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彼ら彼女らの事情

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 いつもと同じはずの景色が、全く違うもの見える。
 それまでの身体の不調が、霞のように消え失せる。
 物語や英雄譚において主人公が決意をしたときの状況をそのように描写することがあるが、現実においてもあてはまるらしい。
 頭上に広がる空は、突き抜けるように青く澄んでいる。道端に茂る草花は、初夏の陽光を浴びて鮮やかに輝いている。時折吹くそよ風は、肌に優しく実に爽快だ。
 この二週間気だるく稽古さえする気になれなかった身体は、今は背中に翼でも生えたかのように軽い。ドーターに通じる街道を歩んでいるだけで、肉が踊り血が沸き立つ感じさえする。
 心の内に籠もっていた不安や怒りを、ある目的への達成意識に変えただけでこうも違うのか。
 アデルは素直に驚き、そして喜んでいた。
 ところが―――
「本当にいいのか?」
 低い声とともに、背後から絶えず聞こえていた三つの足音が二つとなる。アデルが振り返れば、すぐ後ろを歩いていたはずのイゴールが足を止めていた。
「なにが?」
「士官アカデミーを中途退学し、あてのない旅にでてもいいのか?」
 訝しげな表情をするマリアに、イゴールが淡々と言う。彼の表情は、仲間のことを心配しているようにも、約束された将来の成功を捨てる覚悟があるのかと問うているようにも思えた。アデルは表情を改め、口を開く。
「俺は、あいつをぶん殴らないと気が済まないからな」
 アデルは懐にしまっていた封筒を取り出し、イゴールに差し出した。表情を変えずに受け取った彼に対して、一読するよう目で伝える。
 イゴールは促されるままに封筒を開き、畳んでしまわれていた便箋を取り出して広げた。
 イリアとマリアがイゴールに駆け寄り、おのおの左右から手紙を覗く。アデルは読み終えるのを待つ。
 約十秒後―――
「な、なにこれ!」
「文面どおりの意味だよ」
 動揺するマリアにアデルは冷静に答え、
「『我が息子、アディールへ。汝を勘当する。以後、勘当が解かれるまで、ハルバートン家の保護は一切与えない。父ダルガンより』って」
 文面を読み上げて絶句するイリアに、頷いてみせた。強い視線を感じて顔をめぐらせば、イゴールが手紙を握りしめてこちらを凝視している。
 アデルは戯けるように肩をすくめた。
「勘当されれば、親父は『我が家には関係ない』と言い張れる。家族に迷惑をかけることもなくなる。そして、俺は俺の意志で自由に動ける。しかも、勘当は“解かれるまで”の期限付。ケリがついたら解いてもらえばいい。いやぁ、さすが親父だ、粋なことをするぜ!」
 はっはっは、と乾いた笑いが流れ、その後、沈黙が四人の間を支配する。
 誰一人追従しないことに、アデルは指で頬をかいた。長々と続く沈黙が居心地悪いこと甚だしい。笑い続けたことによって乾いた喉を咳払いで整え、口を開く。
「だからそんな深刻に―」
「いい父親だな。大切にしろ」
 途中でイゴールが遮り、手紙を返してくる。アデルは「もちろんだぜ」と頷きながら受け取った。
「わたし、両親のことにまで気が回らなかった」
 俯いたまま黙っていたイリアが、ぽつりと言う。癖のない漆黒の髪に隠されてしまって、その横顔はわからない。
「戻るか?」
 イゴールの提案に、イリアは顔を上げて首を横に振った。
「ううん、行くよ。わたし、ラムザとディリータに謝らないといけないから」
 顔面に不安を滲ませつつも、彼女はきっぱりと言い切った。
(何に対して謝るのか?)
 そんな疑問がアデルの脳裏をかすめる。だが、杖を握りしめているイリアの指先の震えが、喉まででかかった疑問を押し込めた。
「この期に及んでアカデミーに帰るなんて言い出す人はいないと思うわよ。けじめをつけるために、ジャック教官に話を通しているわけだし」
「そうだな」
 マリアの言葉に相槌を打ち、決然とした彼女の表情をみつめているうちにふっと思いついたことを、アデルは口に出した。
「そういや、最初にジャック教官のところへ行ったのはマリアらしいな」
「えっ、そうなの?!」
 驚くイリアに、アデルはうなずく。
「ああ、俺が行ったとき、教官が『マリアに続いてお前もか』と言っていたからな」
「決断が早いな」
 意外そうなイゴールの声音に、マリアは曖昧に笑った。
「あの二人に伝えたいことがあるというのが大本だけど、個人的な事情もあったから」
「個人的な事情って、なんだ?」
 アデルが訊くも、マリアは表情を崩さぬまま沈黙を保っている。
 アデルはマリアに向き直り、正面からじっとその顔をみつめ、十秒ほど待った。視線を逸らされることはなかったが、その口は詳細を語ろうとしない。アデルはため息をついた。
「あのな、一度聞かされてから言いにくそうに黙り込まれると、かえって気になるんだよ。それに、これから長い旅が始まるんだぜ。よけいな気遣いするなよ。苦楽を共に分かち合うのが仲間ってものだろう?」
 かつてマリアから教わったことを、アデルは口にする。途端、彼女は苦笑いした。
「そうだったわね。話すわ。長くなるから、歩きながらでいいかしら?」
「ああ」
 アデルは頷き、マリアの隣に並んでドーターに通じる街道を歩き出した。数秒遅れて、背後から二種類の足音が加わった。

