罪と罰(5)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第十五章 罪と罰(5)

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 陶器片で石壁の一角を削り、短い直線を引く。
 それは、ここ最近、一日一回行っている作業である。
 壁に刻まれた不揃いの直線を数え、アデルは手に持っていた陶器片を床に置いた。
「十四本…今日で十四日目か」
 頭と指を使って日付を計る。計算が終わると、アデルは愕然とした。
「もう金牛の月一六日かよ。いつまでこんな所にいなくちゃならないんだ!」
 怒鳴り散らしても返事が返ってくることは、まず、ない。大声の大部分は分厚い石の壁によって遮られるし、仮に隣の独房に届いたとしてもイゴールは決して答えないだろう。確証のないことに対し、当たり障りのない言葉を口に出して誤魔化すということができない性格ゆえに。
 そのことはよく知っている。
 だが―――
「ディリータは生きているのかな。ラムザの具合、どうなんだろうな」
 アデルは言わずにいられなかった。
 軍師直属の男が牢に来た翌日から、三日間にわたって尋問が行われた。「ジークデン砦で見聞きしたことの全てを話せ」とのお達しだったが、アデルは口を一切開かなかった。尋問官が声を荒げようが、脅されようが、宥められようが、頑として沈黙を守った。叙任前の未成年であるためか拷問は行われなかったが、たとえ行われたとしても喋る気はさらさらなかった。
 素直に話したところで、事実は都合のいいように歪められるのではないか。
 ラムザの治療は本当にやっているのか。自分たちと同じようにどこかに拘禁され、放置されているのではないか。
 ディリータの消息を掴んでいるにもかかわらず、故意に隠匿しているのではないか。
 軍師に対する不信が頭の中でぐるぐる渦巻いており、それがアデルの口を固く閉ざさせた。
 その態度を選択したことについて、アデルは悔いていない。
 しかし、不安が尽きることはない。
 分厚い石の壁と監視兵に阻まれて、他の仲間達が尋問に対してどのように対応したのか、わからない。どのような扱いを受けているのかも、知る術がない。たった三日間黙秘を続けただけで尋問が打ち切られた理由も、わからない。
 自分の代わりに、仲間達が酷い扱いを受けているのではないか。
 アデルの一番の懸念は、そこにあった。
「どうすればいいんだよ」
 そう呟いても、答えはない。他人からも、そして、己の心の中にも。
 いや、本当はわかっている。
 四方を取り囲む分厚い石壁。外に通じる扉には鍵が下ろされており、室内からは解除不能。扉の外にいる複数の見張り。仲間とは分断され連絡さえ取れない。極めつけには、現在の正確な位置さえ知らない。つまり、脱走は不可能。唯一なしうることと言えば、ここで大人しく変化が訪れるのを待つだけである。
 わかっているが、納得できない。
「くそっ」
 力任せに壁に拳を突き立てるが、ヒビ一つはいらない。逆に己の手を痛める始末だ。手の甲の痛みに無言で耐えていると、
「―!?」
 背後の扉が唐突に開かれる。振り返れば、さして警戒する様子もなく室内に入ってくるひとつの人影があった。
「ハルバートン候補生、ご機嫌いかがかな?」
 若干掠れた声で発せられた、人を小馬鹿にするかのような問いかけ。聞き覚えのある声音だ。アデルは相手の顔を認識する前に、行動していた。勢いよく跳ね起き、身構える。
 隙無く戦闘態勢をとる男子候補生を、レナードは面白そうな表情で眺めた。
「ふむ、退屈しているようだな。そんな君に朗報だよ。移送だ」
「………」
「この辛気くさい牢から出られるのだよ。嬉しくないのかね?」
 心外そうな言われぶりに、アデルはかっとなった。
「当たり前だッ! ラムザの具合、ディリータの消息、イゴール達の状況など何も説明されずに『移送』と言われて喜ぶバカがどこにいる!!」
「ふむ、仲間が気がかりというわけか。安心したまえ」
 そう言うレナードの口調や表情に、アデルを安心させる要素は一切含まれていない。腰を若干落とし、いつでも拳術が発動できるように気を練りだした彼だったが、
「これは、閣下だけでなくベオルブ候補生の意志でもある」
 その言葉に、気勢をそがれた。
「どういうことだ?」
「………」
 返事はない。
 代わりに、無言で、ゆったりとした足取りで、こちらに歩み寄ってくる。アデルが警戒心を呼び戻した三歩目で、相手の姿は宙に掻き消えた。
「なっ!」
「移送されればすぐ理解できるよ」
 ―――左側面!
 アデルがそう認識した瞬間、強烈な手刀が首筋にあてられた。

