成都(1)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第三章 成都イグーロス(1)

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 初春のうららかな午前。
 北天騎士団所属の騎士であり、かつ、団長直属の副官という肩書きをもつ赤毛の青年はいつになく忙しかった。
 骸旅団なる盗賊を本格的に征伐することが決定して一ヶ月あまり。
 前哨戦として先日ガリランド西部で行われた掃討戦は、成功したと言ってもいい。こちらに目立った損害はなく、向こうはほぼ壊滅。若干の人数を取り逃がしたが、士官アカデミーの候補生の力により、全員殺害もしくは捕縛されている。
 順次送られる被害状況などの報告書。これからの作戦立案。本日到着予定の補充要員の配置場所。上官である北天騎士団団長の決裁が必要な書類は山のようにある。
 青年はそれらを片手で抱え持ち、上官が執務する部屋のドアをノックした。
 だが、数秒待てども返事がない。
 遠慮なく扉を開けば、部屋の主人は机の前にいなかった。視線を左右に走らせるが、室内のどこにも見あたらない。机の上に放置されている大量の書類を見て、赤毛の青年は眉をひそめた。一枚を手にとって見てみる。昨日、彼が、上官に目を通すように頼んだ次回の作戦立案の最後のページだった。末尾にあるべき署名がない。
 いやな予感を抱きながら、青年は机の上に散乱している書類を片付け始めた。順番に積み重ねて、机の上にスペースを作ると、そこに左手で抱えていた書類の小山を置いた。重荷から開放され、両肩を軽くほぐす。
「ふぅ、重かった。それにしても、この忙しいときにあいつはどこへ行ったんだ」
 青年は部屋の状況をみて、推理を始めた。
 報告書を放置したまま姿を消した。
 書類は未決裁のものばかり。
 椅子に備え付けられているクッションには、人が座っていた証拠となるくぼみさえない。ちょっと席をはずしているというわけではなさそうだ。
 上官である彼が景色観賞に使う窓は開け放たれており、時折吹き込む春風が花の香りを運ぶ。遠くで小鳥がさえずり、長かった冬の終わりを告げていた。仕事に忠実であると自負している自分でさえ、書類とにらめっこしているのが惜しいと感じる穏やかな午前。書類整理が嫌いなあの人なら、なおさらだろう。
 青年は深いため息をつき、結果を口に出した。
「また逃げたか」
 だが、その結論はすぐ否定された。心外だといわんばかりの声音で。
「エバンス、それは違う。少し席を外していただけだ」
 声がした方へ視線を走らせると、捜し求めていた上官が扉の脇に立っていた。
「お前はいつもオレが仕事を放棄して、どこかに雲隠れしていると勘違いしているな。仮にも上官に向かって失礼だとは思わないのか?」
 赤毛の青年、エバンス・フェグダは眉一筋も動かさなかった。
「いや、ちっとも。今日はたまたま、脱走途中に誰かにとがめられて戻ってきたんだろう?」
 相手は声を詰まらせて、視線を宙に泳がせる。
 エバンスは内心ほくそ笑んだ。部下全員に、彼を執務から逃がさないように周知徹底していた甲斐があると言うものだ。
「今日中に全ての書類を決裁するよう、申し上げたはずです。書類整理に勤しんでいただきましょうか」
 言葉遣いを表面上だけ正し、エバンスは上官に詰め寄った。彼はこちらの顔をじっとみつめ、やがて、諦念のため息を吐いた。
「…お前は本当にすばらしい副官だよ」
「身に余る言葉、ありがとう。ザルバッグ」


 ザルバッグは渋々椅子に腰掛け、執務を再開した。エバンスが差し出す書類に目を通し、サインをする。やる気さえ出せば、ザルバッグの優れた情報処理能力は遺憾なく発揮される。未決裁の書類の山はみるみる小さくなっていった。
 太陽が一番天高く輝く時間になって、やっと、ザルバッグは鬼の監視役から休憩を許された。椅子から立ち上がって背伸びをし、窓に近づく。外に広がる景色、城壁の彼方に広がる青い空と草原を眩しそうに眺める。背後から、かちゃかちゃと陶器同士を重ねる音がし、やがて芳しい紅茶の香りが漂いだした。慰労の意味を込めて、エバンスが手ずから入れているのだろう。
 ガリオンヌ地方の東南部に門地を構え、代々騎士の家系であるフェグダ家。その嫡男であり、北天騎士団有数の実力を有する彼が、自ら茶を淹れるという行為。今ではすっかり慣れてしまったが、はじめて見たとき、ザルバッグはひどく驚いたのを覚えている。

