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動き出した刻

 実りの秋から氷雪に閉ざされる冬へと移ろいゆく人馬の月。
 王都ルザリアを目指して数ヶ月を過ごした宿場町を旅立ったラムザ達だが、少々困った事態に陥っていた。
 簡潔に言えば、道に迷ったのだ。
 鬱蒼とした原生林地帯である、アラグアイの森。貿易都市ドーターと城塞都市ザランダとを結ぶ街道は、その広大な森と麓のソイル山脈の間をなぞるように拓かれている。その街道を通るなら、迷うこともなく、問題もなく、三日後にはドーターに到着するはずだった。
 だが、ソイル山脈から吹きすさぶ北風は予想以上に過酷だった。凍てつく烈風は分厚い防寒服をもろともせず、容赦なく体温を奪っていく。ものの数刻で耐えきれず、凍死を避けるために彼らは森に避難した。樹齢数百年という木々達は寒風を防ぐ絶好の盾になったのだが、同時に旅人を迷わす自然の迷路を形成していたのだった。
「いま、何時だ?」
 アデルがぼやくように言えば、イリアが頭上を仰ぎ見、
「木が邪魔して太陽が見えないね」
 がっかりしたように言う。ラムザはズボンのポケットから懐中時計を取り出した。
「ああ、時間なら…」
 蓋を開けた彼は、文字盤を見て「あれ?」と疑問の声をあげた。
「止まってるな。ちゃんとネジ巻いたのか?」
 横から覗き込んだムスタディオがからかうように言う。ラムザは頬をふくらませた。
「ちゃんと巻いたよ。朝は動いていたのに」
 ラムザがぎりぎりとネジを回すも、時計の針は一向に動かない。文字盤を覆うガラスを軽く叩くも、反応がない。
「故障ね」
 イリアの指摘とラムザの顔に焦りの色が浮かんだのは、ほぼ同時だった。
「ど、どうしよう。今までこんなことなかったのに…」
「俺にまかせろ」
 自信たっぷりにアデルが言う。その態度に、ラムザは素直に懐中時計を差し出す。アデルは拳を握りしめ、声高に叫んだ。
「機械なんてものはな、叩けば直るッ!」
「うわぁあ、やめろッ!」
 岩をも砕くアデルの拳が懐中時計に当たる寸前、ラムザは辛うじて取り戻すことに成功した。目立った外傷がないことにほっと安堵し、黒髪の青年を睨み付ける。
「君が本気で叩いたら、木っ端微塵になるだろうッ!」
「いや、そこまでする気はなかったんだが。ショックで直るというのはよくあるらしいから、試してみようかと」
 ラムザから白眼を向けられたアデルは、気まずそうに指で頬をかく。
「誰がそんなことを言ったんだよ」
 機工士にとってすれば迷信に等しい主張に、眉をしかめたムスタディオが問う。アデルは胸を張って答えた。
「ジャック教官」
 その答えに、ムスタディオは「誰だ?」と首をひねり、ラムザは盛大なため息をつき、イリアはぽつりと言った。
「教官も機械音痴だったのかな?」
 空寒い沈黙がさざ波のように流れていく。
 最も早く気を取り直したのは、ムスタディオだった。
「ま、まあ、時間があったらオレが直してやるよ。機械なら機工士の専門分野だ」
「う、うん。頼むよ」
(最初からムスタディオに見せればよかった)
 ラムザは胸中でそう呟き、懐中時計をポケットにしまい直す。ポケットのボタンを留めたとき、偵察に行っていたイゴール・マリア・アグリアスの三名が幾つかの情報を携えて戻ってきた。


