候補生達の円舞曲(2)>>Novel>>Starry Heaven

候補生達の円舞曲(2)

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 それ以降、彼らの間に会話は成立しなかった。
 椅子に腰掛けたままの姿勢で、刻が来るのをじっと待つ。
 時間の経過が曖昧になり、緊迫した空気が間延びし始めた頃。
 固く閉じられていた続き部屋への扉が、ようやく開かれた。
 蝶番を吹き飛ばすような勢いでもって。
「できましたぁ!」
 開け放たれた扉からイリアが飛び出してくる。彼女の顔は、充足感と達成感で光り輝いていた。
「とっても綺麗にできたよ。ご覧あれ!」
 扉の影から姿を現した人物をみて、待機していた彼らは驚きのあまり声を失った。
 マリアに右手を預けて、エスコートされている俯き加減の人物。
 豊かで癖のない黄金色の髪は、豪奢でありながら流麗。身体全体を覆い隠す型のドレスを纏った様は、清楚でありながら華麗。袖口の柔らかいレースから垣間見える白い肌は、典雅でありながら優美。
 部屋の中央までエスコートされると、ためらいがちに顔を上げた。
 唇に桃色の口紅をさし、両頬を朱に染めた様は、愛らしくも美しい。端正な顔立ちの中で最も目を引く青灰の瞳は、珍重な宝石のように硬く澄んでいる。
 大通りを歩こうものなら、すれ違う人間全員が振り返るだろうと断言できる、絶世の美少女が目の前にいた。
「おまえ、本当にラムザか?」
 夢の世界にでもいるような感覚がするアデルは、呆然と呟く。
「そうだよ」
 瑞々しい唇から発せられたのは、外見に不似合いな凄味の利いた声。透徹な瞳に苛烈な感情を込め、全ての元凶たる人物を真っ向から見据える。
 教官は残念そうに肩をすくめ、苦笑した。
「そんな怖い顔するな。せっかくの美人ぶりが台無しだぞ。そうは思わないか、ディリータ」
 話を振られたディリータは、焦った。
 含みのある教官の言葉は、作戦を実行せよと命令している。一方、こちらを鋭く睨むラムザの瞳は、作戦に反する言葉を言えと告げている。
 両者の気持ちがわかる彼は、完全な板挟み状態。
 教官の命令に反せず、かつ、ラムザを極力傷つけない表現方法を必死に探す。
 数秒後、脳裏にある言葉が閃いた。
「そうしていると、本当に、アルマによく似ているなぁ」
「アルマ? どなたのこと?」
 予測通り、尋ね返してくれた。ディリータはマリアの質問に素早く答える。
「ラムザの妹だよ。一つ年下の」
「じゃあ、妹さんも美人なのね」
「あぁ、まあ、な…」
 活発すぎる彼女の素行が脳裏をよぎったため、歯切れの悪い返事になってしまった。だが、仕方ないだろう。ディリータは開き直った。教官から注がれる叱責の視線は、故意に無視する。
 教官は内心で舌打ちし、もっとも近い所にいる教え子の腕を肘でつつく。
 無言の指示を受けたイゴールは、迷った。
 ジャック・デルソン教官は、冗談を嗜み、暇つぶしの悪ふざけを大事へと発展させるはた迷惑な人ではあるが、指導者としては一流だ。
 個性も能力も志望も異なる六名の候補生に対応できる、確かな実力。
 修練における経過は全て事細かに記録し、各々の熟練度に応じて内容を修正し、一週間ごとに個別の課題を課すという緻密さ。その行いは、この八ヶ月間、途切れることはなかった。そして、課題をこなす度に、実力がついたのも確かな事実だ。
 教育者として尊敬しているからこそ、ラムザをわざと怒らせてでも確かめたい事は、重大なことだと理解は出来る。
 かたや、ラムザの心情を思うと複雑な思いがする。最も嫌うことを強要されて気の毒に思える一方で、この上なく希少なものが見られたという喜びもある。そして、内面を冷静に分析すれば、前者よりも後者の方が心の比率を占める割合は大きい。
 しかし、それを口に出すことを、真剣の切っ先にも似た青灰の瞳が固く禁じている。いや、むしろ、口に出す気力を根こそぎ切り落としていると表現する方がふさわしい。
 果たして、どうすべきか…。
 沈黙を保つイゴールに再度命令を下すべく、教官は肘を心持ち上げる。肘が相手の腕に当たる直前、黒髪の少年が行動を開始した。


 アデルは不思議に思う。
 目の前にいる、百年の眠りをも覚ますような美少女の正体は、男。
 それが現実だ。冷厳なる事実だ。
 だが、今年十六になる少年が、ここまで見事に化けられるものだろうか?