 今から十数年前、士官アカデミー入学式の前日。
 ザルバッグが割り当てられた寮の部屋に入ると、先客がいた。赤毛の少年が椅子に腰掛け、優雅に紅茶を飲んでいる。彼は砕けた口調で自己紹介し、「君も飲むかい?」といって机の上におかれた茶器一式でお茶を淹れだした。
『そんな作業なんぞ、食堂にいる侍女か下男にでもさせればいい』
 ザルバッグはそう言うと、彼は悠然と笑った。
『自分で入れたほうが数倍美味いんだよ。ためしに飲んでみたら?』
 琥珀色の液体が注がれたティーカップに口をつけ、ザルバッグは彼の言い分を認めた。

 以来、紅茶を飲む機会があれば、彼は必ず自分自身で入れる。あれから年月はたち、お互い年を重ね、立場もずいぶん変わった。だが、この習慣だけは変わらなかった。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
 エバンスが差し出すティーカップを受け取り、香りを堪能してから口に含む。格調高い芳香。喉越しの滑らかさ。淹れた人物の高い技量にもよるのだろうが、自国の葉ではまずでない味わいだった。
「これは、オルダリーア産のものか?」
「ああ。先月ドーターまで足を運んだとき買ったんだ。やはり、紅茶はあちらのほうがいいものを産出するからな」
「そうだな」
 ザルバッグは苦笑いした。戦時中、「鴎国打倒」と叫ぶ重臣達が、オルダリーア産の葉でいれた紅茶を手放さなかったのを思い出したからだ。
「戦争が終結して一年。徐々にではあるが、オルダリーア国は復興しつつある。この葉が去年より数多く流通しているのはそのためだろう。それに比べ我が国は…」
 ザルバッグは左手を軽く上げ、続きを制した。

 エバンスの言うとおり、長く不毛な戦争は終わった。
 だが、イヴァリースにとっては、更なる試練の始まりだった。
 和平協定で義務付けられた賠償金の支払いで国庫は逼迫。
 国のために剣を取り盾となった騎士達に、義勇兵達に、王家は満足な恩賞を支払うことは不可能となった。
 王家に対する不満はやがて憎悪に変わり、逆賊として反旗を翻す者が続出。
 また、長引く戦乱によって農地は荒れ果てた。農民は耕す土地を失い、税金の支払いで財産や家屋を失い、難民として都市部に流れ込んだ。彼らは貧民窟を形成し、やがてそこは犯罪の温床となった。
 父の遺言で北天騎士団団長に就任して一年。
 各地で発生した反乱を制圧し、数多くの盗賊、凶賊を殲滅してきた。だが、少しも状況は改善されていない。むしろ、悪化の一途をたどっているように思える。現状を打開するには、何か別の力が必要なのかもしれない。

 ザルバッグの灰褐色の瞳は穏やかな早春の光景を映しているが、脳には認識されていないだろう。
 長いつきあい故に、エバンスは敏感に感じ取っていた。ザルバッグがみつめているのは、彼自身の内面だ。そこには、変わらぬ現実に対する憤りと焦りという嵐が吹き荒れている。
 ―――自分と同じように。
 重くなってしまった空気を和らげるため、エバンスが何か別の話題を振ろうと口を開きけたときだった。廊下を走るぬける軍靴のけたたましい音がしたかと思うと、扉がノックもなしに開かれた。ここは仮にも団長の執務室だ。通常ならばあり得ざる無礼だった。
「大変ですッ!」
 駆け込んできたのは、入団を許されてまだ日が経っていない見習い騎士だった。険のある声でエバンスは相手の無礼をとがめる。
「なんだ、騒々しいぞ」
「し、失礼しました!」
「――で、何事だ?」
「先程、エルムドア侯爵がマンダリア平原で骸旅団の奴らに誘拐されたとの報告が、到着した士官アカデミーの候補生達からもたらされました」
 エバンスにとっても、見習い騎士同様驚愕に値する報告だった。
「ランベリーの領主であるエルムドア侯が、なぜ、このガリオンヌ領にいるのだ?」
「わかりません。同行しているランベリー近衛騎士団所属の騎士見習いから事情は聞けると思いますが」
「エバンス」
 少しも慌てた風のない声音で、ザルバッグは副官の名を呼んだ。
 エバンスは驚愕と疑問を心の引き出しにしまい、上官の指示を待つ。
「即座に情報隔離し、関係者と目撃者から個別に聞き取りをしてくれ。オレは閣下と兄上…じゃない、軍師殿に報告に行く」