***

 久しぶりに見た弟は、身体的には回復しているように見えた。
 薄い青のシャツに黒の革ズボンを着、焦げ茶色のブーツを履き、左腰に一振りの長剣を挿す。実地演習参加資格を得た弟と再会して後、変わらぬ格好。ゆとりがあるように見えるのは、二週間という病床生活で痩せたせいか。
「出頭しました」
 弟は背筋をしゃんと伸ばし、顔をまっすぐこちらに向けて、右手の指を四本揃えてこめかみにあてる。アカデミー式の敬礼を施すその手に、もはや包帯は巻かれていない。うっすらと赤味を帯びた乳白色の肌に戻っている。
 ダイスダーグは片手をあげ、弟を北の塔から己の執務室へと案内してきた兵二人を下がらせた。
 音もなく扉が閉められる。室内に兄弟二人だけとなったが、弟から目立った反応はない。正面で顔を見合わせているにも拘わらずその視線をわずかに逸らして、机前に佇んでいる。母親の面影が色濃く残っている顔には、感情の色が一切浮かんでいなかった。
 ダイスダーグは抽斗から一片の紙を取り出し、記載されている内容を読み上げる。
「主文。汝ラムザ・ベオルブを禁錮一年、執行猶予三年に処する。また、現在認定中の騎士叙任資格を本日より三年間停止する」
 科せられた刑の内容を告げられても、弟の表情に変わりはない。眉一つ動かしていない。
 ダイスダーグは一呼吸置き、続けた。
「理由。ジークデン砦における総攻撃の際、己の班員達と共に、別の任務遂行中の騎士七名を戦闘不能に陥れた行為は、北天騎士団軍則第百十八条第一項第七号『上官の職務上の命令に反抗した』に該当する。しかし、当時、その中の一人ランベリー近衛騎士団所属の騎士アルガス・サダルファスは任務忠実履行責任を果たしておらず、また、彼の者によって家族同然の者を目の前で殺害された事実を斟酌すると、当時、違法性の認識・認容が欠いていたと認定できる。よって、汝に完全なる責任を問うことはできない。したがって、軍則百十八条第一項第七号の罪は不問とする。
 一方、精神的動揺が激しい班員に対し、第百十八条第一項第七号に抵触する行為を行うよう命令した汝の行為は、北天騎士団軍則第百十九条第八号『命令違反を教唆、煽動した』に該当し、この件に関して正当化事由と責任を軽減する事情は認められない。したがって、命令違反教唆・煽動の罪責を負う。
 以上、軍則百十九条第八号の規定に従い、主文のとおり決定する。北天騎士団正軍師、ダイスダーグ・ベオルブ」
 ダイスダーグは判決文を机に広げて置き、視線で一読するよう促す。
 弟は素直に手に取り、黙読する。青灰の瞳はよどみなく紙面を滑っていたが、ある一箇所で止まった。
「彼らはどうなったのですか?」
「軍則百十八条第一項第七号に抵触する行為をしていたが、精神的混乱と指揮系統の乱れから違法性の認識・認容を欠いていたと認定し、不問に付した」
「そう…ですか」
 わずかにその表情が綻ぶ。が、それも、ダイスダーグが形式上言うべき台詞を口に出すまでの、短い出来事だった。
「この決定に対し異議はあるか?」
「いえ、ありません」
 弟は表情を消してきっぱりと言い切る。判決文を返し、次いで、腰帯の金具に固定されている長剣を鞘ごと外し、机の上に置いた。
「僕は、もう、“ベオルブの名を継ぐ者”として戦うことはできません。この剣を持つ資格もありません。当主である兄上に、お返しします」
 ダイスダーグはじっと弟の顔を見る。真っ向から結ばれた青灰の瞳は揺るぎなく、苦渋も、悲嘆も、恐怖の色もない。深淵を覗き込んだような暗さがあるだけだった。
「受け取ろう」
「では、失礼します」
 弟は一礼して踵を返す。用は済んだと言わんばかりの態度だ。
