第十二章 驟雨(1)
わき腹に突き刺さった、一本の矢。
「…なっ」
唇から漏れる戸惑いの声。あふれ出る血の細流。上半身がぐらりと揺れ、両の膝が崩れ落ちる。
「―――――!」
衝動的に発した自らの大声で、目が覚めた。
視界に飛び込んできたのは、宙に突き出された己の右腕。指先まで伸ばされたその手は、何も掴んでいない。空っぽだ。
「……ああ」
アグリアスは右手を額に乗せた。喉元へこみ上げてくるものを必死に押さえる。呼吸を何度も繰り返して感情を沈め、ゆっくりと身を起こした。
毛布代わりに掛けていた外套をいったん脇に置き、物音をたてないよう慎重に立ち上がる。足音を殺して洞穴の出口に歩み寄り、首を突き出して周囲を窺う。
どうやら朝になったようだ。空一面に灰色の雲が広がり、朧気に太陽がみえる。
洞穴を覆い隠すかのように伸びた草むらに、踏み荒らした跡はない。
故意に目を閉じて耳を澄ますも、物音はしない。誰かの気配も、感じられない。
アグリアスは安堵のため息をつき、中に戻った。
手櫛で寝乱れた髪を直し、枕元においていた剣を左腰に挿す。
空腹を覚えて、外套のポケットから白い包みを取りだした。小さく丸めて練って堅焼きにしたビスケットが六個入っている。そのうち一つを、アグリアスは口に放り込んだ。
噛めば、ハチミツの甘みが口内に広がる。予想外の美味しさに、アグリアスは目を見張った。
贈ってくれた人の面影が脳裏をよぎり、目頭がじぃんと熱くなる。
アグリアスは目元を袖口で拭った。外套を左手で抱えもち、立ち上がる。
念のため、出口付近でもう一度周囲を伺う。変化がないことを確認すると、アグリアスは外套を羽織り、太陽がある方角に歩き出した。
(この辺りから東に進めば、アルドラ川の支流へでるはず。そのまま川沿いに下れば、ウォージリスは目と鼻の先のはずだ)
前へ進むことだけを考えて、足を動かし続ける。
あえて思考を単純にしなければ、不安と焦燥に捕らわれてしまう。一度捕まってしまっては、たやすく流されてしまう。だが、自分にそんな猶予は与えられていない。
それでも、思わずにはいられなかった。
なぜ、こんなことになったのか、と。
双子の月十一日。
ライオネル城に滞在するようになって、七日目。
朝食後、図書館へと向かう王女の護衛をアリシアとラヴィアンに委ね、アグリアスは城内を散策していた。
城内の構造を把握し、非常時の避難経路を頭にたたき込むためである。
まっすぐに伸びた石造りの廊下を歩み、突き当たりで現れた短い階を上る。天井がなくなり、雨期特有の曇天が頭上に広がった。城壁の上の通路にでたのだ。アグリアスはふと西の方角を見やった。
(彼らと別れてそろそろ一週間か。うまくいったのだろうか)
「アグリアス殿!」
背後から、二十代後半の男性が駆け寄ってくる。案内役を勤めた縁から親しく会話している、ライオネル聖印騎士団の騎士アーベルト・カイトスだった。
アグリアスは首を傾げた。騎士が青ざめた顔をしていたからだ。
「アーベルト殿、どうかされたか?」
「一つ聞きたい。あなたが剣を捧げるあの少女は、“本物”の王女殿下か?」
直後、アグリアスは感情のままに行動していた。
「オヴェリア様を愚弄するかッ!」
左腰に挿した剣に手を伸ばす。だが、
「…やはり、そうか」
こちらの反応を予期していたようなアーベルトの表情に、アグリアスは戸惑った。自然と構えを解いてしまう。
「いいか、落ち着いて聞いてほしい。猊下が、“王女の名を騙るニセモノ集団”として、あなたたちを捕縛するよう命を下した」
あまりの荒唐無稽ぶりに、アグリアスは一瞬何を言われたのかわからなかった。
「主犯格の少女は、双子の月一七日の正午、ゴルゴラルダ処刑場で磔刑に。従犯の女たちも鞭打ちに処すと…」
ようやく理解が及ぶ。
「…バカなっ」