***


 目撃者を代表して、ラムザがイグーロス城の門兵に侯爵誘拐の件を報告すると、候補生全員にその場で待機するよう命じられた。門兵は狼狽した様子で伝令を走らせていた。
 待機する時間は、思いのほか短かった。
 ラムザが数を五百ほど数えた頃、将官クラスと容易に判断できる、燃えるような赤毛をもつ騎士が現れた。当事者であるアルガスと目撃者である第三班の六名についてくるよう命じられる。他の候補生達が兵舎に向かうのを横目でとらえながら、七名の少年少女は先導に従って城内へと足を進めた。
 天井の高いホールを通り抜け、小川が流れる中庭を通過し、灰色の石で造られた建物に到着する。正面に掲げられた、あまりにも有名な白獅子の紋章旗。ラムザやディリータにとっては何度か足を運んだことがある施設、北天騎士団本部だった。


 七名は順次個別に部屋に案内され、個別に取調べを受けた。
 ラムザの取調べを行ったのは、案内をしてくれた赤毛の騎士だった。ラムザは慎重に順を追って証言した。自分の言葉は全て同席している書記官によって紙に書き留められている。全てを話し終えると、騎士は、書き留められた証言をラムザに聞かせるように読み上げてから、調書とペンを差し出した。
「さて、末尾に君のサインを入れてもらうのだが、注意点がふたつある。まず、君が署名することによって、この調書はそのまま君の証言として使用される。偽証は重罪として厳罰に処せられるから、間違いや心にやましいことがあるのならば今のうちに申し出ること。次に、この件は機密扱いになる。関係者以外に口外することを禁ずる。以上の点が理解できたら、署名しなさい」
 ラムザは頷き、紙面にペンを走らせた。調書を騎士に返す。署名を確認して騎士は「君がザルバッグの弟か」と呟き、好奇心に満ちた空色の瞳でじっとラムザの顔を見た。
「あまり似ていないのだな。……あ、失礼した」
「いえ」
 ラムザはかぶりを振った。
 父に似た兄達。母に似た自分。
 兄達とは母親が違うのだから、似ていないといわれるのは慣れていた。
 もっとも、悪意を込めてそう言われることが多く、面前の騎士のように純然たる事実として指摘される事は少なかったが…。


***


 七冊の調書を左手に持ち、重厚な胡桃材の扉の前に立つ。新鮮な空気を肺の中に十分に取り入れてから、エバンスは扉を叩いた。
「エバンス・フェグダです。入ります」
 室内には二人の男性がいた。応接用のソファーに向き合うように座っている。
 一人はザルバッグだ。彼の顔には先程見せていた焦燥の色はない。国王からイヴァリースの守護神とまで讃えられた武人の顔をしている。
 もう一人はこの部屋の主だ。ラーグ公の懐刀として知られている怜悧な軍師、ダイスダーグ・ベオルブ。ザルバッグの実の兄だ。金褐色の頭髪に灰褐色の瞳と、容姿にザルバッグと共通するものが多い。しかし、その瞳には、ザルバッグと違う抜き身の刃に似た鋭いものが秘められている。
 エバンスは内心の緊張を隠し、テーブルの中央に調書を置いた。
「こちらが、関係者と目撃者からの調書です」
 まず軍師が調書に手を伸ばし、目を通す。彼が一読した調書は団長の下へと流れていく。静かな作業だったが、途中、軍師の視線がある部分で止まった。ぽつりと何か一言だけ呟く。その声は小さすぎて、エバンスの耳には聞き取れなかった。
「兄上?」
 ザルバッグの疑問に、軍師は黙って一枚の調書をテーブルの上においた。エバンスは末尾の署名を確認し、得心する。ザルバッグが目を見開いた。
「ラムザが目撃者!」
「こちらにディリータの署名もある。どうやらあれの班全員が、奴らを撃退し逃走方角を確認しているようだ」
 軍師はもう一枚別の調書をザルバッグに手渡す。
「そうですか」
 そう呟くザルバッグは嬉しそうだった。軍師もかすかに笑みを浮かべている。それは、滅多に見ることがない私人としての、弟の成長を喜ぶ兄の顔だった。