***

 マリア・ベトナンシュは、ランベリー領オーヴェルンの出身だ。
 オーヴェルンとは、畏国最大の塩湖として知られているポエスカス湖の東にある盆地を指す。
 今から八〇年ほど前、ベトナンシュ家は諸侯として男爵の地位を授かるとともに、この地を領した。その当時、まだ名前さえなかったこの盆地は、大地も水も塩分を含有するために、人はおろか動物さえおらず、植物も生えない不毛の大地であった。当然、小麦や大麦などの生産を見込めるはずもなく、土壌改良には莫大な費用と長い時間を要するであろうことは、現地をみれば一目瞭然である。
 しかし、下賜した王家側にも言い分はあった。
 他国の侵略に成功して領土が格段に広がったわけでもない。また、ベトナンシュ家は断絶した貴族の後釜というわけでもない。生産性の高い豊かな土地は、既に他の諸侯に与えてしまっている。だから、諸侯に序するための名目上の領地として、割り切ってほしい。
 王家側の隠された意思は、初代男爵となったオーヴェン・ベトナンシュも理解していた。
 しかし、彼は、従うことを是とはしなかった。
 彼は自ら下賜された所領に赴き、土地を精密に調査した。盆地を不毛ならしめている原因はポエスカス湖から流れ込む塩分多量の水にあることを突き止めると、それを逆に利用して塩田を作り、試行錯誤の末良質の塩の生産に成功した。
 古今東西、塩は、鉄と並ぶ生活の必需品であり、需要が途絶えることは決してない。
 手堅い現金収入手段を得たベトナンシュ男爵家は、ゆっくりと着実に栄えていった。

 マリアが生まれた王国歴四三八年は、五十年戦争と呼ばれるオルダリーア国との戦いが開始されて三三年目にあたる。当時、戦況は膠着状態であり、ゼラモニア付近での睨み合いが数年にわたって続いていた。しかし、東バグロス海ガルシア湾を挟んでオルダリーア国と国境を接し、国内有数の穀倉地帯ゆえに侵略価値が高いランベリー領は、危機感を失わず、臨戦態勢を解いてはいなかった。騎士の位を持つ者は全て戦地に赴き、それでも足りない兵力を補うために各領地から二十代から四十代の男が徴兵された。資産を有する貴族は随時発行される戦時国債を購入することを求められた。
 オーヴェルンを領するベトナンシュ男爵家も例外ではない。労働力である男手を奪われたことによって塩の生産量は最盛期の三分の一に落ちた。不測の事態に備えて代々の領主が蓄えてきた財産は、国債という名の紙切れに換わりつつある。
 だが、それでも、領民の生活を保護し、最低限の品位を維持するに堪える収入が、ベトナンシュ家にはあった。

