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Moonlight Serenade

 ここではない、どこか他の場所へ行かなければならない。
 そう感じる時がある。
 初めてそう感じたのは、いまからおよそ一年前。
 アルマと共に、貴族の息女が通う学校に編入したときだった。
「どうして、ベオルブ家の令嬢が平民の娘と一緒にいるの?」
 女生徒の無邪気な、残酷な質問。
 それは、鋭い矢となって私の胸に深く突き刺さった。
 傷は、未だに塞がらない。
 今も、鈍い痛みと共に私の胸を蝕んでいた。
 そして、誰かがささやく。
 ここはあなたがいるべき場所ではない、と。


 バルコニーで西の空を見つめるティータ。小さな背中は、か細く、儚げだった。ラムザには、彼女がそのまま黄昏色の空に溶け込み、消えるかのように見えた。そう思った瞬間、彼は恐怖に襲われ、彼女の下へ駆け寄り細い腕をつかんだ。
「な、なんですか? ラムザさん」
 返ってきたのは、戸惑いと驚きが入り交じった質問だった。彼女は、小首をかしげてこちらを見る。見慣れたティータの反応に、ラムザは安堵して手を離した。
「ごめん、なんでもない」
「…そう、ですか」
 ティータは掴まれた右腕を軽くさする。力加減を忘れて彼女の腕をつかんだことを思い出し、ラムザは再度謝った。彼女は小さくかぶりを振り、視線を西の空に戻した。
 彼女が見つめるのは、雲一つない夕闇色の空に輝く月。剣のように細いそれは、ささやかな存在を主張するかのように、かすかに、だが確かな光を放っていた。
『ティータ、あんなこといってたけど、本当は違うの。身分が違うからって、いじめられることが多いの』
 アルマの言葉が胸中に蘇る。
 月に一度、寄宿舎に届くティータからの手紙には、そんなことは一切書いてなかった。
 丁寧な筆跡で綴られるのは、学校で習った事や、日々の他愛ない話。
 兄であるディリータを気遣い、最後は必ず「兄さんのことを頼みます」という言葉だった。
 ディリータもそうだが、ティータも何も言わない。
 そして、愚鈍な自分は、言われないと気づかない。
 それが、ラムザにとって腹立たしかった。
「ティータ」
「はい?」
 とっさに呼びかけてみたものの、なんと言えばいいのかラムザにはわからなかった。幾つかの言葉が頭をよぎり、霧散していく。結局口から出た言葉は、先ほどと同じものだった。
「ごめん、なんでもない」
 ティータは小さく噴き出した。
「ラムザさん、さっきから謝ってばかりですね」
「え! そ、そうかな?」
「はい」
 ティータは夕闇の空に溶け込むような微笑みを浮かべる。ラムザは何故か狼狽し、慌ててとっさに思いついた言葉を口に出した。
「ごめん」
「ほら、また」
 ティータは笑い声を上げる。彼女の変わらない笑顔につられるように、ラムザも笑う。
 二人の笑い声が、夕闇の世界に静かに流れていった。


「お〜い、ラムザ、ちょっときてくれ」
 室内にいるディリータ兄さんが、私の隣にいる人物の名を呼ぶ。彼は、「今行く」と応じた。そして、私に部屋に戻るよう勧める。私はかぶりを振った。もう少し、この月を見ていたかったから。彼は無理強いはせず、羽織っていた上着を脱いで私の両肩にかぶせてから、足早に室内へ戻っていった。
 好意に甘え、袖を通してみる。革製の厚手の上着は、私には大きかった。肩幅も袖も余っている。でも、暖かかった。

 いつしか、胸の痛みは和らいでいた。

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