 去っていくその背中にダイスダーグは声をかけた。
「待ちなさい、ラムザ」
 弟の足は止まらない。ドアノブに手を掛けようとする。ダイスダーグはもう一度声をかけた。
「これからどうやって生きていくつもりだ?」
 その手が、止まった。
「本日から叙任資格は三年間停止される。騎士になるしか道を知らないお前が、ベオルブを離れて、どこでどうやって生きていくというのだ?」
 返事はない。
 背中を見せ続ける弟に、ダイスダーグは言う。
「北天騎士団の外部組織として傭兵団がある。組織自体は北天騎士団に属する形になっているが、その指揮命令系統は完全に独立しており、団員も猛者揃い。実力次第で幾らでも稼ぐことができる。入隊資格は傭兵団長が課す実技試験に合格するだけだ。城下町にある酒場<風鳥亭>に行けば、詳細な説明を受けられる」
「兄さんは…」
 さえぎるように弟は呟き、振り返る。不思議そうな表情で言った。
「僕にいったい何を望むのですか?」
「聞いてどうする? おまえは、私から言われたままに行動できるというのか?」
「いいえ」
 予想通りの返事に、ダイスダーグは口の端をわずかに上げた。
「今はそうだろう。だが、お前が私の目指すものを理解し協力を申し出れば、いつでも教えてやろう」
「………」
 弟は応とも否とも答えず、ドアノブを押した。
 退出していく弟をダイスダーグは無言で見届ける。開かれた扉が廊下側から閉められる数秒間、弟は一度もこちらを顧みなかった。
 執務室は静寂に包まれる。
 ダイスダーグはしばし黙考し、そして、ひきだしを開けた。机の上に置かれたままの判決文をしまい、入れ替わりに便せんを取り出す。文章を推敲し、ペンを動かして手紙をしたためる。封筒に宛名を記した直後、扉が微かな音を立てて開かれた。
 ダイスダーグは作業を続ける。
 廊下に控えている警備兵に咎められることなく、面通りを申告することもなく、軍師の執務室に入室できる人間はレナードしかいないからだ。
「移送馬車、出発しました」
「ご苦労」
 ダイスダーグは書簡の体裁を整え、机の前に置いた。
「これをガリランドの士官アカデミーに届けさせろ。いまから八時間以内に」
「日没前に届くようにですか?」
 確認する秘書官に、ダイスダーグは頷く。
「そうだ」
「承知しました。早馬を出します」
 手紙を受け取るも、面前の相手は動こうとしない。ダイスダーグが視線を向ければ、黒い瞳をわずかに細めていた。
「ベオルブ候補生への処断、あれで良かったのですか? 身上調査表や候補生の供述から判断するに、昨日まで味方だった相手に剣を向けるほど割り切りがいいとも、権限をふりかざして班員達を煽動・教唆するほど権高な人物とも思えませんでしたが」
「そのとおりだ」
 肯定の言葉は、ダイスダーグの口からあっさりと出る。
 レナードは赤銅色の眉を怪訝の形に寄せた。
「では、なぜ?」
「己の行為を悔恨し、罪悪感に苛まれるも、償う方法が解らず生きる気力さえ失っていた。ならば、生きるための贖罪の道…罰を与えるのが慈悲というものだろう?」
「私には、あなたが彼に執着しているように思えました」
 歯に衣を着せずに、レナードはダイスダーグの心の内を指摘してくる。
「何かに執着しない人間など、この世に存在しない」
 ダイスダーグは短く答え、薄く笑う。
「卿もそうであろう? アルヴィース・フォルド・レックス」
 そう呼ばれた相手は慇懃に頭を下げ、部屋を退出していった。
 ダイスダーグは視線を机の上に投げかける。
「現実に揉まれれば、より理解を深めるであろうよ」
 冷厳な瞳の先には、持ち主を失った一振りの長剣があった。