 白粉で肌を整え、眉の形を切りそろえられ、桃色の口紅をさした顔。
 本来備え持つ女顔が控えめに強調され、儚げな雰囲気を醸し出している。
 視線を顔から身体へと移す。
 薄いピンク色のドレスは、身体全体を慎ましげに覆い隠す型だが、女性特有の美しさをきちんとみせるデザインでもある。具体的に言えば、ささやかに膨らみがある胸元と、細さを強調している腰の部分だ。
 彼が着ている(無理矢理着せられたと言う方が正しい)ドレスは、マリアのもの。
 確かに、ラムザとマリアの身長はほぼ同じ。ほんの少しだけ、ラムザの方が背が高い。しかし、胸囲や胴回りまでサイズが一致するとは思えない。
 男と女。
 いくら十代とはいえ、まだ成長途中とはいえ、両者の間には天よりも高く海よりも深い違いがあるのだから。
 では、胸元の膨らみはどうなっているのだろうか?
 アデルは疑問のままに、ラムザの胸に手をあてる。押してみると、柔らかいが弾力のない感触が残った。
 痴漢行為ともいえる行動に、周りの仲間達が目を見開き、教官でさえあっけにとられていたのを、彼は気づかなかった。
「なんだ、布を詰めた作り物か」
「当たり前だろ」
 ラムザは冷ややかな目で威嚇する。
 だが、好奇心に駆られたアデルには通じなかった。彼は次なる疑問を解決すべく、腰に手をやった。ウェストラインを何度も撫でる。ドレスにだぶつきはなく、身体に食い込んでいる様子もない。ぴったりと合っているようだ。
「細いなぁ。飯ちゃんと食ってるのか?」
「ほっといてくれ!」
 ラムザは乱暴にその手を払いのけ、後ずさる。だが、どうやら裾を思いっきり踏んづけてしまったらしく、片足が空を切る。その瞬間、裾がふわっとめくれ上がりスカートの中が丸見え状態になった。白い綿のペチコートに、黒色のなめし革で作られたズボンと焦げ茶のブーツとが、皆の目に写る。
(スカートの中は、普段着のままか)
 アデルは安堵しつつも、どこか残念に感じた。
「ラムザ!」
「大丈夫か!?」
 慣れないドレスのために受け身をとれず、背中から豪快に倒れたラムザへ誰もが駆け寄る。彼はむっくりと身体を起こし、煩わしそうに髪を両手でかきむしった。イリアが「せっかく丁寧に整えたのに」と小声でぼやく。
「あぁ、動きにくい。もう、こんな格好嫌だッ! 脱ぐ」
 背中に手をやりボタンを外そうとするラムザを、教官が制した。
「まあ、そう言うな。折角だから、明日の予行もしていけ」
 彼の腰を持ち上げることで無理矢理立たせると、教官はワルツを口ずさむ。
「誰でもいい、早くラムザの手をとってやれ」
 凶悪犯も顔負けの邪悪な笑顔で、教官はディリータ、イゴール、アデルの順に視線を巡らす。
 ラムザの両肩が小刻みに震えているのを視認したディリータは、顔を引きつらせる。イゴールは怯えるディリータを横目で確認し、教官から目を逸らした。
 ただ一人気づかなかったアデルは、ラムザの正面に立ち右手を腰にあてた。
「アデル、ちゃんと“美しいお嬢さん”をエスコートしないか!」
 ラムザは無言。右手をきつく握りしめている。
 一方、叱責されたアデルは尋ね返した。
「エスコートって、どうするんですか?」
「いきなり腰に手をあてる奴があるかッ! 男性からダンスを申し込むときは、まず手をさしのべて『一曲お願いできませんか、お嬢さん』と言うものだ。ついでに、相手の美しさを褒め称えると好感度が上がるぞ」