「では、あとを頼む」
「はい。お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」
 挨拶代わりにアグリアスは片手を軽く振り、仮の寝床に戻っていく。彼女の背中が洞穴の奥に消えたのを見送ったラムザは、たき火に視線を移した。
 冬の野宿の生命線であるたき火は、ささやかにではあるが確かに燃えさかり、闇に沈む洞窟内に明かりと温もりを与えている。耳を澄ませば、炎のはぜる音と複数の寝息が聞こえる。穏やかな気分で揺らめく炎をみていると、一つの足音がした。
 頭を巡らせば、もう一人の見張り番―ムスタディオがいた。
「わりぃ、すこし寝過ごした」
 寝起き故のぼさぼさ頭を手櫛で整えながら、彼は言う。ラムザは首を横に振った。
「いや、構わないよ」
 ムスタディオは炎を挟んで正面に座り、紐で髪を束ねる。
 ラムザはその所作に懐かしさを感じつつ立ち上がり、横の岩に置いてあったカップをムスタディオに差し出した。
「なんだ、これ?」
 カップの中にあるのは、少々冷めた暗褐色の液体。中を覗き込めば、紅茶とは異なる煎ったような香ばしさがする。
「アグリアスさんが作ってくれた。『眠気覚ましに飲んでおけ』だって」
「どれどれ」
 無邪気に、素直に、ムスタディオはカップを傾ける。ごくりと喉を鳴らして飲んだ途端、彼は顔をしかめた。
「苦い!」
「僕もそう抗議した。そしたら、『飲みやすかったら、眠気覚ましになるまい』とにっこり笑顔で反論された」
「それはそうだろうけど、少しは加減というものを覚えてもいいんじゃないかな…。舌がびりびりする」
 ラムザは小さく笑い、熾火を小枝でかき回した。新しい炎が揺らめき立つ。
 たき火がぱちぱちとはぜる音が二人の間を漂う。
 無言で脳天を直撃させた苦みと戦っていたムスタディオだったが、よしっと気合いを入れ、左腰の鞄から金属製の小箱を取り出した。
「見事に目が覚めたことだし、時計直してやるよ。貸してみな」
「あ、ああ」
 ムスタディオがラムザから懐中時計を受け取ると、一瞬でその表情が一変した。普段の陽気さはすっかり鳴りを潜め、真剣かつ真面目なものへと変わる。機工士としての、仕事に誇りを持っている職人としての顔だ。彼は直径四センチほどの懐中時計をじっくり観察し、金の塗料が塗られた真鍮製の蓋を開いて時計の文字盤を凝視し、そして小箱から薄い金属片を取り出した。蝶番の反対側の蓋の横にその金属片を入れる。すると、いとも簡単に外蓋が外された。顕わになった機械盤を様々な角度から検分したムスタディオは、感嘆の息を漏らした。
「これは、相当いい時計だぞ」
「そうなの?」
「ああ。親父並みの、機工師クラスの技量をもった職人の仕事だ。ここに文字が彫られているだろう」
 ムスタディオは機械の一部を指さす。歯車などの部品が秩序だって並べられた機械群の一隅には、小さく『Robart Bnanza』と刻まれていた。
「ロバート・ブナンザは今から五十年前ほどに活躍した機工師で、時計などの精密機械の発展に多大な貢献をしたんだ。トゥールビヨン機構やミニッツリピーター機構等の時計製作上画期的な発明をしたんだ」
「………」
 ラムザは首をひねって時計を凝視している。
「あ、トゥールビヨン機構といわれても、意味が分からないか」
「うん」
 ムスタディオのあっけらかんとした指摘に、ラムザは素直に頷いた。
「理想的な時計というのは、どの向きにおいても時間が狂わないというものだ。ところが、文字盤を上に置いたり、下に置いたり、横に置いたりするだけで、時計の内部ではパーツごとに誤差が生じやすくなり、時間が早まったり遅れたりするんだ」
「………」
「それを防ぐために設置さえた特殊なエスケープメントのことを、トゥールビヨン脱進機というんだ」
「分かったような、分からないような…」
「簡単に言えば、いついかなる状況下でも時間が狂わない仕組みを発明したんだ」
「なるほど」
 得心がいったラムザはぽんと手を叩いた。
「はじめからそう言ってほしいな。僕はイゴールとは違うからね」
「あいつが詳しいから、士官アカデミーで習うんだろうと思っていたが…」
