平原にて(1)>>第一部>>Zodiac Brave Story

第二章 平原にて(1)

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 骸旅団残党追撃にかり出された士官候補生二三名のうち、十八名がイグーロスの警備に向かうことになった。残り五名は追撃作戦中に負傷したゆえ、居残りとなった。
 ガリランドからイグーロスまでは、旅慣れた者ならば、徒歩で一日半かかる距離。
 立派な街道が整備されているため、道沿いに歩いている限り迷子になることはない。だが、途中で、獣ヶ原と呼ばれるほど多数のモンスターが生息するマンダリア平原を横断しなければならない。また、近年治安が急激に悪化しているせいか、盗賊団も各地に出没する。
 だからこそ、候補生達は自衛のために全員そろってガリランド正門を出発したのだが。
「だから、おまえ達は、僕の後ろに続けばいいんだ!」
「なんだとぉ! てめぇらこそ、俺たちのあとに続けよ!」
 のどかな田園風景に不釣り合いな怒号が響き渡る。発生源は少年少女の集団の前方、二人の班長だった。主導権を巡る口論。班員達は自分の班長を擁護し、激論を交わす。
 中立の立場をとる候補生達は、巻き添えを食わないように後方へ避難し、その様を傍観していた。
 この場にいる十八名の士官候補生が、全員仲良しというわけではない。班単位で比較対照される事が多い候補生だからこそ、候補生同士の対立は激しい場合もある。今回がまさにその典型例だった。
 十八名のうち、班員全員が参加しているのは第三班・六名と第五班・六名のみ。残り六名は臨時の班として出発間際に編成された。三つの小集団をつくったとき、ある問題が発生した。
 それは、だれがこの集団のリーダーとなるか、だ。
 イグーロスまでの道中は一日半と短い。しかし、万一の戦闘に備えて、指揮系統を統一する必要があった。
 三つの班の各班長からリーダーを選ぶ。そのことに全員異議はなかった。そこで、三人の班長同士で話し合いがもたれたのだが、第三班の班長・ラムザは早々に班員の下に戻ってきた。理由を尋ねると、「辞退した」と彼は簡潔に答えた。残されたのは二人。第五班の班長ジークと臨時班班長のリチャード。この二人は犬猿の仲として士官アカデミーでは有名だった。試験のたびに対抗心むき出しで熾烈な主席争いをしているからだ。双方一歩も譲らず話し合いは口論になり、やがて班員を巻き込んでの喧嘩へとエスカレートしていった。
「はあ、うるさくて、たまらない」
 こめかみを指で押さえて、イリアがうめく。彼女の隣を歩くマリアも同意した。
「同感だわ。このままじゃ日が暮れても続くかも…」
「暇つぶしにはなったが、そろそろ平原に入る。決着をつけさせるべきではないか?」
 イゴールは振り返り、ラムザを見た。
 ディリータも隣を歩く彼に視線を向ける。彼は思案顔で前方を見つめていた。
 どうやって止めるか考えるくらいなら、自分が隊長役をすればいいのに。なぜ辞退したのだろうか?
「ラムザ、なんで辞退したんだ? お前がしても良かったと思うのに」
 ディリータの疑問そのものをアデルが尋ねる。複数の視線がラムザに集中する。数秒の沈黙の後、彼は答えた。
「やる気のある人がやればいいと思ったんだけどな」
 そのあとくぐもった声で何かを続けて言い、ラムザは先頭集団へ向かった。少し高いが、よく通る声で二人の班長に呼びかけ、言い争いに割って入り、何かを提案しているのが後ろからも確認できた。
「その考えは、時と場合にもよると思うぞ」
「そうよ。結局止めに行くんだから、おとなしく隊長役引き受ければいいのに」
「でも、辞退したから妥協案を提案するだけだろうね。ラムザの性格上」
「だな。一度言ったことは撤回しないからな。…間違いだと気づかない限り」
 アデル、マリア、イリアの会話を聞き流しながら、ディリータは考えていた。
「臆病者の僕より、ふさわしい」
 最後にラムザが呟いた言葉。囁きかと思うほどの小声だったので、隣にいたディリータにしか聞こえていないだろう。
 ―――どういう意味だ?
 ディリータは考え得るいくつもの事象というピースを組み合わせる作業に没頭した。もっとも可能性が高いと確信がもてる絵が脳内で完成したのは、昼休憩に入ったときだった。

