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桜色舞う頃

「なぁ、花見しようぜ。近くに良い場所を見つけたんだ」
 日に日に暖かさが増してきた春のある朝、アデルが唐突にそう言う。
 『花見』という聞き慣れぬ単語に皆が食事の手を止めた。
「花見ってなんだ?」
 ムスタディオが首を傾げながら尋ねる。
 聞かれたアデルは一瞬きょとんとし、それから食卓にいる全員が不思議そうな目で自分を見つけていることに気づいた。数秒後、その理由を察する。
「ああ、そっか。花見はお袋の国の風習だったなぁ」
「東洋の風習か?」
 イゴールが尋ね返す。アデルはパンを引きちぎりつつ答えた。
「ああ。“桜”の花の下で、その美しさを愛でつつ宴会するんだ。俺の家だと、この時期に必ずやってたんだ。桜の大木があったから」
 アデルはパンのひとかけらを口に放り込む。
 食卓にいるメンバーは、隣同士で顔を見合わせた。
 このとき、提案者を除く六名の心情を分類すると――
 桜という見知らぬ植物の名前に興味がそそられたのは、マリアとイリアの二名。
 宴会という一騒ぎできる言葉に惹かれたのは、ムスタディオ。
 意味はよくわからないが休息をとる絶好の機会だと考えたのは、イゴールとアグリアスの二名。
 すでに、ただ一人を除いて、全員が『花見』というアデルの提案に傾倒していた。
「お、おもしろそうじゃないか。やろうぜ」
 ムスタディオが気勢を上げれば、アデルが「よっしゃ」と嬉しげに拳をあげる。
 ラムザが視線を食卓の右左に走らせれば、
「桜ってどんな花かしら?」
「淡いピンク色の花だと本で読んだことあるけど、具体的には…」
「東洋でわざわざ見物するくらいだから、きっと綺麗な花よね」
「そうね。楽しみだね」
 マリアとイリアが、すっかり行く気になっている。
 先を急ぎたいラムザは、最後の頼み綱として、テーブルを挟んで正面にいる年上の女性騎士に目を向ける。しかし、
「たまには息抜きもいいな」
 アグリアスは、優しい微笑みでもってラムザの期待を裏切った。
「では、花見に出発することで異存はないな?」
 イゴールの声に、ラムザを除く全員が力強く賛同した。