***

 どこへ行こうか。
 ラムザはそんなことを思う。
 目の前には一本の道がある。石で舗装された綺麗な平らな道。イグーロス城から城下町へと通じる道だ。だが、彼の足は、地面に縫いつけられたかのように動かない。裏門から一歩も足を踏み出せずにいた。
 理由は分かっている。
 行くべき道が、わからないのだ。
『騎士になるしか道を知らないお前が』
 指摘されるまで気づかなかったが、その通りだった。
 他の道なんて、知らない。知ろうともしなかった。ただ、自分が望み、ベオルブの名のもとに与えられた道をがむしゃらに進んできた。母を目の前で喪い、無力な自分に歯噛みし、二度とあんな思いをしないための力を欲したときから。
 力さえあれば、守れると思った。
 心から大切に思える人々を。一緒に過ごせる暖かい日々を。そして、弱虫な自分の心をも。
 そう思っていた。そう信じていた。
 それなのに、その力こそが、かけがえのない彼女の命を奪い、いつも側にいてくれた彼を絶望のどん底に追いやった。
『花でも売って暮らしていれば良かったんだよ。そうすれば、身代わりとして殺されることもなかったのにな』
 そうだ。ベオルブに引き取られなければ、ティータとディリータは知らない別の場所で、今も朗らかに笑っていたに違いない。
『権力者は大儀と名聞を守るためなら何だって切り捨てる』
 その通りだった。
 仕方ない。その一言で、ティータは殺された。
『おまえは、“親友”と称するディリータでさえ利用してきたんだ!』
 その通りだ。ただ彼の好意に甘えていた。与えてくれた言葉の数々に安堵し、依存していた。そのくせ、自分からは彼に何も与えず何も返せなかった。一方が他方を貪り尽くす関係が、親友と言えるわけがない。
 今思い返せば、アルガスが言っていたことは全て真実をついていた。
 なら、知った後はどうすればいいのだろう。
『知らないということは、それだけで罪だわ!』
 罪だというなら、償えば赦されるのだろうか?
 何をすれば、償いとなるのだろうか?
 騎士への道を諦め、ベオルブの全てを放棄し、同行してくれた彼ら彼女らを無傷で帰るべき場所へと還した。
 それだけで償いといえるのだろうか?
 違う。
 心は明快に否定する。
 では、他に何をすればいいのだろう。どうすればいいのだろう。
 わからない。わからないよ…。
「君、どうしたのかね?」
 唐突に背後から呼びかけられる。
 ラムザが振り返れば、年かさの兵士が一人いた。ミスリル製の軽鎧を纏い、右手に槍をもっている。警備兵だ。
「随分前からここにいるが、城に何か用か? ここは通用門だから、一般の人は入れないよ。正門はここから…」
「あ、いえ、僕は…城に用があるわけではありません」
 槍を回して正門の位置を教えようとする彼を、ラムザは慌てて制する。
「そうか。ならば家に帰りなさい。あまり長時間ここに立っていると、不審人物として捕まえられるぞ」
「はい、すみませんでした」
「それじゃあ、な」
 警備兵は軽く手を振り、かしゃかしゃという金属音をたてて通用門の向こうに消える。
 ラムザは「家」という単語を反芻し、かぶりを振った。
 戻れるわけがない。
 もう一人の兄と正面から向き合う勇気は、ない。
 妹に会えば、ティータとディリータのことを話さないといけない。それは、恐い。
 だけど、ここにもいられない。
 ラムザは強張っていた足の筋肉を動かす。数秒の努力の末、右足が一歩前に出る。ぎしぎしと軋む音が聞こえそうな運びだ。二歩目となる左足は、右足よりは滑らかに動く。三歩目は、さほど無理なく踏み出すことができた。
 機械的に両足を動かして、ラムザは歩み続ける。
 指標となる目的地が全くみえない真っ暗な道を、おぼつかない足取りで。