アグリアスが思わず呻くと、アーベルトは悲しげに笑った。
「そうだな、猊下は人が変わられた。分かってはいたが…ここまでとは」
アーベルトが歯を食いしばった。
だが、アグリアスが目を瞬いたときには、その表情は緊迫したものに変わっていた。
「今すぐここを脱出しろ。一刻を争う」
「わかった。オヴェリア様と一緒に――」
「もう間に合わない」
アーベルトが中途で遮った。
「図書館がある北翼には、すでに一個小隊が差し向けられた。北翼に通じる出入り口は一つしかないから、そこを封鎖されたら逃げようがない。捕まるのは時間の問題だ」
沈痛な彼の表情が、言い聞かせるような声音が、アグリアスにある可能性を示唆する。
「貴公は、私ひとりで逃げろと言うのか」
口に出せば、アーベルトは悲痛な面もちで頷く。
アグリアスはかっとなった。
「冗談ではない! オヴェリア様やアリシア達をおいて、自分一人のうのうと逃げるなどできるかッ!」
直後、アグリアスの耳下でパンッと軽い音が聞こえた。
「たとえ一時の恥を受けようとも、それに耐え、主君や仲間を助けるために最善を尽くすのが騎士道ではないのかッ!」
激情に震える叫び。
平手の形に突き出された手。目尻から滲む涙。
右頬に感じる、微かな痛み。
五感からの情報に、怒りが消え失せた。冷静な思考が戻ってくる。
アグリアスは目を伏せた。
「申し訳ない。あなたの言うとおりだ」
「こちらこそ、女性の顔を叩いてすまなかった」
どことなく不器用さを感じさせる謝罪に、アグリアスは顔を上げて笑った。
「気遣いは不要。私も、貴公と同じく騎士だからな」
つられるように、アーベルトが唇に笑みを刻む。
和やかな空気が二人の間を流れたが、数秒後、時を同じくして真顔になった。時間を浪費したことに気づいたからだ。
「裏門まで案内する。ついてきてくれ」
そう言ってアーベルトは歩き出したが、なぜか、三歩目で足を止めた。頭のてっぺんからつま先までアグリアスを眺め、眉をひそめる。
「そのままでは目立つな。これを羽織ってくれ」
アーベルトが外套を脱ぎ、差し出す。
受け取ったそれを肩に通してみれば、アグリアスの身体には大きかった。袖は手が隠れるほど余るし、丈もくるぶしに届きそうなほどに長い。
「前ボタンを全部留めて、フードで顔と髪を隠せ」
言われたことを、手早く行う。
準備ができたことを目で告げると、アーベルトは顎を微かに動かした。
「ライオネルの騎士にみえるよう、堂々と歩いてくれ。もし誰かに話しかけられても私が対応するから、声を出すな」
アグリアスは無言で頷いた。
アーベルトの先導に従って、城壁の通路を通過し、召使い用の階段を下る。石造りの廊下を進み、いくつかの角を右や左に曲がっていくと、鉄製の枠で囲われた門扉にたどり着いた。扉の前には、見張りとおぼしき兵が二人並んで立っている。
「あそこが裏門だ」
アーベルトがささやくように言った。
「見張りがいるな…」
「大丈夫だ。ついてこい」
気負う様子も見せず、すたすたとアーベルトは門扉に歩み寄っていく。
アグリアスはフードを目深くかぶりなおして、彼のあとを追った。
「お疲れさん」
気安げにアーベルトが声を掛けると、兵の表情がはっきりと緩んだ。
「アーベルト様じゃないですか。どうしたんですか?」
「新任の騎士に城内を案内しているんだ」
「へぇ…って、なんでこいつフード被っているんです?」
兵の一人が身を屈めてフードの奥を覗こうとするが、アーベルトがさりげなく移動し、視線を遮ってくれた。
「ああ、顔を見せるわけにはいかないんだ。こいつ、特殊部隊に配属される予定だから」
「ふ〜ん、騎士団にもいろんな組織があるんですね」
「まあね。で、すまないが、こいつに裏門の仕組みを説明してやりたいから、ちょっと席を外してくれないか?」