「美しさを褒め称える、かぁ…」
 アカペラのワルツを聞き流しながら、彼は相手の事を表現するのに相応しい言葉を考える。そして、思いついたままに言った。
「百年の眠りをも覚ますほど美しいお嬢さん、一曲お願いできませんか」
 ラムザの両肩の震えが、凍り付いたように止まる。
 花のかんばせから一切の感情が消え去り、両目がすっと細くなる。
 そして、口を開きかけ…。
「男同士で踊って何が楽しいのよ! ばっかじゃないの!!」
 悲鳴に近い怒号が室内に響く。
 部屋中の人間の視線が、ラムザから発言者−亜麻色の髪の少女へと移動する。
 マリアははっと顔を伏せた。
「失礼します!」
 扉を乱暴に開けると、彼女は廊下へと身を翻す。
 ぱたぱたと廊下を走る抜ける音は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなる。
 当惑と動揺が駆けめぐる室内で、誰よりも早く状況を把握したのはイリアだった。
「アデル、早く追いかけて! ほら、早く!」
 イリアは唖然としているアデルの手にマリアと彼のコートを押しつけ、廊下へたたき出した。

◆◇◆

 か細い陽光が降り注ぐ構内を、マリアは駆ける。
 何故走っているのか、自分でもよくわからない。
 どこへ行こうとしているのかも、よくわからない。
 ただ、足を前に動かし続けた。
 不意に何かに足をすくわれ、身体が崩れ落ちる。
 あっと思ったときにはすでに遅く、視界が急下降し地面が目前にあった。追い打ちをかけるように、ぱさっと長い髪が顔にかかる。
(無様ね)
 自嘲しつつ、腹ばいになっていた身体を起こす。厚手の冬服が緩衝材代わりになったお陰か、痛みはない。怪我はしていないようだ。
 ゆっくりと立ち上がり、髪を手櫛で整えながら辺りを見渡す。
 付近に人影がないことに安堵し、彼方に見える建物に苦笑した。
 白い壁と赤茶の屋根の建物。
 候補生達にとって第二の家とも言える寄宿舎。
 教職棟での実技講習後まっすぐ自室へ帰る習慣は、骨の随まで染みついているらしい。
 マリアは前へ一歩を踏み出すが、同室者の存在を思い出し、すぐさまひっこめた。道を大きく横に逸れ、寄宿舎の裏手に広がる林へと足を向ける。今度は目的地を定めて、緩やかに傾斜のついた林の中を歩く。
 息が少し弾んできた頃、落ち葉が堆積していた地面が茶色の土へと変化する。やがて唐突に林が途切れ、視界が急速に広がった。初冬には珍しい雲一つない青空と、枯れ色の草原が目に写る。マリアは草むらの中央まで足を進め、地面の様子を確かめてから腰を下ろした。眼下に広がる景色を−西日を浴びるガリランドの町並みをぼんやりと眺める。
 普段なら大好きな景色なのに、今は慰められる感じが全くしない。僅かな光を精一杯浴びている街は、ひどく哀しく思える。
(私、一体、どうしたんだろう)
 心は訳わからない感情でざわつき、一向に静まる様子がない。
 落ち着かせるべく手元の草を引っこ抜いてみるが、効果がない。五本目で飽きてしまった。手に残った草をその辺に放り投げ、地面に寝ころぶ。
 柔らかい枯れ草のベットに身体を預けて澄んだ空を見つめるも、心の雲は晴れる兆しがない。もやもやとした感情が渦巻いている。