 調書を全て読み終えると、ダイスダーグは幾つかの指示をザルバッグに下し、彼の副官とともに部屋から退出させた。一人になった室内で、目を閉じ思考を凝らす。静寂という曲を一楽章ほど奏でて、机の上に置かれた呼び鈴を鳴らした。
 室内に滑り込むよう現れた秘書官に、ダイスダーグは二つの命令を下した。


***


 黒の式服を着た三十代後半の男性が、胡桃材の扉を開き中に入るよう指示する。招かれたラムザ・ディリータ・アルガスの三名は同時に、一歩を踏み出した。ほぼ真横に並んで数歩進み、片膝をついて頭を垂れる。背後の扉が音もなく閉められた。
 敬意を受け取るのに十分な時間をおいて、上座に座っている人物から顔を上げることを許可される。ラムザは顔を上げ、一年ぶりの再会となった長兄の顔を見た。彼の顔には、珍しく笑みが浮かんでいた。
「久しいな、ラムザ。ディリータ」
 ダイスダーグが手振りで着席するよう促す。ラムザは緊張した面持ちで兄の左横の席に着いた。彼にとって、父親よりも厳格なこの兄は、どちらかといえば苦手な存在であった。
 少し遅れてディリータがラムザの隣に、アルガスが卓を挟んでディリータの正面に座った。
「初陣を勝利で飾ったそうだな。兄としても嬉しいぞ。他の重臣の方々も、さすがはベオルブ家の血を引くものだと誉めておいでだったぞ」
 席が定まっての一番の言葉は、あまり人前で家族を誉めない兄からの賞賛だった。
「ありがとうございます」
「なんだ、嬉しくないのか?」
「いえ、そんなことありません。お褒めの言葉ありがたく存じます」
 普段のラムザなら十分嬉しく思っただろう。
 だが、初陣の件に関しては、勝利といわれても嬉しくなかった。まだ心の整理ができていないからだ。
 しかし、長兄に伝えても、このもやもやした感情の渦は消え去りはしないだろう。
 だから、ラムザは嘘をついた。
 それよりも、今は他に尋ねなければならない事がある。
「報告があったと思いますが、エルムドア侯爵の馬車が襲われ、誘拐されたとのこと。いかがされますか?」
「ザルバッグに捜索隊を出すよう手はずを打っておる。また、いずれ、奴らから身代金の要求があるだろう。侯爵殿が生きていればの話だがな」
「お願いします。ベオルブ閣下。私に百の兵をお与えください」
 アルガスがいきなり椅子から立ち上がり、ダイスダーグに深々と頭を下げた。軍師は無言でアルガスを見つめていた。見る者が凍りつくような冷ややかな目で。
「何卒、お願い申し上げます。やつらに殺された仲間の敵を私に!」
「手を打ったと申しておる。それがわからぬ訳ではあるまい。ここは貴公が暮らす土地ではない。ガリオンヌのことは我らに任せておくことだ」
「しかし!」
「身分をわきまえぬか、アルガス殿。貴君は騎士の称号すら持たぬ一兵卒にすぎぬ事を忘れておいでか」
 なお言い募ろうとしたアルガスを、軍師は無慈悲な事実をもって黙らせた。唇をかみ締め、力なく椅子に座りなおすアルガスを一瞥して、ダイスダーグはラムザとディリータに視線を向けた。
「お前達には、明朝召集される会議で証言をしてもらう。機密保持のため、今日は城に部屋を用意させる。わかったな?」

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