある顔をしていた。
「ティータを助けに行ってくる!」
 そう言って部屋に駆け込み、あっという間に旅支度を整えていく。最後に、机の横に掛けてあった剣を左腰に挿した。
 正直に言えば、私も一緒に行きたかった。邸でただじっと待つのはいやだった。戦いの役には立たなくても、ティータを救う行動をとりたかった。
 でも………、
「必ずティータを助け出し、みんな一緒にアルマが待つここに帰ってくるよ」
 兄さんの約束に、私は引き下がった。
 だって、ラムザ兄さんは嘘をつかないし、無理なことを約束したりはしないから。
 だから、私はここでティータの無事な帰りを待っていよう。


***


 ページを捲って、彼は驚いた。次の日付は、王国歴四五六年人馬の月になっていたからだ。
 しかし、彼は落胆しなかった。この後に起こったことを、彼は過去の事実として知っている。
 祈りも努力も虚しく、ティータ・ハイラルという名の少女の命は、ジークデン砦で喪われたことを。
 彼女を射殺したのは、北天騎士団の命令を受けたアルガス・サダルファスという一六歳の少年騎士であったことを。
 そして、この事件を端緒に、彼が注目する二人の人物の道が決定的に違えたことを。
 彼らの強い意志が星の配置を換え、やがては天をも動かしたことを。

 彼女の死が、その後のイヴァリースを形作る源流となった。
 そう考えれば、一人の少女の死に意義があったのかもしれない。
 だが、この定義づけは第三者だからできることでもある。
 一年半以上もの空白の年月。
 連綿と続いてきた習慣が突如途切れたのは、この手記の所有者の心情を何よりも雄弁に語っているからだ―――。

- end -

2008.7.27

(あとがき)
 やっと書き上げることができました。これほど苦労したのも、久しぶり。お待たせして申し訳ない。「ベオルブ邸襲撃の模様」というリクエストでしたが、ただ単に事実として書くのは面白くないので、アルマ視点で表現してみました。肝心の箇所の記載が殊更に少ないのは、感情によるものです。
 長編や「夢みたあとで3」を併合的に読まないと全体像がみえないという、なんともわかりづらい作品ですが、これ以上は書けません。能力の限界ということで、許してくださいませ。

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