 時折吹く北風は冷たく、寝ころんでいても容赦なく身体から温もりを奪っていく。
 コートを着てなかった、と今更に思い出す。だけど、部屋に帰る気にはなれない。部屋に戻れば、サーラがいるはず。もう買い出しから戻っているだろう。教官との約束が終わったら、衣装を見せ合う約束をしていた。でも、今、ドレスの話をしたくない。見たくもなかった。
 かといって、教官の個室へ取りに戻るのはもっと嫌だ。
 逃げ出すように飛び出したのに、どんな顔して戻れというのか。
 そもそも、なぜあんな事を口走ったのか。
 ラムザに女装させる意義は、男同士で社交ダンスを踊らせやすくするため。そのことは理解していた。面白いと思い、教官の提案に賛同もした。衣装提供の申込を快諾し、着付けも率先して行った。出来映えは想像以上に素晴らしく、満足さえしていたのに。
「寝ころんで相手を待つとは、何事だ?!」
 背後からの怒鳴り声が、思考を引き破る。
 マリアは即座に跳ね上がり、振り返った。
 二十歩ほど後ろに、金茶色の髪と草色の瞳を持つ同じ年頃の男子が立っている。どこかで見た覚えのある顔だから、同期生だと見当をつける。割と美男子と言える顔立ちをしているのに、その目つきは鋭い。こちらに喧嘩を売るような目つきだ。
 他人から理由なく睨まれて、気持ちいいと思う人間はまずいない。マリアもその例に漏れなかった。元々低かった機嫌は、一気に底へついた。
「あなた、だれ? 私に何のご用?」
「何ィ!」
 相手は心外だとばかりに肩を怒らせる。
「なに、と言われても。いきなり怒鳴られる理由が思いつかないんだけど…」
「手紙を読まなかったのか! 今日届いただろう!」
「手紙?」
 マリアは回想する。
 寮母から郵便物を受け取ったのは、ラムザに着せるドレスを選んでいる最中だった。
 数としては五通。一通は外部からで、月に二回届く兄からの手紙。その手紙はその場で封を切り、一読後はいつものように引き出しにしまった。
 残り四通はアカデミー内部からの郵便物。どれも白い封筒だったので、例の手紙だと思い、封を切らず差出人だけを確認した。そして、特に好ましい相手がいないとわかると、机の上に放置して選別作業を再開した…はず。
 どうやら一通だけ別用件だったらしい。なんて紛らわしいと思いながらも、マリアは差出人の名前を順繰りに思い出す。
「ハミルトンさん?」
「違う」
「じゃあ、カーティスさん?」
「…違う」
「えっと…エリックさん?」
「それも違う」
「あら。あと一人誰だったかしら…」
 やたら長い名前だったはずだ。マリアは首を傾げつつ、記憶をさかのぼる。
 数十秒経っても思い出せない彼女にしびれを切らしたのか、自ら名を名乗った。
「ヘンドリクセン・アミュモーネだ」
「あ、そうそう、そんな名前だったわ。で、そのヘンドリクゼンさんが、私に何のご用ですか?」
「ヘンドリクセンだ。おちょくっているのかッ!」
 大声でマリアの認識違いを訂正する。
 彼女の機嫌バロメータは、底よりも更に深い奈落へと落ちていった。
 少々名前を言い間違えただけであり、そこまで目くじらを立てる程の事ではないはず。
 そもそも、初対面にちかい相手にけんか腰で臨むそっちの方が、数段無礼ではないか。
(何なのよ、この男は!)