 王国歴四四一年人馬の月二八日。
 ベトナンシュ男爵家に一つの訃報が舞い込む。当主であり彼女の父でもあるカプランが、戦死した。騎士としてゼラモニア戦線に赴いていた彼は、国境付近で突発的に発生した小競り合いに割って入り、オルダリーア国の兵によって絶命させられたのだった。
 不幸はさらに続いた。
 父の死亡通知書が届けられて約一ヶ月後、マリアの母・マルガリータが流感にかかり、看護の甲斐なく亡くなってしまった。
 残されたのは、二人の子ども。十五歳の長男カールと三歳の長女マリア。
 子ども達の代理として親族の者が葬儀を執り行い、つつがなく終了した。遺言に従って、嫡子のカールが爵位と所領を継ぎ、私有財産は兄妹二人で分割することになった。そして、その直後……いや、もしかしたら母が死亡したときからだったのかもしれない。ある資格をめぐって、親族間で激しい争いが発生した。
 それは―――、

「カール兄様と私の後見人を誰が務めるか、よ」
「後見人?」
「後見の事務を行う者で、未成年者および疾患を有する者の保護に必要な事務の全てを行うことができるけど、一人に限られるの」
 眉を寄せるアデルに、イリアがすかさず答える。辞典の記載を抜粋したかのような彼女の説明は全くもって正しいが具体的かつ明快な理解には結びつきにくいのではないだろうか、イゴールはそう考える。しかし、彼の懸念は外れた。数秒後、イゴールの予測よりも早く、アデルは答えを導いた。
「マリアとマリアの兄貴の親代わりとなる人か!」
「………」
 このとき、当のマリアは奇妙な顔つきをしていた。イゴールの目には、憤慨しているようにも、悲しんでいるようにも、苦痛を堪えているようにも見える。
 これまで伝え聞いた情報とその表情、そして、欲望と嫉妬と妄執とがはびこる貴族社会の実態から、後見という役目を隠れ蓑にして利己的行為を企む親族達の思惑を察する。だが、彼は、それを口に出すことはしなかった。マリアが話すと行った以上、彼女自身に話させるべきだった。推測や憶測で他者を振り回し傷つけるのは、もう二度とごめんだ―――。
「親代わりという言葉どおりに誠実な人だったら、よかったけれどもね」
 沈んだマリアの声が、イゴールの思惟を中断させる。
 胸中に抱いた予断を極力排除するように心がけ、イゴールは彼女が続きを言うのを待った。


 マリアは最も古い記憶を呼び起こしていた。
 客間に通じる扉が僅かに開いていて、声が漏れている。たまたま通りがかった自分は興味惹かれて、隙間から中を覗いた。
 壁際に設置された燭台の明かりが、木戸が下ろされた窓辺にたたずむ三つの人影を浮かび上がらせる。こちらに背を向けているために、顔が分からない。
「カールにも困ったものだ」
 ため息混じりの呟きが耳に届いた。この声は聞いたことがある。いつ、どこで聞いただろうか?
「杖なしでは這いつくばるしかできないみっともない身体であるのに…」
 這いつくばるって? 意味が分からない。声をもっと拾うために、耳をドアにそばだてる。
「あのような身体で男爵を名のるなど、恥知らずもいいところだ」
 耳どおりの良い別の声が言い、同意する気配が二つあった。
「だからこそ、我らに全てを任せるよう言っているのに…」
「後見はいらない父の遺志は自分が継ぐと言って、聞く耳を持たん」
「足が動かない者が、どうやって諸侯の責務を果たすというのか」
 複数の口から失笑が漏れる。
 直後、ドアがぎぃと軋んで動いた。支えとしていたものが消えてバランスを崩し、床に転がり落ちた。膝と腹に鈍い衝撃が走る。息を呑む気配がした。
「…おやおや」
 頭上から声が振ってくる。床に両手をついて身体を起こすと、三対の瞳が自分を見下ろしていた。灯りを背後に受けているので、彼らの顔は影にかくされている。なのに、発光しているかのように瞳だけが見える。身体が竦み、背筋に氷塊が流れ落ちた。
「マリア、ケガはしていないかい?」
 優しげな声音に反比例するものを湛えた瞳が、心臓を鷲掴みにした。
(―――不思議なものね)
 回想を打ち切り、独語する。
 三歳ぐらいの出来事なのに、物心つく前なのに、はっきりと覚えている。時の流れとともに様々なことを経験したのに、この記憶は決して薄れることがない。まるで、焼きごてを押しつけたかのように。関連する他の事柄、亡くなった両親の顔や葬儀の様子などは全く記憶されていないのに。
「で、結局どうなったんだ?」
 はっと我に返れば、気遣わしげなアデルの顔があった。声のみならず顔全体で情感を表す様に、胸中の氷がとける。
「職権濫用しそうな人達ばかりだったので断った、と兄様は言っていたわ」
「となると、マリアは兄貴に育てられたってことになるのか」
「ええ、そうなるわね」
「十五歳で子育てするとは、面倒見のいい兄貴だな。」
 その言葉に、マリアは虚をつかれた。
 目線を泳がせれば、イリアは言葉が出ないようで唖然としている。イゴールは物言いたげに瞬いていたが、結局は沈黙を選んだようだ。口を開くことなく、黙然と立ちつくしている。
 こそばゆい沈黙が、束の間、仲間達の間をくすぐっていった。
「俺、なんか変なこと言ったか?」
「ううん、そんなことないわ」
 胸に宿る暖かい感情のままに、マリアは微笑した。