「いや、持ち場を勝手に離れるわけには…」
「私が責任を持つから大丈夫だ。少し休憩してきたらどうだ」
兵士達は互いに顔を見合わせ、ひそひそと話をし、やがて頷きあった。
「じゃ、お言葉に甘えて」
「しばらくお願いします」
「わかった」
軽やかな足取りで、兵達が立ち去っていく。
足音と気配が完全に消え失せるなり、アーベルトが口を開いた。
「一〇分もすれば戻ってくるだろう。だから、手短に説明する」
アーベルトが扉から向かって右側の壁を指さす。二つのレバーが備え付けられていた。
「城門の開け閉めは、扉に近い方のレバーで操作する。レバーを引き下ろすと開門、押し上げると閉門だ。この操作方法は、裏門だけでなく全ての門で共通しているから、覚えておけば何かの役に立つだろう」
アーベルトが左側のレバーを引き下ろす。
音もなく、両開きの扉が中央から開かれた。新鮮な外の空気が流れ、被っていたフードをはためかせる。
「それから、これを」
アーベルトが腰周りのポーチから白い包みを取り出した。
「携帯食が入っている」
アグリアスはありがたく受け取った。当座の場所として、外套のポケットにしまう。
「何から何まですまない」
謝意を表すると、アーベルトが微かに笑った。
「あなたの騎士道が全うされることを祈っている」
どこか寂しげで憂いのある表情が、アグリアスの気にとまった。
思わず聞き返そうと口を開きかけたとき、
「アーベルト、その女をどこに連れていこうとしているのですか?」
聞き覚えのある声が背後から発せられた。
「猊下…」
アグリアスが振り返れば、ドラクロワ枢機卿本人が佇んでいた。自動弓を携えた兵をそれぞれ左右に従えている。
「私はその女を捕縛するよう命じたはずですよ」
ドラクロワは穏やかな表情を保ったまま、静かな足取りでこちらに歩み寄ってくる。
枢機卿に従っている兵達の顔を視認したとき、アーベルトは目を剥いた。彼らは、ライオネル聖印騎士団所属の騎士ではない。城に常駐している兵士でもない。昨日から城に滞在している、黒鎧をまとった剣士が率いる部隊の者だった。
「アグリアス殿、早く行け!」
「そんなことをすれば貴公に迷惑が――」
「構わんッ!」
アグリアスは強い力で身体を後ろに突き飛ばされた。衝撃でフードがずれ落ちる。急激に広がった視界の中で、アーベルトが、先ほど操作しなかった右側のレバーを引き下ろすのが見えた。
頭上から格子状の鎧戸が勢いよく降り、アグリアスとアーベルトを隔てるように突き刺さった。
「アーベルト殿、なにを!」
アグリアスが格子越しに問いかけるも、アーベルトは答えない。その目はまっすぐに、十歩ほどの距離を置いて足を止めたドラクロワへ向けられていた。
「アーベルト、今すぐその鎧戸を上げなさい」
「猊下、確たる証拠もなしに未成年の少女を磔刑に処すとは、あまりにもむごい仕打ち。まず、王家に事の真偽を問い合わせるべきかと愚考します」
「そんなことは必要ありません。“私は知っている”のですから」
ドラクロワの声音と表情は、奇妙な確信に満ちていた。
アグリアスは困惑し、アーベルトは意図が分からずとっさに二の次がでない。
「にしても、この不始末どうするつもりですか、アーベルト。我が命に逆らうとは、造反の意思ありとみなしますよ」
ドラクロワが、じっと面前の騎士をみつめる。
底光りする黒い瞳に込められた感情にアーベルトは気づいたが、動かなかった。引き下ろしたレバーに手をかけたまま、主君の視線を受け止める。
数秒後、根負けしたかのように、ドラクロワがため息をついた。
「まったく…あの男といい、あなたといい、女のことになると目の色を変えるのがライオネル聖印騎士団の特徴らしい。神の意志を実現する尖兵たる存在でありながら、なんと嘆かわしいことだ」
アーベルトの身体がビクッと震えた。