 マリアは内面の感情を隠すことなく、相手をにらみ返す。
 向こうは怯むことなく、ごほんとわざとらしい咳をする。わずかばかりの沈黙をおいて、用件を語り出した。


 数分後、マリアは辟易していた。
 ヘンドリクセン・アミュモーネと名乗った候補生は、延々としゃべり続けている。一度も話を途切れさせることなく、だ。しかも、内容は不快そのもの。
 長い長い話を掻い摘めば、こうなる。
 どうやら、彼は、五日前に行われた剣術試験における自分との対戦結果が不満であり、今日ここで再戦をしたいらしい。そして、自分が勝ったら、剣術の試験結果に対する異議申し立てを無条件で認諾して欲しい、とのこと。
 なんて勝手な言い分だとマリアは呆れたのだが、理由を聞いてますます呆れた。実にくだらない理由だからだ。当人曰く、「試験の過程で痛めた左足を、重点的に狙うのは卑怯だ」「夏期試験で三〇番にも入ってなかった人間が、冬期試験で一気に一〇番以内にはいるなんて、おかしい」等々。
 マリアは一応反論を試みた。
 前者は、当たり前の戦術である。相手の弱点を攻め、勝利を得て何がいけないというのか。また、長時間戦闘行為に耐えうる体力と気力が維持できるというのも、実力の一つ。それを判定するために、剣術の試験は、受講者全員と一対一で対戦するという総リーグ戦が採用されているのではないのか。そもそも、貴方は、戦場で「足を痛めたから、治癒するまで待ってくれ」と敵に要求するつもりなのか。あほらしいにも程がある。
 後者については、議論の対象にもならない。順位が急上昇したのは、八ヶ月間の厳しい実技修練が結果に反映されただけのことだ。失礼ながら、夏期試験から冬期試験までの四ヶ月で、そちらの腕が落ちたか、自分の成長に追いつけなかっただけではないのか?
 だが、こちらの主張は通らなかった。一顧だにせず、何倍もの独善と偏見に満ちた言葉を送り返してくる。
 それらを右耳から左耳へ流しながら、マリアはようやく気づいた。
 向こうは、こちらの言い分を認める気が全くない、ということに。
 彼にとって、自分の意見のみが正義であり、反する意見は悪である、ということに。
(アデルもよく喋るけど、彼とは正反対だわ)
 アデルとの会話は、ボールの投げ合いに似ている。
 こちらが話題を投げると、直球がやってきたり、変化球がくる。
 彼の実直な性格そのものと言える直球は、実に心地よい。
 時折来る変化球の種類は多彩で、受け取る度に考えさせられる。
 受け止めた言葉というボールを自分なりに解釈して投げ返すと、彼はきちんと応えてくれる。こちらの考えが正しいと思う場合は素直に認め、逆の場合にはこちらが認めざるを得ない意見を載せてくる。どちらも考えを曲げずに、話題というボールが砕けるまで剛速球を投げ合うときもあるが、それはそれでスリルがあって楽しい。
 そこまで述懐して、マリアはふと疑問に思った。
(そこで、どうして、アデルが出てくるわけ?)
 毎日会話を交わす候補生なら、アデル以外にも大勢いる。男子に限っても、三名もいる。それなのに、真っ先に思い浮かんだのは、異国風の顔立ちをした黒髪黒瞳の候補生だった。
(なぜ、どうして?)
 一滴の疑問は心の湖面をたやすく乱し、波紋を広げて拡散していく。
 鳴りを潜めていた感情が、再び内面の泉を浸食し始める。
 原因を、発端を考えてみようとするも、前方の雑音がうるさすぎる。
 耳障りで、煩わしい。うっとおしい。我慢ならない。
(邪魔だわ!)