***

 太陽が一番高くなる頃、辺りの風景は起伏のある草原に変わっていた。所々にある石灰岩の白い岩と野草の花々が、草色の世界に彩りを添えている。空は青く、どこまでも澄んでいた。
 空の青。大地の緑。ラムザはふと、父の言葉を思い出す。
『家紋に描かれている白い獣は、大地を守護するために天から遣わされたという霊獣だ。背景の緑は守護すべき豊饒の大地を表している。また、もう一つ別の定義もある。ラーグ公の家紋は天空を守護する白獅子。閣下の剣たる我らベオルブ家の者は大地を守護する。そのような意味もあるのだよ』
 ラムザは草原から腰に帯びた剣の柄頭に目を向けた。翠石がはめ込まれ、その中央には白い貝で精巧に彫られた白い獣が描かれている。
『大地を守護することとは、すなわち、大地に生きる民を守ること。そのことを忘れずに、この剣を取り己の力を行使しなさい』
 剣を手に取り、騎士となることを決意した、あの日。
 父さんは僕にそう諭してから、この剣を手渡した。
 そして、今日。この剣を取り、自分が生き残るために人を斬った。
 殺すことに、迷いはなかった。迷っていたら、死んでいたのは僕たちだった。
 でも、戦闘が終わって、疑問がいくつも心にのこった。
 骸旅団の人はどうして退かなかったのだろう。
 彼らはどうして盗賊行為を繰り返すのだろう。
 罪を犯さなければ、仕事をしていれば、命を失うこともなかっただろうに………。


