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意思の力

「どうして、使えないんだろうか」
 低い呟きがイリアの耳を打つ。彼女は右手に出現している火の玉を消滅させ、振り返った。
「詠唱を間違えたと言うことはない…と思う。なぜだろう?」
 ラムザは自身の右手を不思議そうに見つめていた。
 その足下からは小さな白銀の光が昇っている。
 彼が立つ、直径1メートル程の魔法陣が淡く発光しているからだ。

 訓練二日目の午前。
 白魔法に関してはイリアが目を見張るほど急成長している彼だが、黒魔法に関してはさっぱり成果が上がらない。魔法を発動させるための手順は何一つ間違えていないはずなのに、一切効果が発現しない。正否を判定する魔法陣の作動がおかしいのではないか、と疑いたくなるほどだった。
「手順は何も間違っていないはずだから、そのうち使えるようになるわよ。」
 イリアは彼を慰めてから、精神集中に入る。
 凍結呪文を詠唱し、左手にひとかけらの氷を発現させる。それを前方に放り投げ、床に落下する前に右手に発現させた炎でもって蒸発させる。
 イリアが行っているのは、魔法制御と詠唱速度を向上させるための訓練。
 二つの異なる初級魔法を瞬きするほどの時間で発動させる彼女に、ラムザは目を丸くした。
「一つ、訊いてもいいかな?」
 二回連続で成功させた彼女に、ラムザは控えめに声を掛ける。
「いいわよ。何?」
「イリアは黒魔法唱えているとき、何考えているんだ?」
「ラムザ、あなた魔術がどんなものか言える?」
「定義は分かるけど。『本来そこに存在しない"もの"を自らの意思で生み出すための術』だよね」
 ラムザは魔法書の冒頭に書かれている定義をそのまま口に出す。
 物覚えのよい彼に、イリアは笑みを返した。
「そう。その定義から言えば、魔術は意思の力とも言えるの。魔力を用いてこの世界を支配する理に介入し、それを歪めて、呪文に秘められた効果を発現させる。そして、術者の意思次第で、威力も効果も違うと言ってもいいわ」
「………」
 ラムザは真剣な表情で考え込んでいる。
「だから、わたしは呪文の効果を想像して詠唱している。火炎魔法なら、燃えさかる炎を。凍結呪文なら、全て凍てつかせる吹雪を。雷撃魔法なら、天空を貫く稲妻を」
「怖くないのかな」
 ラムザの口から漏れた低い呟き。だが、一切物音がしない室内には殊更よく響いた。イリアは尋ね返す。
「何が?」
 彼は長い間沈黙を守っていたが、柔和な青紫の瞳に促されるように主語を口に出した。
「…黒魔法で色々なものを破壊することが」

 ようやくイリアは朧気ながら理解した。
 彼の黒魔法が発動しない理由を。
 魔術は意思の力。
 魔法は魔術を行使するための方法。
 そして、黒魔法の根源は破壊と死。
 浄化と生命を司る白魔法とは正反対の力。
 魔法という力でもって人を傷つける事を心の奥底で恐れていた彼は、意思の力で発動を押さえ込んでいたのかもしれない。

「確かに黒魔法の力は破壊よ。それは否定しないよ。でも……」
 イリアは一度、言葉を切った。
「剣をとって戦うことも、素手や弓で戦うこともできないわたしにとっては、黒魔法は最もたやすい戦う術。そして、みんなを守る力にもなるわ。破壊という本質でも誰かを守れる力にもなると信じているから、わたしは行使し続ける」
 目を見張るラムザに、イリアは心からのエールを送る。
「神様は人に不要な力を与えない。あなたに剣をとって戦う術と共に魔術の才能があるというのも、何か意味があるのよ。あなたが心の底から行使したいと思ったとき、必ず魔法は応えてくれる。だから、呪文を忘れないでね」
 イリアはラムザに背を向けて、訓練に戻る。
 彼は不思議と大きく見える彼女の背中を見つめ、それから足下に転がっていた魔法書を拾い上げる。頁を捲り、書かれている内容を頭に入れる作業を再開した。
 より真剣に。本腰を入れて。

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