「あ〜もう、そちらの言いたいことはわかったわ! お望み通り試合しましょう。私が勝ったら、この件を二度とほじくり返さないでよ!」
 大声で口上を遮ると、マリアは腰の模擬刀に手をかけた。
 唐突に打ち切られた彼は一瞬不満そうな表情をしたが、すぐさま嘲笑に変わった。
「前回と同じと思ったら痛い目を見るぞ。オレは女だからって容赦しないからな」
「それならこちらも容赦する必要はないわね」
 マリアは獰猛な−肉食獣を連想させるような笑みを浮かべた。


 風に乗って聞こえる話し声を頼りに雑木林の中を歩いてきたアデルだが、目に飛び込んできた光景に少々驚いた。
 林の向こうの開けた場所で、十歩の距離を保って対峙する一組の男女。
 一人は、探していた亜麻色の髪をもつ少女。
 もう一人は、どこかで見た覚えのある金茶色の髪をもつ男子候補生。
 お互い模擬刀を構え、相手の出方を伺うように睨み合いを続けている。
 辺りを満たすぴりぴりとした緊迫感が、人気のない場所で甘い話をしていたというアデルの想像を見事に打ち砕いた。
(何がどうなっているんだ?)
 人差し指で頬を軽くかきながら、両者をじっくりと観察する。数秒後、二つのことに気がついた。
 一つは、金茶色の髪をもつ男子候補生の正体だ。
 ラムザの髪のことを「女々しい」と表現したがために、手痛い仕返しを受けた人物だ。生憎と名前は失念したが、間違いない。
 もう一つは、自分の出る幕はないと言うことだ。
 場を満たす緊迫感を醸し出しているのは、もっぱら金茶色の髪をもつ男子候補生。ぎらぎらと光るその瞳は、一見すれば対戦における高揚感のようにも見えるが、その奥にあるのは焦りと苛立ちだ。構えにも余分な力が入っており、柔軟性に欠けるように思える。かたや、対峙するマリアは、清水を湛えた湖のように静かだ。相手に呑まれることなく、怯むことなく、模擬刀を青眼に構えている。
(剣を交える前から、勝負はついているな)
 アデルは木陰に身を隠して気配を消し、じっくり見物することにした。
 一対の黒い瞳が見守る中、先に動いたのは金茶色の髪をもつ候補生の方だった。
 青眼から上段へと構え直し、マリアに急接近する。一方、マリアは動こうとはしない。青眼に構えたまま、頭上へと振り下ろされつつある刃を冷静に見つめている。華奢な頭に金属の棒が命中する寸前、マリアは行動を開始した。右足を斜めに引くことで身体をよじってその攻撃を回避し、すれ抜き様に相手の右小手へ神速の突きをたたき込む。
 ばしっと容赦なく打ち付ける音が響き、その手から模擬刀が抜け落ちた。
「くっそ!」
 素手でも抵抗しようとする相手を制したのは、首筋に当てられた金属の冷たい感触だった。マリアは突きをあてた直後、すかさず背後に回り込んでいたのだ。
「これで、私の勝ちね。文句は言わせないわよ」
 相手は無言だ。悔しそうに歯ぎしりしている。
 マリアは剣をことさらゆっくりと首筋から退き、鞘に収めた。
「失礼するわ」
 彼女は背を向けて寄宿舎の方へと歩き出す。
 対戦相手は試合の礼を言うこともなく、その場を動こうとはしない。
 いや、違う。体は動いていないが、唇をごみょごみょと動かしている。その手も何やら印を結んでいる。その印が先程見た教官の早業と同種のものだと察した瞬間、アデルは前へと駆け出していた。


(鬱憤晴らしにはなったけど、面白味のない試合だったわ)
 そう独り呟いた瞬間だった。呪詛にも近い叫びがマリアの耳に入ったのは。
「岩砕き、骸崩す、地に潜む者たち 集いて赤き炎となれ! ファイア!」
 振り返れば、燃えさかる火の玉が目前に迫っている。避けられる距離ではない。マリアにできたのは、顔を両腕で庇うことだけだった。