***

 振動音にアデルがうっすらと目を開けば、木製の天井が見えた。最前の牢屋とは違うことを不思議に思い、身体を起こす。途端に、首の後ろがずきずきと痛んだ。
「やっと気づいたのね」
 すぐ側で声がする。マリアのものだ。頭をめぐらせば、彼女は自分より一段下の床に直接腰を下ろしていた。
「なかなか意識を取り戻さないから、心配したわ」
 安心したように微笑む彼女の後ろには、イリアとイゴールもいる。二人とも、向かいの座席の両端に腰掛けていた。
 少し遅れて、アデルは、自分が二つしかない数人掛けの座席の片方を占拠していたことに気づく。慌てて床に両足を下ろし、マリアが座れるスペースを空けた。
 謝意を表して腰掛けるマリアを横目で見、辺りを見渡し、改めてアデルは疑問に思った。
 なぜ、四人しかいない?
 車輪が地面を擦る音から判断するに、ここは馬車の中らしいが、どこに向かっているんだ?
「俺達も知らない」
 顔に出ていたのか、イゴールが憮然とした面持ちで言う。そして、そのまま押し黙ってしまった。前後の事情を聞き出そうとしても一言も漏らさない。
 彼の代わりに、マリアが説明してくれた。といっても、その説明はごく短いものだった。
 朝食を食べてしばらく経った頃、不自然な眠気に襲われ意識を失った。目が覚めたらここにいて、彼女以外は三人とも、意識を失った状態で座席にもたれ掛かっていたという。
「移送とか言っていたな、軍師直属の男」
「会ったの?!」
 驚きの声をあげるイリアに、アデルは頷く。
「ああ、今朝、牢屋に来た。俺だけか?」
「わたしは、取り調べがおわってから会ってない」
「私も…」
 イリアとマリアが首を振る。イゴールは無言だが、表情を変えないところから推察するに彼女たちと同じなのだろう。
「他に何か言ってなかった?」
 イリアのせかす口調に、アデルは首の痛みに顔をしかめつつも記憶を遡る。
「確か、移送は軍師のみならずラムザの意思だ、とも言っていた」
「ラムザの意思? どういうこと?」
「わからねぇ。あいつは何も言わなかった。そのあと首筋を強打されて気を失ったし」
 言いつつも、アデルは嫌な予感がした。意識を失う直前、何かを言われたような気がする。が、思い出せない。重大なことのように感じたのだが。
「嫌な感じがするわ。アデル、あれ見て」
 マリアが指さす方を見れば、座席の一隅には背負い袋が転がっている。その数は、四つだった。そのうちの一つに、見覚えのある染みを見つけたアデルは呻くように言った。
「没収されていた俺達の荷物かよ」
「ええ。自分のものを確認したら、何一つとられてなかったわ。イリアとイゴールもそう。まるで、もう用済みだといわんばかりよ」
 アデルはイリアから差し出された背負い袋を受け取る。ずっしりと重い。紐を開いて中を覗き込む。着替え、ドーターで買ったナックル、空の小瓶四個、おやつ代わりの干し果実に、財布。火打ち石を始めとする旅の必需品達。中身をひっくり返すような勢いで袋をまさぐったが、なくなった物は何一つなかった。
「俺のも全部ある…。どういうことだ?」
 その疑問に、誰一人答えなかった。マリアは顔を強張らせ、イリアは俯き、イゴールは雨戸が降ろされた窓を睨み付けている。
 耳にいたいほどの沈黙に、車輪の回転音だけが空しく響いていた。


 答えは、それから十数時間後、もたらされた。
 客席内に太陽の恩恵が消え失せ、仲間の顔さえ判別しにくくなった頃、馬車は止まった。内側から一切操作できなかった扉が開かれ、四人の候補生はある建物の前で降ろされる。
 街灯の明かりに照らされた、白亜の建物。石造りの門に刻まれた双剣の紋章。
 士官アカデミーの正門だった。
 正門には一人の事務官らしき人がいて、即座に学長室に案内された。
 入室するなり学長とジャック教官が出迎えてくれ、そこでようやく知らされた。
 軍師直属の男から言われた、「ラムザの意思でもある」という言葉の意味を。
 彼ら彼女らが帰着する直前に、イグーロスから届けられた一通の手紙によって。