 アデルが案内したのは、村の外れにある森だった。
 ブナ、ナラ、イタヤなどの木々は柔らかい緑の芽吹きで覆われており、天から降り注ぐ春の光を受けてより鮮やかに輝く。コブシの花が、緑の世界に白の彩りを添える。若葉のカーテンから覗く空は、薄い青だった。
 穏やかで豊かな森の中を、アデルが案内するままに歩くこと半時間。徐々に生えている木がまばらになり、やがて開けた空間にでた。
 そこは小高い丘だった。青の空と草色の地面の境に、一本の木がそびえ立っている。天に届け地面に着けと言わんばかりに枝を無数に伸ばした、大木。枝という枝が全て淡いピンク色に包まれていた。
「あれが桜の木だ」
 アデルの指摘に、全員が歓声を上げた。
「へぇ〜、綺麗だな」
「本当…」
「近くでみてくる」
「あ、私も!」
 イリアとマリア、ムスタディオは未知なる花を間近で見物すべく、荷物を放り出して駆け出した。イゴールはやれやれと肩をすくめ、地面に散らばった荷物を集め始める。アグリアスは駆け出した三人の後をゆっくりと追っていった。ラムザは目を眇めて桜の木を仰ぎ見ている。
 それらの反応を嬉しく思いながら、アデルはすべき行動をとった。
 桜の全体像が見える場所を選び、野営に使う撥水性の布を広げて敷く。中央部分に宿の主人に用意してもらったお弁当を並べる。バスケットから人数分の取り皿とカップを取り出し、最後に酒瓶をどでんと置いた。
 ちりぢりになっていた仲間達を集合させ、敷物の上に座らせる。空のカップを全員に手渡し終わると、アデルは高らかに宣言する。
「さぁ、桜を愛でつつ、食って、飲んで、騒ごうぜ!」
 この声を皮切りに、花見という名の宴会が開始された。全員が、よく食べ、よく飲み、そして威勢よく騒ぐ。
 持参した飲食物が半分以上胃袋に収まった頃、
「誰か隠し芸をやれ〜!」
 ムスタディオが弾んだ声で叫んだ。
「じゃあ、私が剣舞でも…」
 マリアが愛用の剣を片手に立ち上がれば、
「それは隠し芸とはいわねぇぞ!」
 アルコールに塗れた声が野次を飛ばす。発生源は顔を真っ赤にしたアデルである。それと同時に、
「だったらわたしがするね」
 普段と変わらぬ顔色のイリアが――彼女に酒を勧める愚者はいない――腰回りのポーチから拳大の瓶を取り出した。中にあるのは、真っ黒な丸薬が五つほど。あまりにも不自然かつ不気味な色に、全員が顔を強ばらせる。しばしの沈黙の後、沈痛な面持ちでイゴールが口を開いた。
「それは何だ?」
「わたしが調合した新しい薬。一度、人体で試してみたかったの」
「効能は?」
「ひ、み、つ。教えたら隠し芸にならないから。では、いいだしっぺのムスタディオからね!」
「冗談じゃない。オレはまだ死にたくないぞッ!」
 がばっと身を起こし、ムスタディオは脱兎のごとく走り去る。その動きは、かなりのアルコールが体内に入っているにもかかわらず、目を見張るほど素早い。シーフとして修練していたおかげか。
 しかし、イリアも負けてはいない。算術士として修練している彼女は即座に演算を終え、算術を発動させた。
「ハイト3ドンムブ」
「げっ!」
 ムスタディオの足が、地面に縫いつけられたかのように止まる。
「さぁ、出番ですよ、ムスタディオ…」
 幼子に言い聞かせるような口調でイリアは言い、立ちつくす機工士の青年に歩み寄る。一歩二歩と距離が縮まるにつれて、ムスタディオの顔が青ざめていった。
「いやだぁ、誰か助けてくれッ!」
 外聞も恥も感じられない悲鳴を聞きつつ、ラムザは辺りに視線を巡らす。
 マリアは小さく十字を切り、アデルは場を盛り上げるべく野次を飛ばし、イゴールは「生贄は一人で十分だな」と呟く。そして―――、
「…?」
 ラムザは持ち主が不在のカップ一つを見つける。彼は少し考え、仲間達に気取られぬように席をそっと立った。二十歩ほど歩くと背後から絶叫が聞こえたが、彼はその件についてさしたる反応を示さなかった。振り返ることもなく、あてどなく丘の斜面を歩き続ける。
(どうも変だな)
 ラムザは怪訝に思う。
 騒いでいる仲間達に対してではない。自分自身に対してである。
 さっきまでいたはずなのに、アグリアスがいなかった。
 酔いを覚ますべく風に当たりにいった。生理的欲求のために席を外した。危険がないか辺りを見回っている。少しだけ一人で過ごしたくなった。
 彼女が離席した理由が、ラムザの脳裏に次々と浮かぶ。どれでも真っ当なものであり、他者に対して不愉快を与えるものではない。それなのに――、
(焦りと不安を感じたなんて、どうかしている)
 ラムザは軽く頭を振り、今度はきちんと目的地を桜の木に決めて歩き出す。
(静かな場所で頭を冷やそう)
 そう考えての行動だったが、桜の木まであと十歩という所で、彼の足はぴたっと止まった。
 目的地には先客がいた。アグリアスだ。彼女は、太い幹に背中を預けて座り遠くを見つめているようだ。
 不意に風が吹く。
 桜の枝が揺れて無数の花びらを散らし、蜂蜜色の髪や青の衣服に淡色の彩りを添えていく。
 一枚の絵になるような美しさに、ラムザは言葉を忘れた。
「ラムザ」
 柔らかいアルトの声に我に返れば、蒼い瞳がじっとこちらを見ている。澄んだ青空のような双眸が、焦燥に似た感情を呼び起こす。
「花見に参加しなくても良いのか?」
「えっ、ああ、その、少し風に当たりたくなったので…」
「そうか。ここは良い風が吹く。よければ隣に座らないか?」
「はい、お邪魔します」
 草地を指す手に勧められるまま、ラムザは腰を下ろす。直後、あることに思い至る。
 いつになくアグリアスとの距離が近い。数センチしかない隙間を埋めれば、華奢でしなやかそうな身体に触れられる。耳を澄ませば、息遣いさえ聞こえてきそうだ。考えてみれば、戦闘時以外でこんなに近づいたことはない。
 ラムザは火照りそうな顔面を渾身の精神力でもって押しとどめ、声をかけるべく言葉を探す。ふと足元を見れば、散らばった桜の花びらが目にとまった。一枚を手に取り、隣の人物に向かって語りかける。
「遠くから見ればピンク色だったのに、花自体はほぼ白に近いんですね」
「そうだな。こうしてみると一つ一つは淡く薄い色だ。だが、無数に集まることで美しい色を創り出す。しかし、全ての花びらが散れば、この桜色は失われてしまう。ある一時だけ見ることができる、儚い色。だからこそ、人の目を惹き心に迫るものがあるのだろう」
「そうですね」
「オヴェリア様にお見せしたら、喜ばれるだろうか」
 頷いた直後に聞こえた呟きに、ラムザは軽く目を見張った。
 悪夢のような戦いを経て、戦乱の火種となっているものの存在が明らかになった事件から数日後。北天騎士団とライオネル聖印騎士団の謀略によって反逆者の汚名を着せられ、主君の下に帰りたくても帰れない彼女は
『お側におらずとも、今の私がオヴェリア様のためにできることをしようと思う』
 と、自分に同行することを申し出てくれた。
 しかし、時折耳に届くオヴェリア女王を取り巻く状況に、アグリアスが心を痛め無力さを噛みしめているということは、ラムザをはじめ皆が知っている。だからこそ、仲間達は極力その話題を避けていたし、アグリアスも気遣われていることを知っているのか、口に出さなかった。
「外出さえままならぬ修道院で長く生活されていたせいだろう。オヴェリア様は動植物に興味がおありだった。修道院の中庭に植えられている花や薬草園で栽培されている植物、ひいては庭師が雑草として抜いてしまう野草にまで目を向けられ、シモン殿や我々護衛の者に名前をお尋ねになっていた。だから、きっと喜ばれるだろうと思う。だが…」
 アグリアスは表情を曇らせて、言葉を濁す。
 ラムザには、その理由が容易く理解できた。
 反逆者として指名手配され、忠誠の対象であった王家から追っ手が差し向けられる現実。肉親の情よりも騎士としての忠義を優先させ、彼女をいない者として扱っているオークス家。
 信じていたものを失い、帰る場所をも失った。
 それは、ラムザ自身のことでもあるからだ。
 そうだ。現実は決して楽観できるものではない。刺客や報奨金目当ての傭兵達にいつ殺されてもおかしくない状況だ。こうありたいという願いや想いは在るのに、そこへ至る道筋は何一つ見えない。
 だが、それでも―――
「お見せできると思いますよ」
 アグリアスが驚いたように顔を向ける。
 ラムザは言い聞かせるように言葉を継いだ。
「確かに現段階では楽観視はできません。でも、いつか…あなたの汚名がそそがれ、名誉が取り戻せたとき、きっとお会いになれる。そのとき季節は春じゃないかもしれない。また、オヴェリア様をここにお連れすることはできないかもしれない。でも、言葉で伝えることはできます。花の形や色、風の匂い、そして今日あった出来事。忘れずに覚えておけば、いつか話せるときがきます。僕はそう信じたい」
「………」
 静寂が辺りを漂う。
 一陣の風が吹き、勢いに負けた一枚の花びらがアグリアスの髪にひらりと落ちた。
「甘ったれたことを言うなと思われたかもしれませんが…」
 ラムザはあまりにも長い沈黙が心苦しくなって、苦し紛れに口を開く。だが―――
「いや、おまえの言うとおりだ」
 アグリアスは小さくではあるがはっきりと頷いた。
「私も信じよう。いつの日かお話しできる、と」
 あるかないかの笑みを口元に浮かべたアグリアスを見て、ラムザもまた顔を綻ばせた。