「キャァ!」
 抑えきれない恐怖が悲鳴となって口から漏れた刹那だった。別の誰かの声がしたかと思うと、斜め横から誰かに勢いよく覆い被される。押し倒された人物と錐もみ状態で、枯れ草の上を何度も転げ回った。
 ようやく回転が止まと、頬には暖かく弾力あるものがあたっていた。正体を確かめるべく、マリアはゆっくりと瞼を開く。目に飛び込んできたのは、黒いもの。瞼を数度瞬くと、黒色の毛糸で作られたセーターとわかる。
「大丈夫か?」
 頭上から振ってくる聞き覚えのある声。顔を上げると、真っ黒な瞳にかち合った。やがて、その顔をも判別する。マリアは驚きの声をあげた。
「アデル!?」
「大丈夫のようだな。悪いが、そこ退いてくれ」
「え?」
 視点を上から下へと落とし、マリアはある事実に気がついた。仰向けに倒れているアデルの胸元に頬を埋めるようにして抱きついている自分の姿に。
「キャァアァァァァ!」
 先程とは全く異なる悲鳴を上げて、ぱっと横へ飛び退く。顔が赤くなるのを感じるが、止めようがない。せめてものあがきで相手に見られないよう、マリアはそっぽむいた。
 アデルはマリアの狼狽ぶりに気づかず、身体を起こし辺りを見渡す。二人しかいないことがわかると、鋭く舌打ちした。
「チィ、逃げやがったか。一発ぶん殴ろうと思っていたのに!」
 アデルは地団駄を踏む。本気で悔しがっている彼に、マリアは微笑んだ。
「いいわよ。不意打ちで黒魔法を使って勝ちました、なんて担当教官に言えるわけないわ。かえって向こうが墓穴掘るだけよ」
「だが、剣での勝負に魔法を出すか、普通?」
「戦場なら十分あり得ることだわ。今度から注意しないとね」
「おまえ怒ってないのか!」
「ん? もちろん、怒っているわよ。今度機会があったら、完膚無きまでに叩きのめすつもりよ」
 マリアの応えに、アデルはニッと笑った。
「俺も格闘技の対戦があたったら、容赦なくぶっ飛ばすことにするか。試してみたい技もあることだしな」
「そうね。丁度いい実験台ができてよかったわね」
「ああ」
 二人は顔を見合わせ、同時に笑いだした。
 さざ波に似た笑い声が丘を駆け抜けていく。
 一通り笑いの感情が収まった後、マリアは寒気を感じた。ぶるっと身震いをする。
「あ、まってろ」
 アデルは雑木林の中へとって返し、厚手の布の固まりを抱えて戻ってくる。
「おまえのだ」
 差し出されたものを広げて、マリアは小さく声をあげた。濃紺の生地に金ボタンのついたコート。教官の部屋に置きっぱなしのはずの、自分のコートだった。
 同時に、気まずい感情も蘇ってくる。だけど、最前よりはだいぶ薄まっている。
 暫し迷ったが、疑問を解決するいい機会だと思い、尋ねてみた。
「どうしてあなたが持っているの? そもそも、どうしてここにいるわけ?」
「いや〜、イリアから凄い剣幕で追いかけるように言われたから、押し切られたというか。逆らうと後が怖いというべきか。ところでよ、俺も疑問に思うことがあるんだが」
「な、なに?」
「おまえ、なんで部屋を飛び出したんだ?」
 本気でわからないというように尋ねてくるアデル。
 疑問符が一杯飛び回っているであろう彼の顔を見ているうちに、マリアはなぜか無性に、猛烈に、腹立たしくなった。
「そんなのこっちが知りたいわよ、アデルのバカァ!!」
 その言葉を捨て台詞にして、マリアはコートを脇に抱えたまま雑木林へと消えていく。
 アデルは更に大きくなった疑問と当惑を抱えたまま、その小さくなる背中をぼんやりと見つめていた。

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