「違う、違う。イゴールだけが例外。彼は趣味で機械いじりをしていたからね」
「そうか。実にいい趣味だよな」
 嬉しそうなムスタディオに、ラムザは賛成も否定もしなかった。正直ゴミの山にしか見えない部品の数々をかけがえのない宝石のように大事にしていたアカデミー時代のイゴールを、床面積の三分の一を占める鉄くずの山に悩まされていた同室のアデルを、思い出したからだ。
「話戻すけど、お前の懐中時計にもその機構が取り入れられている。五十年ほど前に作られ、しかも、ここ数年ろくな手入れがされていなかったにもかかわらず故障一つなかったのは、そのお陰だよ」
 ムスタディオは小箱から極細のドライバーを取り出し、ラムザの顔を指した。
「ラムザ、貴重な時計なんだからもっと丹念に手入れしてやれよ。これじゃあ時計が可哀想だ」
「あ…うん。そうする」
「よし。約束したからな。今日はオレが内部の様子を見ておくよ。しっかりした造りだから、機械油を差してネジを締め直すだけで大丈夫だと思うが…」
 ムスタディオはそう言うと、上着を脱いで地面に敷いた。手に持っていたドライバーを駆使して部品を外していき、一つ一つ丁寧に上着の上に安置していく。
 ラムザは横からその作業を眺めつつ、胸中で呟いた。
(ここ数年、か…)
 ムスタディオが曖昧に指摘した『ここ数年』がいつからを示すのか、彼には容易く理解できた。
 当然のように思っていた世界が崩れ、突き付けられた真実から逃げ出したあの日。
 ベオルブに繋がる物は、ただ一つを除いて、全て捨てた。
 唯一の例外となった懐中時計。
 投げ捨てようとした己の手を止めたのは、『母さんとの思い出が詰まった』という父の手紙の一節。臆病な僕には、父と母の思い出を、家族と過ごした日々までをも切り捨てる勇気はなかった。かといっても、そのまま時計として使用する勇気もなかった。懐中時計のケースを見る度に、もうどこにもいない少女の面影が脳裏をよぎるからだ。
 結局、濃紺の紐と共に手頃な布に包んで、鞄の奥底に仕舞い込んでいた。
 傭兵として各地を転々とした日々は目先のことに忙しく、やがて、ネジを巻くことさえも忘れていた。そうして、漫然と持ち歩くだけの存在になっていた。
 それなのに、もう一度、使う気になれたのは…、
「なに深刻な顔しているんだよ。ちゃんと直してやるから安心しろって」
 唐突にかけられた声が、ラムザの思考を断ち切る。
「え?! …あ、ああ。頼むよ」
 上ずった声での返事に、機工士の青年は眉間に皺を寄せた。
「いまいち信用に欠ける対応だなぁ。お前、オレの腕疑っているんじゃないのか?」
「ち、違うよ。…ちょっと、考え事してただけだよ」
 ムスタディオはじぃ〜と面前の青年の心中を推し量るように見つめ、やがて、にかっと白い歯を見せて笑った。
「まあ、そういうことにしておいてやるよ。今日のオレは珍しい時計に出会えて幸せだからな。なあ、ラムザ、部品を全部分解して組み立てじゃあダメか? トゥールビヨン脱進機の部品を一度生で見てみたかったんだ♪」
 鳶色の瞳を輝かせてドライバーの先端を機械にあてるムスタディオに、ラムザは微かに笑みを浮かべる。
「元通りに組み立てる自信があるなら、いいよ」
 続けて、彼は声を低くして付け足した。
「ただし、失敗したら許さない」
 ムスタディオが「確実に直せる」と思った箇所だけを手入れしたのは、言うまでもない。

初掲載:2006.6.20 / 誤字修正・あとがき加筆:2006.12.1

(あとがき)
 持ち帰りフリー期間終了後、半年も引っ込めていたのは、計算ではなく遅筆の表れです。長編Zodiac Brave Storyの第一部が完結するまで、再アップしない。そう決めていたので。やっと載せられる状況になりましたよ!
 にしても、読み返して思ったのですが…壊れた機械を叩いて直そうとするアデルと教官は、自分と共通するなぁ。私の場合、悪化するばかりで改善することは絶対ないですがね(-_-)

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