 一人で石灰岩の岩に腰掛け、剣の柄頭を見つめている幼なじみを発見するのにさほど時間はかからなかった。
 彼の横顔には表情らしきものはない。また、自分の気配に気づく様子もない。どうやら、“お悩みモード”のようだ。それも、かなり深刻な。少し躊躇ったが、聞かねばならない事、伝えなければならない事がある。だから、ディリータは彼の背中に声をかけた。
「ラムザ」
「出発の時間?」
 彼は振り返らなかった。ただ、視線を柄頭から目の前の草原に移した。
「いや、まだ少し時間がある。隣、いいか?」
「…どうぞ」
 空けてくれたスペースに座って、ディリータはあることに気がついた。ラムザの膝には布にくるんだままの食事が手つかずで残っていた。
「飯、食えよ」
「食欲、ないんだ」
「ちゃんと食べろよ。でないと、いつまでたっても身長が伸びないぞ」
 嫌味を交えたこの手の指摘に対して、ラムザはぐうの音もでないはずだ。事実、彼は小さくうめき声を上げただけで、何も反論しようとはしなかった。
「わかった。食べるよ」
 ラムザは包みを取り、黒パンでつくられたサンドイッチをかじり始める。食欲がないというのは本当らしい。食事を味わうために必要な分以上に、ゆっくりと咀嚼している。
 しばしの間、ラムザは食事に、ディリータは話のきっかけを探すことに集中した。
 そよ風が草原をわたり、せせらぎのように草花が揺れる。数時間前の緊迫した戦いが嘘のような平穏さだった。
 ディリータは天を仰ぎ見る。太陽はゆっくりと南中から西に傾きつつあった。あまりのんびりもしていられない。覚悟を決めて、単刀直入に切り出すことにした。
「ラムザ、一つ聞いてもいいか?」
「なに?」
「なぜ、辞退したんだ? あいつらだけが隊長候補になると、自分たちの班員を交えて相争うのはわかりきったことだ。それがわからないお前じゃない。お前こそが隊長役をするべきだったのに、なぜだ?」
 ラムザは無言だった。食事を中断してうつむいている。
「俺の推論から言おうか? 班長同士で話し合っているとき『さっきの戦いであげた武勲で隊長を決めよう』と、どちらかが言ったんだ。お前が反論する間もなく、もう片方も同調した。そして、二人とも誇らしげに、何人倒したか言い始めた。あいつらの話に耐えられなくなったお前は――」
「やめてくれ!」
 悲鳴にも近い声で結論は遮られた。ディリータは心を鬼にして最後まで述べる。
「二人に任せると言って、逃げるようにその場を立ち去った。違うか?」
 隣にいる人物に視線を向けると、彼は両手でひざを抱え、顔を伏せていた。量の多い横髪に隠れて彼の表情は見えない。
 ディリータは辛抱強く待った。
 ピンと跳ねた金髪の一房が何度も風になでられてから、ラムザはようやく顔を上げた。端正な顔には苦悩の色がありありと浮かんでいた。
「初陣のこと、よく覚えていないんだ。みんなが生き残れるよう、無我夢中だったから。でも、彼らは違った。敵をどうやって殺したか、理路整然と話してた。人を斬っておいてどうして平然とできるのか、恐ろしくなった…」
 再び俯いて、か細い声でラムザは続けた。
「僕はやっぱり弱いんだ。人を殺すことも、皆が殺されることも、怖くてたまらない」
「だから、自分のことを臆病者だと思ったのか?」
 彼はかすかに頭を動かして同意する。ディリータは深いため息をついた。
 なんだって、こいつは自分を過小評価するんだろうな。
 俺はどうしても言えなかった。昨日も、そして、今朝も。
 ラムザが鈍感なことに感謝したくらいだ。
 しかも、こいつは自分のことを考えてない。他人の事ばっかりだ。
 弱い? 臆病? どこがだよ。
「ラムザ、俺、実は昨晩あまり寝られなかったんだ」
「え?」
 思いもがけないディリータの言葉にラムザは顔を上げた。横にいる彼の顔を観察する。言われてみれば、目の下にはうっすらと薄い隈があった。彼は頭をかきながら続けた。
「実戦があるかもしれないと思ったら身体が震えて、興奮したり、怖かったりで、ほとんど眠れなかった。隣のベットでお前がぐーぐー寝ているのを見て、正直むかついた」
「じゃあ、僕が起きたときに言っていた寝言はわざと?」
「あぁ、そうだよ、俺ひとり恐怖に打ちひしがれているなんて格好悪いじゃないか。でも、お前もそうだと聞いて安心した」
 照れを隠すように笑うディリータにつられるようラムザは顔をほころばせる。だが、ある事実に気づき、すぐさま悲しげな表情に変わった。
 ―――それは、自分は悩んでいる彼に気づきもしなかったということ。
「ごめん、ディリータ。僕は」
「ラムザ!」
 強い口調で遮られた。ラムザは思わず口篭る。
「俺はお前に謝ってほしいわけじゃない。気づかれないようにしていた俺が悪いんだから、気にすることはない」
「でも、君は気づいた。そして、僕に言わせるように仕向けたじゃないか」
「仕向けただけだ。実際に答えるかはお前次第。そして、お前はちゃんと嘘をつかずに己の弱さを告白した。その時点で、臆病者じゃないよ」
 ぽんぽんと軽くラムザの背中を叩いてから、ディリータは立ち上がった。岩から草むらへと飛び降りる。
「先に戻っている。ちゃんと全部食べろよ」
 ディリータは早足で皆がいるであろう街道沿いに戻っていった。
 勇気付けるようにたたかれた背中が、暖かかった。
「ありがとう、ディリータ」
 気づかなくてごめん、とラムザは心の中で付け足した。

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