「それはどういう意味ですか!? 団長の出奔と何か関係が――」
不意に、ドラクロワが片手を上げた。左右に従っていた軽騎兵が自動弓を構える。風切り音が複数、聞こえた。
「…なっ!」
自動弓専用の太矢が、アーベルトの右の大腿部とわき腹に付き刺さっていた。衝撃で上半身が揺らぎ、両の膝がガクンと折れる。
アグリアスは鎧戸に拳を突き立てた。
「アーベルト!」
アーベルトはレバーにすがることで、辛うじて床に沈むのを防いだ。肩越しに振り返り、アグリアスを視界におさめる。直後、その目に険が篭もった。
「何をしている…早く…行け…。オレの行為を…無駄に…するなっ」
苛立つような声音が、アグリアスの硬直を解いた。
「すまない!」
身を翻し、全速力で走る。
振り返れば、アーベルトの気持ちを蔑ろにしてしまう。だからこそ、ただ前を見据えて、走り続けた。
そして――、
せせらぎが聞こえる。
(水辺があるのか)
そう思った途端、アグリアスは喉の渇きを覚えた。思い起こせば、朝から一滴も水を飲んでいない。我慢できなくて、音がする方へ向きを変えた。
腰まである下草をかき分け、密集する木々を手すり代わりに伝って歩く。
進むにつれて木がまばらになり、やがて視界が開けた。
なだらかな谷になっており、底には川が流れている。アグリアスは岸辺に歩み寄り、川面に顔を寄せた。
水は濁っていないし、悪臭もしない。サラサラと澄んだ音をたてて、ただ、流れている。
アグリアスは手袋を取った。両手でせせらぎをすくい上げ、口を付ける。水は甘くておいしかった。
思わず、ふぅと満足の息が漏れる。
その直後、せせらぎに紛れて何かが軋む音が聞こえた。アグリアスは反射的に横へ飛ぶ。先ほどまで彼女がいた位置に、二本の矢が突き刺さった。
矢が飛来した方角を見やれば、草むらに二つの人影がある。その手には弓。
アグリアスは剣帯から短剣を引き抜き、投げた。続けて剣を鞘から払い、刺客めがけて突進する。
刺客のうち一人はアグリアスが投げた短剣を眉間に受け、どぅと仰向けに倒れた。
弦音が響く。もう一人が矢を放ったのだ。とっさに、アグリアスは右膝を深く曲げて身体を沈めた。鏃が左頬をかすめ、皮膚が裂ける。焼け付くような痛みを感じたが、走る速度はゆるめなかった。刺客に肉薄し、革鎧の隙間に剣を突き刺した。
断末魔がこだまする。
刺客の全身から力が抜け落ちたのを確認してから、アグリアスは剣を引き抜いた。剣を一閃し、付着した血を振り払う。鞘に収めてから、アグリアスは周囲を見渡した。
(悲鳴を聞いてすぐに増援が来るだろう。急いで身を隠さなければ!)
しかし、今いる谷間には、身を隠せるような茂みも木立もない。
選択肢は二つ。
背後の茂みに隠れて増援を迎え撃つか、それとも、川を越え、対岸の茂みに身を潜めるか。
考えた末、アグリアスは後者を選択した。追っ手が何人いるか分からない以上、戦闘は避けるべきだったからだ。
浅瀬を選んで川を横断し、中州にたどり着いたときだった。
「どこだ!」
「どこにいる!」
「逃げても無駄だぞーッ!!」
背後から複数の怒鳴り声。
構わず、アグリアスは走った。川の中に点々とある岩をつたってジャンプし、対岸に着地する。すぐさま茂みがある方へ駆けだしたが、数歩も進まぬうちに足を止めざるを得なかった。
複数の人影が、歩み寄ってきたからだ。
「こんなところにいたのか!」
剣を携えた者。長弓を手にした者。とんがり帽子を被り、ロッドを握る者。装備はそれぞれ異なるが、殺気をみなぎらせている点では共通する。
「さあ、観念するんだな!」
リーダーらしきナイトが声高に叫ぶ。
アグリアスは無言で鞘を払った。
(四対一か。何とかして突破口を開き、落ち延びなければ)
柄を握る手に力を込める。その直後、
「ん!?」