 一方、そんな二人の斜め前方の草むらでは、
「良い雰囲気なんだが、会話の内容は甘いものとはいえないな」
「現状ではそうならざるを得ないわよ」
「そうね。ラムザはアルマちゃんの事が心配だろうし…」
 腹ばいになって、桜の木の側に腰掛けている二人を注視している人影が四つある。そのうちもっとも見通しが良い場所にいるイゴールはあることに気づき、隣の黒髪の少女に目を向けた。
「イリア、ムスタディオはどうした?」
「丸薬を口に含ませただけで気絶しちゃった。単なる酔い止め薬なのに、失礼な反応よね」
 振り返れば、数メートルほど離れた草むらに、ムスタディオが仰向けに転がっている。しまりなく開いた口からは白い泡が出ていた。
「放置していて大丈夫なのか?」
「エスナをかけておいたから大丈夫よ」
「………」
 イリアはきっぱりと断言する。が、体内の毒物を浄化する治癒魔法を必要とした事実が、イゴールの眉間に深い皺を刻ませた。
「お、アグリアスさんが何か話し出したぞ」
「イゴール、早く読唇して!」
 アデルとマリアが小声でせかす。
 イゴールは一つ息を吐き、優れた視力でもって唇の動きを読む。
(どうかあの二人に、のぞき見していることがばれませんように)
 心の奥で、そう強く願いつつ。

- end -

2007.05.01

(あとがき)
 中島美嘉の「桜色舞う頃」をイメージして書き上げた作品です。歌詞とは全然違う話になってしまいましたが。
 また、桜はとっくに散っているぞ、という指摘は堪忍して下さい。

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