 それまで張りつめていた空気が一変に溶けた。我知らず強張っていた頬が緩んだのを、イリアは自覚する。
(アデルのボケはイヴァリース最強かも)
 感慨深く一人頷き、そして、マリアに視線を向ける。その表情が柔らかく穏やかなのを確認して、物事の根本を口に出した。
「で、実のところ、マリアが士官アカデミーを飛び出す理由はなに?」
「口に出すのも腹立たしいことだけれど…」
 そう前置きして、マリアは一気に捲し立てた。
「士官候補生の分際で二週間も謹慎処分を受けた者が騎士の重責に堪えられるわけがない。ましてお前は女だ。無謀なことはさっさと諦めて家に帰り、血筋優れた者と結婚してベトナンシュを継ぐ子どもを作れ。相手はこちらで選んであるからお前は何も案ずることはない、近いうちに迎えを送るって、親族からの手紙が届いたの! ふざけているわよ、家を継いだのは兄様で私はその手伝いをするために騎士を志したのにあの人達は全く分かっていないのだからッ!!」
 絶叫が辺りにこだまする。
 ぜいぜいと息をついて東の空を睨み付けるマリアを、イリア達は目を白黒させて見守った。
「あのまま士官アカデミーにいると強制的に連れ戻されそうだったから、先手を打ったのよ」
 くるりと振り返って、にこやかな笑顔で言う。恐いと感じるのはなぜだろう、イリアは少し考えた。
「そうなんだ」
「ええ。…さて、これで私の話は終わりよ。先を急ぎましょう」
 マリアは朗らかに宣言し、背を向けて歩き出した。その掌は必要以上の力を込めて握りしめられている。
 イリアは胸の内にある凝りを自覚し、俯いた。
 憤懣、悲嘆、後悔、疑念。
 表面上見えない心の傷は癒しがたくて、些細なことで膿んで血を流す。呵責に苛まれる。他者にひけらかすことは、傷口を抉るような苦痛をもたらすことなのだ。
 それなのに、マリアはきちんと話してくれた。楽になるためではなく、実家のことで仲間に迷惑をかけないために。
 そして、自分も、彼らに話さなければならないことがある―――。
 イリアは意を決し、顔を上げた。
「待って!」
「どうした?」
 まっすぐに向けられた色彩の異なる二対の瞳を見返して、口を開く。
「あのね…わたし、アデルとマリアに言わなければならないことがあるの」
 言い終わるなり、背後からぐいっと腕を掴まれる。目線を上げれば、緑の瞳が自分を見下ろしていた。心配そうに細められる。
 イリアは笑った。
 イゴールは顔では感情を出さないのに、瞳は本当に正直だ。言葉にならない声を何よりも如実に語っているから、安心できる。心の奥底に押し込めていたものがでてしまう。黙って受け止めてくれるから、つい、頼ってしまう。でも、それではダメなのだ。
 頭を振って腕を引く。イゴールはあっさりと腕を放してくれた。
「本当ならもっと早くに言わなければならなかったんだけど…」
 声が震えないように心がけながら、イリアは語った。
 ずっと胸の内に隠していた、ダイスダーグの陰謀を。
 ジークデン砦につく前に、イゴールだけでなく皆に話していれば何かが変わったかも知れない。あんなことにはならなかったかも知れない。
 幾度なく繰り返した仮定を、心の片隅で再び繰り返しつつ…。

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