追っ手が顔をしかめ、
「アグリアスさん!」
呼びかけと同時に、轟音が響いた。
弓兵の右腕に小さな穴があき、傷口から鮮血があふれ出る。
「間に合ったッ!」
「ムスタディオ、ナイス!」
「行くぞ、アグリアスさんを守るんだッ!」
見覚えのある攻撃に、聞き覚えのある声に、アグリアスは振り返る。目に映ったものが信じられなくて、瞬きを繰り返した。
「ラムザ…、アデル、ムスタディオ…」
「おりゃあああああ!」
アデルが斜面を駆け下り、
「ムスタディオ、アデルを援護してくれっ!」
ラムザの指示が飛び、
「任せろ!」
ムスタディオが引き金を引く。高台からの攻撃に、二人のナイトは盾をかざした。
「大丈夫ですか?」
ラムザが駆け寄ってくる。アグリアスと視線が合うなり、彼は顔を曇らせた。
「ケガをされたのですか?」
「えっ?」
「左の頬…」
指さされた箇所に手をあてれば、塗れた感触がする。出血していたことに今更気づいた。
「大丈夫だ、大したことない。それより、どうしてここに?」
「あなたたちを助けるために城の裏側から攻めようと思って。アグリアスさんこそ、どうしてここに?」
「枢機卿が裏切った。…いや、最初からラーグ公と内通していたようだ。気づいたときにはすでに遅く、私一人しか脱出できなかった。奴らはオヴェリア様を処刑しようとしている。早くお救いせねば…!」
「まずは、こいつらをなんとかしないと…」
青灰の目が、正面に向けられた。
アデルが魔法の使い手に拳術を叩き込んでいる。その彼の背後を狙おうとするナイトを、ムスタディオの銃撃が牽制している。
最初にムスタディオの攻撃を受けた弓兵に、もう一人のナイトがポーションを振りかけている。魔法薬の効果で傷口がふさがっただろう。弓兵が落とした弓を拾い、矢筒から数本の矢を取り出した。
戦況を確認し終えたラムザは「長期戦は不利だ」とつぶやき、アグリアスを見つめた。
「アグリアスさん、少しの間僕を守ってくれませんか? 魔法で一気に片を付けますので」
「わかった」
アグリアスが頷くと、ラムザは双眼を閉じた。唇が滑らかに韻を踏んでいく。
詠唱に気づいたのか、アデルの背後を狙おうとしていたナイトが攻撃対象をラムザに切り替えた。白刃を振りかざして迫ろうとする。アグリアスは前に進み出て、無防備な彼を背後にかくまった。必殺の意図を込めた敵の攻撃を、己の剣で受け流す。
ナイトがバックステップを踏んで距離をとり、その間隙を縫うように弓兵が矢を放った。
アグリアスは盾をかざし、己と背後のラムザを守る。鏃が突き刺さる衝撃を感じた直後、
「森羅万象の翁 汝の審判を仰ぐ! ラムウ!」
凛然たる声音で、解放の言霊が宣された。
長い白髭をたたえた老人が、宙に出現する。手にした杖を振りかざした瞬間、幾条もの稲妻が敵の頭上に降り注いだ。
まばゆい光が視界を染め上げ、敵の大半が倒れ伏す。
「これまでかっ!」
ただ一人召喚魔法に耐えた男が、身を翻した。北へと走り出す。
「逃がすなっ!」
ラムザが叫び、
「待てよッ!」
ムスタディオの銃が火を噴く。だが、ねらいが甘かったのか、銃弾は男の脇を素通りしていった。
ヒュ!
対岸から矢が放たれ、逃げる男の頸部に突き刺さる。男はうつ伏せに倒れ、もがき、動かなくなった。
矢が飛来した方角を見やれば、イゴール・マリア・イリアの三名が岸辺に佇んでいた。こちらに気づいたのか、マリアが大きく手を振る。
「向こう側も片づいたようですね」
ラムザが淡々と告げ、敵兵のもとへ歩み寄った。声をかけ、息があるか確認している。誰一人反応がないとわかると、彼は小声で何かを言った。
「ご―――――」
距離があるため、アグリアスには聞き取れなかった。
ただ、彼の近くにいたアデルは聞こえたのだろう。痛ましげな表情で、ラムザの横顔を見つめていた。