「納得できません!」
 一読するなり、アデルが激した。
「なんでラムザだけが処罰されるんですか! あいつがどんなに騎士になることを欲していたか、教官だって知っているでしょう」
「そうです! それに、そもそも、ジークデン砦で北天騎士団に敵対行為をしたのは私達だけです。ラムザは一人だって斬っていません!」
「そうだ。もっぱら戦ったのは俺達だ!」
 教官は興奮するアデルとマリアを冷静な視線でじっと見つめ、
「マリア、お前はその事を北天騎士団で証言したのか?」
 と訊く。マリアは「当たり前です」と叫んだ。
「何度も言いました。取り調べられる度に口に出しました。間違いありません!」
「他の者は?」
 砂色の瞳が残り三人に向けられる。イリアは涙声で「いいえ」と呟き、アデルは「俺は言わなかった」と吐き捨て、イゴールは無言で首を横に振った。
「他の証拠による裏付けがとれなかったから、証言として採用されなかったか」
 吐息混じりの教官の言葉に、学長が苦々しい表情で頷く。
 それを見たアデルは、席を立った。床を踏み潰すような足取りで扉へと向かう。
「ハルバートン候補生、話はまだ終わっておらん。どこへ行くのだ?」
「そんなの決まってますよ。イグーロスまで行って前髪のみならず根性までねじ曲がった軍師をぶん殴り、ラムザの処罰を取り消させます」
 彼は学長に吐き捨てるように言う。隣の席で沈黙を保っていたイゴールが
「協力する」
 と言って立ち上がった。イリアとマリアも賛同するかのように、ソファーから腰を浮かせる。四人の足が動きかけた瞬間、
「ばっかやろうども! 話は最後まで聞け!!」
 落雷のような怒号が、室内に響き渡った。
「いつ、俺達がこの処分を受け入れると言った!!」
 教官が声を張り上げ、
「候補生に対する指揮・監督権は、本来、アカデミーが有している。実地演習中ということで北天騎士団軍則の適用対象になったが、こちらの意思が一切関与しないというわけではない。処分を受けた本人の承諾の元、二週間以内にアカデミーの名において異議申し立てをすることが可能じゃ」
 学長は白い顎髭を扱きながら、諭すように言った。
「では、この処分は、まだ効力を有しないというのですか?」
 イゴールの言葉に、学長は頷く。
「アカデミーからの異議申し立てがなければ、遡って有効になってしまうがの」
「二週間以内にラムザの承諾さえあれば、彼一人が処罰されることはない?」
「そのために、こちらは動いている」
 イリアの確認に教官は首を振り、次いで嘆息する。
「問題はあいつがどこにいるか、だ。お前達と一緒に帰ってくると思ったのだが…あてが外れた」
「だったら、俺が探してきます!」
 アデルの提案に、他の三人も同意する。
 しかし、教官だけでなく学長でさえ強硬に反対した。
「生憎と、お前らを外に出すわけにはいかない。事件の当事者がおおっぴらに自由行動していたら、アカデミーの権威が失墜する。そうなれば、異議申し立ての際、こちらの不利になる」
「君達には、形式上、二週間の謹慎を命じる。ベオルブ候補生のことは儂らに任せて、休養をとりなさい」
 代わる代わる説得され、四人は折れた。


 一日、二日、三日と時間が流れていく。
 四名の候補生達は自室で悶々としつつ、待った。
 しかし、ラムザの足取りは、金牛の月一六日の昼過ぎにイグーロス城通用門で見かけたという情報を最後に、ぷっつりと途絶えた。
 ラムザの捜索と並行してアカデミーでもジークデン砦の周辺を調査したが、ディリータらしき遺体は発見されず、彼の行方もまた、杳として知れなかった。
 日付だけが次々と変わり、二週間という期限の最終日・金牛の月三〇日も状況の変化無く過ぎ去ってしまった。
 謹慎を解かれた四名は、翌日、教官から全てを聞かされ、なすすべもなく終わったことを知った。
 同時に、自主退学という形で、ラムザとディリータは士官アカデミー候補生の資格を喪ったことをも聞かされた。
 四人のうちの一人が、ある行動をとることを決意したのは、その瞬間だった。

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